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8.帰れない庭

――雪が静けさを連れて来た。

 ふと、カイムはその言葉を自分に告げた相手の笑顔を思い出す。どこか、はにかむようでいて、得意げだったその笑顔は、本から拾った文句を口にした彼の照れだったのか。


 その日は、雪が降っていた。灰色になった空から白く大粒な雪が、空を隠してしまう勢いで降りしきっていた。庭木の手前、開けた場所は既に薄っすらと雪が積もっている。

 幼いカイムは一人で、窓から庭先を見続けていた。後少し経てば、斑らに白い庭はまっさらに全てを覆い尽くされる。その、光景を最後まで見届けようと思っていたのだ。彼の言葉が気になって仕方がなかった。

 いつも隣にいる彼は、昨夜熱を出して床についていた。広い部屋はいつになく広く、がらんとした空洞のようだった。床には沢山のおもちゃが転がり、描きかけの絵が幾つも散らばっていた。

 カイムの息に窓は白く染まり、いよいよ外は白一色になろうとしていた。カイムは我慢がならず彼に教えようと遊戯部屋から飛び出した。彼が眠る寝室へ行こうと廊下を小走りで進んでいると、温室の前に通りがかった。折戸の向こうは雪が激しく降り続けるのが見える。

 温室は真っ白な世界になっていた。まるで水槽の中から覗いているかのようで、カイムは思わず折戸を開けて温室へ降り立った。周囲は銀世界。カイムを囲うガラスの外で雪は降りしきり、見上げれば灰色の空は斑らに白く染まっている。カイムが空を仰ぎながら、くるくると回ってみると何故だかスノードームに入ってしまったかのようなきがした。

 しばらく外を眺めていると、大人達の争うような声が聞こえて来た。廊下に戻り道を引き返して、カイムが顔を出すと大人達は話を止めた。大人達は皆、見知った顔で祝事の時などに家に集まって来る親戚だった。皆、困ったような顔でカイムを見つめている。母親が泣き腫らした顔で近付いて来て、屈み込むとカイムを抱き締めた。嗚咽が耳元で聞こえて来る。

「何か辛い事があったの?」

 どうしていいのか分からなかったので、優しく抱き返してみる。

 母親は一層強くカイムを抱き締めると、その手を離した。

「カイムがもう少し大きくなったらいずれ話します」

「今じゃ駄目なの?」

「悲しいことは先延ばしにしたっていいじゃないですか。今はそのままでいましょう」

 よく分からなかったが、大人の話はそんなものなのだろうと了解した。

 カイムは母親に急いでいるのだと伝え、寝室へ走った。

 寝室の扉をそっと開けると、彼がベッドに寝ていた。いつもと何ら変わりのない姿に、カイムは何故か胸を撫で下ろした。起こさないようにベッドへ近付く。自分とよく似た顔の彼は、ぱちっと目を覚ました。寝間着姿の彼は少しだけ顔色が悪いようだった。

「雪が降っているよ。窓を見てごらん」

 彼は起き上がると眩しそうに窓の外を見つめる。

「……ほら、カイム。雪が静けさを連れて来た」彼は耳に手を添えて目を瞑る。

 カイムは彼のように耳を澄ましてみると、引き締まるような静けさをが満ちているのに気が付いた。

「本当だ。いつの間にこれ程静かになったのだろう」


 何故、今更思い出すのだろうか。ヘルレアに会ったからか。近頃は思い出さなくなっていたというのに。カイムの中では決して綺麗な思い出ではない。苦く蘇る始まりの日の光景。もう、帰れない雪に染まる庭。もう一度帰りたいかと問われれば、二度と踏み込みたくはない場所。

 思い出に浸って感傷的になっている場合ではないというのに、王の存在がこれ程までに様々な思い出を蘇らせる。今、ヘルレアはカイム達にとって憎むべきだけの王ではない。オルスタッド等の探索を行い、片王を葬る為に動いている同胞だ。それに比べてカイムこそ何も出来ない立場にある。常に待たなければならない立場が歯痒い。自分に出来ることは何かと考えてみても、ただ待ち続けることが最善なのだと思い知る。

 自分が何のためにいるのか時折分からなくなって来る時がある。もし自分が何かで役立つ事があるとすれば、やはり王の番いになる事だけだ。誰にもこの役目はやらせたくない。自分がノヴェクの人間だから尚更そう思ってしまうのかもしれない。オルスタッドは王の番いになってもいいと言っていた。しかし、カイムは決してオルスタッドへ番いの役割を負わせたくはなかった。

 オルスタッドはどこへ行ってしまったのだろう。あれ程王と面会したがっていた男が、ヘルレアがステルスハウンドへ来ている時に行方不明になってしまった。

 電子端末からメールの着信音が鳴る。“玩具屋(クリムゾンダイス)”と名前が表示されていた。

『東占領区、劣勢』

 あの男へ現状報告はしておくべきだろう。最も早く変事をカイムへ知らせた男へ。

 カイムは電子端末を手にして玩具屋へメールを返信した。



10

  執務室の扉が遠慮がちにノックされた後、ひょっこりと顔を出したのはエマだった。

 カイムはその顔に微笑み掛けると、入室を促した。

 内心、エマの顔を見て動揺している自分がいる事に驚いた。エマを置き去りにして王と交渉してしまったのだ。そして、今現在、オルスタッド等の救出部隊として王が仲間となり、ジェイドと共に奔走している。エマがその事実を知ったらどう思うだろうか。ジェイドの、エマはもう子供ではないという言葉を思い出したが、カイムにとっては今も変わらず十歳のエマちゃんのままであることは、変えようのない認識だった。それはカイムの甘えでもあるのだろう。エマは双生児と戦う事を強く望んでいる、カイムはそれを親心に似た何かで遠ざけようとしていのだ。エマにとってはいい迷惑というところだが、出来るなら彼女が知らないところで全てを終わらせたいと願っている。

「ご苦労だったなエマ。しばらくの間は休んでくれていいから」

「本が難しくて探すのが本当に大変だった。もう、書棚を行ったり来たりで昇降運動をして、いいダイエットになったわ」

「エマはそれ以上痩せなくてもいいよ。父の本もあるから随分古いものばかりなんだ。すまないな」

「お父さまの本もあるのね。カイムのお役に立ててよかった」

「大助かりだ。最近は猟犬の棲家( ここ )を離れられずにいるから。自分では中々本を取りに行けないからね」

「ところでオルスタッドはもう、任務から帰って来たの。探しても居ないのだけど」

「何故?」

「オルスタッドに辞書を借りて行ったの。私には難しくって外国語が読めないから。だから返そうと思って」

「悪いけどオルスタッドには任務を継続してもらってる。しばらく帰ってこないだろう」

「分かったわ。じゃあ帰って来たら教えてね。オルスタッドったらいろんな言語の辞書を持っているのよ。珍しい東方の島国の辞書を見せてもらったんだけど、絵のような文字だった」

「オルスタッドは変わった趣味を持っているからね。このステルスハウンドの中でも、特に変わり者かもしれない。何せ自分から猟犬を探し出して入って来たくらいだ」

 自らの実力だけで(ゴースト)に這い上がった――あるいは、堕ちた――彼は、たった一人で双生児との接触もなしに、その存在を嗅ぎ当てた。深い水底から下僕を送り出す怪物の王が、わずかに残す足跡のみを辿り、ノヴェクを最後の足掛かりとして真実を知ったのだ。

 だからこそオルスタッドの身に何か起こるとすれば、尋常ならざる出来事なのだろうと気を揉まざるおえない。

「そういえば、そうね。オルスタッドが猟犬(うち)に入って来た時、変わった理由で来た人だなと思ったわ」

「まあ、確かに。変わり種だな」

 電子端末からの着信音が鳴った。カイムはエマに断わってメールを見る。

「エマ少し出て来る。夕方までには戻れると思う」

「お仕事の邪魔してごめんなさい。何か用があったら呼んでね……あの、カイム」

「どうしたんだ?」

「あ、鍵を返すのを忘れていた」

「ああ、いつでもいいよ」

 エマは何か別の事を言い掛けていた。誤魔化したようだったが追求するは止めておく。

 鍵を置いたエマはまだ何か言いたげにしているが、いってらっしゃい、と手を振った。


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