第1話 氷の少女[1]
遅くてすみません。
やっと第1話……。
※「毒舌少女」を「氷の少女」に改題致しました(キャラ設定がブレブレでタイトル詐欺になってきた為)
教室の中でひっそりと文庫本を読んでいた少女は、僕に気付き顔を上げる。
「どうぞ、入って」
透き通るような、それでいて冷たく射抜くような声が三半器官を刺激する。音がどこから発せられたのか。言うまでもない、僕の目の前の少女からである。その目は、ひどく冷たい深い青色をしていた。
一瞬、時というものが停止してしまったのではと思うほどである。
そしてようやく、自らが扉を開いたのだと思い出しブンブンとかぶりを振る。
「失礼します」
礼をして、恐る恐る一歩を踏み出す。
恐らくこれが、僕の始め、だったのだろう。
とあるいきさつで清水五十六先生に、こんな文芸部という場所に連れてこられてしまった可哀想な僕、水野陸は色んな意味で驚いていた。
文芸部の部室は廊下の突き当たりに作られた教室で、普通の教室より幾分か殺風景である。あるのは黒板、掛け時計、中央に整頓されて置かれた机と椅子、教室の奥に積まれているそれら以外の不要らしい机と椅子ぐらいのものか。いや、なぜか窓付近にティーセットが置かれているぞ。何でだよ。放課後にティータイムでもあるの?
そして、夕刻の光が差し込み掛けてきたこの教室の、孤高の住人のもとへ僕たちは歩み寄った。
彼女はすっとしなやかに身体を動かし、立ち上がる。思わずボーッと眺めてしまいそうだ……。
「何見てるの?」
その言葉は冷たかった。
「え、あ、いや、その……」
「分からないわね。はっきり言ってくれない? 口ある?」
くそぅ……。ついてない。よりにもよってこの人がここの主とは……。
僕は内心を悟られないようにして、先生に小声で尋ねる。
「何で彼女がここに……?」
「ここの部長だから、だね」
先生は面白がっているのか、顔が笑っている。
マジかよ……。確かに、サイヤ人じゃなくてスーパーサイヤ人だな。
僕は恐れながら彼女の方を向く。
僕はコイツを知っている。というか知らない奴はこの高校にはいない。
一呼吸置いて、しっかりと彼女の正面を向く。
「えっと、一組の水野陸です。……あ、っと、その……ちょっと驚いちゃって……」
このおどおどはどうにかならないかな、とげんなりする。
大丈夫かなぁと彼女の顔色を窺う。見てみると何だかすごく誇らしげ、というか当然とでも言いたげに、彼女は少し胸を張ったのだった。
「そう。まぁ見とれてしまうのも無理ないわね。私、可愛いし。何だか勝手に自己紹介してくれてるけど、私はしなくても、知ってるわよね?」
うわぁ……超自信満々……。確かに知ってるけどね……? 少し反発して、知らないと言うこともできるが嘘は嫌いなので言わないことにした。それに彼女も、何も虚妄を言っている訳ではない。その言葉は事実、僕の目の前に顕現しているのだから。
彼女は可愛い、のである。
僕は圧倒され、や、まぁ……なんて曖昧な返事しかできなかったのだが。
実はこの人、成績学年トップにして運動神経も抜群。おまけに容姿端麗と来ている。何て人だろう……。僕の生きてきた次元を遥かに超越しているのだ。
彼女は嬉しそうな表情を一転、ぼくをギロッと一睨みする。ふえぇ……怖いよぅ……。
「アンタ、初対面の癖にやけに辛気くさいわね」
「それは誰のせい……」
僕がボソッと呟いた一言を、彼女はしっかりと受信したようだった。
「誰のせい?」
「いや、僕のせいです。すみません」
うわぁ嘘嫌いって言ったばっかなのにもうこれだよ。いやぁ意志が弱いなぁ。ついでに悪くもないのに謝っちゃってるし。僕のトラブル回避術がついつい発動されてしまってヤバい。
彼女はニッと意地悪そうに笑う。
「そうよね。アンタ、その辛気くささどうにかしなさい。何だか気分悪いわ」
「え、はぁ、善処します……」
あれれぇ、おっかしいぞぉ。こういうことを言われないように、自分のせいってことにしたんだけどなぁ……。
っていうか僕、何でこの人の為に自分の辛気くささをどうにかするんだろう。っていうか僕って辛気くさいの? ちょこっと悲しいゾ☆ いやマジで辛い……。
この人の特色としては、このように人の心を痛めつけることがさらに挙げられる。怖すぎ……。
彼女はまだ何か言い足りないらしく、不服そうな顔をする。
「アンタその受け答えもどうにかなんないの? 何か腹立つ」
「そう言われても……」
別に僕、悪くなくない……?
どうにも理不尽なのがこの人だ。
彼女の名は大川井縹。前述したが校内No.1美少女にして、勉強よし運動よしの文武両道人間である。
セミロングの黒髪は綺麗なストレートで、艶やかに光を持つ。身長は平均より少し高いくらいだろうが、すっと伸びた脚はモデルなんかにいそうでとても美しい。
何よりすごいのはそのいかにも美少女、といった顔立ちである。細い眉の下に開かれた目は人を睨むのに打ってつけとでも言うべきか、目尻がいささか吊り上がっている。その中にある濃紺色の瞳には青白い光も灯っているように感じられた。
鼻もツンと立ち、唇の仄かなピンク色が白っぽい肌に彩りを加える。
まぁ、可愛い、な。うん。
もうこれだけで十二分なのだが、彼女をより全校生徒に知らしめる原因が今さっきの口の悪さである。どうにも人を攻撃するために彼女の口は存在するようで、友達の少ない僕でも連日連夜その所業を耳にする。主に被害者は男子。理由は言うまでもナッシングなことだが、やはり大川井さんの顔だろう。もしかしたら罵倒されるのが好きな連中もいるのかも知れないが、とにかく告る奴が多い。その彼女の美少女っぷりたるや、週一ではすまない程度に告白されていると聞く。
その答えは、言わずもがな全てNOだ。
しかもその断り方も嗜虐である。あるときは二人っきりで、あるときはクラス、もしくは全校中が見ている中で誹謗、雑言を浴びせる。しかしそれでも学年問わずに告白が止まないというのは恐ろしいことである。
そして、その大川井縹が目の前にいる。そんなに酷いことを言われるなんて、僕としてはたまったものではない。一刻も早くこの場から離脱したいのだが……。
大川井さんは僕から視線を外し、清水先生を向く。
「それで先生、今日はどういったご用ですか?」
突き刺さるような鋭い目付きには先生もたじろぐ。引き攣った笑みを浮かべ、先生は隠れるようにして後ろから僕の肩を掴む。キモい……。おや、本当に隠れるなぁ……。身長って不公平。
「実はコイツを文芸部に入れることになった。宜しく頼むよ」
「嫌です。その辛気くさい男、どう考えても私に下心持ってるじゃないですか。確かにそれはこの世の摂理ですが、だからってこんなのがここにいたら、私の身が危険にさらされるに決まってます」
大川井さんはさらっと先生を拒絶し、さらっと僕の下心をも拒絶した。いや……別に無いけどね、下心? っていうか、すごい自信ですね……この世の摂理って。
いやそれよりも大事なことあるし。
「え、ちょっと待った。何で勝手に僕入ることになってんの?」
おかしくない? と思いながら先生に尋ねる。
先生はにこりと笑う。
「いやぁ、水野がここに入れば更生してくれるかなって思ってさ。それにほら、大川井と一緒なら何か面白いことになりそうじゃん?」
「んぁ……?」
何を訳の分からんことを言っているのかこの人は。一度に三つの疑問ができたぞおい。
一つ目の疑問。更生? 公正でも厚生でも恒星でも校正でもなく更生と言ってるんですか? 尋常に考えて意味が全く理解できないのだが。更生とは更生して然るべき人間がするものであって、即ちするべきでない人間はせずにいていいものである。さて、この時更生すべき人間というのは何か精神的に不安定であったり生活態度に重大な欠陥が生じている人間を指す。で、僕該当してないんだけど?
二つ目の疑問。何故、ここに入れば更生できるのか? 更生とは前述した状態から社会復帰できるようになることである。故に、それを可とするには「心」に対して特別な何かを施したり、長い時間をかけてゆっくりと鎮静させなければならないのである。されども、ここは更生施設等ではなく文芸部で、大川井さんがいるのみだ。文書を作成する、ということから心を正す反省文でも書くのかしら……。それとも大川井さんに骨の髓まで攻撃してもらって、悪い部分を殲滅してもらうのか? ひえぇ……。どっちにしろ無理だろ。
三つ目の疑問。大川井さんと一緒にいることで成る何か面白いこととは? まぁ確かに人目からしたら起こることがそう見えるのやも知れないが、僕としては全く面白くも何ともない。この眼鏡が何を期待しているのかは測り兼ねるが、そんなことにはならないだろうし、そもそも今までの話は僕がここに入部するということが前提条件として存在している訳であって僕が入部を拒否さえすればそれらはたちまち崩れ去るので、清水先生の期待も妄想も野望もそれこそ木っ端微塵どころか雲散霧消するだろう。ゼェゼェ……。
……と、これらの意味を込めての「んぁ……?」だったのだが、先生にはお分かり頂けなかったらしく相も変わらず笑っている。クッ……理解力の足らん教師め……。
言葉にするしかないのかなぁと諦め自らの口を開きかけたその時、口が一気にしぼんでしまいそうな怖い口調で大川井さんが先生に意見する。
「この男が入るなんて、絶対に嫌です。もし私の身に何かあったら先生は責任取れるんですか? 無理ですよね? それとその『大川井と一緒なら云々』っていうの、とても不愉快なので撤回して下さい」
僕がビクついて先生を一瞥すると、同じく先生もビクビクしていた。ビクつく×2でビクツーつく。ロシアっぽい。やっぱロシアの殺し屋恐ろしや。何て心の中でふざけてないとマジで目の前の殺し屋に殺られてしまいそうだった。
先生は無謀にも大川井さんを怒らせないようにと、宥めにいく。
「い、いやぁでもさ──」
「撤回しなさい」
「撤回します……」
大川井さんのドスの効いた語調に、勇気を振り絞った清水先生もたじたじである。普段クソみたいなメンタルを誇っている先生がこのザマなんだから僕の豆腐メンタルなんて一瞬で豆乳にされてしまうのだろう。豆乳ってそのままだと馬鹿不味いよね! っていうか先生に対して「しなさい」は良いのか……?
と思っていると、あら先生偉い! めげずに口を開く。いや無理に、なのかな……。
「で、でもな? ほら僕先生だしさ、生徒に何か強制する権限くらいあるじゃんね?」
いやそれは違うだろ。何だその権限は。ブラック高校にする気か。
大川井さんはふぅと息を吐き、目を閉じる。あれ……? 落ち着いた? そして、先よりもずっと柔らかい声音で発言する。
「そうですか……。なら『アレ』、全校生徒に言うしかないですね……。あーあ、使いたくないのになぁ……」
え? 「アレ」? 自慢の? 何それくさデカ?
ちらと先生を見ると額からプシャァと汗が吹き出しているではないか。表情は強張っていて、何かを言おうとして口をパクパクさせているが肝心の音がない。
何だろう。
今度は大川井さんを見る。彼女の方は大分機嫌が良さそうである。まぁ「使いたくない」ってのも芝居掛かってたしなぁ。言いたいのか、それとも先生を虐めるのが楽しいのか……。
しかし僕を認めると嫌そうな顔付きになる。ごめんね……。
折角だったので先生がこうなっている理由を訊いてみる。話題は僕ではなく先生なので、まぁ大丈夫だろうと踏んだのだった。
「あのぉ、『アレ』って何……?」
「はぁ? 今ここで言ったら脅しに使えなくなるじゃない。バカなの? 謝って」
「ご、ごめんなさい……」
よし九兆歩譲ってバカは認めよう。何だ……『謝って』って。いつ僕が謝らなければならないようなことをした……? まぁ謝っちゃたんだけどね? やっぱ絶対勝てないな……。
しかも今さらっと聞き捨てならない単語を耳にしてしまったぞ。「脅し」とな。女子高生が言う単語じゃないよなぁ……。
先生の様子から見ても、どうやら大川井さんは先生の何らかの秘密を握っているらしい。その「アレ」とやらで先生を屈服させようとしているようだ。ヤバい……怖すぎ。巻き込まれるのも嫌だしやっぱり聞き捨てておこう。
僕が畏怖の向けると、大川井さんは勝ち誇ったように不敵な笑みを浮かべた。どうやら僕が謝ったことについて、とても嬉しいようだ。そうされると急にムッとしてくる。……まぁ勝てる訳ではないのだが。
大したことでもないのに人を嫌な気持ちにさせられるその手段に感服せざるを得ない。別にどちらも悪くなくないのに、片方が嫌な思いしてもう片方が良い思いって、どゆこと……?
げんなりしていると、清水先生がゾンビみたいな掠れ声を出した。思わずビクッと震えてしまう。どうやら、大変心の方をやられたらしい。御愁傷様です……。
「う……わ、分かった。水野の件は……取り下げる」
わぁー、ラッキー。それ僕も嬉しい。
それを聞くと大川井さんはぱぁっと、まるで向日葵でも咲いたかのような明るい笑顔になる。でもどーっか、寒々しいんだよなぁ……。
「さすが先生。そう言ってもらえると思ってました。ありがとうございます」
「う、うん。もちろん……」
持ち直したかのように聞かれた先生の声音は、果たしてだんだんと弱々しくなってしまう。先生は顔を白くしてげっそりとしている。
一体「アレ」って何な訳……? 何かもう人としてアレなとこまで来ちゃってるよ先生……。ってかそんな秘密抱えてないで!?
えっと、はい何も言えねぇ。
そして訪れてしまったこのサイレントタイム。えぇ……どうすんのこれ。
耳に届くのは時計が刻む時の音、野球部の金属バットのキーン、吹奏楽部のパラッパッパッパーじゃなくてペッペッぺーじゃなくてパーだかピーだか「こ」を後ろに付けたくなるような金管楽器の乾いた音色。
僕自身、無言は全く以て苦ではない。むしろ好きというか得意な分野まである。独りでいるなら読書なりテレビなりゲームなり勉強なりをするなど色々選択肢はある。最近はコンピュータやAIが人間の代わりをしてくれるので、コミュ症でもおk。それに一人でじっくりことこと、コツコツ何か好きなものに打ち込めるという時間は大切である。僕もその時間は好きだ。ただ誤解のないよう、あくまでこれは一人で集中してものに取り組むのが好きということであって、決して友達がいないから一人で寂しくしているとかいう意味ではないことを重ねてお伝えしておく。
で、それは得意なんだけどこの状況はいかんともしがたい。何せ目の前にはブラックで可愛いという末恐ろしい万能毒舌美少女、横には現在白化中の、普段ウザったらしい甘々世界史教師がいるのである。二人なのにキャラが濃すぎ……!
わぁー、早く、早くこの場から消え去ってしまいたい……。もう、勇気を出して言うしかない、この人に。
僕は拳を強く握り、唾をごくりと飲み込む。静寂が終わる。
「先生、退散しましょう。もう僕たちは負けたんです。早く戻りましょう。でないと殺……じゃなくて悲しい思いをするだけです」
僕は大川井さんと目を合わせないようにして、先生をぐいぐいと引っ張り教室のドアまでせっせと移動する。
秘技、とっとと行動して相手に何も言わせないぞ作戦!
もうあの人とは話さない方が良い! 先生可哀想だよぅ。
「失礼しました」
潔く、目を合わせずに言い放ち、ドアを勢いよく引っ張ってしっかり閉める。よしもう奴は追ってこない。フ、フラグじゃない!
「うぅっ……」
え、何? ゾンビ? スポナーどっかにあんの? 文芸部の中にはエンダーなドラゴンいたんだけど……。
見回してみるが、ゾンビらしき影などはない。
「み、ずの……」
「ぅおっ、あぁ……先生か……」
ビックリしたぁ……。
先生は相変わらず白化したままだがどうやら一命は取り留めたらしい。良かったぁ……。先生いなくなるとこの学校で僕を擁護してくれる人が消えちゃうもんなぁ。それに、僕は今先生の秘密を握っている……。さっきの会話で、僕は先生が大川井さんに弱みを握られているという秘密を知ってしまった。つまりそれは先生の秘密。コイツを使えば上手く先生を駒にできるかも。なはは、夢が広がる。
という訳で、晴れて僕の忠実なポーンになってくれることが決まった当の先生を救出できたので、もう放置でよかろう。
僕は先生を文芸部の前に座らせて声を掛ける。
「じゃあ、先生さようなら。あ、その……これから頑張って下さいね」
上司が二人になってしまいましたからね。もっと仕事が増えるかもなうん。
先生は何かを言おうとする。
「水、のぉ……」
「あ、見送りは結構ですから。ごゆっくり。でも、大川井さんにはもう捕まらないで下さいね」
殺されたら困るし。
僕は小走りになってその場を後にする。
その後、先生がどうなったのかは誰も知らない。
最後までお読み下さりありがとうございます。
何か……長いですね。ごめんなさい。
また、暇が出来れば、投稿します。