結婚
3月中旬、おっさんはこっちで暮らす住みかを確認に戻ってきた。
社宅なので、確認だけで、またすぐに東京にとんぼ返りすると言う。
わずかな時間を使って私たちは食事に出る。
九時半には飛行機が飛ぶので、九時までの短い時間だ。
以前行ったイタリアンのお店で、カルパッチョにパスタにピザ。どれをとっても美味しかった。
おっさんに植田さんのことや進藤さんのことを話して聞かせる。
おっさんは、うんうん、と頷きながら話を聞いてくれる。
バレンタインのチョコのお礼を言われた。
「こんなおっさんに気ぃ使うてもらって、嬉しい」
やっぱり伝わってなかったか……
私は息を吸うと、言った。
「あれは本命チョコですっ!」
「本命?嬉しいこと言ってくれるやないか」
全然意味が伝わってない。
「田尻さん、本命というのはホントのホントですよ」
「そんなにむきにならんでもええがな」
私はもう迷わなかった。
私はもう一呼吸して言った。
「田尻さん、私はあなたのことが大好きです。結婚してください」
おっさんはむせた。
「ユキ、お前頭大丈夫か?」
「大丈夫です。今度帰ってきたら言うつもりでした」
「それは本気か?」
「本気です。お嫁さんにしてください」
私はかつてないくらい真剣におっさんと向き合った。
「わしはバツイチだし、養育費やらを支払っていて、養うほど金は持ってないぞ」
「私も働きます」
「転勤がまたあるかもしれん」
「そのときは大人しく待ってます!」
おっさん――田尻さんは少し考えていたみたいだが、
「この件は保留。次に帰ってくるときまでに返事を考えとくわ」
と言われた。私、もしかして振られるかも……
そして飛行機の時間が来て、田尻さんは東京へ帰っていった。
その日から私の脳内は田尻さんで占領された。帰ってくるまでの日付をカウントしたり、とにかく大人しく待っていられなかった。
田尻さんに何回も電話しちゃったり、メールを送ったりした。メールはちゃんと一件一件返ってきた。嫌われてはいないらしい。
東くんのときのことがあるから、慎重にはなったが、こればっかりは止められなかった。
どこに誰と何時までいたかとか、飲み会の日なんかは心配で何回もメールした。それでも田尻さんは返事をくれた。
そして3月14日、遠方に異動する人の異動の内示の日がやって来た。
私は自分はまだ異動にならないだろうとたかをくくっていた。
しかし、館長にその名を呼ばれてしまったのだ。
「佐藤くん、今、いいかな?」
「はい……?」
「佐藤くんは今度の辞令で東京事務所行きが決まった」
「えっ……東京?」
「行ってくれるよね?!」
「ええ、まあ、はい……」
なんでそこではい、と答えてしまうんだろう。サラリーマンとしての宿命か?
とりあえず田尻さんに連絡をする。
『えーっ、東京?!俺と完全に行き違いやんか』
『そうなんだ……でも、二、三年のことだから……待っててくれるよね?』
『待つか待たないかと言われれば、そりゃ待つしかないかな』
『だから、結婚式はしないで籍だけいれてもらって東京に行こうと思う。』
『なんや、結婚式もあげんてか?』
『うん……多分季節に一回帰るくらいになると思うから……』
『いやや』
『え……何が嫌なの?』
『わしはユキの晴れ姿が見たい』
『……そう言ってくれて嬉しい……というか、そう言ってくれるってことは……』
声が上ずった。
『ユキ、結婚しよう』
『ホントのホントに?!』
『ああ、ほんまや。ウェディングドレス姿もみたいからな、式は盆休みに挙げよう』
『ホントに、ホントにいいの?』
私の目からは涙が止めどなく流れてくる。
『式場なんかはわしが探しておく。お前は着るドレスと呼ぶ人のリストだけ考えればええ』
『ありがとう……!!』
私は田尻さんのその返事に感動した。やっぱりこの人を選んでよかった、そう、思ったのだった。




