失恋
待ち合わせ当日、おっさんは私よりも早く待ち合わせの喫茶店についていた。珍しい。
いつもは仕事が長引いて私が待つことが多い。だから今日も文庫本を持ってきている。
おっさんに近づき、話しかける。
「ピンポーン、お邪魔します」
おっさんが雑誌から顔をあげる。
「おぉ、お前は来るのが早いな」
「定時であがる職場なので」
「ほな、ちょっと早いけど、行こか」
「まだコーヒー残ってますよ」
「あぁ、そうだった。ちょい待ちいな」
私は向かいの席に腰かけると、お冷やをもらった。
「なんやねん、ニヤニヤしてからに」
「別に〜」
ホントは今日、好きですって告白するつもりだ。
だからか、ニヤニヤが止まらない。
告白のタイミングは、乾杯してから。
そう決めてきた。
下着も勝負下着だったりする。てへっ。
いつもの通り、私が仕事の話をして、おっさんは頷いて聞いてくれる。
ちずるとのことも、おっさんには安心して聞いてもらえる。
コーヒーを飲み終わると、店を出た。まだ少し早いけれど、店に行こうかという話になり、足を向ける。
今日の私はすこぶる機嫌がよい。
お店についてから、おっさんが、
「いつもの赤ね」
と頼む。私も最近は一緒のものを飲んでいる。
ワインが注がれて、乾杯、とグラスをあげる。
私が話そうとした瞬間とおっさんが話そうとした瞬間がかぶった。
私は、お先に、と促す。
おっさんもお先に、と促す。
しばらく促し合いが続いたが、二人とも吹き出してしまい、おっさんが話すことになった。
おっさんはすごく真剣な顔をして言う。
「今夜、ユキちゃんを俺のものにしたってええか?」
私はドキドキしながら、
「はい」
と言おうとすると、おっさんが表情を崩して言う。
「嘘だよ〜」
私は膨れっ面になり、
「本気にしかけました!」
と抗議する。
しかし、おっさんはまた真面目な顔をして言う。
「ユキちゃん、お前には悪いんだけど、一つニュースがある」
「えっ、なんですか?」
「わし、東京事務所に異動になったんや」
頭がガンガンする。自分の耳を疑う。
「それって、いつから……?」
「9月1日からや」
「嘘……え……だってもう、過ぎてるんじゃ?」
「今日は残務整理なんかもあったから、こっちに戻ってきた」
「……引っ越しは?引っ越しはしたの?」
「8月末にな、したんや。ほんまは一言言ってからと思ったんやけど、お前が……」
「私、ついていきます」
「そう言うと思ったから黙っとった」
「なんで……」
「わしの給料じゃ、二人ぶんはまかなえないからな」
「そんな……」
「せやから、一人で行くことに決めた。」
前菜が運ばれてくる。
おっさんは、フォークに手をかけると、食べ始めた。
私は食べれなかった――
「そんなの、勝手過ぎるよ……」
涙がポロポロとこぼれた。
「で、ユキちゃんの話ってのはなんや?」
「私、田尻さんのこと、好きです。ずっと一緒にいたい」
そこまで言うと、また涙がポロポロこぼれ落ちた。
「ユキちゃん、ええから、食べりぃ」
渋々前菜を口に運ぶ。
こんなときでも、この店は旨いと感じさせてくれる。ありがたい。
少し泣き止んだ私は、もう一度おっさんに聞いてみる。
「向こうでパートとかするからさ。結婚式はなくていいし、ささやかに暮らせれば……」
おっさんはまた真面目な顔をして言う。
「この地に骨を埋めるつもりで公務員になったんやろ?筋は遠さなあかんで。それに、パートなんかするより、俺はこの地で、お前が幸せに暮らすことのほうが嬉しい。いつかまた、この地にも戻ってくるかもしれないやろ?そんときに、お前が幸せになっていれば、それでいい」
おっさんの眼差しは強くその決意を語っていた。




