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九. 1867年、霜月

1867年、霜月


幕府が政権を朝廷に返上したと言っても、すぐに何かが変ったという訳ではなかった。

慶喜は依然として実権を握り続けていたし、朝廷も政権を運営する能力も体制もまだ持っていなかった。特に外交に関しては全く為す術が無く、幕府は朝廷に委任される形で政治の殆どに関っていた。征夷大将軍の職も健在であった。

併し新選組に従来通りの日々が続いていたかと言えばそうではない。従来通りなのは政治に関る事の無い商人町人といった一般庶民であり、幕府・朝廷に関った志士や組織は―――・・・殺気立っていたと謂ってよい。

殊に大政奉還の立役者となった長州藩士や土佐浪士等の尊攘派志士は各方面から命を狙われる存在となり、或る追手から逃げ切ったと思えばその先を別の追手が歩いている、世の中は敵ばかり、という情況に落ちていた。


尾形はこの日、新選組の助勤として、土方が江戸から引き連れて来た新隊士を率いて巡察を行なっていた。

彼がこの時していた事は之だけである。

―――併し、彼がこの日に巡察の当番が入っていた事を知るのは、彼と勤務を組んだ上司と共に京を練り歩く隊士達だけではない。

「・・・・・・」

・・・河原町四条上ルにて、尾形はちらりと面積の大きい黒眼だけを横に動かした。―――・・・視線の先には、『近江屋』の提燈が下げられている。

其処に、扇子を持ち髷を結った如何にも聡明な細面と額に深い傷痕の残る若い見知った貌が訪れ、ガラリと戸を開く。腰を屈めて暖簾をくぐり、男達は店の奥へと消えた。

「――――・・・」

尾形はすっと黒眼を戻し、何事も無かったかの様に平穏な巡察を過した。実際に、彼以外の者は最後迄この事象のゆく末と関っていないので無害であった。そういった意味で、この日この時の巡察は非常に平穏で何事も無く済んだ。


「―――は・・・?」

はっちゅ!男が情けないくしゃみをして洟を啜る。併し再び開いた切れ込んだ瞳には、鋭さと凄みが利いていた。

「伊東さんと言ったかの?俺が知っちゅう中では、おまんは新選組に居った筈き。よくもほがな新選組を売る様な事を・・・」

「ほれ坂本!伊東さんは決死の思いで尊皇側(こっち)に移ってきたんじゃあ。伊東さんも命懸けなんぜよ!」

・・・・・・。坂本 龍馬は警戒を籠めた視線で伊東 甲子太郎と藤堂 平助を交互に睨んだ。どこか恐れてもいる様で、身構えて其と無く後ずさる。

「―――坂本君。僕達は君が心配で提案しているだけだよ。勤皇佐幕なんていう話は大政奉還が成就した今、最早関係無い。只、君を必要としている人が朝廷幕府問わず中枢には沢山いる。だから、早く安全な処の保護を受けて欲しいと思っているんだ」

「・・・・・・其で、嘗ての仲間を裏切って敵だった者に密告か?容易く人を切り捨ててほいほい乗り換えていく様な奴に乗り切れるほど、洗濯しちゅう日本の渦は甘いものではないぜよ」

「坂本!」

伊東に食ってかかる坂本を、中岡 慎太郎が食い止める。坂本はこの日体調が余り優れず、悪寒とくしゃみと鼻水が止らなかった。

はぁ、と鼻声と共に溜息を吐き、呼吸を落ち着ける。

「・・・・・・だって、おかしいぜよ、慎太。コイツら、俺等の事も絶対裏切るに決っとるき。若しくは俺等を今この時点で欺いてるかも知れん。人を裏切る様な奴は裏切られる事をしちゅうがや。コイツらが何をせんでも、コイツらを使って俺等に何かを仕掛けてくる輩がおるかも知れんがぜよ?」

・・・・・・藤堂は坂本に凡てを看破(みぬ)かれている様な気がして、胸が痛くなった。自分は時流の波に乗って勤皇に移った訳ではないが、伊東を裏切っている事に違いは無い。其どころか、斎藤と違って自分は新選組をも裏切っている。

―――そして、坂本の予言通り、伊東を利用して坂本の居処を掴んだ者の存在を藤堂は知っている。

更に其を、伊東にも坂本にも黙っている。・・・二重三重に、裏切を重ねていた。

無論、坂本は藤堂の“裏切”に気づいている訳は無い。この忠告から僅か3日後、坂本は中岡と共に殺されて仕舞うのである。

「―――とにかく、もう帰ってくれんがか。何か身体がきついき、ひどくならん内に早よ休むがよ。おまん達にも見つかって仕舞ったき、元気になったらアドバイス通りに近江屋(ここ)を出て行くぜよ」

坂本は根は人を疑いたくない人の様で、敵対心を露わにした伊東と藤堂に対しても最後は笑みを浮べて見送った。・・・軽く冗談も彼等に叩いて。


「・・・・・・」

―――藤堂は伊東と共に月真院の屯所へ帰る。之が藤堂にとって、最後の帰屯になるかも知れなかった。


「・・・・・・」

―――巡察を終えた尾形も、隊士と共に不動堂村の屯所へ戻った。尾形がこの年屯所へ帰るのは、之で最後となる。



大政奉還から1ヶ月後の慶応3年11月15日(1867年12月10日)、坂本 龍馬と中岡 慎太郎が殺害される。

坂本の死については余りに有名である為本作では書かないが、血に塗れた赤い部屋には数々の遺留品が置かれていたと云う。

現在に至る迄坂本暗殺の犯人は特定が出来ておらず、憶測が憶測を呼んでいる状態だが、本作ではそこにも触れない。

寧ろ本作に於いては「当時、誰が疑われたのか」の方が重要である。


「左之助」

之も余りに有名な話だが、この部分は本作に於いては重要なので、大まかに追う事にする。

「近藤さん・・・・・・?」

近藤は局長部屋に原田を呼び出した。藤堂ももう新選組にはいないので、原田が留守になると永倉はひとりになって仕舞う。

馬鹿が一人減っても二人で盛り上がったり凸凹三人組から八十八をかっぱらったり佐倉や沖田に絡んだりしていたが、この時期は誰も彼も体調が悪い。永倉は三馬鹿の中では最も賢いが、風邪の波が来る気配さえ無いあたりは矢張り馬鹿の部類に入る様であった。

「よっ!新八」

永倉が一人縁側に坐り手持無沙汰に地面に届くか届かないかの足をぶらぶらさせていると、永倉が四人は詰っていそうな体躯の島田 魁がどすどす音を立てて廊下の向うから歩いて来た。木張りの床がぶるぶる振動する。

(りき)さん」

「何だ新八。お前一人か」

「左之が近藤さんに呼び出しを受けてるもんで」

島田は原田が呼び出されている事を知っている様で、原田について特に触れる事も無かった。

(ハチ)公に相手して貰わないのか」

「アイツ風邪引き込んで寝込んでて・・・また」

「また!?」

島田が素っ頓狂な声を上げる。その声には呆れも含まれていた。風邪の流行っている時期なのでピンピンしている事は無かろうと思っていたが、本当に事ある毎に体調を崩す奴である。

原田の事は知っていても、八十八の風邪について島田は知らなかった様だ。

「だから佐倉は大変だよ。総司の看病と並行して八十の方も遣ってる」

「あぁ・・・・・・」

島田は遠い眼をして声を漏らした。・・・佐倉には勿論申し訳無いのだが、そういえば島田も最近は八十八をほったらかし状態である。近藤の護衛の任務を兼ねる様になってから島田も全く暇が無くなったが、尾形は其以上の任務をずっと熟している。尾形も恐らく、八十八の不調を知らないだろう。

八十八は、そんな島田や尾形に対して何も言わない。ただ忠犬の様に、或いは家庭を守る女房の様に、二人の帰りを黙って待っている。

「・・・良し!今は丁度非番の様なものだから、ちょっくらアイツらの処に顔を出してくるか。新八、お前も付き合え」

島田がガバリと永倉の肩に覆い被さる。本人は肩組をしている積りだが体格差がありすぎて丈の余ったちゃんちゃんこで二人羽織をしている様にしか見えない。

「おわっ!だけど力さん、風邪がうつっても休めないんだから俺達は来るなって八十が言ってたぞ。其に、総司は労・・・」

「八公のくせに何生意気な事言ってんだ。アイツが拗らせる程度の風邪なんかうつる訳が無いだろうが。其に新八!お前も三馬鹿の一人なんだから風邪なんか引かないだろう。現に今も一人元気じゃないか。おら、病人行脚するぞ、行脚!」

「むちゃくちゃすぎる、力さん・・・・・・」

永倉が島田の豪快さに引っ張られる侭ヨロヨロと廊下を右往左往に進む。重い。何せ原田以上の面積と重量を持っている。

此処に、風邪を引かない新たな凸凹馬鹿コンビの誕生か。

(・・・力さんも八十も、凸凹は全然変らないんだよな)

藤堂が去り、沖田が労咳と判明して自分や佐倉達のいる三人組の秩序が崩れても、凸凹三人組だけは以前と全く変らない。

彼等を取巻く環境は自分達と同じく激変していても、彼等が醸す雰囲気やその周囲に流れる空気は変っていない。多少違っている様に見えた時でも、一刻も経てばすっかり元に戻っている。

・・・彼等と一緒に刻を過すと、壬生時代のあの頃に返った気さえする。

―――目まぐるしく変ってゆく時代と自分の周囲にあって、凸凹三人組の存在を有り難く感じた。


「俺が坂本 龍馬暗殺の犯人だって!?」

突然降り懸る容疑に、原田は思わず大声を張り上げた。周囲には近藤に土方・山崎・吉村。我々にとっては最早お馴染のメンバーだが監察ばかりの顔触れに見張られている様で原田は自然、緊張した。

「・・・・・・現場である近江屋に、お前の持つ刀の鞘が残されていたそうだ」

「そりゃ在り得ねえよ近藤さん!確かに俺も刀位は持ち歩くが、あの坂本 龍馬を殺るんなら幾ら何でも槍を使うぜ!俺がヤツを殺れない程度の剣の腕だって事、あんたはよく知ってるだろう!?」

坂本 龍馬は北辰一刀流の達人としても知られている。そんな坂本が、剣を抜く間も無く最初の一太刀で致命傷を受けている。

少なくとも、坂本を超える剣の腕を持つ者でなければ彼を一方的に攻撃する事など出来はしない。

「・・・・・・他にも証拠があるらしい。『瓢亭』の焼印のある下駄だそうだ。殺害の前日、瓢亭の旦那が新選組隊士にその下駄を貸したという証言も取れているだと」

『瓢亭』とは料亭の名であり、新選組隊士が足繁く通っている店である。その下駄が左右一足ずつ見つかったのだという。

「なら猶更在り得ねえよ!俺はあの日早く家に帰ったんだ!まさに確認取ればわかる!」

・・・・・・。土方は黙って近藤と原田の遣り取りを見ている。だが、目に映っているだけで特に注視している訳では無さそうだった。

・・・山崎と吉村も、腑に落ちない様な表情で己の思考に耽っている。

(―――坂本 龍馬を殺す様な強者(つわもん)が、んなボロボロ証拠んなるモン置いて往くかいな・・・?)

―――・・・刻後れて、同じく監察出身者の尾形が襖を開いて入って来る。

「おがっち」

原田は少しだけ態度が砕け、尾形の愛称を口にした。併し、尾形は原田の方を見向きもせず、神妙な姿勢を崩さずに、近藤に向かって

「下手人は伊予人だそうです」

と、淡々とした口調で報告した。之には原田の血の気も引く。山崎や吉村も、思わず原田に見開いた眼を向ける程であった。

「な―――っ!?」

「坂本 龍馬と共に襲われた中岡 慎太郎が、刺客は伊予人だったと証言したとの事」

「伊予・・・・・・」

・・・近藤も険しい視線で原田を見る。原田は近藤の視線に堪え切れずに尾形の方を見たが、尾形の目許は視えなかった。

土方だけは変らず醒めた眼で事の成り行きを視ている。

「―――より正確には「こなくそ」という言葉を吐き捨てて去ったという事です」

・・・尾形は若干、確認を求める様に原田の方に身体を向けて言った。・・・・・・残念ながら、原田にはこの方言(ことば)の意味が通じて仕舞う。

原田は伊予松山藩の出奔浪人なのである。

「―――叉、之等の証拠に関する証言の出処を突き止めました」

尾形は原田の気持ちなど意に介しない様子で報告を続ける。・・・土方の眼の色がここにきて変った。

「御陵衛士です」

・・・・・・。―――・・・局長部屋が沈黙に包まれる。

「・・・ふん」

と、その後土方は鼻であしらった。顔色一つ変えない。事実を知った後の山崎と吉村は、助勤の地位を不動としている原田が見ても不気味に感じる程に無表情だった。

―――そんな中、本の一瞬だが―――・・・局長の近藤が、哂っている様に見えた。

「・・・伊東さんにも色々と聞いておきたいところだな」

日頃落ち着いてはいるが人の好さを想わせる様な近藤の声が、この時は非常に素っ気無く聴こえた。

「―――御陵衛士も、我々新選組の一部だからな」

「機会を設けよう」

土方は即座に結論を出した。そうと決れば襖を開け、片足は既に部屋の外に出ている。

「―――善は急げだ。すぐに宴の計画を立てよう。山崎君、吉村君、手伝ってくれ」

「は」

山崎と吉村が同時に立ち上がり、土方について部屋を出てゆく。・・・人の密度は急激に減り、局長部屋に残るは部屋の主と原田と尾形のみになった。

「―――左之助、お前も部屋に戻れ。次の命令があるまで部屋から出るな。謹慎していろ」

「そんなぁっ!!」

近藤が原田に向かって命令する。この場合の謹慎、というのは処分ではないが、容疑者として見られる濡れ衣はまだ晴れていない様だ。

「只でさえお前が関るとややこしくなるのに、疑われていたら益々手に負えん。だから勝手に出て来るな」

尾形、左之助を見張っておけ。そう言ってぺいっと原田と尾形を纏めて局長部屋から追い出す。さすが局長、原田でも逆らえない。

「・・・・・・ゆくぞ。左之さん」

・・・・・・原田がなかなか局長部屋の前から動こうとしないので、尾形が声を掛ける。力尽くで引っ張って行こうにも、原田の方が体格がいいし腕っ節も強い。

原田は聞き分けの悪い犬の様に目の縁全体から滝の様な涙を垂れ流して主人の情けを俟っている。

「・・・・・・」

・・・・・・徐に尾形が小柄やら手裏剣やら物騒な暗器を胸倉から出す。どれがいい?と訊かれそうな勢いだ。原田は尾形の豹変ぶりについていけず、本能のみが即座に反応して

「わ・わかったよおがっち!戻る!戻るから!!」

と、足が一、二歩と動くも、其でも心は納得していない様で涙の痕を廊下に点々とつけて近藤の部屋から原田の部屋までの動線を結ぶ。

「でも!少し位聴いて貰ったっていいじゃねぇか!伊予人てだけで犯人扱いされたら堪んねぇよ!其とも、近藤さんもおがっちも俺より御陵衛士の言う事を信じるのか!?」

原田が我慢ならずに尾形に不満をぶちまける。尾形は原田を部屋の中に追い遣りながら

「わかっている」

と、言った。

「――――・・・」

・・・尾形の意外な返答に、原田は鼻頭がつんとくる。

「今日明日にでも土方副長が貴方を呼びに来られる。貴方には重要な仕事をして戴かねばならぬ。其迄は体力の温存と嫌疑の拡大を防ぐ為、私と共にこの部屋に居て戴く」

そう言って部屋の襖を後ろ手で閉める。外との境界を設けたからか原田の声が途絶えたからか、其とも大量に並ぶ本が雪の如く音を吸収しているのか、二人きりの室内は厳粛と謂える程に静かだった。

「おがっち・・・・・・」

尾形は原田が同じ空間に居る事など構い無しに、本を取って既に読み始めている。室内で坐って本を読む時は藤堂と同じ様に、前髪が額にかからぬよう後ろに上げて結んでおり、眼元が初めてはっきりと見えた。今迄に無く無防備にしている様に見え、原田は漸くこの男に親近感を得る。何度この男を渾名で呼ぼうとも、之迄一度もこの男に心を許された事は無かった。

―――其が。じんじんと胸が静かに熱くなり、ぽかぽかと心が温かくなってくる。

「―――おがっちは、如何して新選組に入ったんだ?」

・・・何だか、この男の事を知りたくなった。

「尽忠報国の志ある健康な者なれば、誰しも入隊できるという条件の筈だが」

尾形は即答とも謂える速さで流れる様に答えた。視線は本から一瞬も離していない。予め用意されていた答えだ。

・・・確かにそうだ。入隊資格としては確かに其で充分なのだが、尾形達の代というのは5年ある新選組の歴史の中でも可也特殊だった。

「元々京に居たヤツで、第一次隊士募集の時から新選組に残ってるヤツは殆どいないから、よっぽど強い動機があるのかと思ってさ」

「・・・崎さんも魁さんも、八十も在る」

「でも、其だけだろ?」

尾形の回答はすげない。だが原田は食い下がった。・・・頁を捲る音が微かに聞える。

「あの代はとにかく長州の間者が多かった。こっちもさ、殺って殺って殺り捲ったぜ。徹夜続きであの頃は結構きつかったな」

「・・・・・・朝に目を覚ましたら、毎日二・三人ずつ隊士が減っていっていたな」

「おがっちはその点で馴染があるんだよ、俺」

一方的に、であるが。

入隊面接での土方との遣り取りも然る事ながら、叉別の角度から尾形は幹部達の注目を集めていた。肥後国出身、という点である。

この点で、尾形は他の隊士とも異なる更に特殊な事情を持っていた。

「―――知っていた。何度背後に危険を感じた事か」

肥後は外様ではあるが佐幕派で、新選組とは本来敵ではない筈だが、尊皇派である宮部 鼎蔵や河上 彦斎が藩の幹部に推されていたり宮部が格別に長州藩と親しくしていたりと、藩論が全く統一されていなかった。この為、同じく藩論が統一されていなかった土佐や、長州と懇ろな間柄にあった筑前・筑後と共に肥後出身者も佐幕派に警戒されていたのである。

「あの時はおがっちがまさかここ迄生き残るとは思わなかったけどな」

原田がけらけらと無邪気に笑う。尾形は剣の腕は原田より上だが、原田に槍を持たせると強さが格段に変る。其に、尾形より腕が優る者は隊内でも少なくない。

いつか死闘()り合う日が来る事を、原田は楽しみにしていたのかも知れない。

「・・・・・・其は残念だったな」

・・・尾形は変らず感情の無い口調で返した。興味が然して無い様にも見える。尾形を置いた特殊な環境は、味方からも敵からも、好意を懐かれようが悪意を持たれようが何の感慨も浮ばない様に彼の心をつくり上げている。

「いいや逆だよ。俺は嬉しいんだ」

原田がニッと笑って尾形に語り掛ける。すると尾形は愈々頑なに本から視線を離さなくなった。歩み寄られるととことん離れたくなる心性の持主らしい。

「おがっちは信頼できる、誰よりも。だって、今迄色々あっても結局新選組(ここ)に戻って来たじゃねえか」

「私にその様な言葉掛けは必要無い」

撥ねつける様な鋭い声を発すると同時に、ぱたんと少し大きな音を立てて尾形は本を閉じた。眼元が露わになっているだけで気迫が全く違う。原田は少しだけびびった。

「・・・・・・その言葉は、御陵衛士より帰隊される二人に言って差し上げればよい」

だが髪をすぐに結び直し、ぱさりと前髪を下ろし見慣れた姿へと変貌する。立ち上がり、部屋を出ようと襖に手を掛けた。

「・・・茶をば煎れてくる。若し部屋を出た場合は・・・命令違反で斬る」

尾形は襖を開いて部屋を出てゆく。摺り足の様なその歩き方は音も無く滑る様であったが、意味も無く速歩(はやあし)である様に見えた。




―――11月18日。遂に刻は動き始める。

尾形の宣言通り、土方が原田を呼びに来た。尾形は土方と入れ替りに部屋を出てゆき、其限(それき)り不動堂村屯所から姿を消した。

原田が広間へ土方と共に入って来た時には、幹部は沖田と尾形以外の全員が揃っていた。沖田は最近、体調の悪化が著しい。

「決行は今夜だ」

近藤が言ったのは其だけで、後は土方が振り分けを始める。

「幹部は全員、酒宴に参加して貰う。だが、伊東が酒宴に来る可能性は低い。幹部は他の衛士を引きつける為の囮だ。近藤局長の妾宅の周囲を、永倉隊・原田隊・山崎隊と岸島・村上・吉村の監察三名について貰う。計画では衛士が五名来る筈だ。その中の一名は新選組側の間者だから、この五人に関しては生け捕りを目指せ。

続いて、月真院の御陵衛士屯所には沖田隊・井上隊・山口隊と安藤・安富の監察二名でいく。山口は斎藤の事で、アイツも間者として御陵衛士に居たクチだ。アイツは月真院(むこう)で落ち合う。そちらは殲滅しろ。

そして、木津屋橋。之には尾形隊をつける。今回に限り、尾形隊は大石が率いる事にする。尾形は既に現場に向かっている。之からその話術で以て伊東派をいい具合に振り分けるだろう。伊東に関しても、アイツが恐らく仕留めるだろうが・・・出来なかった時は大石、お前が始末しろ」

監察方・伍長を通じ、土方の指令は平隊士に万遍無く行き渡る。叉この日、山口 二郎という隊士が入隊し、助勤として就任する事になったという掲示がされた。



そしてこの日の陽の暮れにはもう、全員が指定された配置へと陣を布いていた。



「土方君からの招待状かいっ!?」

伊東は扇子を全開して、土方から酒宴に誘われた喜びを表現する。併し尾形も含め、衛士の者達は伊東ほど無垢な反応はしなかった。

「・・・罠かも知れません、伊東先生」

そう言い出したのは服部 武雄であった。・・・尾形は前髪の奥に隠した眼を、密かに服部の居る側に流す。武田が月真院に一度姿を現してから、服部の尾形に対する見方が少しずつ変っている。

「てぇか罠以外に考えられませんよ。なぁ俊ちゃん、新選組が伊東先生を酒宴に招く目的てぇのを教えてくれよ」

加納 鷲雄も服部の意見に同意する。彼は疑り深い性格で有名だが、尾形の事は其程疑っていない。その分存在を軽んじている。

莫迦にする様な呼び方に伊東が苦言を呈す。

「こら、加納君」

立場的に尾形が加納より下になった事は無いのである。が、少しばかり年下なだけでこの扱いだ。加納もまだまだ若い証である。でも

「・・・・・・構いませぬ」

加納に限っては、尾形の方が警戒していた。相性が悪いと謂うのか、加納のしつこさは時折尾形の理解を超えているところがあった。予感というものかも知れない。

「・・・表向きは国事談合及び甲子さんの申し込まれた借金の話となっておりますが、目的は坂本 龍馬殺害の件で左之さんを犯人と証言された事に対する訊問です。近藤局長は非常に怒っておいでです」

『―――おぬしは叉選択を迫られる』

―――藤堂は、建白書を提出したあの日に斎藤 一が言った事を想い出した。

『おぬしも裏も表も知り尽した新選組幹部だから、局長達が之から何を為さるのか、ある程度の想像は出来ると思うが』

―――出来るとも。藤堂は肯いた。自分だって先駆けて粛清役を買って出ていた人間である。わからない筈が無い。

『・・・そう遠くない未来に、尾形さんがおぬしに訊きに来るだろう。好きに択ぶといい。只、伊東さん側についたらこちらも容赦はせんがな』

・・・今がまさに尾形に選択を問われているその時なのだと藤堂は理解した。

「・・・・・・」

伊東は新選組の目的を聞いて愕然として黙り込んだ。訊問が如何のと言うよりは、文書の内容が嘘であった事がショックである様だ。

「・・・・・・此の侭誘いに乗ろうものなら、殺されるんではないかね」

新選組時代には伊東や尾形と同じく文学師範を務めた毛内 有之助が、余りに速い頭の回転故に人情を介しない事を言う。

「何という事を!」

伊東は毛内の縁起でも無く相手方に対しても礼を欠いた発言を叱咤する。

「土方君達は屹度何か誤解をしているんだ・・・之は誤解を解く為にも誘いに応じなければ」

「お待ちください伊東先生。独りで行かれる御心算ですか」

「独りで来る様にと書いてある。屹度、内密にしておきたい幹部同士の話をするのだよ。土方君達は秘密主義だからね」

其に、と伊東は尾形の方を見遣って安心し切った表情で言った。

「行き帰りは尾形君が案内してくれると、この招待状に書いてある」

「―――道中、御伴致しますので、送り迎えの方は大丈夫であるかと」

・・・・・・尾形は嘘の言った事の無い口で、嘘か本当か判断のつかない響きを持たせて言う。その科白を、不思議と誰もが信じた。

「―――なれど、宴の席に着けば剣豪がざっと四名程・・・仮令甲子さんが剣を抜かれても、私だけでは到底新選組には敵いませぬ」

「―――なれば、我等衛士が数名、別行動で近藤 勇の妾とやらの(いえ)に張れば良かろう?」

・・・・・・今迄ずっと、腕を組んで静観していた篠原 泰之進が遂に口を開く。篠原も、尾形の言う事には疑問も異存も無さそうだった。

「篠原、聞いていなかったのかい?其は礼儀に外れるというものだよ。万一僕に何かあった時は・・・」

「貴方がいてくれなければ、御陵衛士は成り立たぬのだよ」

篠原にぴしゃりと正論を言われ、伊東は思わず口籠って仕舞った。頭では解っている事である。併し、伊東にはまだ話せば解るという自分に対する自信と相手に対する期待があったし、天に二物も三物も与えられている為か、人を疑う事を知らなかった。

新選組(あちら)の目的が知れている以上、遠慮は要らぬさ、伊東さん。何事も無ければ其で良いのだ。扨て、尾形君。妾宅に張る人員を(たれ)にするかは君に択んで貰おう。誰が接待するのかを知る者が択ぶ方が良い」

流石は篠原 泰之進、斎藤 一と共に暗殺任務に就き、山崎 烝と並んで監察の仕事を捌いていただけはある。眼や思考が肥えている。

―――では、と尾形が視線を一周させる。篠原・毛内・藤堂・加納・服部。そして鼈甲飴をむしゃむしゃしている富山と三樹三郎。

「―――五名程度が宜しいでしょう」

・・・篠原・毛内・藤堂・服部・富山を選んだ。疑われない範囲だが、実質骨の折れそうな戦力は服部のみである。他は只殺すよりも生け捕りにした方が情報を色々聞き出せそうだ。

「・・・・・・この人員で宜しいか」

・・・・・・藤堂は、自分が選ばれた事に矢張りと思った。之こそが尾形の“問い”であった。藤堂はこの問いに答えなくてはならない。

指定された場処には、永倉と原田、叉、近藤と土方が居るのだ。

―――帰りたい。・・・併し、帰れるか如何かは判らない。否、帰れない可能性の方が高い。試衛館仲間が赦しても、今や試衛館だけの新選組ではないのだから。

其に、今回は伊東の身の安全が懸っている。自分にとっては伊東も大切な人である事に変りは無い。

だが孰れにしても、自分は彼等に会う必要が有った。伊東の助命を求めるにしても、彼等と顔を合わせない事には何も始らない。

だから藤堂は、尾形の問いに力強く肯いた。

(―――左之や八っつぁんに逢うのは、何月(なんつき)ぶりかな・・・・・・)

・・・会うのは義務だと割り切ろうとしつつも、弾む心は何故か止らない。待っているのは恐らく、殺し合いであろうに。



御陵衛士も各自、割り当てられた場処に向かう。芹沢 鴨暗殺以来の眠れない夜が、今始る。



「尾形君には、入隊の時からずっと助けて貰っていたね」

・・・菊桐の紋の入った提燈を下げ、伊東と尾形は夜路を歩く。尾形が一歩下がって提燈を持ち、伊東の足下を照らしていた。

凍る様な寒い夜だった。空気は澄み、中天に懸った十六夜の月は輪郭がくっきりと浮び上がっていた。夜目に慣れなくても足下がはっきりと見ゆる、明るい夜であった。

「・・・山南さんが亡くなって、佐野君が自害して・・・・・・新選組で、僕が離隊してからどれ位の人が命を落したのだろう」

「撃剣師範を務めていた寅さんに、佐野さんと共鳴した司さん等同志10名・・・其に観さん。孰れも、御陵衛士への加盟を強く希望し、叶わず、隊規を犯して死んでゆきました」

低い声で言葉を紡いでゆくこの男こそが、その孰れの粛清にも加担し、手を下している事を伊東は無論知る筈も無い。

「其は・・・惜しい人材を喪う事になって仕舞ったね・・・・・・」

伊東が暗い口調で呟く。何を遣った訳ではないにせよ、自分が原因の一端を担っている事に責任を感じている様だった。

「・・・・・・尾形君は、大丈夫なのかい?」

伊東は筋金入りの御人好しで、己ではなく尾形の身を案ずる。伊東側の人間から見た尾形は次こそ殺されるのではないかと思える程の状況にいた。何せ、尾形以外の駒は総て死んでいる。

「・・・・・・」

「君はもう充分遣ってくれた。そろそろ、御陵衛士(こちら)に来ないかい?」

伊東が尾形を御陵衛士に勧誘する。尾形が先をゆく伊東を見た。伊東も尾形を見、何ら悪意の無い眼で微笑む。

「之以上新選組に留まるのは、危険だと思うんだ。今日の酒宴は、君の正式な離隊を土方君達に願い出る好機(チャンス)だとも思っている。

僕が離隊する時に言っただろう?『こちらはいつでも、君を迎える用意は出来ている』と。あれは嘘ではないよ。土方君との約束より君との約束の方が早かったからね。―――之から、御陵衛士(ぼくら)と一緒に、新しい国を築き上げよう」

―――しばれてしんと張り詰める空気に、伊東の声が通常より響いて聞えた。風は無く、枯葉の擦れ合う音さえ無い静けさであった。尾形は伊東と一丈も離れていなかった。左右に刀を一本ずつ差し、左手で提燈を持っている。

・・・その提燈が地に墜ちて、めらめらと燃え始める。菊桐が焔に包まれてゆくところ迄を、伊東は確認した。

「―――・・・御言葉ですが」

言うや否や、ズブリと肉の裂かれる音が伊東の耳に届いた。尾形の握る剣が、胸に刺さっている。伊東はごふっ、と口から血を吐いた。

「・・・・・・お・・・・が・・・・・・・・・」

―――刃は、心臓から僅かに逸れていた。由って伊東は即死には至らず、首が動かぬ侭横眼だけで尾形を見つめた。

伊東が柄に手を掛ける。尾形と変らぬ俊速で刀を抜く。一閃の光がぴかりと視えただけだった。

尾形が伊東から即座に刀を引き抜き、伊東の太刀を躱す。伊東の胸から堰を切った様に大量の血が噴出し、その場に折り崩れる。

尾形が伊東の後ろに着地し、その背に向かって刀を振り下ろした。

斬ッ!!

「・・・・・・・・・!!」

伊東は一度目の太刀は受け、二度目の太刀は己の血に濡れる刀で受け止める。流石は北辰一刀流剣術の道場主を遣っていただけはある。尾形は叉もとどめを刺しそびれたが、狼狽える様子は無かった。捨て置いても確実に死に至る程、伊東は深手を負っていた。

「先生、ここは私に御任せを」

が、其でも伊東は斃れなかった。待伏せをしていた尾形隊の隊士が突如飛び出し、伊東の肩を割りつける。骨の鳴る音が聞え、仕留めたと思った。手柄を手に入れたとその隊士がにんまりと哂った次の瞬間、顔が斜めに二つに割れて左右にずれて崩れるのを、尾形は何をするでもなく見ていた。

「ぅあ・・・ああああっ!!」

伊東が斬ったのである。初めて抜いた道場以外の剣だった。

(・・・・・・已むを得ない・・・・・・!)

伊東は尾形に再び背を向けて、身体を捻って角の向うへと姿を消す。

尾形は、手柄欲しさに邪魔しかせずその上失態まで犯して横たえた自分預りの隊士の横を通り過ぎ、伊東の後を追う。

伊東の姿が視えなくなっても尾形は足を速める事をせず、揺らめく様に大股で、巡察の時とそう変り無く悠然と歩いていた。闇よりも暗く夜に溶け込む事の無い黒い影は、まるで幽霊か化物の様であった。

「・・・・・・・・・」

・・・・・・角を曲り、尾形はすぐに伊東に追い着く。最早立ち上がる事も侭ならぬ伊東に、尾形は静かにこう宣告した。

「新選組の為、貴方には此処で死んで頂く」

「・・・・・・・・・か」

喋るのもやっとの伊東の前に尾形は立ち、ゆっくりと間合を詰めてゆく。伊東は武田の如き懇願はしなかった。未練がましく只月明りの下照らされる貌を睨みつけ

「奸賊・・・・・・!!」

と、呪いの言葉をかけた。

「どちらが」

―――伊東の頸の付け根に尾形の剣の先が触れる。冷たさなど微塵も感じなかった。急速に血が失われ、意識がぼんやりとしてくる。尾形は微笑っていた。月の光の所為なのか、隠れている筈の眼元までこの時は確と見え、狂気に近い安らかな微笑みを映し出していた。

・・・まるで凡てを捨て去る事で、漸く一つのものを得る喜びを感じ得たかの様に。

「―――私が誠意を以て尽すは、新選組の近藤 勇のみ。私にとってはこの3年、貴方が奸賊である事に一寸たりとも変りは無かった」

―――伊東の頸から横一文字に血が滲む。尾形は手首を外側に捻り、少しずつ力を加える。軈て何かの緒が切れる音がして、伊東の頸からも尽きる事を知らぬ血が新たに噴き出した。

「―――・・・さようなら、甲子さん。・・・貴方とは、別の形で出逢いたかったものだ」



「―――行け」

―――刀を握る左手が真直ぐに伸び、月真院の御陵衛士屯所を指す。四方を囲んでいた黒装束の男達が伍長を先頭に屯所内に乗り込む。指示をしたのは大石と共に佐野 七五三之助(しめのすけ)にとどめを刺した狐の如き鋭い目つきの男だった。隊士が全員攻め込んだ後、自らも剣を構え、屯所内に進入する。男にはこの時、明かせる名と素顔(かお)がもう存在していた。

「―――新選組副長助勤・山口 二郎。おぬしら御陵衛士を、隊規違反に由り断罪する」



「・・・・・・!?」

藤堂等が近藤の妾宅に到着した時には、黒装束の男達が既に彼等を待ち構えていた。30・・・いや40人近くいる。

「新選組だな」

日頃は口を利こうとしない篠原が藤堂に確認する。藤堂は身震いを一つし、・・・ああ。と肯く。

「・・・・・・前代未聞の動員数だ」

圧倒的な敵数を相手に少人数で乗り込んだ池田屋事変を思い出し、ふと可笑しくなって頬が弛むのであった。

・・・多勢に無勢の展開は幾度か経験してきたが。

(・・・・・・まさか、俺が新選組(あそこ)に狩られる側に回るとはな)

併し、其も覚悟の上で自分は此処まで来た。

―――すぱんっ。

「!」

妾宅の戸が開いて、内側から大きな影と小さな影が現れる。部屋の奥は行燈の燈りで緋く煌々と耀き、まるで夕方の様だった。

「―――残念ながら、あんた達の大将は此処には居ないぜ」

小さい影が声を発する。月が幾ら明るかろうが夜の暗さでは容易に姿を判別できないが、今の場合は行燈の逆光で影が一層黒く浮び、小さい、という事しか判らなかった。

・・・併し、新選組で誰もが小さいと思う隊士は限られている。

「あんた達の大将は、他の隊士(ヤツ)がもう殺ってるよ」

「!?」

大きな影が大きな声で、その上愉しげな調子で言った。とても馴染みのある声で、こちらもすぐに新選組の誰であるかを特定できる。併し其でも藤堂が他の衛士と大差無く愕いたのは、藤堂も知らぬ真実が隠されていたからである。

(おがっち―――!?)

御陵衛士の代表である伊東の夜路に付添っているのは尾形だけだ。尾形を全面的に信頼していた伊東や篠原は、彼以外に護衛を連れてゆく事を考えなかった。

其以前に、藤堂も含め衛士では誰も尾形が真剣を抜いたところを見なかったのだから、伊東と同じ道場主の剣だと殆どの衛士が思っていた。

「矢張り―――!!」

服部は藤堂と同じ結論に辿り着いた様だ。憤怒の形相で大柄の体躯を翻す。 !待て! 藤堂は服部の殺気に思わず声を荒げた。

ぶわ――っ、と、風が一気に押し寄せる感覚が藤堂を襲った。

ザザンッ!!

―――斬撃が二つ、重なって聴こえた。別方向から斬り懸って来た新選組隊士が数人、血を噴き出して倒れる。

振り向きざまに隊士を薙ぎ掃った時、服部の腕には左右に一本ずつ剣が握られていた。

ドサドサドサッ

服部 武雄。恵まれた体格のこの男は、北辰一刀流の遣い手である他に、二刀流も修めている。

「――――・・・」

―――片や、藤堂の両肩にも衝撃が奔っていた。

「・・・・・・・・・!!」

大小の影がゆらりと、叉小刻みに動き、縁側の廊下を飛び降りる。平助!!耳慣れた呼び声が近づいて来る。藤堂自身、今自身に降り懸るこの状況を理解できていなかった。

――――何せ、無意識だった。身体が勝手に動いたのだ。

ギ・・・ギギ・・・・・・

刀同士が擦れ合う。数で滅多討とうとする隊士達の前に庇う様に立ち、藤堂が服部の剣を食い止めていた。両手で以て握る藤堂の剣は服部の片手で持つ一本の剣に圧されている。

「―――藤堂先生、あなたまで・・・・・・!!」

・・・・・・藤堂の裏切にもう片方の刀を振るう事も忘れていた服部の顔が、憎悪に歪む。

「・・・・・・矢張り裏切るか」

篠原が顎を摩りながら、落ち着いた声で呟く。彼自身は丸腰とそう変らない出で立ちであるのに、嫌に態度が冷静であった。

・・・直後、ひらりと忍の如き速さで藤堂の背後に回る。藤堂は気づいていたが、両手が塞がれて防ぐ手立てが無かった。

と、今や誰だか明かになった影が藤堂と篠原の間に割って入る。永倉だ。

「させるかってんだよ!」

原田は、槍で服部に突きを繰り出し、藤堂と服部を引き離す。

「平助に手ぇ出したら、只じゃ済まさねえからな!」

二人は着地すると藤堂の両端に立ち、1年近く久々に三馬鹿が横に並んだ。

「左之・・・新八っつぁん・・・・・・」

「おう!」

原田と永倉が別れる少し前と全く変らぬ元気な声で返事をする。そして、武器の尖端まで注意を集中させながらも、二人は口々にこう言うのだった。

「今回は長い任務だったな」

「待ち草臥れたぞ!平助!」

裏手の門から敷地の外に出て隊士の指揮を執っていた島田と山崎が、騒ぎを聞きつけて表へ回って来る。三馬鹿が勢揃いするのを見て

「平助・・・・・・!!」

島田が感涙の眼差しで目をしぱしぱさせた。

「おかえり・・・・・・!!」

山崎も見守る様な笑みで藤堂の帰屯を迎える。

(りき)さん・・・・・・山崎さん・・・・・・」

・・・・・・藤堂は、いつまでも変る事無く自分を信じて待っていてくれた新選組との絆の深さに泣きそうになった。

「・・・・・・藤堂 平助・尾形 俊太郎・斎藤 一」

篠原が音も無く、仁王立ちをする服部の背後へと回り背中合わせとなる。そこは流石、山崎や尾形と同時期に監察を務めた男だった。

「矢張り新選組から伊東派(こちら)変心(うつ)って来た者は信用すべきでなかったな」

・・・藤堂や嘗ての同僚である山崎を見ながら言葉を投げつつ、篠原は肘で服部の背をつつく。服部ははたと後目で篠原を見た。

「―――此処は俺と毛内、富山に任せて、服部は伊東さんの処へ往け。今ならまだ間に合うかも知れん」

――――・・・? 篠原がもごもごと何かを口にしているのに山崎は気づき、怪訝な上目遣いで彼を見た。・・・下知をしている。が、何を言っているのか迄は流石に判らない。

―――服部の腰元に提げられる馬乗提燈が、彼が足を踏み込んだ瞬間に轟轟と音を立て、一際緋く燃え上がった。その殺気に平隊士のみならず島田や原田も息を呑んだ一瞬の隙に、篠原の姿が消えた。

「藤堂はん!!」

山崎が叫んだのと篠原が消えたの、更に篠原が藤堂の背後に姿を現したのは粗同時であった。篠原が小柄を懐から出し藤堂の頸を掻っ切ろうとしたまさにその時、篠原の手の甲に刃が突き刺さり、痛みと衝撃で彼は小柄を取り落した。

―――手裏剣の刃だ。

「・・・・・・山崎さん!」

藤堂が振り返り、愕いた眼で山崎を見た。手裏剣を投げたのは山崎の機転で、投げた時の構えがまだ残っている。間に合うか間に合わないかの瀬戸際だった様で、間一髪間に合った事に山崎自身がふー・・・と安堵の息を吐いた。篠原は慌てる様子も無く刺さった手裏剣を抜き、小柄を奪われぬようその上に着地する。

「―――監察は監察同士で闘り合おうや、篠原はん」

―――山崎が恨みの籠った眼で挑発する。

富山が咥えていた竹串を放り投げ、剣を抜く。其を藤堂と永倉が迎え討った。毛内を原田が受けて立ち、振り向きざまに平隊士に叫ぶ。

「精一杯暴れろ!!お前等!平助が帰って来たんだ!剣を振るって祝おうぜ!!」

「新入りばっかだから平助の事を知らない隊士も多いんだが・・・・・・」

全身で藤堂の帰還を歓ぶ原田の相変らずの空回りっぷりに、藤堂は苦笑し永倉は緩やかにツッコむ。でもまぁ・・・と永倉は横目で服部の方を見た。

「―――服部(アイツ)に関しては、生け捕りにするとなると隊士が幾らいても足りねえな」

永倉が見たこの時、既に服部が通った跡を追える位に、妾宅脇の路上には服部が薙ぎ掃った隊士の死体が積み重なっていた。質より量の平隊士は総てこの男が相手をするという算段なのだろうか。

「―――早く他のを片づけなきゃな」

永倉が他の衛士達に眼を配りながら言った。尾形はああ見えて其形に自分達を信用しているのか、意外にもしぶとい敵を送っている。

・・・・・・藤堂も送ってくれた事だし。

「ぬう・・・・・・っ!」

島田は己と同じ体格をもつ稀有な男の剣を平隊士と共に受け止め、久々に腕が痺れる衝撃を感じた。・・・・・・相当な腕である。

沖田に優る遣い手というのも今となっては本当かも知れない。

「・・・・・・っ、行かせんぞ!」

島田は吼え、服部の剛腕を渾身の力を振り絞って(はじ)き返す。此処で負ける訳にはいかない。永倉の補佐や近藤の護衛を任されるこの男は、人情というものに関しては尾形や山崎よりも深い洞察をもっていた。

「通して貰う!!」

服部が隊士を斬り割いてすぐの刃を、島田の死角となる腰の裏側から差し向ける。斬ったばかりの隊士の死体とその血液が刃と共にくっついていて、島田は僅かに怯む。

(もう一方の手の動きが読めん・・・・・・!)

「伍長!」

島田の喉を刃が掠り、ぴっと一直線に血が宙に画く。隊士が島田に加勢しようと服部を脇から攻めるも、島田より先に斬られて死ぬ。

(こんな化物を、俊の処に行かせられるか・・・・・・!)

此処で取り逃そうものなら、任務中の尾形と接触し兼ねない。否、確実に相見(あいまみ)えるだろう。

職務や人に対して忠実な服部が、伊東を援けに往こうとせぬ訳が無い。其処(現場)には尾形がまだ残っている可能性が有る。

大石や隊の者と合流していればいいが、すぐに彼等とも離れて別行動を起す男だ。

(せめて・・・・・・!アイツがあの任務に移る迄は)


「―――・・・では、後は恃む」

―――尾形が血振るいをして刀を納め、大石と伍長二人に託ける。伊東の死体は既に隊士達が運び出している。

「私は之から別の任務を控えている。由って本陣から離れる。後の事は鍬次郎さんの裁量にお任せするが、隊規は犯さぬ様に」

・・・・・・尾形が敢て当然至極の事を最後に付け加えて言ったのは、伊東に一太刀で斬られて倒れている隊士に大石が跨り、槍を立ててその躯に振り下ろそうとしていたからだ。

伊東に斬られた無名の隊士は、気絶してはいるがまだ死んではいない。

「・・・・・・私ノ闘争ヲ不許。今貴方が手に掛けようとしているのは、私の隊の隊士だが」

・・・尾形が振り返り、返り血のついた袴を大石の側へ向ける。大石は血液探知器の如く一直線に袴に眼をいかせ、にへら、と嗤った。

「俺達の組の遣っている仕事なんざ、殆どが私ノ闘争じゃないですか」

その台詞が、今回の伊東一派にせよ佐野等の件にせよ粛清に対する痛烈な皮肉である事に、尾形が気づかぬ訳も無かった。

「・・・・・・不行届ですぜ」

大石は隊士を指さして哂うと、立ち上がって口笛を吹きながらその躯から離れた。

「・・・・・・私には彼の手当てをしている余裕が無い。屯所に戻れば崎さんや佐倉さんが居るから、連れ帰って救護を頼んでくれ」

尾形は大石に言っても埒が明かないと思ったのか、大石の狂気に触れて表情を強張らせる伍長に指示を与える。彼等が返事をする前に尾形は踵を返した。確かに急いでいる様であった。

「・・・・・・センセイも、認めて仕舞えば楽になるっていうもんですよ」

大石が尾形の背中に声を投げる。尾形は一瞬ぴくりと歩を緩めたが、振り返る事無く前へと進めた。

「・・・・・・今回の手柄は、鍬次郎さんに譲る事としよう」

跳んだのか、奔ったのか、尾形の気配がぱたりと途絶えた。その身の熟しは完全に間諜のもので、到底武士出身だとは思えなかった。

「―――愉しみというのは、手柄とかそういうんじゃあないんだが、まぁいいか」

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