四. 1866年、長州
1866年、長州
「選りに選って、山崎と吉村の両方を広島に置いて来るたぁ・・・っ!」
土方は頭を抱えた。土方も山崎と同じ懸念を抱いていた。諸士取調兼監察の崩壊。之は、副長助勤が手薄になるのと同じ位に新選組自体の危機を表している。
山崎と吉村の不在に因る弊害は、刻を俟ってみなくとも一目瞭然だった。広島から帰京した時には既に、新井 忠雄が伊東派に染め上げられていた。其くらい雰囲気の変化で判る。西下する時は酒にしか靡く事の無かった男が妙に弁が立つ様になってきている。
武田観柳斎にしてもそうだ。おべっかの比重が西下する前は完全に近藤寄りだったのが、僅かに伊東の方に寄っている。ところがこの男は未だ時機を見計らっている様で、近藤に対する配慮も忘れていない。
併し最も不思議な事は、西下する前は手を付けられない程素行不良だった芦屋 昇が、裸を見られるのを恥らう娘の如く慎ましやかな男になっていた事である。
『土方くぅぅ~~ん!!寂しい思いをさせてごめんよっ!!』
『してねぇ!!!もっかい出てって戻って来んな!!』
伊東が相変らず・・・なのは当然だが、伊東派を除いて全く様子の変っていない隊士が一人だけ在た。
―――尾形 俊太郎。
土方は当然、山崎と吉村を何故広島に措いて帰ったか近藤を問い詰めた。トシなら長期調査を賛成してくれると思ったんだが、と近藤は返すが、責めているのは長期調査の実施の有無ではない。
その事を言えば「尾形君の提案で、全員が可決した」と言う。
近藤の言う“全員”が、山崎達監察を含めた“全員”ではない事を土方は知っている。インテリの言う事ならば無条件に聴く近藤の性格も土方は理解していた。
(――――アイツ・・・・・・っ!)
土方は主犯が尾形であり、監察方を伊東派とするのに邪魔になったであろう山崎と吉村を左遷する事を近藤に唆したと考えていて、其は現在も広島に残る山崎と同じ見解であった。尾形にはその動機が山程あるし、之で叉伊東との距離が一層近くなった。
之だけ確信材料があっても土方が尾形を断罪に処せないのは、監察という職柄、上層部の可也限られた者達しか(恐らく当人達しか)尾形の動きを知らず簡単には糾弾できないのと、他ならぬ我等が新選組局長・近藤 勇が最大の壁となって立ち塞がっていたからである。
近藤は、仮令土方からの抗議であっても尾形の悪口は決して許さなかった。土方が何か物申そうものなら
『尾形君は俺にとって、お前にとっての山崎君みたいなものだ』
と決って言った。意味が解らずに猶も続けようとすると、今度は温厚な顔にすぐ険を入れ
『―――トシ。お前が山崎君を動かす時に、俺が一度でも文句を言った事があったか?』
と機嫌を悪くするのだった。今回も之だけ監察方の様相が変っているというのに、尾形君の言う事に間違いは無いと言う。
今回に至って、土方は近藤の思い込みの強さが怖くなった。
「―――副長」
・・・いつもであれば山崎が報告に来る位置に、今は尾形が居る。
報告が杜撰である訳ではない。寧ろ伊東派と近い立場に居る為か、山崎の報告より明瞭な点が多々あった。詰り操作はしていないのだ。
「―――副長の腹心を飛ばしておいて、なかなかいい度胸だな」
土方は斬り斃す敵を前にして嗤う様な凶相を浮べた。尾形の目的が全く視えない。尾形はそぶりだけでも土方を窺うよう顔を上げたが
「―――何の事で御座いましょう」
報告以外の質問や会話は凡て受け流し、去った。
「・・・・・・―――斎藤」
・・・・・・尾形が姿を消して暫く、土方の部屋は彼しか居らず静まり返っていたが、土方が名を呼ぶと間も無く隣の部屋の襖が開いた。
――――斎藤 一である。
「・・・・・・お前は如何みる」
土方は早速斎藤に意見を仰いだ。
「・・・・・・確かに怪しいですな」
斎藤は其程間を擱かずに答える。
試衛館派隊士であり監察方に最も素質の近い副長助勤であるこの男。逆に謂えば、土方が切札として助勤の中に潜ませていた監察だ。
・・・・・・眠そうな表情をしているその裏側には、壬生時代のメンバーでさえ知らない素顔が隠れている。
「山崎と吉村は少なくとも後二月は帰って来ない。・・・その間、頼めるか」
・・・斎藤はどんな時でも変る事が無いぼーっとした顔をがくっと下げた。大抵の人間は之について、居眠りをして頭が落ちた・即ち聴いていないと思うであろうが、土方は満足げに微笑う。斎藤という人物に於いてこの仕種は「是」なのだ。
其を裏づける様に、斎藤は次の瞬間には立ち上がり、たった今言われた隊務を果すべく仕度を調えていた。
「―――了解りました。撃剣師範や三番隊の仕事と兼務になるので自信は有りませんが、出来る範囲で探りを入れてみましょう」
―――・・・併し、広島から帰京して以来、表立っても裏に返っても尾形が動いたという証拠を得る事は出来なかった。土方も今回は、仕事量の多い斎藤に配慮して自身でも尾形を注意深く観察する様にしていたが、尾形は何かしら其に感づいている様で、池田屋や禁門の変の時に見せた様な怪しげな動きはすっかり鳴りを潜めた。
或いはこの男には監察方が本当に性に合っていたのかも知れない。監察方となってから以前の様な異議を唱えた事は、そういえば一度も無かった。忠実に職務を熟し、信憑性の有る最大限の情報を土方に持って来ており、山崎の代りがきちんと出来ている。
「―――伊東参謀についてですが」
土方は知らず尾形を信用しそうになっていた。―――この男は、職務に関してなら懇意に見える伊東の事も詳らかに話した。歯切れや内容に淀みは無く、惜しみも無い。斎藤や沖田や山崎などとそこは似ていた。如何に馴れ親しんだ相手でも、仕事となれば割り切って相手を陥れる事も辞さない。冷酷であるが真直ぐな人種。其も叉信念の賜である事を土方はよく理解していた。
一方で斎藤も、尾形と伊東の繋がりについて何ら見出せずにいた。土方が山崎の居た頃より監察方に振り分ける仕事を減らした為、監察方の内情が割と視易くなったが(その分の仕事が他ならぬ斎藤に回っているのだが)、尾形と距離が近いのは伊東ではなく伊東派の人間で、伊東自身は尾形が余り眼中に入っていない様だった。寧ろ土方や佐倉、そして八十八を追い駆け回しており、自身は武田につけ回されるという或る種の無限ループ状態で、見ている方としては愉快で声が漏れそうだった。・・・顔には出さないけれども。
監察方では服部 武雄という男が非常に真面目で、伊東が土方等を追い回している間にも武術の稽古に勤しんでいた。柔術は5年来の同志である篠原 泰之進と組み合い、剣は同僚の新井 忠雄をとしていたが新井は酒を飲んだくれて相手をしてくれず、尾形に恃んで時折剣筋を見て貰っていた。斎藤から見れば服部の剣は豪快だが粗削りで、尾形の指導は簡素すぎて味気無いが、どちらも筋としては良かったと思う。
話に聞いていたよりずっと監察方の運営はうまく回っており、なかなかに良い師弟関係が築けている様に見えた。そう感じて仕舞う程監察方は傍目に見れば己の為す事に忠実で、職務上必要以上に共に居る事は無く、無駄口も叩かぬ集団であった。
―――だが、水面下では既に伊東と尾形は咬んでいたのである。
慶応元年の広島西下の折に、伊東は布石を打っていた。
「尾形君は、八十八と如何いった関係なんだい?」
―――伊東の“あやしい”質問に、ぴんと張り詰めていた空気は益々緊迫に固まった。皆が尾形に注目する。
「・・・・・・其は、如何いった意味に御座いましょう」
流石に尾形も自分を取り巻く只ならぬ空気に警戒し、口をすぐには割ろうとしなかった。周囲は伊東派ばかりで其を新選組(武田)が見張っている。
武田は頬肉に埋れた小さな眼をカッと見開いて尾形から視線を逸らさずにいた。意に適わない返答でもすれば斬られん剣幕だ。
「まぁまぁ武田クン。尾形君が怖がっているじゃないか。之は訊問じゃないんだ」
伊東の流し眼を受けた武田は其だけで蕩け、腑抜けて仕舞う。
顔を上げると、先程まで武田の方を向いていた視線は此方を期待する様に見つめている。
「・・・・・・其の侭の意味だよ、尾形君。君と八十八はとても仲が良い様に見える」
伊東以外のメンバーもどちらかというと好奇に満ちた眼で尾形の答えを俟っている。その気は無いのに監察二人も頬を染めていた。
「・・・・・・」
所々でふ、ふ、ふ、ふ・・・という伊東の笑いを含んだ声が聞え、尾形も流石に不気味に思う。八十八の貞操が危ぶまれるかも知れない。尾形と八十八の“うわさ”は、若干ながら尾形本人の耳にも届いてはいる。二人は出来ているという“うわさ”だ。
無論、二人の間にそういう関係は無いのだが、如何せん八十八が女と見紛う美貌すぎて、其だけで噂が立ち易い。だが、武田が入隊した辺りからこういった噂は俄かに囁かれ始めた。
でもまぁ、火の無い処に煙は立たぬというもので、尾形は入隊を八十八と共にしているし最近は頻度が減ったと謂えど汁粉会を開く程の仲である。島田と違って彼等は齢も近いし、何より八十八が武田や伊東に迫られると尾形に助けを求めるのが噂が立つ最大の原因であった。詰りは全部武田のせいなのだが、何か勘違いしている武田は一応先輩である尾形に入隊当初から現在に至って変に張り合ってくる。この時の武田も、嫉妬に燃える光線でも出ていそうな視線を尾形に浴びせ続けていた。
「・・・・・・只の同期に御座いますが」
尾形が当り障りの無い返答をすると、伊東は閉じた扇子の先を己が口許に当て、“只の”同期ね・・・・・・と独り言ちた。
「―――じゃあ、僕が誘ったら彼はついて来てくれるだろうか・・・・・・♪♪♪」
「其は難しいかと思われます」
伊東がポッと頬を紅らめ座布団の上で器用にくねくねしてみせながら己の妄想に浸る。尾形、突っ込みが上手くなった。ではなく。
「八十の所属は一番隊―――・・・沖さんと居る事が大体は多いです。尤も―――参謀や観さんが沖さんの居る前で八十を口説く自信がお有りなら引き込む事は可能かとも思いますが」
ぞく・・・―――新井と服部の血の気が失せ、伊東の細腰の動きに魅せられて自分もくねくねしていた武田が止った。武田の恐怖へ移行する表情の変化が凄まじい。
「ふむ―――其はなかなか難儀な事だね」
・・・伊東も生唾をごくりと呑みつつ、余裕が無くも笑みを浮べる。
沖田 総司を彼等は最も恐れていた。近藤と土方の方針が骨の髄まで浸み渡り、彼等の命令には何の疑問を懐く事無く長年連れ添った友をも斬る、意思をもたない生き物。彼等も叉、盲目的とも謂える沖田の純粋性を理解できなかったのである。
―――沖田を公然と敵にはしたくない。
「ではでは、其では佐倉君も誘えないですますのかっ!?」
武田が尾形の肩口を掴んでがくがくと揺さ振る。いやぁ其を責められても。僕のハレムはっ!!って耳元で叫ぶが尾形は聞かなかった事にする。インテリじゃなければ意味も知らない侭流せたのにね。
「いや―――僕は最初から真一郎を誘う気は無かったよ」
・・・冷静な声に、武田と共に尾形も伊東を見つめる。今度は聞かなかった事には出来なかった。伊東の策士のスイッチが入った様だ。
「・・・真一郎は僕の話に乗っては来ないだろうからね。彼は剣士だ。あそこを離れる動機を僕等の思想では作れない」
伊東は自分が入隊する前の新選組事情をきちんと頭に入れていた。己の入隊前の幹部編制を知らずに助勤の座で踏ん反り返る武田と異なり、山崎が幹部であったという新選組の浪々の過去も知っている。之は藤堂の情報である。
「―――幹部からは藤堂クンにしたいと思うんだけど、尾形君は其についてどう思うかい?」
伊東は試衛館派と監察から、夫々一人二人程近藤から欲しいと思っていた。監察からは山崎と尾形の二人が真先に候補に出てきたが、山崎は如何にも監察らしすぎた。あの口の軽そうな近藤でさえ、山崎に関しては
『あれはトシの領分だから、言ったら怒られるんですよ』
と言って余り多くは語らなかった。
対して尾形の事についてはぺらぺら喋って紹介さえもしてくれて、本人も近藤と似て満更でも無い様子であった。
まるで裏と裏の裏の様な関係だ。裏とは忍である山崎の事である。裏の裏は表に反り、剣に今回の随行にと尾形は確かに表立った行動をしてはいるが、表と謂える程輝ける場処に居ない。対照的な立ち位置で、可哀想な表舞台だと伊東は思った。
「―――良しなに」
尾形は素気無く答える。
「・・・なれど、私は試衛館派隊士ではありませぬ故、同門の事情は量り兼ねます」
伊東は眼をぱちくりさせて尾形を見る。含みを持たせた心算は無いのだが。併し尾形ほど情報の方から飛び込んで来る立場に居れば、感覚的には鈍感でも頭を使えば導き出せる答えではある。
「―――尾形君」
伊東は己の心中を察せられているにも拘らず一際冷たく感じる尾形の声音に、自らがそうなるよう仕向けていながら訊かずにおれない。
「君は八十八を誘わなくていいのかい?」
―――尾形は立ち上がり、部屋の障子を開こうと伊東等に背を向ける。手首から手の甲に掛けて黒真珠が滑り落ちる。
「・・・・・・崎さん達がそろそろ戻って来そうですが」
「・・・では、最後に一つだけ」
伊東は不気味に闇の中黒光りする数珠に眼を宛てて、彼にしては野暮な質問を最後とした。
「・・・・・・本当にいいのかい?」
「―――ええ」
・・・返答は之迄に受けたどの質問よりも早く、只の一瞬もこう答える事に躊躇いなど感じ取れなかった。
「私に“仲間”など、在りませぬ故」
尾形は障子の戸を開いた。
慶応2年2月、近藤等は再び広島に西下する事となった。今回は大目付の永井 尚志に加え、老中・小笠原 長行が全権大使となって長州藩に処分内容を伝達するに当っての要人警護である。前回のメンバーである必要は特に無く、伊東達ての希望もあって今回は武田観柳斎ではなく彼の腹心の篠原 泰之進が随行する事となった。尾形は近藤の指名で今回もついて行く事となる。
「ーーーっ・・・」
土方は今回もやきもきしたが、もう近藤の決めた顔触れに意見しなかった。近藤さんにも何か考えが有るのだろう。そう思わなきゃ遣ってらんない。
武田は今回の随行を外されたというだけなのに、酷く真っ蒼な顔になっていた。だが其も仕方の無い事かも知れない。広島から戻って来てから武田を取り巻く情況は激変していた。
―――幕府が仏蘭西式調練を正式に採用し、新選組でも銃訓練を開始したからである。
之に由り武田が采配を揮っていた甲州流軍学戦法は事実上廃止され、武田自身の性格も相俟り無用の長物として扱われる様になった。西洋式に脅威を懐く隊士は他にも在り、例えば沖田 総司はその適例を示す。沖田は土方に訴えて一番隊の銃訓練を一切しなかったが沖田の中に其を押し通すだけの自分のポリシーがあった訳で、武田に其だけの甲州流軍学への拘りがあったかというとそうではない。人間性から鑑みて武田が土方に訴えたところで許可は絶対に下りないだろうが、武田には自分の立場を守る為に訴える勇気も無かった。この点でも武田は尾形を恃った。何せ服部や新井が屯所に残るとはいえ伊東の御機嫌ばかり取って彼の配下の者達を在ないものとして扱っていたのだから、助けてくれるとも思えない。その程度の事くらいは武田でも流石に想像がついた。
『あの夜の事を黙っておいてあげているのですますから、僕に味方をつけてくださいませませ!』
武田は半ば嚇しに近い文句で尾形に助けを求めた。其に対する尾形の回答は。
「しゅーーーん!!お・・・っ、お前、俺を観柳に売ったなあぁっ!!?」
八十八が出立直前の尾形を泣き喚いて引き止めた。ズリズリと身重そうに屯所の出口まで追って来るその身体の腰元には、武田の腕が。
「山野、きゅ~~ん♪」
武田がゴロゴロと喉を鳴らし、スリスリと八十八の腰に頬ずりをする。八十八はんぎゃああぁ!!と悲鳴を上げた。
「お、尾形君」
近藤も之には如何にかして遣れという眼で尾形を見る。尾形は下を向いた侭口を真一文字に結んでいたが、ほんの僅かに声が漏れる。
「笑ってんじゃねェぞッ!!!」
八十八が尾形のほぅ、という声が哂いである事に気づいて怒鳴る。尾形が申し訳程度に口を押えるも八十八は逆にカチンときた。
「オイコラ俊ッ!!」
さすが凸凹コンビである・・・・・・近藤は呆れた顔で尾形を見下ろした。
「なになにっ!?羨ましい事をしているじゃないか武田クンっ!!」
「げ・・・・・・!?伊東・・・参謀・・・・・・ッ!?」
特有の甲高い声が近くで聞えて気づかない筈が無い。近藤や尾形と共に出立の地に立っていた伊東が参戦してきた。
「八十八―――・・・僕等の門出を見送りに来てくれたのかい?―――嬉しいよ・・・・・・二月分の僕の想いを君の掌に温もりとして残しておくから、寂しくて眠れない夜はその手に息を当てて軽く揉んで僕の姿を想い起して呉れ給え―――・・・」
伊東が素早い動きの難しい八十八の手を取り、スリスリと自らの手の体温を移す。八十八は顔にまで鳥肌を立て意識を半分飛ばした。その背後では伊東派の右腕(ナンバー‐ツー)左腕(ナンバー‐スリー)の篠原 泰之進と内海 次郎が
「内海君。やっぱ君が伊東先生について行けよ。お守りは最早趣味だろう」
「嫌ですよ。指名されたのは篠原さんでしょう。誰の趣味がお守りですか」
と、互いに伊東を押しつけ合う仲間割れが生じているが勿論本人には聴こえていない。
現在、佐倉が休暇を取って屯所を離れている為に、彼等の狙いが八十八(と、伊東の場合は土方)に集中している。特に最近は武田がやけに積極的になってきており、隊の垣根を越えて夜隣に寝ていたりする。何このストーカー。佐倉が居れば分散されるのに。
(斬る・・・・帰って来たら斬る・・・・・・!!あの男女・・・・・・!!)
八十八は薄れゆく意識の中佐倉に対する理不尽な恨みをぶちまける。恨むべき相手が違う様な気もするが。
「・・・・・・こら、尾形」
近藤が何気に面白がって傍観している尾形を小突く。・・・済みませぬ。尾形はぽかんとした表情で近藤を見上げつつ大人しく謝った。
「・・・・・・そろそろ、出立せねばならんのだが・・・・・・;」
近藤は困った様に苦笑を浮べる。だが正直関りたくない。この予期せぬ(?) トラブルに因り、彼等の出立は小半刻ほどずれ込んだ。
―――春、出張組は現地で探索を続けていた山崎と吉村を連れて京へと戻って来た。山崎はその足で未だ休暇中の佐倉の実家へ向かう。尾形は珍しく自分の許から自ら離れる山崎を、いつもと変らぬ静かな眼で見送った。
「京はまだまだ冷えるなぁ・・・・・・」
近藤は羽織に顔を埋めて、早々に屯所の中へと入った。
「―――崎さんに確り教育されている」
・・・開花した許の桜を散す冷たさの残る風だけが尾形の佇む場処で音を立てている。尾形の背後には吉村 貫一郎が屯所に戻らず音も無くぴったりと張りついていた。
「・・・貫さん」
尾形は武田に対する「観さん」の呼び方と殆ど変らぬイントネーションで吉村 貫一郎の愛称を呼んだ。
「伊東参謀が広島に残られた理由を、尾形先生は御存知ありませんか」
近藤と尾形、伊東と篠原は同日に広島入りを果した。併し、監察の二人は伊東・篠原とは終ぞ顔を合わせる事無く京へと戻って来た。
「・・・・・・本人からは聞いておらぬ」
尾形は自分の身辺を探る監察が山崎から吉村に替った事にすぐに気づいた。・・・嘘ではなくも曖昧な答えを慣れた調子で返す。
伊東と篠原は広島に入ったその日に突然、「見物をして回りたい」と言って別行動を取る事を願い出た。
近藤は少し迷い、尾形の意見が欲しいかの様に隣を少し目配せしたが、尾形は眉一つ動かさず口を挿む事は無かった。結局、近藤は伊東等に許可を与え、「もう少し見物をしたいので帰京の時期を延させて欲しい」という願い迄聴き届けて仕舞った。
・・・併し、伊東が何を思って単独行動に走ったのか想像が出来る位に材料は揃っている。
「・・・・・・企みはあるという事ですね」
若く怜悧な後輩監察は己で答えを導き出す。・・・・・・尾形はさあ。とだけ、聞けばどちらが答えなのか判らなくなる様な声色で答える。
「―――私を監察するのもいいが」
引き際を見計らっていた吉村ははたと顔色を変えた。早くもばれて仕舞ったという顔である。助勤と監察を行き来するだけ、一筋縄でいく訳がなかった。
「・・・・・・君も伊東参謀と同じ、北辰一刀流を学んでいたそうだな」
―――尾形はちらと振り返り、吉村の腰に差している刀を見つめる。
「君は北辰一刀流にしては、珍しく伊東派に染まっていない。・・・・・・北辰一刀流は使い手同士の絆の強い流派だという印象だが」
「・・・そうですか。併し、試衛館の絆を新選組では強く感じます」
「―――私には同門の絆などとんと理解できぬ。・・・・・・恐らく、崎さんにもよく解らない領域ではないか」
尾形は振り返ったその足を其の侭前へ進ませ、屯所迄の距離を近づける。吉村と擦れ違うさまに彼の剣の柄を左手で掴んだ。
!? 利き手でないにも拘らず、柄を握る手は力強い。此の侭鞘から抜いて仕舞うのではというところで尾形は離した。
「・・・・・・剣の重さは、窮めた当人達にしか解らぬ。学んだ剣術の重さは同じ剣術を窮めた者にしか解らぬのだろう。・・・・・・私を見張っているのもいいが、先に君が手を打てる隊士が在るのでは?」
―――尾形が通り過ぎてゆく。吉村がはっと振り返ると、屯所内に入って仕舞ったのか尾形の姿はもう其処には無かった。
変らず、風の吹く音だけが吉村の耳を掠めている。
(俺、が・・・・・・)
・・・咲いた許の若い桜が風の彼方に消えてゆく。
慶応2年7月―――・・・
この季節に入っても、伊東は新選組屯所に戻って来なかった。二度目の広島出張から彼此半年は経っている。
露骨化してきた伊東の単独行動に
「―――絶っ対何か企んでやがる!!」
近藤はともかくとして、この男が感づかない筈が無い。否、確信したと謂う方が正しい。直感したのは可也以前から、其こそ伊東が入隊した当初からこの男はくさいとにらんでいた。
「・・・・・・はあ?」
土方の機嫌が悪いのはいつもの事だが、突然でっかい独り言が聞えて沖田は思わず眉を寄せた。彼は今、饅頭を両手に持ち猶且つ口の中でまだ以前のを頬張っている。なのに近藤がまだ食えと許に菓子の箱を彼に差し出していた。
「急に何ですか?土方さん。このおまんじゅうは私のです!」
「何の話だよ!!?」
饅頭の事など全く眼中に入っていなかった土方は急に沖田の不思議すぎる発言に困惑する。いつもは適当に無視したりキレのあるツッコミを入れたりするのだが。
「伊東のコトだよ!!」
土方の思考は今、沖田のペースにも屈しない程の完全真面目モードに突入している。
「近藤さん・・・大体、何故アイツを広島に置いて先に戻ってきたんだ?」
だが土方周囲はそうではない。近藤は今度は総司、団子もあるぞ。と言って三色団子を取り出し、ほれほれと沖田の顔の前で左右に振る。沖田は目をきらきらさせながら団子の振りに合わせて顔を左右に動かす。なにこの餌づけ。
「“もう少し見物をしたい”と言っていたかな。たしか。何を今さらそんな話・・・」
「んなわけねぇだろ!!まるめこまれんな!!」
すっかり伊東の思惑ではないかい。土方は自分が副長という役職柄、余り本拠地から動けない事に焦りを感じていた。伊東と行動を共にするのは勿論嫌だが、自分ならばもっと早くに手を打って、今回の件でも伊東の勝手にはさせなかったのに。
・・・と、無意識的に遠回しに近藤を貶しにかかっていると、近藤がはぁと溜息を吐いた。
「やっぱりまるめこまれたのか・・・・・・」
あ、言い過ぎた。なまじ心の呟きが呟きだった為に、土方自身にも罪悪感が芽生える。あ・・・いや・・・と何とかフォローしようとするが良い言葉がなかなか浮んでこない。
沖田は饅頭と団子を交互に口に運びながら、おかしいなあと漠然と思っていた。味が?いやいや。同行した尾形さんは何も言わなかったのかなーと。
「・・・・・・山崎さんはどう思います?」
沖田は、丁度自分の真後ろで襖の向う側からこちらの会話を盗み聞きしている山崎に訊いてみる事にした。山崎はぎくっとする。
(やっぱ俺下手なんかな・・・)
こうして息を潜めていても沖田にばれるし、巧く変装したと思っても佐倉にばれるし、吉村を送り込めば即座に尾形にばれるし。
積み重なる心身の疲労のせいか、山崎は忍としての己の精度に少し自信を失くしかける。
「・・・土方副長の仰っている事が無いとは言い切れまへん。寧ろその可能性が大きいです」
・・・だが、其でも掴んだ情報はある。広島に今も滞在している事になっている伊東。若しかしたら密かに京に戻って来ているのではないか。
「若しかしたら、もう裏で動き出している可能性もあります」
春に近藤と共に京へ帰って来てから、尾形が度々何処かへ消える事を吉村の情報から得ていた。とはいえ、吉村が自身を追っている事を尾形も承知しているのでなかなか尻尾を出してはくれない。京の何処かで、尾形は伊東と顔を合わせているのではないかというのが吉村の憶測であった。
『・・・あと』
吉村が山崎に報告する際、尾形から以下の様な助言を受けたと言っていた。
『―――自分よりも先に手を打つべき隊士が在ると尾形さんは言っておられました。・・・尾形先生の言葉から察するに、その隊士は流派の柵の渦中にあって、本人にとって不本意でも伊東参謀一派につかねばならない日がいつか来るだろうと。流派の違う山崎先生や尾形先生が触れられるところではないから、北辰一刀流か試衛館の人達が引き止めるなら如何にかすべきではないかという事だと思います。・・・・・・之は、藤堂先生の事を仰っているのではないでしょうか』
・・・・・・慶応2年7月20日、徳川第14代将軍家茂逝去。この徳川幕府将軍の死と6月にあった第二次長州征討での幕府軍の惨敗、そして同年末の孝明天皇崩御に依って幕府の権威は失墜し、世上は一気に倒幕へ転ずる。時代が大きく変る刻が来た。
差し当って新選組では伊東の動きが活発化する事が予想された。隊内に勤皇の爆弾を抱えている様な情態が今の新選組である。倒幕の具現として隊内にいる伊東の動きをどう止めるか。其が佐幕派である新選組の一義的な問題であった。
「そろそろ、動き始めようか・・・」
同年12月5日、第15代将軍に徳川 慶喜が即位。
慶応3(1867)年、遂に新選組は激動の時代を迎える事になる―――・・・