参. 1865年、広島
1865年、広島
土方の宣言通り、元治元年暮れの組織編制にて尾形は副長助勤の職から外された。理由は特に明示されていないが、大抵の幹部は言わずとも納得している様だった。
―――幹部の席から誰かが転がり落ちるとしたら、尾形が最も先だろうな
・・・というのが、共通の認識である。
池田屋事変や禁門の変に於ける消極的な態度を見れば其も当然の認識だろうが、武田観柳斎や谷 三十郎といった所謂“口先で助勤の地位に昇り詰めた”人間は
「あれ程怯懦な姿を晒しているのに、局長副長も如何して除隊処分に為さらないのだ」
と、見えない尾形の実力について寸分も考える事無く、御目出度い事を言うのであった。原田と藤堂の心情を察する永倉は之等の謗言を聞き捨ておけず、
「あんた達よりは勇敢だって局長も副長も看破いているからじゃないか?」
と口を挿む。すると武田は何故かキュンとした表情になり、谷は恨めしそうな視線だけ永倉に投げて去った。試衛館派の者を敵に回したくないという思いがこの手の者にはある。本物の怯懦は彼等の方だという事を、視る者が視れば判る。てか何だよキュンて。
突如襲いくる寒気に小刻みに震える永倉。屹度そういう小動物的な仕種と先程の鋭さのギャップが魅力。沖田は陰で腹を抱えて笑った。原田や、尾形の看病を受けた藤堂と山南は彼の降格に抗議や弁護を唱えたが、土方は全く取り合わなかった。
「副長命令だ」
と斬って捨てると、副長の様に命令する権限も無く局長の様に命令の風上にも居られない山南は、ひどく傷ついた顔で土方を見ていた。
・・・・・・ 土方は少し胸が痛む。思えば、この時から既に土方の独断専行は山南の許容を超えていたのかも知れない。
尾形本人は何を言う事も無く、淡々とその事実を受け入れた。・・・最後の風景に、四番組組頭であった斎藤と隣同士で同時に茶を啜る。斎藤は今回の編制で、三番隊の組長となった。
「近藤さん!!」
原田と藤堂は近藤に助けを求める。土方にとっても局長・近藤の意見は大きな懸念材料であったが、意外にも彼は物分り良く
「まぁ・・・でも、トシがそう言うのなら仕方無いだろうな・・・」
と、あっさり折れるのであった。之には原田・藤堂ではなく土方の方が気勢を殺がれた。
併し、土方はすぐに近藤の理解は物分りの良さから来ている訳ではない事に気づく。
「何でだよ!!守備に長けた者が助勤にいてくれて助かったって言ってたじゃんか!!近藤さんよぉ!!」
「まぁ・・・確かにそうなんだが、トシの言う通り尾形君には監察方の方が向いている様な気がしてな・・・その能力は助勤職でも確かに役立つが、隊士にはもう少し士気を求めて欲しい」
・・・詰り、尾形の指導は冷静すぎて、出動し闘おうとする隊士を減らして仕舞うと言いたい様なのだが、近藤の舌は其程滑らかでない。
「・・・其に、近々参謀をお招きする心算でいる。守備に関しては参謀が居れば事足りよう。その御方は弁舌爽やかで門弟のやる気を作るのも巧く、剣の腕も達つ。・・・平助、あの伊東先生だ。9月の新隊士募集でのお前を見て、甚く気に入られてな。北辰一刀流の同門という誼もあるからと入隊してくださる事になった」
「伊東さんが・・・・・・!?」
藤堂が愕いた顔で近藤を見る。近藤は誇らしげに笑って肯いた。すると、藤堂は頬を少し染めながらも尾形を見遣り、其からは近藤に意見できなくなって仕舞った。尾形に対する申し訳無さも一緒に感じているのだろう。
―――之が同門の柵、と云うものか
詰りは、その新たな参謀の為に、その者と似た性質をもつ尾形が席を空けろ、という事だろう。尾形は近藤に飽きられて仕舞ったのだ。近藤さんはいつもこうだと土方は思う。インテリ好きであるのは変らないが、インテリだからいつまでも気に入りにするとは限らない。その者より更に頭脳明晰な者が現れれば其迄で、近藤の興味はそちらの者へと移って仕舞う。情け深い人の様に見えて薄情な人だ。
他人を魅了しておきながら、一時しか振り向いていてはくれないのだから。
「だが、尾形君の隊士に対する教育評価は蛤御門の件で聞いているし、隊内屈指の頭脳である事は何ら変らない。だから、新しく創設する師範制度で伊東先生や武田君と共に文学師範に任命しようと思うのだが、如何だろうか?之で、尾形君が助勤から降格した訳ではない事が納得できよう」
近藤が助勤の顔をぐるりと見渡し、最終的に尾形に眼を留めた。尾形は相も変らず斎藤と呼吸を合わせた様なタイミングで茶を飲んでいる。
「・・・・・・私はどちらでも構わぬ」
・・・近藤に同意を求められ、尾形は億劫そうに湯呑から口を離した。
「?武田君?何か意見があるかね?」
武田がムスッとしているのを、近藤は優しくも訊いて遣る。併し、長いものにはぐるぐる巻きになってぬくぬく暖まるのが筋の武田は
「こっ、この僕が??そっそんな滅相もありませんっっ!!近藤局長の仰る事は全て正しゅう御座います!!」
と、全力で否定した。近藤は満足した様に微笑む。
(流石だぜ、近藤さん・・・・・・)
土方はこの、人の好さからくる近藤の無意識圧迫意見肯定化スキルに毎度感服させられながらも非常に恐ろしく思っている。
斯くして、参謀に稀代の策士・伊東 甲子太郎を迎え、尾形の後任にその弟・鈴木 三樹三郎を据えた十番隊編制で発足する“新生”新選組だが、彼等の入隊が新選組の存続を揺るがす事となる。
因みに、平隊士の編制は―――・・・
「・・・・・・・・・・・・はっ!!?」
佐倉が其はもう不服どころか謀叛でも起しそうな不機嫌極り無い声を上げた。その声に、ネタが出来たとでもいう様に八十八が引き寄せられて来る。
「おお~~~っ?」
薄っぺらな紙に達筆な文字で書かれた新部隊の掲示を見て、八十八は嬉々とした声を上げる。
――――総長付小姓 佐倉 真一郎――――
「・・・女房役、公認だなァ」
八十八がプププ・・・と口を押えるも声量は抑えずに笑う。序でにいうと八十八は之迄と変らず沖田組長の一番隊だ。
(斬る斬る斬る斬る斬る殺す!!!この女男、いつか絶対・・・・・・・!!)
佐倉は自身が隊から外される原因の一端を確実に荷っているであろう意地悪な時の方が魅惑的なこの男を、其の侭の意味で自らが仕留める事を心に誓った。
伊東が引き連れて来たのは実弟の三樹三郎だけでなく、篠原 泰之進・加納 鷲雄・服部 武雄・佐野 七五三之助・内海 次郎・中西 昇といった所謂“伊東派”と呼ばれる一大勢力として押し寄せて来た。芹沢一派を彷彿とさせる様な大所帯の入隊に、土方が何も嗅ぎ取らない訳が無く、彼等が上京する前から所属を既に決めていた。篠原を諸士取調兼監察に任命し山崎と島田 魁に、加納と内海は七番隊に所属させ谷 三十郎に、佐野と中西は三番隊に所属させ斎藤に、夫々(それぞれ)見張らせる事にした。三樹三郎は九番隊組長でありその下に服部が居るが、仕事内容の引き継ぎと指導に前任の尾形が暫くの間付き添う事となった。尾形と九番隊に限っては近藤の案である。
全てを局長に反対する訳にはいかないので渋々土方は了承したが、巨頭である伊東に関しては自身が直々に相手をすると決めた。
――――・・・が。
「君は罪な男だね土方君・・・・・・そんなに逃げ回って気を惹こうとしなくとも、僕は既に君の虜さ?」
「お前もそっち系の人間なのかよ!!来るな!!触るな!!近寄るな!!」
「嫌だなぁ・・・僕は生きとし生けるもの、凡ての美しいものが守備範囲なんだよ。ほら真一郎、君も此方においで?」
「いやいやいやいや!!伊東参謀!!小姓の立場に過ぎぬ私が先など副長に対しても失礼です!先ずは土方副長から・・・・・・!」
「!!何だと佐倉・・・・・・!?もういいお前等纏めてぶった斬って遣る!!お前だけは信じていたのに!!」
土方が刀を振り回しながら廊下へ飛び出し、佐倉が熱湯の満ち満ちた湯呑を両手に持ってガードしている。伊東が一歩でも近づいて来たらこの茶をぶっかける所存である。
「仲間割れは良くないね・・・『私ノ闘争ヲ不許』。この局中法度を破ったら切腹なんじゃないのかい?」
「い、いや、参謀あなたが原因ですよ!!」
「この僕が!?・・・嗚呼、僕を巡って同心達が争い合うのは見るに堪えない!!即刻やめて呉れ給え!!美しき華達がこんな処で散って仕舞うなんて僕はこの先希望も無しにどう生きていったらいいんだ・・・・・・」
「お前が散れ!!!」
「し・・・心中!?僕が君と!?・・・嗚呼、君と一つになれたなら、彼岸でどれだけ綺麗な花を咲かせる事が出来るのだろうか。その誘いは嬉しいけれど、数十年後の約束という事にしないかい!?」
「誰がするか!!!」
土方はまさかと思っていた。自分の立場を脅かす相手が、まさか自分の事を好いてくる男だとは。馬越が脱退したあの日の悪夢が蘇る。自分が馬越の様な目に遭おうものなら恥かしさの余り切腹して果てると思っていたし宣言もしたが。
併し誰が宣言通りの展開になるよう現実が気を利かせてくれると想像しようものか。
「ああ・・・ッもうこの際切腹してやる・・・・・・!!」
「早まらないで呉れ給え土方君!!そんなに死に急がなくても、僕と君は今生で愛し合える!!」
「そんなんじゃねえ!!触るなッ!!!」
・・・別の意味では有害であるが、新選組の新旋風と謂える様な策士にはとても見えず、屯所は今日も平和な刻が流れていた。
「・・・・・・」
・・・伊東は土方と佐倉に大胆なアプローチを掛けながら、横眼で実弟・三樹三郎と彼の隊の所属となった服部 武雄、そして尾形が庭を歩いてゆくのを確認していた。組長として隊士を徴集に当って知っておいた方がいい部屋の案内等をしているのだろう。
―――尾形 俊太郎。なるほど丁寧な男である。・・・同時に、肚の視えない男でもある。
尾形は文学師範で伊東と名が並ぶ程の実力者で、近藤の意を汲む佐幕攘夷の思想を教え、隊士に直に影響を与える立場の人間だ。
・・・その様なインテリが、伊東達勢力の入隊の煽りを真先に受けて一線を退けられ、在ろう事かその勢力の範囲を伸ばす手伝いをさせられている。
―――その心境たるや、如何なるものか。
「――――・・・生殺しやな」
「山崎さんがですか?最近劇務ですもんね」
沖田が団子を口いっぱいに含んでフゴフゴ訊く。・・・山崎は呆れた苦笑を浮べ、親の様な眼差しで沖田を見た。
「せやなぁ・・・肉体的には俺かも知れまへんが、精神的には尾形はんの方が忙しないかも知れないでんなぁ」
確かにこのところの山崎への仕事の回りは凄まじい。如何に島田がいると言えど、通常の任務に加え伊東一派から来た新人である篠原の監視、更に尾形の監視に至っては彼と仲の良い島田には話せぬ為実質ひとりで遣っている。・・・その上、尾形と伊東派の距離が近い。
「尾形さんですか?」
へぇ、と山崎は溜息に近い気の抜けた返事をする。
「・・・恐らく、伊東一派の謀いに近藤局長が押し切られた形なんでしょうが、あれでは尾形はんに脱退や裏切を促している様なもんや。伊東参謀はああ見えて既に手を打っているさかい。助勤から外れて多少なりとも誰もが不信に陥る時期に、二人を放って一人を囲めばどない頑張っても吹き込まれて仕舞いますがな。況してやあの人は文学師範や。・・・・・・思想が傾いて教えに響くと、隊士にまで綻びが出てくるんとちゃいます?」
沖田は竹串に残るみたらしを舐めながら・・・私には解りませんねぇ・・・とぼんやりと呟いた。考えた事も無いという顔をしている。
「頭の良い人は大変ですね」
脳内の回路を一周させて一応沖田も考えてはみたのだが、漸く浮んだ感想といったら之位であった。
「近藤さんの信じた人だから、別に大丈夫だと思ったんですが。仲間だから信じるものだと私は思いますし」
局長は誰でも信じるやろ・・・山崎は密かに毒づくが、沖田の前では決して言わない。近藤至上主義者にこんな事を言うと後が怖いから。
「あー・・・」
余りに純粋な意見を聞いて、山崎は何だか自分がひどく汚い人間の様に思えてきた。だが、自分達が沖田の様にはなれない事を彼は心から理解している。
「俺達では事情がちゃいまんねん、沖田先生。俺や尾形はんには試衛館派(先生たち)の様な同門の絆は存在せぇへん。志は同じやとしても、上洛前からずっと一緒に居った先生達とは同志(仲間)に対する意識が違う。新選組に入隊してから知った者同士は所詮他人やし、幾ら局長や副長と話をしてても自分の立場が変ってしもうたら本当かいな思うて仕舞う。試衛館派(先生たち)と非試衛館派では、其だけ隊士同士の信頼関係の差があるんです」
・・・・・・尤も、その“同門の絆”に苦しめられている人間も在る様だが。
この時山崎は、のちに御陵衛士を結成した伊東に伴って新選組を離脱する藤堂 平助ではなく最近様子のおかしい山南 敬助の事を考えていた。山南も伊東や藤堂と同じ、北辰一刀流の使い手であった。
「そういうものなんですか」
「そういうものです」
いまいちしっくりきていない沖田に、山崎はきっぱりと言った。沖田が理解できないのも無理は無い。物心つく前から試衛館で剣技を培い、一から十まで近藤に教えられてきた様な彼と紆余曲折を経て近藤等と出会った山崎とは根幹が既に違うのである。
考えてみれば、近藤や同期の尾形と会ってまだ2年にもなっていない。
「じゃあ」
沖田は理解できないなりに信頼の薄い仲間を理解しようと努める。思考で宙に眼を浮かせた侭、ぽつりと
「山崎さんは仲間想いなんですね」
と言った。之迄の人生で一度も其と関連した言葉に巡り会った事の無い山崎は、
「・・・・・・は?」
誰に対してその言葉が放たれたのか一瞬本当にわからなかった。
「だって、絆が無いと言っているのに、同期(尾形さん)の身を確り案じているじゃないですか」
・・・・あー・・・・・・ 何だか山崎は恥かしくなってきた。何でこんな子供みたいに無邪気なん、沖田先生。
「・・・あ、アイツと戦いたくないだけやねんて」
山崎は沖田の言葉をすぐに打ち消した。
「強いですか」
沖田の眼は御菓子の好きな無邪気な子供のものから血の味を知る剣豪へと変っていた。尾形の業は彼自身、伝え聞く内容しか知らない。
「・・・・・・剣では恐らく負けます」
沖田のぴりぴりとした空気を感じ、山崎の声も自然と低く、重くなった。
「手合わせ願いたいなあ」
「強い謂うても俺より強いだけで沖田先生には敵いまへん。忍の業は俺の方が上やし」
山崎は先程の甘々を振り払うかの如く辛口のコメントをする。・・・と、バタバタと慌しい足音が聞えてきて失礼します!の声と同時に強引に障子が開け放たれた。
「あてっ」
そして転ぶ。文字通り室内へ転がり込んで来るのだった。
「・・・相変らず騒々しいなぁ、佐倉はんは」
山崎、本作何度目かの呆れ顔発動。誰か彼に遑を与えて遣れ。
「あれ?山崎監察、何か疲れてます?」
「構わんといて・・・・・・」
疲れの一端は佐倉も与しているのだが。所謂見ているだけで疲れるというやつである。仕事の疲れが一気に押し寄せてくるのを感じた。
「やっと解放されましたよー!もう山南総長、伊東参謀との会談の時に私を同席させるのやめて欲しいです!参謀の視線が怖い!」
「其より佐倉さん、如何してあなた此処に居るんです?此処は一番隊の部屋ですよ?」
一番隊所属の時に出入していたこの部屋にしれっと戻って来ている佐倉に、漸く沖田のツッコミが入る。佐倉はむぅ、と頬を脹らませ
「私は総長の小姓になる事に納得していませんもん!」
とどっかと床に腰を落ち着けた。梃子でも動かない気でいるらしい。
「凡ては山野さんのせいです!!」
・・・・・・。山野の生態について重々承知している二人は苦笑するしか無かった。山崎は本作何度目の苦笑だろう。
「そういえば、私の異動と同様に、尾形先生も今回の編制で監察方に異動になったんですね」
先程の山野に対する怒りは何処へ往ったのやら、佐倉はけろっとした表情で全く違う話を始める。コロコロ感情の切り替りの早い娘だ。「山崎監察と同僚になるんですね」
「・・・ああ、せやな」
山崎は気の無い返事をした。すると佐倉は首を竦め、途端神妙な顔つきになった。山崎の態度が気になったのだろうか。そして
「・・・・・・尾形先生も女装する様になるんですかね?」
「・・・・・・佐倉はん。監察は女装専門機関ちゃうで?島田 魁でよーと想像してからもう一遍訊いてみ?」
佐倉が素気無い態度ごときに振り回される訳が無かった。沖田は屹度リアルに島田の女装をイメージした。床に上半身を消沈させた侭浮き上がってこない。
「・・・アイツは京の地理に精しくないねん。変装して聞き込みかてそない事は出来ひん」
山崎は本作何度目かの溜息を吐きつつ言った。
「・・・・・・尾形先生の事、よく知ってらっしゃるんですね」
山崎の助勤時代を知らない佐倉は不思議そうに首を傾げた。今し方会話に参加した佐倉には、口調から彼等の仲の良さを察せはしない。
「・・・・・・同期やからな」
「じゃあ、山崎監察なら知ってます?尾形先生が医学を勉強されてたか如何か」
佐倉が積極的に訊いてくる。元々他人と関るのが好きなタイプだし、医術は実家の生業でもあるから興味も有るのだろう。
若しかすると、教えて貰いたい事があるのかも知れない。
「知らんなぁ。せやかて、アイツの専門は国学やで」
・・・言いながら、何か(自分だけが)愉しい事でも思いついたのか、山崎は台詞の途中からやけににやにやし始める。
「そうなんですか?でも、医学の方もされているのでは」
「手練れとったもんなぁ」
「そこは知っているんですか」
「池田屋の時にな」
・・・・・・この段階までくると、山崎は水を得た魚の如く生き生きしており、懸念や疲れに由る浮かない表情も完全に吹っ飛んでいた。
「つべこべ言わんと、訊きたい事あったら武田の観柳センセーに訊いたらどないやねん♪呼んで来たるで♪」
・・・佐倉は山崎が何故急に元気になったのか判らずぽかんとしていたが、台詞の内容を呑み込むに従って・・・あーあーあーあーあーー!!と叫びがどんどん大きくなっていった。
「い!いい!!いや結構です!!遠慮しときます!!!」
「何やー武田も一応医学者やで?自称やけどな!♪佐倉はん行ったら歓ぶでー♪」
「い、いや!!結構ですってば!やめてください!!やめろ!!!」
佐倉、本気でキレる5秒前。調子に乗った山崎は障子を勢いよく開け、佐倉を流し眼で一瞥しながら・・・武田センセー・・・・・・と室内に居る当人達にも聞えるか聞えないか位のか細い声で呼んだ。すると。
「!!?」
山崎がビクリ!!と肩を撥ね上がらせた。山崎の眼前に。
「真一郎!こんな処に居たんだね!帰ろう、僕達の花園に!!」
「ぎゃーーーー!!!」
佐倉が断末魔とも謂える嘗て無い程の悲鳴を上げる。山崎は仕舞った遣り過ぎた、洒落にならんと後悔し、ここは食い止めねばと心が警鐘を鳴らしているも、身体中から血の気が引いて動けなかった。伊東 甲子太郎が何故か部屋の前で待ち伏せていたのである。
「先刻からずっと居ましたよ?」
この時ばかり冷静な沖田。なら何で言って呉れんねんと今度は絶望していると、次は廊下の角を小走りで武田観柳斎が曲って来た。
「佐倉君っ!今、呼びましたですよね!?この僕をっ!!」
・・・・・・ 山崎は今回のお戯けの代償は、謝るだけでは確実に足りない事を悟った。
「はあっ!!」
武田が部屋から1間離れた所で突如立ち止り、胸を押えて苦しみ出した。如何した、心筋梗塞か。
がくっと頭を垂れ再びその顔を上げてからというもの、瞳は熱を帯びて潤み、頬はぽっと仄朱く染まり、眼が合うと直ぐに伏せて仕舞い、もじもじと、まるで恋を知ったうら若き乙女の様に武田は大人しくなった。
――――・・・其でも武田の切なげに細められた眼は、真直ぐに伊東を見つめていた・・・――――
「――――・・・え?」
話をいい加減、本筋に戻そうと思う。
果して山崎の予見通り、伊東等一派の入隊に依って新選組内での信頼関係は眼に見えて崩れて往った。但し、その発端は尾形ではない。意外にも、ドライな性格の山崎でさえも微笑ましく感じていた程強固であった筈の試衛館の絆が、最初に脆くも朽ち始める。
―――山南 敬助が死んだ。
隊規違反の末の切腹である。理由も言わずに脱走し、待ち構えていたかの様に屯所から然程離れていない大津宿で沖田に捕まり、連れ戻されて屯所内で果てた。介錯も沖田の手で遣った。
幹部は全員之に立ち会い、隊規に背いた者の例外無き末路を見せつけられた。たとえ江戸以来の同志であっても、逆らえば厳格に死の刑に処する。近藤と土方の提示した決意は、自身等の手で山南を追い込む事に依って同門の絆を断ち切った。
「・・・・・・浅野内匠頭でも、こうは見事に相果てまい」
近藤は涙を滲ませ、山南の立派な最期の作法を称賛した。
・・・・・・土方は微かに項を垂れて、眉間に筋をつくり口の利かぬ様になった山南を睨む様にして見つめていた。その視界に誰かが入る。監察方も事後に呼ばれた。隊士の混乱を防ぐ為に外を張っていたが、その甲斐あってか脱走者の記録は残っていない。
名目は山南が華散した舞台の後処理であった。併し、現実は見せしめに他ならない。立ち会って命果てるさまを目前にしていなくとも陰惨なその光景を見るだけで眼に余るものがあった。
・・・・・・土方は傷悴にともすれば落ち窪んで見える目を吊り上げて、視界に入る人物を睨んだ。
「―――山崎君」
今し方来た山崎を呼び、土方は顎をしゃくった。
尾形は山崎より一寸早く到着し、既に死体の処理に着手していた。片膝を地に着き山南の遺体を布で包む尾形を、山崎は見下ろす。
尾形も山崎の視線を察してか、静かな眼で彼を見上げた。―――山崎の近くには、縁の座から下りた土方が立っている。
「土方君―――!!之は一体、如何いう事だい!?」
伊東が血相を変え、土方に抗議しに来た。伊東にしてみれば、この事こそが新選組の自分達に対する裏切であった。
確かに伊東は尊攘派の人間であり、文学師範という立場も使って新選組の思想を尊皇攘夷へ塗り変えようと密かに目論んでいた。併し平和的な歩み寄りを彼は常に考えていたし、其以前に山南に対しては陰謀抜きで純粋に慕っていたのである。同門であり剣でも新選組隊内に於いても先輩、2歳程度しか離れていなくとも志士としての経験が豊かで人生そのものの先輩と謂っても良かった。伊東自身、参謀という総長を超えた破格の扱いを受けていても、山南を格下とみた事や蔑ろにした事など一度も無い。
・・・・・・土方は醒めた眼で伊東を見た。・・・そして、まるで伊東に非があるかの如く冷やかな声でこう言い放つ。
「―――局中法度を破られた場合、如何なるか之でよくお解り頂けたかと」
「――――っ!!」
伊東は言葉を失った。在ろう事か同門の死は、新隊士である自分に対する教育の為の犠牲に過ぎぬとこの男は言っているのだ。
同門の仲間を試し斬りに使われた。感覚としては其に等しかった。
・・・尾形がその場を立ち上がり、伊東の前を通り過ぎる。土方が顎で促し、山崎も続いて立ち去った。明日は我が身。その言葉を之程象徴する光景は他に無いだろう。
だが、土方の見せしめは予防が過ぎた。この山南 敬助切腹こそが、逆に伊東を刺激して新選組を分裂に導く切っ掛けとなる。
伊東が持前の交渉力と物腰の柔かさを意識的に駆使して、隊士をこの組織から引き抜いて仕舞えばよいと本気で考え始めるのはこの出来事が過ぎてからになる。
―――新選組副長・土方の残酷さは、すぐに知れるところとなった。土方の知るところではないし知っても返り討ちにするだけの話であったが、山南の情人・明里が山南を殺した新選組延いては土方を怨み、狙っていた時期がある。この件に関しては佐倉や山崎の機転に依って知らぬ間に終っていたものの、山南の死を皮切に幹部が次々と不審な死を遂げる様になる。
次に死んだのは四番隊組長兼柔術師範・松原 忠司だった。山南の死から半年余りの頃である。
この男も切腹したとの事だ。だが山南の様に幹部立ち会いの元正式な作法をとった訳ではなく、個人的な自殺に近いものらしい。
松原の死に関しては幹部でも把握できていない者がおり、確固たる記録も遺されておらぬ為本作での言及は避けるが、土方が事前に動いていた事は確かの様である。加え諸士取調役兼監察方の篠原 泰之進も何らかの事情を知っている様だが、土方が知っているのなら其を追及する事は自らの死期を早める愚行でしかない。
夫々「仏の副長(総長)」「親切者」と言われた隊内で1、2と並んだ平和主義者が相次いで死に、新選組幹部は愈々血みどろの爭いへ落し込まれてゆく。
其から更に半年後、七番隊組長及び槍術師範・谷 三十郎が死ぬ。「頓死」であった。其以上の事は判らない。
只、斎藤 一に動きがあったと噂されており、或る人物は可也の確信をもって斎藤が犯人だと踏んでいる様だった。
―――武田観柳斎である。
松原・谷と死に、残る新選組非試衛館派幹部は参謀伊東 甲子太郎を背後にもつ三樹三郎以外に自分しか在ない。自分には支柱となるものが何も無い事に、武田は漸く気づき始めていた。
・・・武田唯一の武器とも謂える甲州流軍学は軍行録で採用された洋式調練に依って重視されなくなり、立場にも翳りが差してきていた。武田は急に怖くなったに違い無い。何せ自分以外の助勤は試衛館派でない限り皆死んでいる。沖田や斎藤や井上 源三郎といった“人殺しの道具”が同僚にいて、而も共通の同僚を殺してゆく。いつか自分の番が来るかも知れない。
脱走すれば即、死だという事は、最も初期に山南の件で焼きつけられている。自分が生き残る為には、一体如何したらよいのだろうか。
「尾形君・・・・・・」
・・・尾形が幸いだったのは、助勤同士の血で血を洗う抗争に捲き込まれる前にその職を離れた事だろう。今や武田と同時期を過した唯一の非試衛館派助勤となって仕舞った。
「・・・・・・観さん?」
尾形は武田の誘いに応じた。名目上は共に食事でも、というものである。忍の業を物にしたのか、現れる時に音がしなかった。
「隊内に僕の居場処が無いのですよ・・・・・・」
尾形はがりの天麩羅を口に含みながら、食のなかなか進まない武田を見る。先を促す事をせず、彼が彼のペースで話し始めるのを己の食のペースで待った。
「君は何とも思わなかったですかの?あの試衛館派(幹部)の中に居て。急に副長助勤から監察方に降格して」
・・・あぁ。と尾形は武田が自分を呼び出す行動の合点がいったという反応をした。武田は監察の山崎が副長助勤であった頃を知らない。山崎が異動して以降に幹部となった非試衛館派助勤は監察方を格下に見がちだが、実際はそうでもなく、試衛館派幹部は彼等を非常に重要視している。監察と助勤の距離は意外にも近く、双方の出入は割と頻繁だ。・・・尤も、武田等が入隊する頃には隊士の人数も増えた為に監察・助勤間の異動は減り、今や両方を経験しているも山崎と尾形しか在ないのだが。
だが其を論ぜようとも、監察方が副長助勤の下に名の入る事に変りは無かったし、事情を知らぬ非試衛館派の新人助勤がその名簿を見て勝手に格下と思い込んでいる。考えを改めようとせず職名を笠に着て注文をつけてくる谷や武田を、山崎は非常に嫌っていた。
『慇懃すぎて谷副長には孰れバレるな』
力さんこと島田 魁は何だ彼だですっぱりはっきりさっぱりした態度を示す山崎を笑っていたが、この台詞に武田の名が出ていない事が既に物語っている。
「・・・・・・別にすべき事は変らぬ」
「でも他人の視る眼は変る。君と僕の同僚が死んだのがその好例ではないですのか?」
尾形は武田を見、微かに眉を寄せて瞠目した。山崎なら恐らく表情に出さずに心の中で嘲笑っているだろう。
・・・おべっか屋のくせに、武田は余りに時宜と人を読む眼が無い。
「・・・私は彼等の件では監察に当っていないので死因は知らぬ。孰れにせよ武士として命を賭したのではないですか」
「違いますですよあれは沖田君や斎藤君が・・・」
松原や谷は殉職や大義の前に命散ったのではない、沖田や斎藤の手に拠って暗殺されたのだと言いたい様だ。武田にとって、己の理想の為に命を懸けて奔走し、結果的に殺される事は武士として誇れる死に方ではないらしい。
・・・尤も、谷や松原に命を賭す迄の理想や大義・武士の憧憬があったか如何かは怪しいが。
「・・・次は屹度僕の番になるですます。僕はまだ―――「観さん」
尾形が己の口の前に人差し指を立て「しっ」と声に出さずに言った。この時武田は、初めて尾形の顔をきちんと見た様な気がした。
「・・・・・・其以上は」
―――ここから先を言えば、立場上近藤土方に通告せざるを得なくなる。長い前髪の合間から微かに、切れ長の鋭い目が覗いた。
同僚である当時は存在を軽んじていたが、自身の背後が危ぶまれる情況となって初めて武田は尾形が実は読みが非常に深い人間なのではないかと思った。自分と他人の間合を絶妙に取り、芯を確り持っている。
「・・・・・・僕は、如何すれば大丈夫なのだろうでしょうか」
・・・この男の意見を仰ぎたい。すぐに前髪に隠れて仕舞う、意外にも整った目尻が惜しくて、武田は熱烈な視線で尾形を見つめた。
「―――大丈夫、という永年の保証は今の世では到底在り得ないが」
尾形は、年齢は自身より上に見えても隊士としては後輩であるこの男に、初めて先輩らしき助言を掛けた。
「自分のすべき事を忘れず、自分の信ずる道をゆく。其でいいのではありませんか」
併しその助言は武田にとってハイレベルすぎた。引き上げて貰う為にはどんな価値観をもった人間にも取り入る自信のある武田に、自分の大義や信念など持てる筈も無かったからである。故に、武士となる事を最終目的とする近藤土方は実はこういう筋の通った人間が好みだという事も読み取れなかった。抑々、武田は武士として美しく散る為に新選組に入隊した訳ではないのだ。
「尾形君・・・・・・」
如何して其程人間が強くいられるのか、武田の様な人間には皆目見当がつかなかった。その日から、無意識の内に武田は尾形を恃りにする様になってゆく。
「・・・・・・」
―――京の女性に変装し、人込に紛れて監察活動を行なっていた山崎は、彼等の会話を漏らす事無く一言一句を耳に入れていた。
良くない兆候である。
―――松原の死に際して、大幅にではないが組織編制を改定した。尾形は完全に副長助勤の任から外れ、監察方の活動に従事する事となった。其に伴い島田が退き、監察のメンバーは一新する。
監察方の最古株となり自然リーダー的存在となった山崎から見て、信頼して使えるのは新人の吉村 貫一郎のみであった。彼は入隊直後に諸士取調兼監察に任命され、同時に撃剣師範への取り立てが決定する極めて優秀な人間だった。残りが非常に問題で、佐久間 象山の息子である三浦 啓之助(コイツは平隊士)と共に隊内の風紀を乱す芦屋 昇が何故か加わり、吉村は完全に芦屋の御守りに持っていかれた。更に伊東派のメンバーが流れ込んできて、服部 武雄が監察方に加わった。之には急遽撃剣師範でベテラン隊士の新井 忠雄を配置して貰い、篠原と服部の動向を監察させる事になった。
(局長は何を考えとんのやろか・・・・・・)
因みに、今回の改定と合わせて佐倉も山南の小姓から一番隊に復帰している。之は土方の計らいで、池田屋以来変な咳をするのを度々見掛ける沖田の目付役として丁度よいと判断したからだ。
「何でィ。意外と早かったじゃねィか。一番隊に戻って来るの」
「・・・・・・」
再び前線で戦う事が出来ると思い、弾む足取で一番隊の部屋へ入ると、山野 八十八がにやにやした表情で早速待ち構えていた。
佐倉は足を止める事無くくるっと踵を半回転させ、すたすたと入った許の部屋を出る。
「沖田先生何処なんだろー?」
「オイこら無視すんな」
・・・佐倉の個性豊かな隊士達に忙殺される日々が、叉始る。
「・・・近藤さん、あんた何考えてんだ?」
近藤に対してだけはいつも呆れ乍らも言い返さない土方が、今回は珍しく目くじらを立てた。見せられた名簿を相手が近藤にしては乱暴に突き返す。組織編制の改定も然る事乍ら、今回のこの選抜は断じて在り得なかった。
「・・・・・・あんた、その身と永井 尚志大監察を自分一人で護れるのか?」
土方は熱り立っていた。突き返されて置場に困った近藤が手を放して床の上に滑らせる書類に、随行隊士の候補が書かれている。給人・近藤 内蔵之助、近習・武田観柳斎、中小姓・伊東 甲子太郎、徒歩・尾形 俊太郎。何れも文学師範を務めるインテリで、調練や道場の剣は出来ても実戦経験など聞かない。
「・・・トシ、確かに今回は大監察の護衛も含んではいる。だが目的は長州の国情調査だ。剣に達つ者より交渉に長けた者の方が都合がいい」
「だからといってこの顔触れはあんまりじゃないか。あんた死ぬ気か。朝敵の懐に飛び込んで、其も武装も無しにだと?いざという時には武力行使(斬り合い)だという事をあんたも知っているだろう。長州の奴等に言葉が通じるとは思えねえ。・・・其に」
抑々御上の護衛というものは口八丁手八丁にするものではなく、黙って付き随い、必要な時に刀を振るうものだと土方は思っている。連名からして、武田の媚びや伊東の希望を叶えた随行に疑いは無い。近藤さんもここ迄染められて仕舞ったかと思うと哀しくなった。
・・・・・・武田と伊東に関しては、自分がどうこう言える訳でもないので仕方が無い。だが。
「監察方が随行に組み込まれているのは何故だ」
この場合、土方は尾形が如何のと謂うより近藤に対する不審であった。監察方は隠密で行動させるべきである。
「尾形君は確かに監察方だが、今回は文学師範という点で登用する。彼の説明の上手さと一貫性はトシも認めるところがあるだろう?」
「文学師範はまだ他にいる」
監察方に表立った行動をさせたくないと共に、同行に尾形を指名したのは近藤ではないと土方は踏んでいた。・・・伊東一派や武田と、尾形は急速に接近を始めている。
近藤は以前ほど気に入りとはしていないが、未だ頭脳派の教養人として尾形を信頼していた。
「・・・・・・トシ、尾形君は俺にとって、お前にとっての山崎君みたいなものなんだ」
近藤は、尾形の指名は自分の意思でもある事を強調した。今にも土下座をせん勢いである。土方は眼を見開いた。
「・・・止せ近藤さん。大将がそんな」
「大監察は広島で訊問為さるが、我々は長州本国に入国する心算だ。変名で入国するが、俺が近藤 勇だと知れれば死ぬ可能性もある。無論、その覚悟は出来ている。万一の時には新選組はお前に、天然理心流は総司に継がせるよう彦五郎さんに頼んである。・・・尾形君はその様な中でも、同行すると即座に答えて呉れたのだ。共に死ぬ事も厭わないらしい。あんな事を言って呉れる人は隊士の数が増えてもそうは在まい」
近藤は顔を上げ、その眼には涙が浮んでいた。こうなれば近藤はもう動かせない。良くも悪くも思い込みの強い人なのだ。併しその思い込みの強さが信念に変る素質を秘めている。
「・・・・・・分かった」
・・・土方は深い溜息を吐いた。
「・・・・・・只、近藤さんにとっての尾形が俺にとっての山崎と謂うんなら、約束してくれ。探索要因に監察方も派遣させる。今回の監察は武人も多いから、警護代りになるだろう。変装させて近くに張らせる様にする。だから、監察が居ない場合の行動は控えて欲しい。解るか近藤さん。俺は、あんたの為なら腹心(山崎)も差し出すと言っているんだ」
近藤にとっての尾形が土方にとっての山崎足り得ても、土方にとっての尾形は山崎足り得ない。何だか妙な循環論だが、単純に謂えばそういう事だった。
土方は自身の人を視る眼に絶対的な自信を持っていた。自身の確り視定めた人間を、近藤の側には置いておきたいという願いがあった。
「・・・其と、泊りの宿は必ず監察と同室にしてくれ。――――出来れば、山崎や吉村と一緒に居る事が望ましい」
慶応元(1865)年、長州藩が再び動き始める。先の池田屋事変で落命した吉田 稔麿と禁門の変にて自刃した久坂 玄瑞、そして今も京の何処かに潜伏している桂 小五郎と並んで長州のトップに立つ高杉 晋作がクーデターを起したのだ。長州藩正規軍(佐幕派)と反乱軍(倒幕派)が戦い、高杉率いる反乱軍が正規軍に打ち勝った。この回天義挙に端を発する内乱の結果、長州は完全に倒幕派政権となり、軍備の増強が一気に推し進められる。其は紛れも無く、幕府を攻撃対象とした軍事増強であった。
之に対し徳川幕府は、再び長州征討する事を決める。征討の程度を決める為、幕府大目付の旗本である永井 尚志を訊問使として派遣する運びとなった。新選組は会津藩より随行を命ぜられ、永井の側近と偽って長州に乗り込む事になる。
近藤・武田・伊東・尾形が正面切って堂々と動くのに対し、監察方の山崎・吉村・芦屋・新井・服部が裏で独自の調査を行なう。一行は慶応元年11月、大坂城へ下ったのちに広島へと足を踏み入れた。
併し。
「・・・・・・・・・」
・・・・・・矢張りというか何というか。
リーダーの永井 尚志は忙しく交渉を長州側の使者と始めていたが、近藤等4人は様々な形で待ち惚けを食う事が多かった。公式的には護衛の色が強いので其も叉当然と謂えば当然なのだが、想定外であったのが想像以上に幕長関係は悪化している事で、永井自身が長州代表と面会するのでさえ数々の関門を通過しなければならなかった。永井一人が忙しかったのはそういった点も(寧ろ其が)関係しており、暴力沙汰には至らなくも雰囲気が険悪になった時に近藤の眼光と近藤の護衛である服部の鬼気が役立った程度であった。
之に由り、陽動組の動きは完全に行き詰る事が予想され、長州入国は非常に難しくなった。
「如何したものか・・・・・・」
巧みに訊問を躱される幾つかの面談を経たその日の宿で、近藤は早速隠密組5人も含めた新選組隊士のみでの話し合いの場を設けた。
「・・・・・・なかなかに頭の良い返し方をするね、長州も」
伊東は閉じた扇子を口の前に当てた侭言う。どこと無く愉しそうだ。頭脳派から見れば、今回の押しつ押されつの白熱した駆け引きは胸躍らせるものがあったのかも知れない。
「・・・難しい話ですますなぁ」
武田も頑張って言う。
フンッ、と言って遣ったぜ風に鼻息を荒くしながら、武田は万年監察方だと思っている相手の山崎の方を見る。・・・何やねんコイツ。眼が合った瞬間に不快感に襲われ、山崎は武田の隣に坐る尾形の方に視線を移した。尾形は空気を読まず、武田に続けて言いはしない。
「尾形君は何か感想は?」
伊東が敢て追従を促す。
「・・・まぁ、予想通りではありましょう」
尾形はうっすらと目蓋を開け、平坦な声で短く答える。隣の武田が今度はけっ、と鼻であしらった。
「・・・其よりも、局長」
尾形自身は過ぎ去った事にあれや之や感想を述べても仕方無いと考えている様で、早くも之からについて話を切り替える。
「・・・あの条件を、お飲みになられるのですか―――?」
「――――条件・・・・・・?」
山崎は驚きの余りに一瞬尾形を睨んだ後、怪訝な眼つきをすぐ近藤に移した。・・・その『条件』について、監察方は何も聞いていない。
「・・・・・・局長、どないな事ですか?・・・監察方にも話を入れて頂きませんと」
武田が勝ち誇った様に上座から監察方を見渡す。伊東は澄ました顔をして扇子を煽いでいた。尾形は変らず背筋をぴんと伸ばして正坐をしている。
近藤は暫く腕を組んだ侭山崎の言葉に応えずにいたが、軈てう~ん・・・と顎を摩り、
「尾形君」
と合図の声を掛けた。
陽動組の中では最も下座に坐る尾形が、壁際へ造作無く置いてある包みを持って来て其を広げる。監察方全員に見えるよう、己の居る座から芦屋や吉村が坐る真中辺りまで其を辷らせた。
「詰り・・・潜入調査いう事ですか?」
「・・・・・・そういう事だな」
近藤は歯切れ悪く言い、悩ましげな表情の侭首を縦に振った。
「・・・・・・面白い考えである事は認めるけれど、之は新選組局長がする事ではないね」
伊東が珍しく為になる意見を言う。伊東以外の全員が一斉に伊東に注目する。その殆どが呆気に取られた表情だ。
「しっ、併しですますね、之は永井公の御冗談なのでは・・・」
「長州藩への潜入に関しては、永井大監察は本気であらせられましょう」
伊東と尾形の意見が妙に噛み合っている様に見え、武田は焦った様に二人の顔と近藤とを頻りに交互に見比べた。自分が会話に出後れている事を近藤に覚られたくないのだろう。況してや、監察方に落ちたと思っている尾形には負けたくないに違い無い。
「ならば之は名誉な事ではありますでしょうか!」
武田は近藤ではなく何故か尾形の方を向き、噛みついてみせた。伊東の意見に異を唱えている事を指摘したい様だ。・・・別に尾形には伊東に意見を合わせる気は無いのであろうが。
伊東はくすりと我慢できずに笑みを漏らし、扇子を広げて・・・フフ、失礼。と己の口許を其で蔽う。
「・・・武田クンは、なかなか前向きな考え方をするんだね。僕はそういう人間、結構好きだよ」
・・・伊東の上品な微笑みとの距離がこの時1間も開いていなかった。武田はその眩しい笑顔にあてられて、くたり・・・と勢いを失った。本当大変やな尾形はん。監察方ではどうどうと吉村以下後輩達のショックを軽減させる作業に入る。新たな脱走者が出なければいいが。
「―――でも、新選組が要人警護や治安維持を担う剣客組織である事を考えると、局長に変装をさせて潜入・・・というのは、少し違うと思わないかい?」
伊東が丁寧に説明を加える。武田よりは少なくとも聡明である山崎は伊東の補足が無くとも理解は出来ていた。新選組は可愛がられてこそいるものの未だ武士としての扱いを受けていない・・・詰りは永井からですら何でも屋と看做されているという事だ。
(・・・この条件を呑めば、新選組には如何でもいい仕事ばかり舞い込む事になるやろな・・・・・・)
新選組もそろそろ仕事を択んでいい時期である。トップの近藤が魁て危険に飛び込む時期はもう終り、今はもう殿となって最後に立ちはだかる壁となればよい。池田屋の頃と今では、命の重さも要求される使い方も違う。
「・・・・・・ここは尾形君の意見を聴きたい」
近藤は土方が斎藤に意見を求める様な形で、尾形に訊いた。伊東は扇子を閉じると同時に口も閉し、以降は尾形に話を委ねる。
「・・・・・・潜入調査であれば」
入れ替りに尾形の口が開き、ちらと山崎等監察の方を見る。否、精確には山崎と吉村を見ていた。
「―――監察の方が既にいるかと」
―――山崎は尾形の思考を読む事が出来ず、思わず視線が彼を見返した侭留まる。説明を補足して欲しいのは寧ろこの男の事だった。
「陽動組が長州入国を決めたのは陽動組故の利点があったからに御座いましょう。例えば、長州側幹部と新選組幹部の顔合わせや、長州内の公的文書を見る機会等、隠密では出来ぬ目的があったからこそ永井大監察も新選組を随行させ、陽動組が応じたと私は思います。なれど、其が断たれれば陽動組の利点が無に帰す事となり、陽動組が之以上動く理由を見つけられませぬ。・・・其に、陽動組は長州者に面が割れている。忍の真似事をして長州に潜入したとて捕まる危険性は非常に高く、万一成功したとしても一月経たぬ内に帰京せねばならぬ。其では得られる情報も少ない」
―――其で、と尾形は今度は長い時間、真直ぐに山崎を見据えた。まるで近藤にではなく彼に向かって話し掛ける様に。
山崎は嫌な予感がしたが、果してその予感は的中であった。にも拘らず、彼は尾形の次の言葉に絶句せざるを得なかった。
「面の割れていない山崎・吉村両監察を数ヶ月単位で長州に忍び込ませ、陽動組とその傍に居た監察3人は大人しく帰京する。この考えは如何でしょう」
「――――っ!?」
指名を受けた山崎と吉村は耳を疑い、本来は同僚である筈の尾形を図らず敵と思った。長州という敵地に置いて往かれるからではない。幾ら耳聡いとはいえ服部等と同じ時期に監察となった吉村が感づく程に、監察方は伊東派に染まりつつあるのだ。
彼等が長州に残って仕舞えば、京に居る監察方は殆どが伊東派になって仕舞う。
(尾形はん―――!?)
山崎は必死に尾形の心中を量ろうとした。尾形が監察方の現状を解っていない筈が無い。そう考えれば、自分を意図的に排除しようとしているとしか思えない。
・・・・・・山崎と眼が合った瞬間、尾形は何故か口角を上げた。
「そうか・・・・・・」
山崎が思案する正面の席で、近藤が納得した様な声を上げる。幸せな顔をする武田を通り越して伊東を見
「伊東先生はどう思われますかな」
と訊いた。
「・・・異存は無いね」
伊東が扇子を開くと同時に口も開く。流れで開いた扇子を武田の前にスタイリッシュにサッと立てた。・・・流石に視線が痛いらしい。
「特に長期調査は必要だろうね、長州という国を知るには。・・・服部も出そうか?」
「いやいや、そこ迄は」
近藤は苦笑した。残っても全く仕事にならないが、京へ戻ってもいけない。どう転んでも伊東の側にいい様に回った。
近藤の背に監察方(現場)の声は届かない。ここが副長土方と違うところで、土方は監察や助勤の意見を割と積極的に聴こうとするが、近藤は特定の者の提案こそ聴くものの基本的に部下の意見を反映させる事はしなかった。山崎達は命令されれば黙って其に従うしか無い。
「では、山崎君に吉村君。君達はこの侭広島に残って、長州の動向や国情について探索してくれ。二月三月後に陽動組は再び広島へ来る事になるだろうから、その際に報告は聞こう」
―――は。山崎と吉村は何も言い返す事の出来ぬ侭に頭を下げた。両者とも懸念を覚られぬ程度には平静な対応が出来ていたが、床の畳にしか見せぬ彼等の伏せた顔は、焦燥と不安に駆られていた。
(土方副長・・・・・・!)
土方の送り出した腹心は、同僚の裏切に依り出る杭を討たれ、島流しとされる。
「・・・・・・はぁ・・・・いい湯だったなぁ・・・・・・」
伊東が髷を下ろした状態で部屋に戻って来る。頬は紅々と火照り、切り揃えられた髪の毛先には水が滴って、真白い手拭で優しく其を包む手も上気で紅みを帯びていた。地肌が白い事が判る。
「・・・あれ?武田クンは居ないのかい?」
障子を開くと、此方に背を向けた形で尾形が正坐していた。尾形が振り返り、伊東を見上げる。
土方の願いを聴き入れたのか、宿場にて近藤は山崎・吉村と部屋を同じくし、後は伊東・武田・尾形の陽動組と芦屋・新井・服部の隠密組の残りに分れた。此処は伊東等陽動組の部屋である。
―――・・・ 尾形は虚ろな眼で伊東を見つめていたが、軈て縁側の細い柱に太ましい身体を潜ませて此方を見ている武田について触れた。
「・・・・・・伊東参謀の背後に居るのは・・・」
「だよね・・・・・・出来れば否定して欲しかったよ・・・・・・」
伊東の潤いある恍惚とした表情が一気に萎びた茄子の様に衰弱する。武田に入浴中も張られていたのだろうか。いたのだろうか。
「尾形君、次に入っていいよ」
するりと尾形の背後を抜けて、床の間を前にした畳の上に伊東は坐った。尾形とは垂直線上の位置にあり、互いの身辺の死角が少ない。
「・・・併し」
尾形は立ち上がり、障子の戸に手を掛けた。
「観さん、風呂は」
・・・・・・伊東は尾形の佇まいを下から上に向かってゆっくりと見る。山南 敬助の亡骸を処理した男。訊きたい事が幾らかあった。
畳の床には、鈍く黒い光を放つ数珠が無造作に置かれている。
「何ですでしょうか馴れ馴れしいっ!僕は副長助勤で御座いますですよっ!武田“助勤”若しくは“先生”と御呼びなさいくださいよっ!」
武田が突進せぬ勢いでしゃかしゃか摺足で部屋まで来、尾形に突っ掛る。ついついこの前まで同僚だったというに。
「・・・・・・風呂は?」
尾形が気にする事無く訊く。前髪が流れて覗く床の数珠に似た色の黒眼が見上げ、自身を確り捉えている。武田は少したじろいだ。
くすくすと伊東が笑う。
「仲が良いんだね、君達」
尾形はくるりと武田に背を向け、置きっ放しにしていた数珠を拾い上げる。武田は尾形の視線を逃れて、ホッと胸を撫で下ろした。
「―――先程の様子から、武田クンは僕に用が有る様だ。恐らく一刻も早く思いを打ち明けたいんだろうね。ここは先に入ってあげる方が、彼的にはいいかも知れない」
伊東が書院に寄り掛り、諭す様に尾形に言った。尾形は伊東に一瞥を呉れ、少しの間黙った。ふむ・・・と伊東は心の中で呟く。
「・・・・・・其もそうですな」
尾形は物分り良く肯いた。口許には笑みが浮んでいる。
「では観さん、お先に失礼させて貰う」
尾形は手早く仕度を済ませ、武田の側を通り過ぎる。擦れ違いざまに自分にだけ見せた更に深い笑みに、武田はどきっとした。
すっ・・・
・・・・・・尾形の気配が完全に消え、廊下に誰の影も見えなくなった事を確認すると、武田は静かに部屋の障子を閉めた。
「あの・・・・・・」
武田が伊東の前に坐り、焦がれた様な眼で彼を見た。別に武田の方に用が有った訳ではない。伊東の入浴について行ったのも只のストーカー行為である。其をここ迄弁護して貰えるなんて、と妙な感銘をこの男は受けているのかも知れない。
併し、其も武田観柳斎という男色家の男にしてみれば仕方が無いのかも知れない。
そして伊東も、男女人間問わず美しいものやスマートなものを愛する人種故か、この手の人間の扱いをよく心得ていた。
「解っているよ。君の側には用は無い。用が有るのは僕の側なんだ、武田クン」
―――この台詞を囁かれれば、伊東程の伊達男が相手なら女性はくらりとくるだろう。身体はオッサンでも心は乙女の武田観柳斎は、女性同様にこの甘い囁きにときめかざるを得なかった。
「・・・・・・;」
尾形の動向に注目し、早くも床下に張り込んでいた新人監察・吉村 貫一郎は別に聞かなくてもいい事を延々と聞いている気がした。
「―――風呂でっか、尾形はん」
―――監察方はもう動き出している。同期の山崎 烝がひらりと舞い降り、尾形の前に姿を現した。
「―――崎さん」
・・・・・・尾形は俯いていた顔を上げ、山崎を見る。・・・夜風に吹かれ、普段は隠れた互いの眼元が今宵はよく確認できる。視界は暗いが。
「・・・・・・早速忙しないな」
「誰の所為や思ってんねん」
山崎は呆れた表情で言った。尾形は山崎が何をしに来たのか解っている様で、例のあの本来は笑うべき時ではない不埒な笑みを浮べていた。なるほど、佐倉の言った「人を不安にさせる笑み」は、強ち外れていない表現かも知れない。
・・・山崎は表情を引き締め、一見自分の立場を解っていない様に思う同僚に警告の意を伝える。
「あんたはんの行動は俺を通じて全部土方副長に筒抜けになっとる。怪しまる様な行動は慎んだがええんちゃいまっか?」
・・・・・・緊迫した空気が夜の宿場に流れ込む。この時も叉、山崎は庭の方に居り、尾形は縁側の方に佇んでいた。池田屋の時と違うのは尾形が今回は縁側の上を歩いており山崎を見下ろす形となっている点か。
「――――」
・・・尾形は、山崎からの宣戦布告とも取れる警告に暫く言葉を返さずにいた。之は山崎自身も感じた事だが、忠告なぞ実に監察らしくない行動に出たと思う。監察ならば監察らしく、反乱分子である隊士を土方に密告しておけばよい。この男もやはり武士になりたかったのではないかと勘繰りたくなる行動だった。
―――併し。
「―――その言葉、そっくり其の侭崎さんに返そう」
尾形は日頃は滅多に長続きしない笑みをこの時ばかりは山崎にずっと宛てていた。放たれた言葉の意味と笑顔に隠された意図が解らず山崎は呆然と尾形を見返す。
尾形はそんな山崎を措いて、縁側を通り過ぎ彼の視界から消えた。
―――遠くから近藤が山崎と吉村を探す声が聞えてくる。永井と共に広島の遊郭は如何なっているか見に行こうという誘いだ。
山崎はその場に立ち尽した侭、拳を握り締めて尾形が過ぎた後の縁側を見つめていた。
(・・・・・・如何いう・意味や―――?)
―――前髪から湯が滴り、顔に掛る。まだ乾き切らない髪を結んで、入浴前と然して変らぬ格好をした。
着物を濡らす髪の懸る肩口に手拭を引っ掛け、尾形は誰も居ない縁側を歩いた。頬を掠める秋風が冷たい。
行燈の灯りと人影が漏れる障子を開き、尾形は辞儀をした。
「―――お待たせ致しました」
室内には当然だが同室の伊東 甲子太郎と武田観柳斎、に加え、監察方の新井 忠雄と服部 武雄が部屋に招かれて共に居た。
―――尾形は微かに眉を寄せる。
「俟っていたよ、尾形君」
伊東は既に髪を結い上げており、寝るというよりは之から外にでも出て行きそうな出で立ちであった。
「・・・・・・随分賑やかですな」
「近藤君達が外に遊びに行って仕舞ったからね。僕等は僕等で楽しもうかと思って」
さぁ、此方へ。と服部 武雄が尾形を引き込み、障子の扉を手早く閉める。確かに夜の冷気が室内にぐんぐん入って来て寒い。
「伊東派の服部君が尾形君にはいつも御世話になっているね」
伊東が扇子の先を口に当てて微笑んだ。尾形は大人しく武田と服部の間に坐る。・・・正面には、伊東一派が入隊する前から隊士だった新井が居る。
「僕等は之から、少し真面目な話をしようと思っているんだ。・・・良かったら尾形君も、参加してくれるかい?」
―――行燈の火が幽かに揺らめく。