弐. 1864年、蛤御門
1864年、蛤御門
「・・・・・・やっぱり似てるよな、新八っつぁん」
「ああ・・・似ているな・・・・・・」
原田と永倉が、隣に並んで正坐する斎藤と尾形を何度も較べて目配せし合う。四番組組頭と五番組組頭。今回から輪になってではなく上座と下座に、また一番組組頭を上座として下座に向かって順番に坐る事となり、斎藤 一と尾形 俊太郎は隣同士になるのであった。
・・・・・・並べてみれば、猶似ている。
「長州が京へ乗り込んで来やがった」
土方が吐き捨てる様に言った。一方、隣に坐る近藤は悠々とした面持で腕を組んでいる。この対照性は話し合いの場に於いての通常だ。
「我々は幕府の命を受けて蛤御門に続く竹田街道を警固する事になった。伏見から侵入する長州藩士を其処で仕留める」
新選組から見たこの事件。長州藩士の鎮圧・残党狩り。禁門の変の開始である。
「我々新選組は会津藩と共に九条河原にて宿陣し、其処で会津藩と別れ竹田街道へ向かう。そして御所をお護りする。いつ出動命令が出てもおかしくない状況なので、取り急いで出動部隊と留守部隊を決めなければならないのだが・・・総司(一番組)は出動な?」
「ええ、勿論です近藤さん」
沖田は意思の強い瞳で近藤を見返した。
「佐倉さんは措いて行きますけどね。傷病人の手当てに人手が必要そうですし」
ガタッ!尾形の逆隣に坐っていた武田が足が痺れた様に体位を前へ倒し挙動が不審である。wwww 沖田は武田に背を向けて笑った。沖田は完全に武田で遊んでいる。
「其と、原田と斎藤も行け」
土方がすぱりと決めていく。
「後は―――「五番隊は留守隊にさせて頂く」
近藤と土方は尾形の方を見る。近藤には純粋な驚き、土方には非難がその視線には含まれていた。飽く迄屯所待機に拘る尾形に、流石の原田も不審がる。
「おい・・・如何したんだよ、おがっち!?「尾形君がそう言うのなら僕(六番組)が行くしか無いですなあ!」
むっ。原田の言葉を遮って、武田が尾形の顔を覗き込みながら言う。勝ち誇った様な瞳でニタリと嗤うと今度は近藤と土方の方を向き
「組頭に魁の覚悟が無いと、出動する隊士の士気に関りますですからねえ!僕等は平隊士を纏める立場なのですからその自覚を」
「あーわかったわかった」
土方は武田の鼻持ならない論説を途中で折った。留守隊にするよりも餌をぶら下げておく方が此奴は裏切らない。だが
「―――・・・池田屋の時みてぇに、他の隊士を見殺しにしたら承知しねぇからな」
―――土方は武田を極めて非情な眼で視た。声も冷やかで、次も同じ事をすれば間違い無く武田の身に刃が突き立てられる。
池田屋事変で尊攘派志士を捕える為に屋外を囲っていた近藤隊の隊士は、武田を除いて全員が重体で未だ口が利けない。
武田はひっ・・・!と魁の覚悟がある様にはとても見えぬ怯えた顔で声を上げると、コクコクと無言で肯いた。
「まぁまぁあれはあの時で必死だったんだ。其に、武田君もあの情況でよく遣ってくれた方だぞ。―――尾形君も、池田屋の時の屯所での働きは山南さんから確りと聞いている。今回も、屯所守りを宜しく恃むぞ」
・・・土方は、人伝に話を聞いただけで完全に相手を信頼している様子の近藤をそっと見遣る。・・・武田にしろ、尾形にしろもっと眼に見えてわかり易くなる様に泳がせてみる必要が有りそうだ。
―――意外にも、足がつく様な怪しげな行動を見せたのは尾形の方が先であった。
近藤・土方を先頭として沖田・永倉・井上・斎藤・武田・松原・谷等と原田が代理で率いる藤堂の部隊が所定通り竹田口へ向かう一方、屯所には尾形が長を務める五番組と佐倉、池田屋で受けた傷の癒えぬ藤堂と依然として体調の優れぬ山南が残った。この様な部隊編制が決る迄佐倉に傷病人の看護を凡て押しつけていたものだから(之も全部沖田のせい)、藤堂や山南の身辺の世話も当然の如く佐倉が切り盛りしていた。
『藤堂先生、包帯はきちんと換えましたか?』
『山南総長、またお薬飲んでいないでしょう!』
「もう!先生方、本当に治す気あるんですか!?」
一平隊士が幹部クラスの者に対して、度胸を試される様な辛辣な言葉を吐く。藤堂と山南はこの竹を割った様な性格の隊士を「無礼者!」と斬り捨てるでもなく、戦々兢々と言われた事に従っていた。
「“怪我と病には清潔と継続”!―――先生方、私、何度も同じ事を言っていますよね・・・・・・?」
佐倉がじとっとした眼で藤堂と山南を睨むと、藤堂と山南はう・うん・・・・・・としか返せなくなる。何だか郷里の母親に叱られた様で、逆らえないのだ。
「御二人には早く元気になって頂かないと!」
藤堂はん、このカンジ・・・・・と身構えるという名の萎縮をした。この後に続く台詞を藤堂は聞いた事がある様な気がする。
「私が!出動できないじゃあないですか!!」
・・・・・・やっぱり。藤堂は未だ気を抜くと重さで落下して仕舞いそうな頭をクッタリと床に突っ伏す。山南も困った様に苦笑していた。佐倉も未だ16・7。血気盛んな年頃だ。幕府の為に戦いたいと来たのに病人の世話とはそうなるのも当然だろう、と少なくとも山南は思っている。
「・・・・・・佐倉君。私達の事など気にせず、行ってきていいんだよ?」
山南としても、若いからこそ佐倉を戦線に征かせて遣りたい。其は若者を犠牲とするのではなく、若くしてもつ“情熱”は欲や保身や浮世を泳いで囚われた柵に染まっていなく、純粋に“其”のみを目的とし、真直ぐに其処に向かうから。誰よりも強く、廉潔な願い。第一線で相対する時、之程相応しい者はおろうか。
近藤・土方の若き面影が、現在の佐倉と重なって視える。
併し、佐倉にも医家の娘としての矜持と責任感があり、一旦は山南の許可に首を横に振った。
「いえ、私は沖田先生から御二人の事を任されていますし、御二人の事が心配なのは私もそうですよ?」
「総司から私達の看護を恃まれたのは、留守部隊が決る前だったからだろう?今は他の隊士もいる」
佐倉の眼が微かに煌いた。他の隊士、と謂えば五番組の隊士であるが、彼等がなかなか使えるのだ。怪我人・病人は藤堂と山南だけではないが、二人以外の患者については完全に彼等に任せてある。治療に明るい者が隊の中に存在するのだろう。その技術を吝嗇る事無く、隊士全員が即座に適切な処置を取れるようよくよく訓練されている。
「そうだよ。俺達も早く治してすぐ追い着くからさ、先に行って待っててくれよ、佐倉」
「藤堂先生・・・・・・」
藤堂の明るく言う声に、佐倉は背中を押された。この後怪我人が運ばれて来ても、五番組の隊士なら大丈夫だろうし。
「あ、でも尾形君にも一応許可を取ってくれないか。今、屯所を取り仕切っているのは五番組組頭の尾形君なんだ」
「尾形先生・・・・・・」
佐倉にとって尾形 俊太郎は余り馴染みのある幹部ではなかった。だけど沖田先生の同僚だし、山崎監察の同期だし、自分と同じ一番組に属する山野 八十八は彼と仲が良いらしい。
不思議な人だ、とは思うが不審な印象は懐かなかった。藤堂の額に巻く包帯と山南用の薬を取りに台所へ行った時、尾形が其処に居、全ての物が既に揃った状態となっている盆をぽんと渡された。親切な人だ。
「―――尾形先生。一番組の佐倉です。山南総長より、蛤御門への出動の許可を頂きました」
佐倉が出動の許可を得る為に尾形を捜した時、彼は自分の部屋に居た。しゅるっと襷を外し、袖が手首に滑り落ちる。
「―――了解った。後の看護は私がする」
ふと、佐倉は見た当初とは違う場所に―――今は尾形の手が届く位置に在る薬缶に気づく。この薬缶は元々台所に在り、その中には粉末化した薬が常備されているのだが、先程確認した時に量が可也減っていた。近い内に摩り下ろしておかねば、ああまた剣を振るう以外の仕事が増える、と嘆いていたところである。
正坐する尾形の正面には往診する医者が持ち歩く立派な薬箱が据わっている。
「如何した?―――行くといい」
尾形が振り返り、眼を眇めて佐倉を見上げる。
「はっ、はいっ!」
佐倉は暫く薬箱を見つめていたが、尾形に促され慌てて部屋を出て行く。去り際身を翻した時、自身を見上げる彼の顔が眼に入った。藤堂や山南と同じく、その表情は自身が出動するのを歓迎していたが、口の端にのみ浮べられた笑みは彼等とは違う含みをもっていた。
・・・・・・何だか、人を不安にさせる笑みだ。
(・・・・・・さすが山崎監察の同期なだけある)
佐倉は変な納得の仕方をして、出動の支度を調える。どちらかといえば山崎と同じく監察方の仕事をしていそうな感じだが、副長助勤を務めるところが何とも意外なところであった。
佐倉が合流した頃の新選組は、大垣藩より援軍要請が出され、丁度之から竹田街道へ向かうところであった。既のところで行き違っていたのである。
「佐倉さん!?」
銃弾飛び交い砂煙が巻き上がる中を、たった一人で突き進み此方へ遣って来る小柄な武士が佐倉であると知った時、沖田は面喰らった。
「何をしているんですかあなたは!屯所警備は!?」
「山南総長からの命令で出動して来たんです、沖田先生!屯所警備と傷病人の看護は、尾形先生の五番組が遣ってくれています」
しれっと事実を捻じ枉げる佐倉。いや嘘ではないけれども。
「・・・・・・?何だ・・・?」
一番組の辺りが騒がしい事に気づいた土方は、沖田が留守居役として置いて来た筈の佐倉が此処に居る事に瞠目した。
「・・・・・・・・・!!」
「あ、土方さーん!山南さんの指示で、佐倉さんが急遽出動部隊に配置という事で―――」
沖田と目が合い、土方の動揺と比ぶれば遙かに脳天気な声がすぐに聞えて来る。土方は顔に表れない様にするのに必死だった。
(尾形一人になっちまうじゃねぇか・・・・・・!)
其でも藤堂・山南が屯所には残っている為、余計な事はしないだろう。だが二人は傷病人だ。原田曰く、ハンデを負う者には勝てない。佐倉を屯所に突き返すか―――
(―――いや)
土方は思い直す事にした。佐倉に疑問を懐かれては厄介だし、佐倉がすぐに一人で戻れば尾形も何かしら不審に思うに違い無い。
―――山南さんと平助の二人で、充分牽制にはなっているさ
佐倉を加えた新選組は、約定通り会津藩兵と共に竹田街道に応援へ向かう。併し彼等が到着した時には既に大垣藩兵は長州軍の撃退に成功しており、彼等は残党の追撃に回った。追撃を終え伏見の陣地に戻った時、つい先程まで居た御所は火の手があがり、瞬く間に京都市中が灰燼に帰すどんどん焼けへと発展していった。
「くっ・・・!長州の奴等め、京一帯を焼野原にする心算か・・・・・・!」
「其だけじゃねぇぜ、近藤さん。・・・彼奴等、新選組に放火の罪をなすりつける魂胆でいやがる。壬生狼は未だ京の市民から受け容れられてねぇからな」
手の施しようも無く拡がってゆく緋い海に、新選組も行く手をどんどん塞がれてゆく。土方がふと、紫色に染まる空を見上ぐれば
「―――――」
―――・・・黒装束を着た男が、京都御所・常寧殿の屋根の上に佇んでいる。
「トシ、七条通だ」
近藤が突然口を開き、ザッ、と行動を起した。土方ははっと我に返る。
「待て、近藤さん」
土方は隊を静止させ、自身のみ近藤に追い着き彼を引き留めた。土方には近藤の意図をまだ汲み取れていない。
「何処へ行くんだ、近藤さん」
「堺町御門に行く」
近藤の力強い声が返ってくる。いつもの無邪気な笑顔はそこに無く、『誠』に武士としての生きざまを誓った新選組局長の顔であった。
「諸君!京の治安を護るのは誰か、自覚と知識が君等に有るか?大垣藩や会津藩が動かざるとも、我等新選組はこの焔を縫って丹波へ逃げる浪士を捕縛する!いいか、京の治安を護るのは、我等新選組に他ならぬのだ!!」
近藤は隊士全員に活を入れた。真実の所、長州軍は幕府の甘い方法に拠って京から追い払われて仕舞っており行く先行く先空振りに終って隊士の士気も下がっていた。其をどう遣って感じ取るのか、天性の才能というもので無意識的に良い時宜で己の情熱を好きな様に語り信奉者を増やしてゆくのが近藤なのである。
(・・・・・・敵わねぇなぁ、近藤さんには・・・)
隊規で隊士を縛りつけ、恐怖で以て封ずる事は出来ても、最初から離れる気を起さない様な魅力で相手を封ずる事は自分には出来ない。
「征くぞ!」
近藤の指揮に付き随って、一度歩みを止めた隊士達が再び歩き出す。やる気と使命感を取り戻した隊士の行進が次々と土方と擦れ違いそして、追い越してゆく。
・・・土方だけが後ろを振り向く。最後の隊士が通り過ぎ、殿となった。再び御所を見上げた時、忍の姿は夙に消えていた。
その後、新選組は長州軍主力部隊主将・福原越後こそ取り逃したものの、蛤御門近辺に潜む浪士残党を捕縛、山崎天王山で尊王派の巨魁・真木和泉を追い詰め、肥後・土佐・久留米の脱藩浪士を華と散せる。更に大坂に進出し、残党狩りを行なった。隊士が全員帰屯し屯所に通常の落ち着きが戻ったのは、禁門の変から半月程経った頃であった。
五番組隊士の留守部隊としての活躍は、土方の耳にすぐに入ってきた。
所属隊士全員に医術の心得があり、誰が欠けてもすぐ次の者が来て治療の続きをする。業があるだけなのではなく、傷病人に施した手当ての段階や現在の容態といった情報も全員が共有していたのだろう。迅速で効率の良い処置の御蔭で致死量の血を流さずに済み、辛うじて生き永らえる事が出来たと池田屋事変で重傷を負った隊士・浅野 薫が漸く口を利いた。
浅野以外の屋外に居た者達は皆、蛤御門への出動中に息を引き取った。この時は、こうなる事を予想して屯所に残しておいた葛山 武八郎と共に、全員で葬儀を行なっている。傷病人を放ってはおけないから代りばんこではあったが、虚無僧を遣っていた葛山としては非常に感激したらしい。
出動隊士も屯所へ帰って来てすぐに、殉死した同志を全員で弔った。
隊士の動きが優秀であるという評価は、通常その隊の組長と少なからず結びつくものである。何故ならば、組長はその隊の統率者であり、隊士は組長の指示に従って動くものだからである。併し、今回の五番組隊士の活躍に、組長尾形の影は全くちらついていなかった。無論、葛山などは感動して
『屹度、尾形先生の日頃の指導が生きておられるのだ』
と尾形の組長としての能力を手を合わせて讃えていたが、隊士が立ち回っている間の彼の動きに対する言及は無かった。五番組隊士は尾形の指示無しに自分の判断で仕事を果したと言うのである。
浅野なども
『五番組隊士は朝も夜も代る代る来て呉れて看病して呉れましたが、尾形さんには一度もお目見えしていません』
と言った。詰るところ、禁門の変当日の尾形の行動を知る者は在ないのである。
辛うじて佐倉が
「尾形先生って、医学を勉強してらしたんですかね?」
と、尾形に関する疑問を訊いた。
早くも始る巡回の列で、偶々山野 八十八と隣になる。一番組の巡回で、先鋒である沖田の次に並んだのが佐倉と八十八であった。京の人達の険しい視線が他の隊が巡回している時より和らいでいるであろう事を、彼等が入隊する前から隊を率いていた沖田は感じる。
「は?何でィ急に」
八十八は開けっ放しな声で返した。佐倉と八十八は特に親しいという訳でもないが、新隊士をおちょくるのが半ば趣味である八十八は佐倉に時折ちょっかいを出してくる。真面目な性格である佐倉は毎度一個一個の挙動に振り回されて疲れていたが、山崎の様なタイプだと思えば対応も少し楽になった。
「いえ、先日の変で出動する際、尾形先生に看病の方を替って頂いたんですが、随分手馴れていた様だったので。お薬も御自分で作っておられた様ですし。尾形先生と仲の良い山野さんなら何か御存知なのかと思って」
八十八はきょとんとした顔になった。・・・沖田は其と無く耳を欹てる。
んー・・・?と八十八は首を傾げ、顎を摩る。だが程無く納得した様に口角を上げると、艶のある切れ長の一重で佐倉を流し見た。
「・・・ははぁーん、そうか。そういやお前、医者の娘だったもんなァ。道理で手際なんて判ると思った」
佐倉はドキリと心臓が胸から飛び出そうになる。八十八の色気にあてられたからではない。佐倉の事情を知る沖田もこの時は顔が引きつった。八十八に顔を見られずに済んで本当に良かったと思う。
「何でィ。そんな怒らなくたっていいだろー。いつもの戯言だァ戯言」
あからさまに顔色の悪い佐倉に、八十八は理不尽にも自分が脹れる。如何やら、娘とからかわれて機嫌を損ねたと思っているらしい。
「い・・・いえ!嫌だなぁ、怒ってなんかいませんよ!・・・只、山野さんに言われるのは心外というか何というか・・・」
佐倉は慌てて首を振った。確かに佐倉はその娘の様な貌に触れられるとキレる、というのが新選組全体での暗黙の了解であるが、八十八に限っては佐倉から見ても性別を間違えて生れてきたのではないかと思うくらい生粋の女男であるので、痛くも痒くもない。寧ろ、助かっている。
併し、八十八にとっての佐倉はそういう相手ではなかったらしく、この発言が諸に彼の地雷を踏んで仕舞った様で
「・・・・・・あ?」
・・・・・・限り無く本気に近いお怒りの声が返って来て、佐倉は・・・あ、墓穴掘った。と思った。この世は斯くも不条理なものかな。
「・・・・・・佐倉ァ」
・・・こう、報復の仕方も武士らしくなくねちねちしているのも、与えられた性別を間違っている証だと思う。斬られても困るが。
「・・・お前、いっつもさらし巻いてるよなァ」
ドキッ、と佐倉は背筋を強張らせた。・・・まさか、山野に見られていたとは。自身は自身が思っている以上に無防備な人間らしい。
「・・・其に、着替えは一人どっか他所で済ませて来るし。・・・風呂も、夜中に一人でこっそり入ってたりするよなァ」
佐倉は全身から大量に汗が噴き出すのを感じた。てか何で見てんだよ。其にしてもこの八十八、いつに無く愉しそうである。
「・・・俺は馬越と武田の観柳さんが起した空前の男色流行の影響で未だ背後に気をつける毎日を送っているというのに・・・良い身分だなァお前は・・・・・・」
・・・・・・詰りは、佐倉自身が如何こうではなく佐倉が居ない事で集中砲火を浴びせられている事を言いたいらしい。
「・・・・・・其とも、その胸にゃ本当に何か詰っていたり?」
な・・・・・・! 佐倉は顔を真赤にする。八十八にすれば之もからかいの一環なのだが、立場違えば深刻な問題である。
「何言ってんですか!!いい加減にしないと斬りますよ!!」
「斬らなくても胸を晒しゃいいだけの話でィ。その方が隊規違反で切腹にならずに済む。其とも?俺ァ何か触れちゃァいけねェものに触れちまったかい?」
「隊務に集中なさい。佐倉さん、山野さん」
沖田が遂に止めに入り、事態は漸く収束する。
「・・・済みません、沖田先生」
佐倉は即座に小さな声で謝る。
八十八はハァイ、と軽い返事をしつつ暫く佐倉を見下ろしてにやにや微笑っていたが、その中にフ・・・と表情が消えた瞬間があった。
「・・・・・・」
・・・沖田は後眼でそんな八十八の醒めた表情を視ていた。そして、はぁ、と溜息を吐く。
尾形についての情報を得ようとしていたのに、いつの間にか話がはぐらかされ佐倉の方が核心に迫られている。
(やはり・・・佐倉さんは隊から外した方が良さそうだなぁ・・・。土方さんに今度は強くお願いしよう)
「―――御苦労だった、山崎君」
―――・・・フゥ、と土方は煙管を口から離し、息を吐いた。寛ぐ土方の前には、面を下げて副長の言葉を待つ山崎の姿がある。
「・・・其にしても、長州もよく遣るもんだな。米英仏蘭と闘り合った後に幕府と戦って、敗けても猶残党が京に隠れていやがるとは・・・―――残る巨頭は桂 小五郎、出来る限り早く奴を見つけ出してくれ」
「は」
山崎は顔を伏せた侭短く答える。
―――いつもであれば、この後に「・・・では、行っていい」と言葉が続き、助勤職よりも労働時間が長いであろう隊務から解放されるのだが、今回はいつ迄経ってもその退勤の徴が訪れる事は無かった。・・・不審に思い、山崎は上眼遣いで土方の顔色を偸み見る。
「・・・・・・」
・・・土方は煙管を口に銜えた侭、何やら物思いに耽っている様だった。山崎がまだ退室していない事にも気づかず。だが
「山崎君」
土方が名前を呼んだのちゆっくりと視線を自分に当てた事から、山崎は自分の隊務がまだ終っていない事を理解した。
「・・・は。何でしょう、副長」
「蛤御門の変の際、天王山で出動部隊と合流する前、君は御所の屋根から監察していたか?」
―――土方の問いに、山崎は少し眼を大きくした。だがすぐに平静な表情に戻り
「―――いえ」
と、答える。
「御所周辺には島田はんが居りましたが」
―――違う。土方は監察方がそう言っているにも拘らず首を横に振った。・・・あれは島田の容貌ではない。
蛤御門で見た忍は横には其程大きくなく、監察方の中では山崎が最も体格が近かった。山崎よりは若干背は低かったかも知れないが。
「・・・なら、君は何処に居た」
「六角獄舎に居りました」
「六角獄舎・・・・・・?」
土方は眉をひそめて、敵を責める様な眼で山崎を睨んだ。
六角獄舎は池田屋事変の折に捕縛した古高 俊太郎他、安政の大獄でも捕えられた尊攘派志士を収容した監獄であり、正式な名を三条新地牢屋敷と云う。禁門の変に伴って生じたどんどん焼けで火の手が獄舎に及びそうになった時、火災に乗じて志士達が脱走する可能性を懼れた官吏が囚人を全て斬首して仕舞ったという悲劇の起った舞台である。古高もこの際、他の囚人と共に斬罪された。
「何でそんな処に」
「山南総長と藤堂はんが獄舎に向かったと連絡を受けたので。御二人はまだ体調に難有り。倒れられた時の為に守り役として影からついて行きました」
大人しく屯所で寝てろよ病人共・・・・・・!土方は自分が寝込みたい位だった。一応軍事組織なのに如何してこうもちいちいぱっぱなんだ新選組は・・・・・・!
「・・・・・・其は、五番組組長尾形からの恃みか」
「はい」
「その連絡は何処で?」
「俺が一時帰屯した時です。時宜が時宜らしく、山南総長と藤堂はんは既に出られており、尾形はんだけが部屋には居られました。自分は屯所を守らなければならないから、どうか崎さん、行ってきてくれないか・・・と」
「―――其で、アイツは屯所に残ったと?」
「その様で」
「・・・はっ」
土方は鼻で嗤った。そのくせ、誰も尾形の姿を見ていないときている。尾形を今此処へ連れて来て問い詰めてもよいのだが、いまいちその踏ん切りがつかないのは、御所を俯瞰していた忍の正体を断言できないからか。
「次の組織編制では、尾形を助勤職から降ろそうと思っている」
―――氷の如く冷たく張った声色の御蔭で、小声でも充分に届く程響いた。山崎は顔を上げ、土方の冷酷な笑みを見据えた。
「―――代りに、君と同じ諸士取調兼監察の職を与えようと思う。・・・・・・アイツをよく見ておく様に」
・・・・・・了解りました。山崎は再び頭を下げる。尾形が何をしでかしたのかは知らぬが、土方副長も粋狂な。
この鬼副長は、裏切った隊士の掃討を対象の同期や同僚にさせるのが好きなのである。・・・恐らく、見せしめになるからであろうが。
だが、自身と尾形は入隊して直後に副長助勤の座を自身の手で獲得した、新選組非試衛館派切っての実力者である。尾形が其を受ける様な愚かしい行為に出るとは思い難いし、実際に衝突すればどちらが討たれるか判らない。若しかすれば周囲を捲き込む大規模な事態に発展するかも知れない。
(厄介やな・・・・・・)
・・・山崎は土方の部屋を出た後、月明りの下で密かに嘆息した。