十九. 1868年、宇都宮
1868年、宇都宮
「如何いう事です、勝どの・・・・・・!」
慶応4年4月11日(1868年5月3日)、江戸城無血開城。
土方は遂に爆発し、勝 海舟の許へ乗り込んだ。今や土方にとって、勝という男は最も怨みある相手と言って相違無かった。江戸城明渡しの件だけではない。近藤の処刑は粗決定事項となり、勝の意向を認めた書簡を届けに行かせた相馬 主計も新政府軍に捕えられ幽閉の身となっている。勝に必死に頭を下げて良い返事ばかり貰っているのに、全く以て結果はうまく運ばない。うまくいかないのなら仕方が無いと思う。併し、新政府軍の代表である西郷 隆盛と幾度にも亘って対等に会談し、ある程度の信用や影響力を与えている幕臣でありながらこの有様は一体何か。うまくいかないのではない。まるで新選組の動きや願いが筒抜けであるかの様に、勝と関ってから、破滅の道筋を歩んでいる。
土方は、勝を疑い始めていた。
「如何いう事ってのは、何だよ?土方君」
勝は幕臣らしくない闊達さで土方の訴えに耳を傾けた。とはいえ、勝は論を語る人間である為、只問い詰めても話をはぐらかされたり摩り替えられて論の穴を指摘されたりして終りだ。故に土方は、江戸開城の不満から話を始め、勝の弁を聞いてから彼にとっての本題に向かって話を方向づける事とした。
「刻は一刻を争った。抗戦派を説得する余裕は無かったのさ。悪かったなぁとは思っているよ」
勝は意外にもあっさりと白状し、軽い口調で謝った。江戸城無血開城実現の為に、過激な主戦派である新選組を江戸から遠ざける意味合いで甲州鎮撫を命じた事。更に、新選組の戦力を弱体化させる為に江戸残留組・流山組・会津組の三隊に分割させた事。だがそんな事は大した問題ではない。聞かずとも導き出している答えだ。知りたいのは、その先だった。
「―――江戸城は確かに無傷で開き、城下が戦禍や流血から免れた。併し、新政府は今も北へ北へと進軍し、武力行使の手を緩めない。無事だったのは江戸城下だけだ!・・・勝さん、俺ぁ、まどろっこしい事ぁ嫌いだ。単刀直入に訊かせて貰う。あんた、西郷と何か取引をしたんじゃないか。江戸に危害を加えない代りに、旧幕府の重要機密を、新政府側に売ったんじゃないか!」
土方はこの時点で、村上 三郎と合流して近藤が御陵衛士残党と接触したという情報を入手していた。叉、村上が報告に来た事実そのものが既に判断材料となっている。新選組の行方を執拗く追う新政府の組織・赤報隊。新政府の頭領はというと、紛う事無き勝と会談を重ねた西郷 隆盛なのである。
・・・勝は土方の言いたい事が解ったらしく、・・・ストップ。と土方の耳慣れない英語で言った。
「―――其は例えば、流山に出陣している鎮撫隊の頭領・大久保 大和が実は新選組局長・近藤 勇であるという事をかい?」
・・・・・・勝も回りくどい話は好きではない。江戸っ子の特徴だ。
「・・・なるほど、お前を軍参謀に選んでよかったよ。よく切れるというか、鼻が利くね。だが俺は言い訳の材料(論)をいっぱい持っているのさ。其に対して、お前は俺が機密を流したなんて証拠を一個も挙げられないだろう?お前の俺への喋らせ方はとても巧かったよ。御蔭で、お前の俺に対する疑念を消す為の材料(論)は無くなっちまった。が、万人はお前の論で納得するかい?
―――論よりも大切な事を教えてあげるよ、土方。其は、論が要らなくなる位にその都度証拠を綿密に造り上げておく事さ。
論より証拠。多数決に依る意思決定。近い将来、そんな世が来るよ」
「失礼します、土方副長」
―――土方が江戸での潜伏先としている幕臣の秋月 種樹宅に、島田 魁が辿り着いた。同日夜の事であった。
「・・・・・・遅かったな、島田」
土方は夜半であるのに軍服を身に着け、打粉で叩いて刀の手入れをしている。上拭い紙で峰を拭うと、入って来た島田を見遣った。
「すいません、副長・・・少し・・・会津の山口の隊に会っておりまして・・・・」
島田は憔悴し切った表情で言った。・・・土方はぐ,っと顔を歪ませる。島田が遅れた事情を勿論、土方は理解している。
『新選組伍長の島田 魁だ!会津新選組隊長・山口 二郎と―――・・・誰か、手当ての出来る者はおらんかっ!?』
島田は単身、福良(福島県郡山市)の新選組病院に乗り込んだ。彼の歩いた跡に点々と玉が散っている。
本来ならば此処に居ない筈の島田の切羽詰った声に、八十八が真先に廊下を駆け抜けて来た。彼は此処でも傷病人の看護に当っているらしい。
山口も島田の指名を受け、奥の部屋から速歩で出て来た。此処では新選組を名乗っているので、一瀬は一時的に変名を『山口 二郎』に戻している。
『力さん・・・・・・!?』
『八公・・・・・・』
・・・島田の声が震える。島田の着物の腰を朱く彩色する手が、ぶらぶらと彼の肩から力無くぶら下がっている。緋を含んで束になって固まっている髪が、島田の頬に触れていた。背負っているものを下ろすと、紅い肉体が滑り落ち、島田がその肩をがっちりと支えた。
『尾形さん――――・・・・・・』
山口が嘆息の混じった声で呟いた。
『俊・・・お前、何があったんでィ・・・・確りしろよ・・・・・・!』
八十八が崩れる様に膝を床に着き、にじり寄って尾形の肩を揺らす。だが尾形は目を閉じた侭、ゆっくりと頭を八十八の腕に傾けた。
『動けなくなったら仕舞いだろうがよ・・・・・・ッ!!』
「・・・・・・御陵衛士だな・・・・・・」
・・・・・・土方は唇を噛み締めて唸った。噛み締めすぎて、プツッと唇が切れ、ツー・・・と血が流れる。
「脱走して行方が判らんかった清原 清の死体が俊の近くに転がっとりました。御陵衛士との繋がりを持った別の者に奇襲を受けたのかも知れません・・・・・・」
「清原・・・・・・っ!」
土方は堪え切れず、島田の上に被せる様に憾みの籠った声で叫んだ。刀を握る手がカタカタと震えている。
この清原 清が竹川 直枝と名を変え、赤報隊のメンバーとして動いていたという事実を土方は知る由も無い。
「・・・・・・アイツの容体は」
・・・・・・頭を冷す時間を作り、暫しの間黙った後、落ち着けた声で訊いた。この時土方は、己の感覚を不思議だとふと想う。
「血の量がとにかく・・・・・。幸い、銃で撃たれてはおらん様ですが、あちこちを斬られとって・・・・・・右腕とか」
背中も、とは島田の口からは言えなかった。
尾形が己の腹に短刀を突き立てようとするのを止めたのは島田であった。腕を掴むと殺気を断ち、彼はドサリと重い音を立てて倒れた。あの男は切腹をしようとしていたに違い無い。後ろ傷をつくれば切腹と、隊規を頭ではなくその身体に刻み込ませている。
隊規を遵守しようとした尾形は正しい。併し、島田は反射的に其を止めて仕舞った。
「―――意識は」
「・・・・・・まだ・・・戻っておらんのです」
「そうか」
・・・・・・不思議なものだ。いつの間にか、尾形が新選組に戻って来る事を前提として考えている。まだ疑いのあった頃も数えれば、尾形は可也初期に近い段階から土方と同じ仕事に携ってきた。彼が初めて大きな事件に携ったのは八月十八日の政変。だが、芹沢 鴨暗殺まで、その政変も含めて彼はまるで空気であった。あの頃こそ彼は近藤派の暗黒面に関っていなかったであろうが、其からは―――あの男の存在は良くも悪くも土方の薬味となっていたのだ。
―――山崎や近藤が戦線から離脱した時に感じた衝撃は無い。・・・・・・併し。
「アイツは・・・・・・今回はいないんだな」
・・・其でも土方は次に進まざるを得ない。土方は勝に苦汁を飲まされた後、大鳥 圭介を軍総監とした隊に軍参謀として参加し、日光へ向かうよう指示を受けている。靖兵隊の永倉も今回は一緒だ。土方はこの時、陸軍精鋭部隊総督としての扱いを受けており、名実共に新選組副長では最早なくなっていた。彼は之を機に、新選組本隊とは行動を別にした格の違う存在となってゆく。
「・・・島田。俺ぁ、五更には秋月さんと一緒にこの宅を出て―――・・・日光廟(東照宮)へ向かう。とはいっても、新政府のヤツらは宇都宮に向かっているらしいから其処で軍事衝突があるだろう。最新鋭の仏蘭西式武器を取り揃えた軍隊を旧幕府は用意している。・・・・・・今回は・・・絶対敗けねえ」
「軍隊を」と言われ、じゃあ新選組は如何なるのかと島田は思った。新選組の事が忘れられている。同志は、と訴えそうになったが、土方自身の顔が一番悲しそうだったのでやめた。一隊の事のみではなく幕軍全体の事を考える―――・・・其が、見廻組肝煎格という地位を与えられた、幕臣として土方が課された義務であった。
其に、今回は近藤の仇討ちとも謂えるのだ。
宇都宮城を目指す新政府兵は板橋から北上する大総督府東山道隊。指揮官は大軍監香川 敬三と参謀有馬 藤太。流山で近藤を捕えた者達だ。何としても戦いたい。
「―――この戦いが終ったら、会津にゆく」
・・・・・・土方は、長年還っていない故郷の家族を懐かしむ様な表情を浮べて言った。声には断固とした決意が籠められている。
「・・・・・・近藤さんから、凸凹三人組の事を恃まれている」
土方は居住いを正して、坐高の高い島田の眼を真直ぐに見上げる。・・・島田は口をへの字に結んだ。確実に墜ちている。自分達はどんどん悪い方向へ進んでいる。正義とは程遠い処に来て仕舞った。なのに如何して、こんなに胸打たれ、美しさを感じるのだろう。
「だから・・・お前に、この戦いについて来て欲しい」
土方は島田に真直ぐな声で言った。・・・島田は額を床に着けて、深く礼をした。鼻柱に水分が溜る。声が潤んだ。
「喜んで・・・・・・!」
その日の内に島田は、土方守衛隊を組織する。この守衛隊には、本作で前述した叉有名なところでは蟻通 勘吾や市村 鉄之助がおり、後に山野 八十八も加わる事となる。
―――慶応4年4月25日(1868年5月17日)。近藤、板橋にて斬首。併し、彼の死を見葬った新選組隊士は在なかったと云う。
・・・山口 二郎と尾形は、会津。
土方と島田 魁は、宇都宮から今市(現・日光市)に下っていた。之から更に北へ下り、会津へ向かう。
「・・・・・・っ、島田っ」
土方が、癇が昂った様に神経質な声で島田に怒鳴る。全身に汗をびっしょり掻いていた。顔色も良くない。全く以て良くなかった。
「暴れんでください、副長っ。その傷じゃ戦えません」
「下ろせ。まだ俺は会津へ下る訳にはいかん!」
「歩く事すら出来ん状態でしょうが!」
・・・土方はいつに無く熱り立っていた。彼にとってこの局面は、冷静さを保っているべき場合ではないのかも知れない。
島田の肩を掴み、指に力を籠めるが指先が白く震えるばかりで、全く力が入らなかった。
今怒らずしていつ怒る。
今日が近藤の命日になる。目の前には近藤を死に追い遣った仇敵がいる。この宇都宮城の戦いに勝つ事こそが、死に際さえも看取れない、遺体さえも引き取れない、葬式さえも挙げられない近藤に対する弔いである筈だった。
実力で勝てなかったのならまだいい。併し違う。土方の指揮で陥落させた宇都宮城を、土方が指揮をやめた途端(詰り、本隊である大鳥 圭介の軍と合流し、総指揮を大鳥に譲った途端。土方は別働隊の指揮官であった)宿敵・香川に奪い返されるという事情があったのだ。
『遣る気が有るのか!てめぇら!!』
・・・・・・土方にしてみれば、そういう心持になる。
大鳥側にも無論、事情はある。一般に作品で見られる土方と大鳥の不仲説は、恐らくこの戦いから由来しているのだろう。戦闘慣れし厳しい姿勢で臨む土方と、実戦よりは文官肌で常に笑顔を失わない大鳥。この対照性が引き立つのは明治2年(1869年)の箱館戦争時になるが、本作では箱館戦争まで書かぬ為、大鳥については之以上触れない。
ザッ・・・
―――土方は、宇都宮城下を燃え尽す焔を部下に引き連れて遣って来たのだと云う。
『・・・・・・』
宇都宮城下の火焔は夜通し消える事無く燃やし続けられた。焔はどんどん燃え拡がって宿場町や寺院、明神山に鎮座する二荒山神社をも呑み込んでいった。更には、民衆さえ流れ弾に当って死す程に銃弾が宇都宮の城下を降り注いだ。
『・・・・・・そんなヌルい覚悟でよく戦闘に参加するなんざ言い出せたもんだな』
・・・・・・抑々、この宇都宮が何故戦場となったのか。ええじゃないかや世直し一揆を起し、宇都宮で暴走する農民集団を鎮撫する為―――・・・新政府軍の大総督府東山道隊が派遣されて来たという背景が在る。片や旧幕府軍は徳川幕府の創設者・徳川 家康の御加護の下、新政府軍と決戦を果す心算で進軍し、宇都宮で出合った。言わば、旧幕府軍から仕掛けた戦争と考えていい。民衆を捲き込んだこの戦争は、酸鼻を極めたと言えば確かにそうかも知れない。
併し之も、土方にとってみれば
『逃げる位だったら最初から闘おうなんざ思うんじゃねえ!』
土方は元が農民出身だ。だからこそ安易に民衆運動“ブーム”に乗せられる同族に容赦が無い。農民が戦火に捲き込まれて死のうが、其は本人が望んだ事として受け止める。
『・・・おい』
・・・土方が、コッ、コッ、と軍靴を鳴らし、戦列からこっそり外れようとする自軍の兵の背に迫った。
『ひ・・・っ、ひい・・・・・・!!』
兵士は地獄の焔を纏って此方へ来る土方の禍々しさに、引きつった声しか出ない。腰が砕け、這う様な姿勢で自身から離れようとする兵士の前に回り込み、土方はしゃがんで互いの鼻先が触れそうな位に顔を近づけた。
『お前―――・・・何をしようとしていた?』
・・・―――土方の瞳の奥に点火の光が宿ったのを、この兵士は見た様な気がした。
ザシュッ!!
―――血の筋が一本、空中で弧を描き、続いてその弧に高さを合わせる様に大量の血が跳ね上がるのを島田は極々普通の視線で見た。屍は首が先に新規兵の固まり押し競饅頭する地面へぽぉんと飛んで往き、後に緋い膜を覆った塊が横倒しになった。
ドサ
・・・・・・ゆらり,と、土方が刀を鞘から抜いた侭立ち上がる。血も屍もまだ見慣れていない無頼の徒共の固まりに刀を向け、一歩、二歩と近づく。彼等の傍に転がっている屍の首を刀の先で指し、・・・よく見ろ。と言った。
『―――敵を前に不様な姿を晒した奴は誰でもこうなる。よく覚えておけ』
・・・兵達は怯えて二・三歩と後ずさった。併し背を見せれば即座に斬られる。敵は味方の中にこそ在り、とこの時彼等は想ったのかも知れない。
軈て永倉等後発隊が到着し、旧幕府軍の兵力は更に膨れ上がる。先述した通り大鳥 圭介の本軍とも合流し、指揮を大鳥に預ける事になるが、新政府軍を更に追い詰めんと壬生(栃木県下都賀郡)に向かって兵を進める。一方で、新政府軍は宇都宮城を奪還せしと壬生方面から兵を進めていた。両軍は滝谷で衝突し、一進一退の攻防戦となる。
土方は宇都宮城に残り、西門に当る松ヶ峰門の守備に回っていた。大鳥に指揮が代って新政府軍に押され始めたその時、壬生城を後発した兵が城の南側から攻めて来た。その中には有馬 藤太の姿も。
『――――』
・・・土方は銃を構え、有馬に照準を合わせる。有馬は城南から攻める軍の前線指揮を執っていた。之は偶然であり、怨恨から土方が狙ったのではない。指揮官を撃てば兵は総崩れとなる事を、彼は嫌という程理解している。
一方で、有馬の方は土方の存在に未だ気づいていない様だった。前線で戦っている永倉の靖兵隊に気を取られている事と、土方の立つ処は位置的にもう少し先へ踏み込まねば視えない死角となっている。その代り、土方が有馬を撃つには、銃の構造上その死角から出る必要があった。
『・・・・・・』
土方は照準を有馬に宛てた侭、射撃体勢を一切変えなかった。門を背にして仁王立ちし、銃を目線より少し下に構えている。
―――有馬の軍が死角を抜けて踏み込んで来た。
『―――!内藤―――・・・』
有馬が土方に気づき、眼を見開く。土方は有馬を鹿でも猟る様な眼で視ていた。
―――ドンッ!!
―――有馬が身体を仰け反る様にして倒れた。直後に再び銃声がし、今度は土方が倒れる番であった。土方が撃った事に気づいた新政府兵が銃を発砲し、土方の脚を撃ち貫く。
『―――土方さんっっ!!』
永倉が叫ぶ。更なる銃声がその後に続いた。弾道は真直ぐ土方に向かい、魔弾は彼の心臓に伸びる。
『・・・――――』
『―――副長!!』
門の上空から巨体が降って来て、土方に覆い被さる。銃弾は土方の肩を掠った。地面に背中をぶつける。体温を感じて、土方ははっと我に返った。
『お・・・おいっ。島田。島田っ!?』
山崎の時を思い出し、土方は気を動転させる。だが島田はのっそりと起き上がって
『大丈夫ですか!副長!』
と、耳が痛くなる程の大声で尋ねた。
『お前は・・・怪我は!?』
・・・門の外でも島田は戦っていた筈なのに、撃たれるどころか、掠り傷一つ負っていなかった。
『元祖監察を甘く見んでください。之でも崎より早い時期から監察方におったんです』
島田は得意顔を決めると、すぐさま土方を背負って立ち上がる。
『な・・・っ。島田っ?』
『―――にしては、身体が重くなってる様に見えたけどなぁ。なぁ土方さんっ』
―――永倉が彼等の前に立ち、白兵で敵を斃して道をつくる。
『新八・・・・・・?』
『そうか?最近汁粉食っていないんだが』
島田も、尾形や山崎が持っていたのと同じ様に監察の持つ暗器を胸元から取り出すと、敵に向かって投げつける。戦輪が敵の戦列を浮遊し翻弄している隙に、その脇を俊敏な速さで駆け抜けてゆく。
『おい、俟てっ!島田っ!』
土方が島田の肩を叩く。小さい永倉が更に小さくなってゆく。新八・・・・・・! 土方が掠れる程に大きな声で叫ぶ。永倉は刀でバイバイと手を振り
『力さーん!土方さんを恃んだぞ!』
と、飽く迄調子のいい口調で言った。そして、ぽかんとした表情で自身を見つめる土方と目を合わせ
『土方さん!またな!』
―――5年前(あの頃)と変らぬ笑顔で見送った。
『――――っ・・・・・・!』
・・・っ・・・。土方は歯を食い縛り、島田の背に頭を押しつけた。
「新八が・・・まだ戦っている」
「他人の事より自分の心配をしてください!副長が此処で斃れでもしたら、新選組は路頭に迷う事になるんだ!!」
島田も今回ばかりは引く訳にはいかなかった。局長が裁かれ、幹部が誰も在ない中で、副長を御する事が出来るのは最早最古株の自分だけだ。長の事をも監察し、是正できなければ隊は破滅を齎す、という信念を彼は固く持っている。
「・・・会津に着いたら、すぐに新選組を再編制してください。副長」
「・・・島田」
「守備がてら小耳に挟んだんです。新政府はこの戦いを口実に此の侭会津に攻め込む心算でおる。会津には俊や山口といった幹部もおるし、まず同志がおります。伝習隊のヤツらと違って、新選組には覚悟もある。其に、会津は宇都宮とは違って絶対に奪られる訳にはいかん幕府の最後の砦です。会津藩から新選組は始った様なもんなのでしょう。帰りましょう。帰って新選組が守るんです。新選組の・・・生家を」
島田は回帰していた。彼の監察能力は4年越しでも衰えていない。今となっては、彼が最も現況に対して冷静と言えた。
そこが島田の不思議なところでもあり、情に篤く斟酌する性質であるのに、其等に流されたりそこにとどまったりする事は無い。
自身を構成する一本徹った軸を折られても壊れない柔軟性と強さを持っていた。併し、其は最終的に情に還元されるのがよくわからないところでもある。
「新選組の―――生家・・・・・・」
・・・土方は、虚ろな声で呟いた。
斯くして、彼等は激戦地となる会津へ旅立つ。そして次の章こそが、長きに亘って続いたこの物語の最終章―――・・・新選組の本当の参謀・尾形 俊太郎との真の別離となる。




