表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/22

十四. 1868年、鳥羽・伏見

1868年、鳥羽・伏見


土方を指揮官とした本陣が伏見奉行所に留まり続ける中、新選組は水面下で休まず櫂を漕いでいた。尾形が帰隊して2日後の慶応3年12月20日(1868年1月14日)、近藤の隊は大坂へと下った。20人前後の隊で、沖田、佐倉に、八十八等沖田隊の隊士と山崎等が護衛として共に下った。彼等は来たる戦には参加できない隊士達であった。併し、山崎だけは近藤の隊を大坂まで送り届けた後、戦が始る前に伏見に戻って来ている。


其に並行して。


島田は茶屋に寄った。出入口の腰掛けに座ると凸凹三人組恒例の汁粉を注文し、ずりずりと掻き込む。ものの1、2分で平らげた後

「婆さん、おかわり!」

と、店内に入ったばかりの婆さんを追いかける。

「あら、お早い」

「そうか?其より婆さん、この汁粉ちょっと甘味が足りないな。なんかさらさらしてるし。砂糖を足したがいいんじゃないのか?」

「そりゃ、あんさんの味覚がおかしいんよ。汁粉ってのは普通さらさらしてるもんやし」

そうかなぁ。島田が不思議そうな顔をして新しい椀を受け取る。不思議なのはお前の味覚だ。あと視覚もおかしいかも知れない。

「そんなんやからこんなお腹出てるんちゃうの?」

「そんなに出てるか?俺の腹・・・」

婆さんとそんな取り留めの無い話を偶にしながら冬の風に吹かれて汁粉を食していると、この茶屋に別の客が立ち寄った。

「貴方が・・・新選組の島田 魁殿ですか?」

「!では、貴殿が新徴組の早川 文太郎殿・・・・・・!」

ささ、お座りなせ。島田は早川という男を隣に座らせると、婆さんに汁粉を注文した。ちゃんと砂糖多めにな!と言い添えて。

二人は今回が初対面だが、新選組と新徴組は浪士組時代から交流が続いている。新徴組は沖田の義兄・林太郎が所属する隊であり、現在は江戸で活動している組織だ。

早川は新徴組で裏の仕事を担っている男であった。具体的な役職は記録に残っていない。新選組でいう監察方と似た立ち位置の様だ。早川は尾形の事を知っているらしく

「之を・・・尾形殿に恃みます」

と、言って一通の書状を渡した。早川は之を渡す為にこの茶屋に来たのだ。

「・・・・・・確かに」

島田は両手で受け取って、すぐさま懐に納める。島田は之を受け取る為にこの茶屋に寄った。島田も初期は監察をしていたのだ。

「近藤殿が撃たれたそうで・・・」

其から二人は汁粉を啜りながら、手短に近況について語った。新徴組側は近藤と沖田の事を非常に心配しており、殆どは彼等の容体と京の情勢といった新選組側の話に従事した。

軈て其と無く二人が別れようとした時

「書状にも書いておりますが、江戸は大変な事になっております」

・・・と、早川がさり気無く小声で言った。

「薩摩が佐幕の藩や組織を、片っ端から襲撃するのです。新徴組(われら)の屯所も襲われました。新徴組を召し抱えの庄内藩は反撃を始め、江戸はもう戦争状態です。之が京に飛び火すれば―――嘗て無い程の死人が出るでしょう」



薩摩のこの行動が、旧幕府との戦争の大義名分を手に入れる為の挑発行為である事を、早川からの文を読めばすぐに理解できた。



「―――俊」

・・・・・・島田が尾形に書状を渡す。実はこの遣り取りは、可也前から変っていない。副長土方から正体を隠して近藤の命令で動いていた頃から、この遣り方は続いている。

・・・・・・尾形は書状を受け取った。胸倉に挿み、すぐに島田の傍から離れる。彼の正体を知った者しか場処さえ知らぬ土の蔵へ、闇に紛れて消えて往った。



翌12月29日、新選組、平隊士・小幡 三郎を薩摩藩邸に潜入させる。其に伴い、尾形・吉村等監察方も動き始めた。

彼等は各々の地区へと散り、その範囲は現在の京都市の右京区・北区・左京区以外の領域に当る。新選組本陣の在る伏見区は、尾形と吉村の監察歴の長い二人が揃って残った。尾形が今回任命された目付は、監察方の纏め役を兼ね、次なる動きの指示を隊士に与えると共に、情報を整理し本陣に伝える役目を担う。謂わば、土方が独りで抱えていた仕事の一部を引き継いだ形となる。そして開戦してからは他の監察同様に戦闘中の隊の監察に当り、隊長の補佐や応援の要請等を行なう手筈であった。


併し、年明けて、慶応4年1月3日。巨大な津波が呑み込む様に彼等を取り巻く事態は一変した。

先陣を切っていただけに監察は真面(まとも)に波を受けて仕舞う事になる。


「尾形先生!」

吉村が忍の様な軽やかさで尾形の許へ着地する。声は険しいが流石に無差別に聞き取られぬよう気を配っている。監察という役職に相応しい人間も、山崎が抜けてからはこの男位しか在なくなって仕舞った。

尾形が身を翻し、すぐ吉村に耳を貸す。吉村は尾形の耳元に口を近づけ、言い終えると顔を上げた。尾形は無表情で黙っている。

“薩摩藩邸に居る小幡君が危険な状況です”

吉村が尾形の指示を俟つ。併し、重ねた年齢分の狡猾さを持たないこの監察は、助けたいという想いを、纏う空気が隠せずにいる。

尾形の許には、報告の為に戻って来るべき監察が吉村を除いて誰も戻って来ていない。脱走か事変に捲き込まれたか。どちらの可能性も大いにあったが、後者の色が濃厚になってくる。

「・・・・・・貫さんは、本陣に戻って土方副長に伝えてくれ。一,既に伏見は新政府軍に包囲されている可能性あり、二,貴方が目撃した小幡さんの状況、を」

「え・・・・・?」

一見何の脈絡も無い様な指示に、吉村は戸惑の色を見せた。だがこの男は頭の回転が速く

「・・・・・・!まさか、他の監察も・・・・・・!?」

「状況は知らぬ。只、伏見(こちら)には(たれ)も戻ってはいない」

尾形は鈍器の様な声で返す。この男は頭の良い仲間に対しては凶器の様な対応をする。そして、必要以上に語らない。

この男に限っては、敵対し、葛藤の多かった時期の方がまだ態度が柔かいのだ。

だが其だけに、仕事の進みが今の方が桁違いに速い。其は吉村の本来もつ仕事の速さに准じていた。

「小幡さんの許へは私が行く。貫さんも、報告を終え次第薩摩藩邸に来てくれ」

「承知しました」

尾形と吉村は両者とも、次の瞬間には今居た場処から消えていた。吉村が新選組本陣と合流するのはこの刻が最後となった。


「く・・・・・・っ!」

―――斯くして、尾形の読みは中った。新政府軍は既に伏見を包囲していた。伏見の上、南区に該当する地域は村上 清の担当区分だ。新政府軍は鉄砲を持っている。そして皆洋装であった。方針が旧式で洋服の一着も配給されていない旧幕府の兵士は嫌でも目立った。弾は数撃てば必ず中る。村上は被弾し、物陰にからがら息を潜めたものの、身動きが取れなくなった。

歴然とした武器の違い。一方的に狩りの標的とされている心地の悪ささえ感じる。兵の数は予測していたよりもずっと少ない。この戦いの後の為に兵をどれだけ温存しているのかと思うとゾッとした。


下京(しもぎょう)区・東山区を探索していた安藤 勇次郎も全く同じだ。大きさがビー玉にも満たない弾一つが骨をグサグサに砕く。強力な武器を持つ新政府の兵は周囲を見渡す余裕すら出ている様であった。・・・・・・この状態では、伏見に戻る事は出来ない。



「ーーー・・・ーーーー・・・」

「ーー・・・ーーーーー・・・・・」

伏見薩摩藩邸。平隊士・小幡 三郎を潜入させている藩邸である。藩邸は一見、平穏な筈はなくも通常と変らぬ営業をしている。藩兵が二人、門の夫々両端に立っているのもいつもと変らない。

「・・・・・・」

尾形は耳を澄まして、藩兵の会話を偸み聴く。彼等は薩摩言葉で話していた。注意深く聴いてみると、喋り方がどこか滑らかでない。眼を凝らして視ると、槍を持つ手がガクガクと震えていた。

「尾形先生」

吉村が尾形の潜む樹上へ遣って来る。囮が、と吉村は先程別れる前に尾形に説明していた。

『得体の知れない者の掃き溜めになっているので、薩摩藩邸を囮とし、旧幕府兵を誘き出そうと企んでいる様です』

伏見薩摩藩邸には御陵衛士の残党もいる。小幡は伊東脱退後に入隊の隊士であるから元衛士との確執は無いが、新選組とは思わなくも薩摩は薄々幕府のにおいを感じ取っていた様だ。

後は、幕府側からの攻撃を俟つだけだという。薩摩側は、攻撃されたから仕方無く、という開戦の大義名分が如何しても欲しいのだ。反撃の準備はもう出来ている。

「―――予測は中っていた様だ。(せい)さん達は・・・恐らくは、旧幕府(こちら)から開戦させる為の挑発行為に捲き込まれた。旧幕府が我慢ならずに藩邸に攻め込めば、新政府軍が伏見に雪崩れ込んで来る」

尾形は今し方藩兵のしていた会話を、簡潔に吉村に伝えた。吉村は自身が諜報した予備情報と組み合わせ、即座に理解する。

「仮にも同志だった者同士を―――・・・討たせる訳ですか」

そうして自分達は被害者の様な顔をして他者を侵すのか。この誠実な男は怒るというより、哀しそうに表情を曇らせた。

薩摩という藩は、凡そ同盟国の長州人が視ても動きの読めぬ肚の持主だろう。その肚を暴く為に小幡を送り込んだのが裏目に出た。

併し、人質ではあるが拷問等を受けているのではないらしい。

「・・・・・・我々の力では、止められぬ」

「・・・・・・はい」

尾形の出した結論は、非情なものだった。吉村は其でも従った。開戦を俟つ、という方針である。吉村は嫌でも理性が勝っていた。

理解も良かった。土方率いる本陣が、他ならぬ吉村自身の報告に依って進軍を始めたからだ。

だが、まだ希望を失った訳ではない。


この日の夕方。鳥羽・伏見の戦いが開戦する。江戸での薩摩の横暴に怒りを爆発させた旧幕府大目付・滝川 具挙(ともあき)から端を発した。

会津藩兵が伏見薩摩藩邸を襲撃する。この瞬間こそが好機であった。

尾形と吉村は塀に飛び降り、兵より迅い俊足で薩摩藩邸に侵入した。先回りして小幡を捜す。

尾形と吉村は小幡の貌を知っているが、小幡は尾形の正体(かお)を知らない。小幡の捜索は吉村に任せ、尾形は入口付近で

「新選組の吉村である。隊士の一人が数日前から此方に探索に来ており、今も居る。戦闘の最中済まぬが捜索させて頂く」

と、先頭に立つ会津藩兵に向かって言った。藩兵達は僅かながら足止めを食らう。

一方で

「会津藩兵の来よったど」

と、薩摩言葉で藩邸の者達を牽制し、双方を撹乱させる。

すっ

次に尾形が現れたのは屋敷の一番奥の部屋である。入口手前の廊下には吉村がおり、中には小幡、そして藩邸で戦う意思を固めた十数名の男達がいた。薩人なのか、其とも匿って貰っている身の者達なのかは見た目では判らない。

「先生」

吉村に誘導され、襖を開けて尾形のみが室内に入る。小幡は尾形の貌を見た事がある様な無い様なという表情をした。当然の反応だ。尾形は其に対する相手はせず、黒眼だけを部屋の反対側に送った。・・・富山 弥兵衛、元御陵衛士が矢張り居る。

・・・・・・吉村が肯いた。

尾形が背後に視線を移した、瞬間。

バンッ!  すぱぁん!  ガッ!

「薩摩!覚悟!!」

会津藩兵が一斉に部屋へと押し寄せる。尾形は薩摩言葉を操り、会津の注意を小幡から逸らした。尾形が二本とも左腰にある剣を抜く。敵味方を問わぬ斬り合いとなり、室内は即刻修羅場と化した。

「行くぞ」

混乱に乗じて吉村が室内に乱入し、小幡を連れて会津の波を突破する。新選組の吉村である!恃もう!・・・吉村が叫び、藩兵は狼狽える。行かせるべし!と先頭は呶鳴った。

―――刃を交わらせて初めて、先頭の会津藩兵は吉村を初めに名乗った男が戦闘の相手だと気づく。

「・・・・・・っ!?」

・・・・・・片方の眼しか隠れて見えぬ、蟀谷(こめかみ)に深い創痕の男。その下の昏い眼はフッと弛み、笑みを浮べ何事かを呟いた。

「ーーー・・・ーーーー・・・」

「・・・・・・――――!」

―――薩摩十数名の出迎えに対し、会津は即座に数え切れない。薩摩側は一人ずつ会津の中に散り散りとなり、其はまるで芋が洗われているかの如くであった。

「・・・またぁー?」

油小路で似た様な経験をしている富山が余裕にもぼやく。


「小幡君。君は此の侭一人で藩邸(やしき)を出、本陣(副長)と合流し給え。本陣は今市街に進軍している。遇えなければ会津藩を恃むのだ」

新政府の狙い通りに旧幕府軍が乗り込んで来た薩摩藩邸には、薩軍が外から取り囲みつつある。

「吉村先生は」

「私はまだ為すべき事が残っている。だから此処で別離(わかれ)だ。・・・・・・いいね」

時機を誤れば会津(みかた)に殺されていたこの隊士の隠せない不安に、吉村は諭す様に言った。彼も師範の経験がある。面倒見が良いのだ。

「・・・・・・先程、先生が“先生”と呼ばれたのは―――」

・・・・・・小幡が平隊士の壁を越えようとするのを、吉村はそっと諫めた。今ならば小幡は新選組隊士だと薩摩に気づかれる事無く脱出する事が出来る。併し“今”を越えれば其は非常に難しい。吉村と之以上共にいるのも、脱出の可能性を低くした。

「―――孰れ、分る様になる」

・・・吉村は和やかな笑顔を浮べた。・・・・・・この男も、入隊当初と比べて随分と成長した。

「行け」

小幡と短き別れをした後、吉村は藩邸の屋根に上り敷地内の動向を見守った。暫しして、会津藩兵数人と共に尾形が屋敷の外へ出る。尾形が此方を向き、屋上を見上げた。―――吉村は背中に異様な風を感じた。

・・・・・・キラリと空中で、星より遙かに大きいモノが光る。


ドオオオオォォォォォンンンンンンンンッッッッッッッ!!!!!


嘗て体験した事の無い破壊的な爆音と共に、凄まじい風圧が藩邸を襲った。屋根が吹き飛び、屋敷が内側から崩壊してゆく。

砲弾が藩邸の敷地に着弾し、炸裂したのだ。

中で戦う者達は炸裂した砲弾の破片を受け、斃れ、建物の下へと埋もれてゆく。


ガラガラガラガラ・・・・・・


敷地内に居た尾形は暫くの間気絶していた。塞いだ蟀谷の創は開き、再び視界の邪魔をする。息を吸うと激しく咳き込み、吐いた唾には血が混じっていた。

「・・・・・・・・・・・・」

尾形は呆然と己の掌を見つめていた。力無くだらんと己の手を抛り投げると、黒眼は実に自然な形で目の前の惨状に向いた。

ぱんぱんに詰め込んでいた屋敷から人間が溢れ、(むくろ)の山となって倒壊した材木と交互に層を築いていた。

・・・尾形は食入る様に躯と残骸の層を見た。其等を包んでいるのは、白い土煙だけの筈だ。

―――併し、緋くめらめらと燃え上がる焔が如何してか視える。

現在の己の眼前に、童が立っている様に視えた。その童も叉、躯の層を見つめている様に視えた。併しその躯はどれもくびが無い。

童、その小さな手には家宝の刀を持っている。握り方は、子供のちゃんばらの様に無作法だ。だが、刀は血に濡れている。

童は背後を振り返り、此方を見た。返り血に塗れた着物、流れる涙、涙に反する感情の無い瞳―――・・・その童の貌は


ズッ,グサッ! ざくっ!!


尾形が伏見薩摩藩邸に転がる躯に片っ端から刃を突き立てる。会津も薩摩も関係無く。そして、首を刎ねた。尾形の着物は血に濡れてみるみる内に真紅に染まっていった。夢中で、人間のくびを刎ねて回っている。

無事だった室内の薩摩藩士が躯を蹴り上げ、飛び出した。富山 弥兵衛だ。富山の太刀を受け、尾形はふっと我に返った。

「・・・・・・!」

「・・・ふーん。やはい、おはん」

富山が態とらしく薩摩言葉を遣い、逃げる。尾形が追い、薩摩藩邸から出る。富山を生かしておく事は最早できない。

ダンッ!!

―――藩邸の門を通過した瞬間、尾形の頭を銃弾が掠った。富山が素早く塀の角を曲り、出て来た瞬間を計って撃ったのだ。

この男が持っているのは刀ではない。銃であった。

尾形が倒れている間に富山は、人波に紛れ樹を伝い、屋根の上へと駆け上がる。之は尾形を狙い撃ちにし易くする為と誘き出す為の、両方の目的を含んでいた。

富山も本業はスパイである。頭は回る。彼が屋上に上がって自身と戦おうものなら、加納や阿部あたりの衛士に伝わると踏んでいる。来ても来なくてもよいのだ。

富山は地上の尾形の動きを観察しながら、装填する。が、音も無くして風に乗り、人の気配が背後で薫った。富山は思わず銃を向けるも、この体勢では踏ん張りが利かず、撃つと屋根から転落して仕舞う。一方的に仕掛ける分にはいいが、屋根の上での戦いは富山の慣れた分野ではなかった。

―――吉村 貫一郎。

吉村が屋根を駆け、富山に突っ込んで来る。武器を何も持っていない。腰には刀を差しているが、抜く気配を見せなかった。

北辰一刀流(伊東派)の腕を持つのに、何故。

「わ」

吉村は流石に屋根の上には慣れている。併し。

「・・・うーわー御愁傷さま」

吉村の右腕が只空中に揺られて血を飛ばしている事に、その剣才を揮えないのだと気づく。

「―――その腕、折れてる?若しかして、もう新選組に残れないんじゃないの」

富山は暢気な声で言いつつ、銃を盾にしてその場に立ち竦んだ。慣れてはいないが、武器を持たない相手に負ける気はしない。

「―――心配ありがとう。君の在隊時に関りがあれば、若しかしたら仲良くなれたのかも知れないな」

!! 何も持っていないと思っていた吉村の左手から、突如爪の様なものが現れる。之が鉄拳と呼ばれる忍の暗殺器具である事を、富山は全く知らなかった。

「っ!!」

バキリと銃の持ち手が折れ、銃が暴発する。暴発した弾丸は上空へと発射され、どちらにも当らない。

吉村は其の侭体重を掛けて富山を押し倒し、馬乗りになる。富山の着物の胸倉から、弾丸の入った箱が転がり落ちる。吉村は一見何も握っていない様に見える左手で其を掴むと、富山の胸の上に乗せる。富山はその弾を装填しようと試みた。銃を離さぬ手を振り上げ、足掻いてみせようとする。併し、吉村の足が其を押え込み、不様にも銃口がわたわたと暴れるだけだ。

「確かに、私の剣はもう死んだ」

・・・!吉村は銃身を握り、己の右手を指す様に、銃を己の側へ向けた。その表情はとても哀しく、時代を愁いている様でさえあった。

「―――だが」

グ・・・と、吉村は、今度は銃口を己の額へと当てると、己に言い聞かせるかの様に力強く言った。

頭脳(ここ)はまだ死んでいない」

吉村は銃から手を離すと、続いて富山の懐から焔硝を取り出す。其を弾丸と共に置き、自身が携帯する刻み煙草用点火器(ライター)で火を点ける。

「・・・銃を発射する前に弾と焔硝を同時に装着する必要が有る事は、君の方がよく知っていると思う。だが、銃など無くても敵を撃つ方法がある事は―――君の藩の上司は教えてくれたかい」

富山は吉村が何を言っているのかよく判らないといった顔つきだったが、然して興味も無い様だった。そこが富山らしい性格だ。

薀蓄ばかり垂れている者に日本の明日など守れない・・・そう想っている。

「本来はこの小さな弾丸さえも要らないそうだな。尾形先生に教えて戴いた。・・・尤も、文学師範ではそんな話はされなかっただろうが」

点火器に依って周囲の熱が上昇し、焔硝が火花を上げ始める。・・・・・・弾丸が、熱を帯びて緋く染まる。

「―――君は、尾形先生の頭脳に敗けたのだ」

―――焔硝が爆発し、弾丸が暴発する。無数の鉛が富山の身体を射し、木彫りの人形の如く固く跳ね上がった。全身から血を噴き出し瞳孔が大きく上空を仰いで開く。その黒眼が閉じる事は最早無かった。

弾は富山の身体のみならず四方に飛散し、その幾つかは吉村も貫いた。吉村は倒れ、屋根を転がり、戦場の路上へと墜ちてゆく。

「貫さん!!」

悲痛な声が上から聞えた。尾形だ。尾形が富山の居る屋根に辿り着き、柄にも無く手を差し延べている。

―――何て、つらそうな表情(かお)をしているのだ


『私は剣士として生き、剣士として死にたい。剣以外の部分が生きていても、私にとっては意味が無いのです。

誇りを持って死なせてください。―――剣士として。新選組隊士として』


救おうとする手は届かない。

吉村は誇らしげな笑みを尾形に向けて、人波の中へと消えて往った。放たれた砲弾の風を受け、尾形の意識もそこで途絶える。

其から、吉村 貫一郎の姿を見た者は在ない。




一方、新選組本陣。此方は此方で、惨烈な状態になっていた。中でも魁となって敵陣を斬り拓いてゆく永倉の隊は苛烈を極め、銃撃が次々と隊士の命を奪ってゆく。

永倉隊の伍長は島田 魁。

「新八ッ!此処は、撤退したが良くはないか!?」

人が死にすぎている。寧ろ、先頭を駆けてゆく永倉等二人に弾が中らない事が不思議な程だ。

「まだだ!土方さんがまだ何も言っちゃいねえ!俺達が踏ん張らないと、他の隊が撃たれる!」

永倉が『指月(しげつ)の森』へ入り、暗闇を疾風の如く駆ける。松の樹々が盾となり、銃弾は益々彼等に命中し難くなる。

この森は、月見の名所らしい。八公という名の狸が棲んでいるらしいが八十八の渾名とは無関係である。今頃は狸汁にでもなっている事であろう。

「・・・・・・っ、土方副長からの命令が聴こえる気がしないんだがぁ!」

「・・・・・・奇遇だな力さん!俺もだよ!」

既に銃弾の飛び交う音で互いの声さえ聴き取り難い。其にしても、いつ中るか判らない状況である事に変り無いのに暢気な会話である。

「だが、俺は退かねえよ!戻るより進んだがもう早い!其に―――何かゾクゾクしねえか?力さん」

永倉が実に愉しそうな声を出し、ばったばったと敵を斬り斃してゆく。(ことごと)く島田の通り道に屍体が覆い被さっていって、島田は蹴躓いたり悲鳴を上げて飛び越えたり躱したりしながらも其でも永倉と並走する。誰も斬ってはいないのだが息切気味だ。

「お前のその戦闘狂的なところに俺ぁゾクゾクじゃなくてビクビクだよ・・・・・・あと、死体を全部こっちに抛るな」

「あれ?もう疲れているのか力さん?汁粉ばっかり食っていて鍛練してないからじゃないのか」

永倉がからかう様に言う。島田が

「お前のせいだろうが!周り見て斬れ、周り見て!」

と大声でツッコむと、永倉はボケるって楽でいいなーと笑う。そういえば、永倉はツッコミ役で定着している位にボケる事は珍しい。島田も銃撃の中豪快に笑った。

「・・・あれだな」

新政府軍の塁を()する。八公が由来で狸寺という別名をもつ西運寺である。



ドオオォォォンンンンンンッッッッッ!!!!!



薩摩軍が伏見奉行所に向かって大砲を打ち放つ。無論、奉行所の新選組本陣でも大砲は用意している。だが、威力が桁違いだ。

大砲が奉行所に命中する事は無かったが、周囲の被害が甚大で、在ろう事か周囲で発生した火が伏見奉行所を燃やした。新選組は要塞を失い、叉焔の耀さから土方達幕軍指揮官の動きが新政府軍に把握されて仕舞った。集中的に銃撃を受ける様になり、撤退を余儀無くされる。

―――考えが甘かった。

と、いうより、戦とは、こうも血の通わぬ、兵器を相手としたものであったか。主体は、人間ではなかったのか。

「・・・・・・」

・・・・・・隊士を率いる山口の頬を、雨の様に注ぐ銃弾の一つが掠った。



「新八っつぁん!!力さん!!退却だ!!」

―――後少しで新政府軍の要塞を陥落(おと)せるといったところで、原田の大きな声が彼等を呼んだ。

「「!?」」

退却と聞いて、永倉と島田は愕いて振り返った。之迄己の隊の隊士の犠牲をも顧ず、只管前進していたのだが・・・・後ろを()ると、天が(あかる)い。

「奉行所が燃えてるんだ!!」

原田の声は特別よく通る。

「淀城だ!!本陣は其処に向かってる!!」

原田の隊はまだ奉行所付近にいる様だ。土方に従って言っている様にも聴こえる。恐らく土方(本陣)も奉行所からそう遠くにはおらず、声の大きい原田に向かってがなり立てている事だろう。

「・・・早く追い着けという事だな」

全くあの人は横暴に見せかけて心配性なんだから・・・と呆れた顔をして笑った。安否が確認できないと心配だから早く傍に来い、の非常に回りくどい込み入った言葉裡(うら)が、たった二言の代理の言う事には隠されている。

「でも・・・ま、副長命令だから仕方無い」

一見無茶な要求でも、苦笑して利けて仕舞う。矢張り江戸以来の同志は違うなぁ、と島田は想った。

島田は永倉等が上京して僅か3ヶ月前後での新選組入隊であるが“同志”にはなれない。島田は入隊当初から土方より近藤の側にいた立場であったが、近藤の命令を利く事は出来ても近藤と肩を並べて歩く事は出来ない。“主従”の関係にはなれても“同志”の関係には遠く届かないのだ。

土方と永倉の間でのみ通用する立場を越えた不思議な意思疎通に、島田はつい微笑ましくなる。

「戻るか、新八」

島田が訊く。

「ああ、そうしよう」

永倉が答えた。二番隊、退却!! 永倉が叫び、島田が槍を掲げる。半数以下に迄減った永倉隊の兵士が、逃げる様に来た道を奔る。永倉は殿を務め、攻撃法を鉄砲から刀槍に変更した新政府兵を斬り捨てる。白刃戦では天下に名を轟かす新選組だ。挑む方が愚かというものである。

永倉は奔り、黒い森から緋い市街地へと飛び出す。市街地は未だ銃撃戦が続いている。否、再開したと言う方が正しい。暗い内は市街地も白兵戦を繰り広げていた。

火災に依って(あかる)くなったからより狙い撃ちをし易くなったのだ。

―――見事な武器の使い分けだ。小さい永倉も流石に撃たれそうになる。素早い動きで何とか伏見に戻る事は出来たが、其処には大きな壁が立ち塞がっていた。

「・・・・・・!!」

・・・・・・文字通り、高い土塀である。2間はあろうか。三方は敵兵が取り囲んでいる。

ぴんっ

弾は、飛び交うだけでなく路上を跳ね返り、剣や壁に当る。まさに集中砲火であった。土煙もあって目を開ける事すら難しい。

「く・・・・・・!」

更に言うなら永倉は、監察部と違って撃たれる事を想定している為重装備であった。迅さは衰えていない。が、跳躍は叉其とは違う。装備は、弾が徹る事は防ぐが当る事を防いでくれる代物では決して無い。

「新八!!」

塀の向うから声が聴こえる。島田の声だ。力さんか!?と応えると、今度は頭上で声がした。

(コレ)に、掴まれっ!!」

見上げると、すぐ目の前まで槍が下りて来ている。島田の槍だ。槍に伝って視線を上向かせると、島田の左手と顔が覗いていた。

「あはは力さん、ぬりかべみたいだな」

「なぁに言ってんだこんな時に。ほれ、早く掴まれっ!こっちには土方副長も皆もいる!」

「だが力さん」

永倉が逡巡する。すると塀の向うから、新八、ぐるぐる考えていないで早く来い!と不機嫌そうな怒鳴り声がした。土方である。

・・・・・・;永倉も島田も思わず苦笑いする。ぴしっ。うおっ!?島田を狙って弾が土塀の縁まで飛んで来た。ぐずぐずしている暇は無い。

「出来るのか力さん!?」

「そんな心配をしてたのかお前!大丈夫だ、片手に夫々(それぞれ)俊と八公を同時に持ち上げた事だってあるんだぞ、俺は!」

八公とは狸ではなく八十八の方である。

永倉が槍に掴まる。島田が槍を永倉ごと片手で引き上げる。向う側の土方が隊旗を丸め、発砲部隊に向かって思い切り投げつける。


―――緋色の空の下、『誠』の書かれた隊旗が広げられる。


だぁん!! だぁん!!

新政府軍が銃弾を発砲し、隊旗は弾が徹って穴が開いた。併し隊旗は悠々と、空中を泳いで新政府軍の頭上に舞い降りる。

永倉と入違いに原田が土塀に身を乗り出し、隊旗ごと敵兵を槍で刺す。島田もすぐに加勢して、出来得る限り敵の数を減らしておいた。土塀を越えて永倉が着地すると

「早いのは早いが、しんちょうを弁えろ、新八」

チャラ・・・懐中時計を如何にも其らしく手にした土方が、開口一番憎まれ口を叩く。永倉は逆に閉口して、笑う事しか出来なかった。言葉遊びの好きな男だ。そして・・・・・・和ませるのが下手だ。

「―――新選組、退却!!」

土方は素早く人員を確認すると、自らが真先に動いた。一隊分、人数で言えば20名前後がごっそり消えている。

そして

(監察方が誰も戻って来ねえ・・・・・・)

吉村の最後の報告から、土方もこの鳥羽・伏見の開戦が薩長側に仕組まれた事であると薄々感づいていた。監察が捲き込まれたのではないかというところまで推理も追い着いている。・・・・・・抑々(そもそも)、吉村が直接的に自分の許へ来た時点で目付に何かがあった事には間違い無いのだ。

(アイツ・・・・・・)

そろそろ山崎を監察に回す事を考えている。

永倉、山口、井上、原田、山崎といった助勤。彼等はまだいる。土方は本の僅かばかり安堵した。



だが其も束の間の安堵、否、勘違いというもので、奪われるのは之からであった。

1月4日から5日にかけての、淀千両松の戦い。態勢の立て直しを計った淀で、井上 源三郎が戦死する。否、態勢は整えられず、その中で彼等の命は無残にも散った。この戦いで新選組隊士は、実に3分の1が戦死した。

この様な惨劇が起った理由については他の作者に預けるとして、井上 源三郎という男は、土方や近藤、沖田のみならず試衛館の同志果ては文久3年5月入隊組の面々にとって不可欠の存在であった。彼は近藤・土方・沖田生粋の試衛館組の兄弟子であり、食客であれど生粋の同門ではない永倉・原田・藤堂や山口、山南と彼等の橋渡しをしていた。腕白で時に衝突する三馬鹿と大人げ無い近藤を両成敗し、浪士組を結成してからも、食客組と較べれば遙かに大人しい、壬生浪士1期募集生と謂える文久3年5月入隊組を叱咤激励し、土方の悪口(あっこう)を翻訳した。之は食客組に対しても行なっていた。沖田が子供の頃に土方の無愛想な態度に泣いていた時も、近藤とくだらぬ喧嘩をした時も、土方から素直になるよう手を回していたのも、この井上であった気がする。

詰り、井上無くして土方の今の信頼関係は在り得ず、井上は土方にとってとても大きな存在だったのだ。

(近藤さんと総司に合わせる顔がねえ・・・・・・)

土方は誰より苦しんだ筈だ。泣いてなどいない。併し泣いた後の様に目が乾いていた。



新選組は猶も撤退する。だが志だけは前を向いていなければならない。その矛盾が、新たな悲劇を生む。



1月6日。旧幕府軍は石清水八幡宮の鎮座する男山まで撤退していた。新選組は大坂との境八幡(やわた)市橋本に陣を張り、新政府軍を向かい討つ。永倉隊と山口隊が男山の中腹に出、前線となって戦った。彼等は、新選組の高麗獅子で、謂わば切札である。彼等を前線に出す事は、今や之迄と違う意味を持っていた。

「・・・・・・斎藤、伏見で戦った時に思ったんだが、之から先の戦いに遠慮は要らない様だぜ」

「・・・ほう。おぬしもそう思うか」

山口が珍しく同調する。戦闘というよりは虐殺に近い血も涙も無い状況に、彼なりに何かしら思うところがあったらしい。

「―――人間(われわれ)の敵は、もはや人間(われわれ)ではない様だからな」

「―――()くぜ」

二番隊突撃!!三番隊突撃!!雄叫(たけ)ぶや否や、組長自らが戦地へ飛び込む。彼等は心躍っていた。ここでは何の気兼ねも要らない。

「―――死ぬ気で闘れる!!」

銃弾が肩や腰を掠るがそんなものは気にならない。痛みなど無かった。

弾が彼等を避けてゆく。

と、いうより、敵軍の銃の照準が定まっていない様であった。指が震えて思う様に引鉄を引く事が出来ない。彼等は、怯えているのだ。―――剣一本で無数の銃に突っ込み、狂喜の表情で命を狩る、紛う事無きその鬼神に。

永倉が跳び上がり、白日を背にして刀を振り下ろす。逆光が(うつ)す黒い影が地に降りた時には、周辺の銃隊は屍と化していた。

「・・・・・・こういう出番はいつも総司に譲っていたからな」

「ああ。御蔭で欝憤が溜っておる」

山口が彼らしからぬ殺伐さを露わにして永倉の背後に着地する。彼の通った跡には既に屍体が道標となって転がっている。

山口の剣は味気が無いが、屍体は彼に斬られた兵士の方が無残だ。山口の剣は容赦も無い。彼の剣が“無”の剣と云われる所以だ。

―――宿す眼の色が、既に兵器に頼る程度の者達とは違う。

「新選組二番隊組長!永倉 新八!!」

「同じく三番隊組長、山口 二郎!」

二人は彼等と対峙する銃隊に刀を突きつけ、こう叫んだ。

「この命、()れるものなら奪ってみるがいい!!」


ドオオオォォォォォンンンンンンンンッッッッッ!!!!!


一方で、土方は橋本本陣に残って戦っていた。此処も叉戦いの舞台となっており、銃弾が飛び交い、この間にも土方のすぐ横を何発も過ぎている。

橋本の方がより山頂に近い。中腹や山麓が一望できる代りに、銃弾に加えて砲弾にまでこの橋本は狙われている。新政府軍は最早、敵味方など関係無く砲弾に捲き込む肚心算でいる様だ。

―――否。土方は顔を顰めながらも刀で敵を薙いだ。砲弾は敵である薩長から放たれたものではない。西側―――本来は味方である津藩から放たれたものである。詰り―――裏切られた。津藩に拠るこの行ないは、当時「藩祖・藤堂 高虎に似たり」と云われたと、こんにちに伝えられている。この裏切を決行した津藩第11代藩主・藤堂 高猷(たかゆき)の落胤が藤堂 平助であると現在に伝わるが、真相は定かでなく、土方がその事を知っていたのか、知っていたとしてこの時どう思ったのかは、今となっては誰にも判らない。

「副長」

監察を頼んでいた山崎が銃弾(たま)の様な迅さで現れる。銃弾の方向というのは決っている。山崎は巧く土方を銃弾から護りながら報告を始めた。

「如何した」

「先程の砲撃で軍が一気に崩れており、淀川を下りだした隊までいるようです」

・・・はっ。と、土方は旧幕府軍を鼻で嗤った。之が新選組隊士だったならば叩き斬っていたところだ。新選組は3分の1が減ろうとも半ば意地になって皆戦っている。

「ヌルい奴ら戦意喪失させるには十分だったからな」

―――一度敗けると、後が恐い。

認めたくはないが、旧幕府軍は鳥羽・伏見で敗けた。敗けたからこそ淀へと逃げて、其処でも叉敗けた。淀千両松の戦いでの敗戦は、鳥羽・伏見の戦いでの敗戦に因って生じている。そして、此処橋本の戦いでも敗けようとしている。敗けが敗けを呼ぶ。

もう敗ける顔をしている。彼等は、新政府軍に敗けているというよりは、自ら敗けを引き寄せている。

その負の螺旋から脱却させる役目を担うのが、指揮官であるというのに。

「・・・後、見廻組の佐々木殿が、先程重傷を負われたと」

「佐々木さんが!?」

山崎は土方を正面に見た時に、眩暈の様なものを感じた。眩んでいるのかと思ったが、其は実は眩しい、詰り光源がある事に気づく。そしてその光源が、銃口である事に気づくには些か時間が掛った。

―――敵陣でない所から、銃が延びている。

而も、其は土方を―――土方だけを狙っている。敵軍か味方の兵士なのかは―――・・・

「――――!!」

―――山崎が眼を見開く。

「副長!!」

山崎が土方の前に飛び出した。パァンッ!!と銃口から銃弾が発射されたのは粗同時であった。振り返った土方の視界には丁度、山崎が目の前で銃弾に撃たれ―――・・・

「山崎君!!山崎!!山崎!!」

撃ち飛ばされた山崎の身体を土方は抱え起した。山崎の身体は銃弾の威力で数尺飛んでいた。鳩尾から血が溢れ出ている。撃ちどころが悪いと、土方は嫌でも一目でわかった。

「誰か!!看護隊!!」

土方が叫ぶ。その時、キラリと光る銃口が土方の視界にも入った。―――冷たい鉄の塊が、今もじっと此方を見つめている。其は

「・・・・・・御陵衛士―――!!」

グサッ!!

―――土方を執拗に狙う銃口の主は、山崎が撃たれた箇所と全く同じ処に、背後から刃を刺し貫かれた。奥深く迄刺された刃に吊り上げられた状態で、刺した刃は血と脂で毀れている。刀自体に怨念が詰っている様な血の錆を只見つめていると、耳許にするすると血の気の無い顔が下りて来て

「――――・・・・・御陵衛士(あなたがた)は、猶も私の邪魔をするのか」

「・・・・!!お・・・・・・!!」

―――言い切る前に刃を抜き、御陵衛士は事切れる。銃が足下にがちゃんと落ちて来て、緋色の足袋は其を乗り越えた。

「尾形・・・・・・!!」

・・・着物も刀も何もかも緋に染まった尾形が、土方と山崎の許へ現れる。

「お前・・・・・・」

生きていたのか。・・・・・・そして、また新選組(ここ)へ戻って来た。

山崎の銃創を見た尾形は、一瞬、酷く怯えた顔をした。だがすぐに懐から幾重にも重ねた晒を出し、応急処置を開始する。

「・・・お・・・・が・・・・・・副・・・長・・・・・・は・・・」

「喋るな崎さん。・・・・・・副長は御無事だ」

・・・・・・ 山崎は安堵した様に肩の息を落した。そして其以上は喋らない。が。

「崎さん」

尾形が呼び掛ける。だが、其に対する反応が薄い。意識が朦朧とし始めている。表情も苦悶というよりは、眠りに近い。

「崎さん」

尾形の声が少し震えた。処置の方が追い着かず、どれだけ止血をしても血の勢いは止らない。白い晒は真紅に、既に臙脂に染め上げている尾形の着物は更に深い紅としてゆく。

「左之助!!」

その間に土方が原田隊を呼び出し、道をつくる。原田“隊”と言っても、之が新選組の残り全員であった。詰り之は撤退とも謂える。撤退―――・・・嫌な言葉だが、之を勧めた人間がいる。

『御存知かとは思いますが、幕軍は先程の砲撃に因って撤退を始めております。―――其は男山の兵とて同じ事。私が見た時には、男山中腹には幕軍が数十しか残っておりませんでした。相手の兵は数百』

『何だって!?』

土方の顔から流石に血の気が引いてゆく。数十というのは、新選組が派遣しているだけで事足りる兵の数だ。永倉と山口―――・・・二つの隊を合わせて数十。戦っているのは―――・・・多分彼等だ。

土方は血溜りに横たわる山崎を見下ろす。呼吸が少しずつ弱まってきている。井上 源三郎はこう遣って死んだ。山崎も此の侭では危ない。そして永倉と山口は之から―――・・・

『―――そちらにも監察を送っておりますが、私の許に来ぬという事は恐らく戦況が宜しくないものと思われます。そちらに合流し、其の侭大坂に向かって下る方が賢明かと』

『―――監察は、無事なんだな?男山には誰が向かっている』

「土方さん!!」

原田隊が到着する。此処に来る迄に道は彼等が拓いていた。原田は変り果てた山崎の姿と尾形を見ると、泣きそうに表情を歪ませた。

「尾形」

土方が厳しい口調で問い詰めた。尾形は睨む様に土方を見上げる。その表情は敵意や反抗というよりは―――どこか悲壮だ。

「・・・・・其は―――・・・」


斬ッ!!

ガッ!!

永倉隊と山口隊はみるみる膨れ上がってゆく新政府兵を前に苦戦を強いられていた。

敵兵の数が増えている分、銃の数も増え、弾の命中率も上がっている。

パァンッ!!

味方の隊士が撃たれ、新選組隊士はみるみる減ってゆく。いつの間にか彼等は四方を囲まれ、脱出さえ困難な状況に陥っていた。

「・・・・・・斎藤、何かおかしくないか?」

異変について最初に口を開いたのは永倉であった。併し山口も何かしら気づいていたらしく

「・・・・・・囲まれておるな」

と、素っ気無く言った。

「其に、まだ増えておる」

「砲弾の音も聞えない」

あんなに上空で煩かった砲弾の音が聞えない。其どころか、山頂で合戦を行なっている賑やかな気配がまるで感じられないのである。旧幕府軍の敗走に依って戦闘相手を失った新政府の兵が此方に下りて来た事は考えるべくも無かった。

「突破・・・・・・出来るか?」

永倉はつい頬を引きつらせて笑った。

「するしか無かろう」

と、山口は言った。体力的にはまだいけるのだが、刀の方にそろそろ限界がきている。十も二十も人を斬れば、刀は血と脂でぼろぼろになる。銃弾が掠った箇所もあり、所々で刃が欠けていた。

「・・・・・・もつか?」

永倉は愛刀を翳して見る。が、その刻にも弾は刃先に中って欠けた。愛惜の情すらこの鉄砲というのは解しないらしい。


「く・・・・・・!」

永倉、二度目のピンチである。今回は山口も道連れで。二人は一方向に狙いを定め、集中的に攻撃して活路を拓く作戦に出た。

二人の鬼気迫る剣に敵兵の腕もぶれる。だが数だけは矢鱈いるので、突破できる様でいても次の銃部隊がもう用意されている。まるで皴が寄る様に、四方に亘って徐々に兵が薄くはなるものの、なかなか打ち破る事が出来なかった。

「・・・せめてもう一方向から攻める事が出来ればな」

山口が頬に掛る返り血を拭いながらぽつりと呟いた、その時。

「―――呼びました?隊長さん」

永倉と山口の正面に立つ敵兵が、次々と腹から刃を突き出して斃れて往った。上半身と下半身が一瞬で離れて仕舞った者も在る。

―――半円状に描かれる鮮血の絵画(アート)を辿り、筆の様に先を朱肉で濡らした槍を眼で追うと、其処には大石 鍬次郎がいた。

山科(やましな)はなかなか愉しめましたけどねぃ。さぁさぁ、此処ではどう愉しませてくれるのやら」

・・・血に飢えた赤鬼は、ひたひたと哂った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ