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壱【8月10日・午前5時20分】


 太陽が昇り始めたのを確認したかのように、鶏小屋で飼われている烏骨鶏うこっけいが歌い始めた。

 その声で約二名以外は全員が起き出しているのが、この屋敷のいつもの風景であった。

 丁度私が廊下の掃除をしていると、パジャマ姿の秋音と、部屋着の春那が其々の部屋から出てきた。


「おはようございます。鹿波さん」


 そう挨拶する秋音は、まだ眠たそうに目をこすりながら、私と春那に会釈する。

 それに対して、春那は小さく欠伸あくびをしていた。

 今まで起きていたのだろう、少しばかり目の下にくまが出来ている。


「姉さん。いくら家の中でもはしたないよ」

「しょうがないでしょ、昨夜ゆうべからさっきまで、お盆休みを利用した宿泊客の整理とかしてたんだから」


 そう言いながら、春那はもう一度欠伸をする。


「鹿波さん、コーヒーもらえる?」


 そう云われ、私は小さく会釈し、くりやへと入った。

 厨では既に澪と繭が朝食作りの作業をしている。

 いくら深夏や秋音、冬歌が夏休みとはいえ、生活習慣は変えてはいけないというのが大聖の考えらしく、朝食はいつもどおりの時間にとらせるようにしている。

 ――厨に入るなり、味噌汁の美味しい匂いがしてきた。


「繭、人参と大根は千切りでいいわよね?」

「いいと思いますよ。深夏さんや冬歌ちゃんも前は食べられなかった人参を食べられるようになったんですから」


 二人の話を聞いて、今までの事が何かしら影響してたんだと実感する。

 今まで深夏と冬歌は人参が食べられなかった。

 だけど、前の事で二人とも若干とはいえ、食べられるようになっている。


「あ、鹿波さん? さっきので皆さん起きました?」

「いいえ、れいによって深夏さんと冬歌さんが起きておりません」

「どうせ遅くまでゲームしてたんだろうなぁ……」

「あら? 深夏の部屋、昨夜は静かだったわよ?」


 厨に顔を覘かせた春那が繭にそう言った。

 春那と深夏の部屋は隣接しており、声が漏れる場合がある。


「勉強してたって事ですかね?」


繭が首を傾げながら、春那に聞き返す。


「一応生徒会長だからじゃない?」

「でも一学期の終わりに生徒会長を引退してますから、後は二年生の子に任せているはずですよ?」


 深夏と繭は同じ高校に通っている。

 前にも話したが、繭の実家と今通っている学校はだいぶ離れており、繭は学校では有名な遅刻魔だったらしい。

 朝早く起きれないことを深夏に愚痴ったところ、


『なら私の家で使用人として働いたら? そしたら、いやでも朝早く起きなきゃいけないから』


 と云われ、今に至るという訳だ。

 ――それを云った当の本人は未だに夢の中だった。


「あ、コーヒーはブラックですか?」


 確認するように私は春那に尋ねる。


「ううん、ちょっと砂糖も入れて。糖分がないと集中出来ないってのは本当ね?」


 そう云われ、私は春那のよく使っているコーヒーカップに、すでに作ってあったアイスコーヒーをそそぐ。


「あ、砂糖は二、三杯ね」

「――牛乳はどうします?」

「いいわ。カフェ・オレを飲むわけじゃないから」


 いくつか注文を聞き、出来上がったコーヒーを春那はゆっくりと飲み始める。


「さぁて、ご飯はまだよね? だったら、もう少しがんばろっと……」


 そう云いながら、春那は背伸びをする。


「少し休んだらどうです? 此処何日か寝ることもままならないようですし……」


 澪がそう気遣うと、春那は笑顔を浮かべる。


「ありがとう。でもお盆休みってのは、正月休みやGWゴールデンウィークの時期と同じで、旅行会社にとっては書き入れ時の時期だから……。一応予約客の整理はしてるけど、突然のキャンセルもあるし、各旅館のスタッフへのシフトチェンジもやらなきゃいけないしね……」

「そう云うのはそこの旅館がするものじゃないんですか?」

「私はあくまで整理、後は其々の旅館の人にお願いしてる」


 春那はそう云うと窓の方を見遣る。

 耳を澄ますと、烏骨鶏が鳴いているとは別の、まるで金糸雀カナリアが歌っているようなそんな繊細な音色が聞こえてきた。

 秋音が日課にしているフルートの練習をしているのだと、わかってくる。


「今日も調子いいですね?」

「これだったら、今度のコンクールも優勝できるんじゃないんですか? 何か噂じゃ吹奏楽で有名な高校に推薦されてるみたいですし」

 澪がそう云うと春那は小さく笑みを浮かべ、


「それを決めるのは秋音自身。音楽家を目指すならそれでもいいけど、後悔しないことを願ってる」


 と、そんな話をしていると、タロウたちが鳴く声が聞こえてきた。


「またタロウたちだ」


 澪がそう云うと、玄関の方からドタドタと慌しい音が聞こえてきた。――――渡辺だった。


「いやいや、吃驚しましたよ。いきなり吠えてくるんですから。あの子達、私が犬小屋の近くを通っても、吠えてきますからなぁ」


 渡辺が額に汗を掻いて、私たちのいる厨へと入ってくる。


「繭さん。すみませんが水くれませんかね?」


 渡辺にそう云われ、繭はコップに水を注ぎ込む。それを渡されると、渡辺は一気に飲み干した。


「全く、何でタロウ達は渡辺さんが近くを通る度に吠えるかな?」


 春那がそう云うと、渡辺は少しばかり苦笑いをしながら、


「いやはや、最近特に嫌われてますなぁ? 馬が合わない? いや、犬が合わないとでも言うんですかなぁ?」


 と云いながら、再び廊下に出た。

 それからしばらくして深夏が起きてきた。


「おはよう」


 大きな欠伸をひとつして、誰にお願いしたのかは定かではないけど、コーヒーをお願いする。


「あの、深夏さん。昨夜は何をしてたんですか?」


 繭がコーヒーをカップに注ぎながら、深夏に尋ねた。


「んっ? 受験勉強って言ったら、吃驚ビックリする?」


 そう云われ、繭はコーヒーの入った円錐状えんすいじょうの瓶を落としそうになる。


「そ、そこまで吃驚することないでしょ?」


 深夏が心外だといわんばかりの表情で言った。


「いや吃驚するでしょ? 普段の深夏が、屋敷での行動を知ってると余計にねぇ?」

「ああ、姉さんまでそんな事いう? あのね! これでも一応は成績いいんですからね?」

「すみません。私、深夏さんが余りテスト勉強してるところを見たことないので……」

「気にしなくていいわよ。それにね、天才ってのは元々から才能がある人と努力出来る天才がいるから、私は後者かな? かの有名な野球選手は、確かに天才だけど、それ以上に努力もしてたんだって……」

「いや、深夏? 誰もあんたのことを天才なんて一言も言ってないわよ?」


 そう春那が言うと、深夏以外の全員が頷いた。


「さぁてと、もう一眠りするかな?」


 そんなことを知るよしもなく、深夏は欠伸を浮かべる。


「一眠りって、あんたねぇ? もうそろそろしたら朝ご飯出来るのよ?」


 確かに私たちが談笑をしている間、澪は黙々と朝食の用意をしていた。

 それもあってか、味噌汁や漬物、焼き魚に供え物の大根おろしという、至って日本では普通の朝食だった。


「鹿波さん? 冬歌起こしてきてくれます?」


 春那にそう云われ、私は頷き、廊下に出た。

 廊下に出ると丁度、丁字ていじのところで秋音に会う。

 その横には冬歌の姿もあった。

 話を聞くと、起きてきた冬歌がジッと秋音のフルートを聞いていたそうだ。


「秋音おねえちゃん。フルート上手」

「ありがとう。でも、まだまだだよ? 世の中には私なんかよりもうまい人がいる」

「そんなに謙虚にならなくてもいいですよ。秋音さんのフルートは素晴らしいです」


 ――私は素直に言った。


「鹿波さんもありがとう。でも、慢心しちゃいけないってお父さんに云われたの。どんなに上手でも、自分よりもはるかに上手い人はたくさんいる、だから自分の実力を過信するな……って」


 秋音はそう云うと、フルートを直しに部屋に入り、二分ほどして戻ってきた。


「あ、そういえば、味噌汁に玉子を入れてるみたいですよ?」

「ほんと?」


 私がそう云うと、冬歌が目を爛々と輝かせる。


「よかったね。冬歌がいい子にしてたからだ」


 秋音がそう云うと、冬歌ははしゃぐ様に小さく飛び跳ねる。


「あ、渡辺さん……」


 秋音がうしろを振り向き、渡辺に声をかける。


「これは秋音お嬢様。おはようございます」


 そう云うと、渡辺は私たちの横を通り過ぎ、廊下と広間の彰子を隔てて、誰かと会話をしている。


「あら、おはよう、二人とも……」


 霧絵が自室から出てきて、秋音と冬歌に挨拶する。


「あ、お母さん、おはよう」

「奥様おはようございます……」


 秋音や冬歌、そして私が霧絵に挨拶すると、返事を返してきた。


「二人は先に入ってて、お母さん、ちょっと鹿波さんと話があるから……」


 そう霧絵に云われ、二人は特に何も気にする素振りを見せることなく、広間に入っていくのを見ると、気付けば、渡辺の姿もなかった。――そのまま広間に入ったんだろうか?

 ――廊下には奇妙な空気が流れているのが肌でわかる。


「巴さん。また惨劇が起きるんでしょうか?」


 突然そう云われ、私は吃驚したが、霧絵が冗談を言う人じゃない事はわかっている。


「私はあの子たちに本当の事を言えないまま、また殺されるんでしょうか?」


 今までのことを断片的に知っている霧絵だからこそ云える言葉だった。


「わからない。私も前の記憶が曖昧なの。でも、姉妹が協力し合っている事や、深夏と冬歌が人参を食べられていること。秋音が吹奏楽を楽しそうに参加していること……。それら全部が今までしてきたことによる影響だと思ってる」


 私は霧絵の目を確り見ながら云った。


「それに私と正樹は犯人を見ている。ただそれを思い出せない。この中にいる事はわかってる。多分正樹が見たのは私たちの知ってる人物。そして私が見たのが今までの惨劇を描いた脚本家……」


 私は拳を握り締め、ワナワナと震える。


「逃げることは出来ないんでしょうか?」

「今までだってそういう選択肢はあった。でも、それじゃ意味がないって、私も多分正樹も考えていたんだと思う。あなた達を殺すのに、やつらは時間は関係ないはずだから、これから三日間をどこかで過ごしても、何時でもやつらは貴女達を殺せるから……だから結局はこの三日間を屋敷で過ごし、犯人を捕まえなきゃいけない……」

「私は貴女に謝らなければいけない。謝っても、謝っても、償いきれないことをしてしまった。祖父がこの榊山をどんな理由で手に入れようとしたのか私も知らないの」

「貴女が謝ることじゃないでしょ? やったのは耶麻神乱世なんだから……」


 私はそれを理解しているからこそ、霧絵に恨みを持っていない。


「でも…… でも……」


 私が宥めようとするが、霧絵はまるで幼い子供のように泣き崩れる。


「あー、もう! この屋敷のぬしは霧絵でしょ? 主は堂々としなさい! それにね、私にとって貴女は大聖の妻。太田大聖の妻なの! 耶麻神大聖じゃない。太田大聖の妻なの! 耶麻神乱世がどんなことをしていたとしても、貴女は貴女なの! だから、貴女が謝らなくてもいい! 貴女は何も悪い事してないんだから!」


 そう云うと、霧絵はゆっくりと肩から手を離す。


「そうですね。私は耶麻神霧絵ではないですね。今の……いいえ、これからも私の名前は太田霧絵。わが夫、太田大聖の妻ですから……」


 そう霧絵は云うと踵を返し、広間に入ろうとした時だった。


「巴さん、ありがとうございます」


 そう云われ、私は首を傾げた。


『別に感謝されるような事は云ってないんだけどなぁ』


 そう思いながら、私は広間に入った。


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