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過去/4年前2


 朝から大聖の苛立ちは目に余るものだった。

 朝食中、その素振りを見せてはいなかったが、普段なら朝からテンションの高い大聖が黙り込み、黙々と食事を取っているのが、余計に昨夜の事件の大きさを物語っていた。

 今朝早く大河内智紀の妻から、昨夜の事件は岐阜県警の管轄として交通事故として処理されたという連絡があった。

 大河内の妻は東京の出身で、余り車の知識を持ってはいない故に、タイヤにチェーンが着いていないという疑問点もスルーしてしまう可能性があった。

 深夏と秋音は気が沈んだ空気を心配し、ただ逆鱗に触れないようにするのが精一杯だった。冬歌も姉妹や周りの空気がわかったのかどうかはわからないが、余り騒ごうとはしなかった。小さな子供ほど、周りの空気に気を使いやすい。


「お父さん、今日は早瀬警部のところに行って、事故の詳細を訊いてくるよ。澪くん済まないな、今日は調子が悪い」

「いえ、お粗末さまです」


 決して澪の料理が美味しくないわけではない。

 むしろ料理人として雇ってもいいくらいの力量を持っている。

 ただそれすら薄っぺらなものであった。

 幾らお腹を満たしても、心までは満たす訳がない。


 大聖は今朝早く、早瀬警部に連絡をし、岐阜県警に頼んで、情報を教えてくれないかと頼み込んだ。

 早瀬警部も管轄外とはいえ、知り合いである大聖の気持ちを考慮に入れ、出来る限りの事はすると云うが、余り期待はしないでくれと説明した。


 朝食を終え、深夏は登校途中にある冬歌の通っている幼稚園があるため、冬歌をつれて家を出た。その後、秋音も出て行った。



「おはようございます。お嬢様」


 春那が耶麻神旅館の本社ロビーに入ると、受付嬢が春那に挨拶をする。

 ここは長野県にある耶麻神旅館グループの本社。三階建てで、大企業というには少々こじんまりとした外見である。


「春那ちゃん、一応役員の人たちに報告を」


 春那の秘書兼補助役をしている鮫島渚がそう云う。


「渚さん、あれが事故だった…… なんて信じられる?」

「警察の発表だと、うしろのタイヤに一つだけチェーンが着けられていなかったそうよ」

「うん。バス会社は長野県を走ってるから、積雪時の道路に関しては危険性は知ってるはず。だったらチェーンをつけていないのは可笑しいですよね?」

「高速ではなく、国道を走ったのは雪が多いからかもしれないけど、だからこそチェーンをつけてないのは」

「お父さんは意図的なものだって言ってた」

「――――信じたくないけどね……」


 警察はどういうわけか、親族にも連絡をしていなかった。

 家から会社に行くまでの車内で、春那は携帯で大河内や他の社員の家族にも連絡を取り、謝罪と警察からの連絡はなかったなどを尋ねていた。


「やっぱり可笑しいな……」


 それは宿泊旅館に連絡を取った時だった。

あの晩、事故を予感させる電話をしてきたのは、確かに先方の旅館からだった。

 しかし家の電話番号ではなく、あくまで会社の電話を記入していたはずだ。

 それと各自の連絡先。いや、宿泊旅館に対しては、バス会社があまりの帰りの遅さに心配になって、連絡をしたのかもしれない。


「渚さん、バス会社の方にもう一度確認の連絡をしてくれませんか? もしあの日、何事もなく帰る事が出来たら、会社にバスが戻るのは何時になっていたか……」


 そう春那に云われ、渚は携帯を取り出し、バス会社に連絡を取った。

 ガヤガヤと周りが騒がしくなる。

 外に報道陣が来ていた。

 その光景に、いささか疑問点が浮かんだ。

 昨夜のニュースでも、今朝のニュースでも、“耶麻神旅館”という名前は出てきてはいない。

 何の用だろう?と、春那はジッと外にいるマスコミを窓から見ていた。


「もし予定通りだったら、夕方の五時には着いていたそうよ」


 渚にそう云われ、春那はハッと我に返った。


「どうしたの? 春那ちゃん……」

「あ、いえ……」


 春那の視線が外に向いていることに気付いた渚は、自分も同じ方を見遣った。


「通行許可証を見せてもらいましょうか?」


入り口の警備員がそう男性に尋ねる。


「じゃぁ、社長出してくださいよ? 人殺し社長を……」


少し太った男性が怒声混じりにそう云う。


「何を云っている!」

「今朝ねぇ、うちら報道に連絡があったんですよ。岐阜県で起きた転落事故は全員この会社の社員だったそうじゃないですか? しかも先日リストラされている人ばかり、それが全員死んだって事は…… はぁ、これは、完全に人殺しだぁ? そうでしょ? 社長さん? しかも、この旅行を計画したのは、他でもない社長であるあなただ。あなたはこうなることを知っていたんじゃないんですかぁ?」


 男性はしっかりと春那を見遣りながら、全員に聞こえるように云った。

 確かに旅行を計画したのは春那だ。しかし、彼女はこんなことになるなんてゆめにも思っていなかった。


出鱈目でたらめを! 何を証拠に!」

「証拠は社長に訊いたらどうですか? 最も耶麻神ってのは……」


 男性が途端喋るのを止めた。男性の肩を大聖が掴んでいたからだった。


「ちょっと口が軽すぎるんじゃないんですかぁ? それに何でそんなことまで調べる必要があるんです? 人の過去を穿ほじくり返す暇があったら、この事故に関しての詳細を調べた方がいいですよ? 生憎警察は事故として処理してるんですけど」


 決して男性より身長が高いわけではない。

 いやどちらかというと小さい方だ。

 その小ぶりな体系とは別物の威圧感と云うものが、先程まで春那に罵声を浴びせていた男性を黙り込ませていた。


「ほらぁ! 未だ出社している人たちがいるんだ! 用がないんなら……」


 大聖は言葉止めた。丁度入り口に入ろうとしていた社員がいた為、退こうとした為だった。


「くそぉっ! でもなぁ? 耶麻神の過去は逃れられないぞ!」

「勝手に云ってろっ!」


 男性の言葉に大聖は心当たりはあった。

 しかし、今はそれよりも目の前の事に専念する方が大事だった。


「大聖くん、あの記者……昔、耶麻神乱世が何かした事を知っていますね?」

「ええ、やはり多かれ少なかれ、やばい事をしていたのは事実ですし、かといってそれは今回とは関係ないんですけどね」


 大聖は煙草を咥え、火を点けた。薄らと紫煙が立ち昇っていく。


「耶麻神乱世が三十六年前、榊山に住んでいた人たちを殺した……という噂を耳にしている。勿論それは霧絵に逢う前だったし、それが理由で近付いた訳じゃない」

「わかってます。貴方はただ歴史が好きなだけだ。ただそれが一般的に知られている物語の歴史ではなく、その歴史の裏側にある真実を知りたいだけ。蒐集家ならなおの事」

「知られてはいけない歴史ってのはごまんとあるが、だからといって隠していい歴史でもない。ただそれを警察のあんたに訊いても教えてくれないことはわかっているんだがな」

「いいえ、こちらも真実を知りたいですからなぁ? 親子二代にわたってというと可笑しいですが、親父もあの一家惨殺事件に金鹿之神子が関与していたとは考えていなかったと思います」

「親父さんが神子の条件を知ってるからの見解だろ? それに殺された政治家だけじゃない。家族全員が殺されたことにも違和感がある。いや、どうして死体ではなく、白骨死体だけしか残っていなかったか……」


 決して早瀬警部が大聖に事件の事を詳細に教えているわけでない。

 大聖も知っていただけの事。金鹿之神子が己の能力で人を殺す方法を……

 改めて、金鹿之神子が殺戮の力を発揮する条件を述べる。


 一・その人物に対して憎悪を抱く事。

 二・殺す対象が自分の目を見る事。


 条件としてはたったこの二つだけなのだが、憎悪はどうしようもなく殺意に身を任せ、足掻あがけないほどの憎悪を持っていなければ意味がない。

 そして金鹿之神子の力を持っているものには通用しないということも前回の時点で証明されている。


 つまり、金鹿之神子である巴の祖母、鹿波怜が政治家一家を殺すにしても、彼女は白内障をわずらっており、さらには政治家に対しての感情など一切持っていなかった。

 つまりは殺意すら持っていなかったという事になる。


「白骨のDNA鑑定はしてるんだろ?」


 大聖がそれを訊くや、早瀬警部は黙り込んでしまった。

 可笑しな事を訊いたか?と大聖は思ったが、そうではなかった。


「いえ、それは最重要機密ですからね。まぁ、実を言うと私も知らないんですよ」

「別に気にすることじゃないだろう? 事件はもう三十年以上前の話だ。証拠を探そうにも、元から発見した人間も、確かな証拠も少なかったんだろう? 親父さんが金鹿之神子のところに訪ねた事だって、ひとつの賭けだったわけだしな?」

「そうなんですけどね。親父は神子に逢おうとしたのは、あるひとつの仮説があったからなんです」


 早瀬警部はズボンのポケットから煙草を出し、紫煙を昇らせた。


「当時、耶麻神乱世は政治家に対して、莫大な支援金を貸し与えていたそうです。その中には殺された小倉靖もいて、その金で議員になったそうですよ?」


 大富豪とはいえ、一応は一般人である耶麻神乱世が大金を貸し与えたのは、小倉靖に弱みを握られている訳でもなければ、支援するわけでもない。

 彼にとってはただの遊びでしかないのだ。調べたところ、500万ほどの裏金を与えていたことがわかった。


「まぁ小倉靖自身がした訳ではないそうですがね?」

「どういう事だ? 秘書が勝手にやったとでも云うのか?」

「小倉靖は誠実な男だそうで、表評判はいいそうですが、裏ではヤーサンと繋がっていたとか、元隠れ組員だったとか……」


 隠れ組員とはそのままの意味で、組員として入ってはいるが、帳簿には載っていない組員の事を云う。簡単に言えば幽霊社員みたいなものだ。


「早瀬警部なら、そこら辺の組から組員の名簿くらい調べるのはわけないだろう? 餓鬼の頃、不良だった俺だって知ってんだぜ? 不良仲間の間じゃ、仏の早瀬なんて云われてたんだからよう?」

「また懐かしいことを……、もう昔みたいに体が言う事ききませんよ」


 ケラケラと笑いながら、早瀬警部は自分の二の腕を叩いた。


「つまり、小倉靖が殺されたって云うのは、親父さんが耶麻神乱世の線で調べていたのと、若しくは組員による犯行……って事か?」

「親父が金鹿之神子に話を聞いて、当時榊山を私物にしようとした耶麻神乱世を疑って調べたそうですけどね」

「そして、その後に、あの惨劇が?」

「全く犯人がわかっていても、手を出す事が出来ないのは、いやはや全く、何の為に警察はいるんでしょうね?」


 早瀬警部が申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。


「耶麻神乱世が何かしたと云うことだろう? と云う事は政治家一家を殺した事に乱世も絡んでいたということになる」


 ――――確かに不思議ではあった。

 当時榊山には集落があった。

 国がダムを造る時、消滅することが確定している村の人間達には事前に知らせている。

 勿論それで反発が来るのは目に見えているが、榊山は別にダムを造る訳でも、レジャー施設を造るためであった。

 耶麻神乱世も知っていたからだ。あの翠玉エメラルドのような輝きを放つ、夏の榊山を……。

 それともう一つ、あの山に隠されている物を……


「早瀬警部、耶麻神乱世は既に死んでいて、事件は闇の中…… 今は昔のことを穿り返すより、転落事故のことをもう少し調べてくれねぇか? どうも事故って云うより人為的なものって気がするんだよ……」

「全員死んでいるというのも疑問ですね。ただ妙なんですよね? 全員頭を打っている。それは転落時の衝撃でと云うより、前からって事になるんですよ」


 その言葉に大聖は訝しい表情を浮かべる。


「衝撃で殆どの窓が割れていました。両側全てのです。その近くにも人はいたそうですが、解剖の結果、致命傷になる切り傷はなかったそうです」

「それを警察は発表したのか?」


 そう大聖が訊くと、早瀬警部は首を振った。


「いいえ。今はまだ交通事故という点で調べてますから、刑事課の私には……」

「早瀬警部が申し訳なく思わなくていいだろ?」


大聖は早瀬警部の肩を軽く叩く。


「それじゃ、俺は春那のとこに行くよ。すまねぇけど、もう少し調べてくれねぇか? 俺にとっても、霧絵にとっても、いや春那たち姉妹にとって大切な家族同然の人たちを失ってるんだ。どんなことでもいい、理由がないんじゃただの死に損だろうしな」

「わかりました。引き続き調べますよ」


 早瀬警部は一礼すると、車に乗り、走り去っていった。

 大聖はそれを見送ると、警備員に一言挨拶をするや、ロビーにいる春那と渚の所へと歩みだした。


「お父さん?」

「ああ、心配するな?」

 何を心配するかはさて置いて、渚はさっきバス会社から訊いた事を大聖に話したが、既にそのことは早瀬警部から聞いていたようだった。


「春那…… 今は役員も疑わしい……」

「どういうこと?」

「お父さんなぁ、あのリストラにはどうも納得いかないんだよ? 大河内くんも別に悪い社員でもないし、だからといって会社の運営がきつくなってきているわけじゃない。というか、今度新しい旅館が出来るんだから、そっちに持っていけばいいだけの話だろう?」


 本社以外は殆ど大聖自身が現場に行って判断している。

 勿論旅館を建てるかどうかは霧絵の判断と役員達の結果で決まる。


「ええ。たいせ…… あ、いえ、旦那様の云う通りです」

「渚さん。別にいいんだぜ? 俺は元々霧絵の婿養子ってだけなんだしさぁ?」


 渚は霧絵の従姉妹いとこに当たる。

 霧絵が旅館経営を始めるさい、いの一番に使用人として呼んだのが渚だった。

 大聖にとっても親戚に違いないし、頭が上がらない人でもあった。


「でも、旦那様の審美眼があっての成功でしょ? 耶麻神の名前があろうとなかろうと、成功していたってのは確かだと思うわよ」

「おれはただ単純にその場所のいいところを楽しんでもらおうと思ってるだけだぜ? 大河内くんの考えた草スキーだって、冬にしか楽しめないはずのスキーを夏でも出来るって事だしよ? それに餓鬼の頃、よくやってたこと思い出したしなぁ。ほら、餓鬼の頃、どうしてあんなに夢中でやってたかなって思うことあるだろう?」


 大聖がこういうことを話している時は気分を晴らそうとする時だ。


「お父さん…… 大丈夫?」

「大丈夫だ。春那は目の前のことを心配しろ。それと役員が何をするかわからんからな。注意しろ」


 大聖の言葉に春那は首を傾げた。


「役員がどうかしたの?」

「あいつら、俺と霧絵の知らないところで何をしてるか、わからねぇんだよ……」


 その後、大聖は一瞬黙ったが、春那と渚の肩を叩き、奥へと消えていった。


「役員が何かしている……?」


 春那が小さくそう呟くと、うしろからコツコツと足音が聞こえてきた。

 そこには数人の男が固まって歩いており、こちらへと近付いていた。


「これはこれは、春那お嬢様。今朝は大変でしたなぁ。まさか大河内さんたちが事故で亡くなるとは」


 役員の一人がそう云うと、大聖は怪訝な表情を浮かべる。


「はい。今朝の朝礼で、その事を話そうと思います」


 春那の判断は間違いではない。

 事故か事件か、まだわかってはいないが、会社の社員が死んだのだ。報告しないわけにもいかない。


「それは困りますなぁ。今変な噂でも立てられたら、新しく出来る旅館が建たなくなる」

「なっ? 何を言ってるんですか? 人が死んでるんですよ? 報告するのが普通じゃないんですか?」

「今は今年度の決算に向けての書き入れ時なんですよ。今変な噂が立ってしまうと、来年度始めに出来る旅館に悪影響を与えるどころか、既に建っている旅館に客足が悪くなるかもしれない」

「わかっています。でも、隠すような事を……」


 春那が食って掛かるが、役員は小さく含み笑いを浮かべた。


「あなたはまだ見習いだ。経営の事を何も知らない。今は私たちに任せていればいいんですよ」


 春那は何か云おうとしたが、凄みのある役員達の冷たい視線に何も発することが出来なかった。

 その後、朝礼は予定通り開始されたが、事件の事に関しては触れなかった。夜のニュースや今朝のニュースを見ている社員達は事件のことを既に知っており、何故云わなかったのかとその事で話題になっていた。


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