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過去/4年前


 そのしらせが大聖たちの耳に入ったのは、一段と寒い冬の晩であった。

 深夏たちがいつも楽しみにしている音楽番組を見終わり、あの歌手がよかったなぁなどと、父親である大聖や使用人たちと会話をしていた。

 胡坐あぐらを組んでいる大聖を背に、冬歌はうつらうつらとしている。

 当時四、五歳である冬歌にとっては、既に寝むたくなる時間である。それでも頑張って起きていたのは、年に数回、帰ってくるかどうかもわからない放浪癖がある大聖が帰ってきたことが嬉しく、出来るだけ長くいようと思い、頑張って起きていた。


「ほら、冬歌。眠たいんなら自分の部屋で寝なさい」


 ひとつ上の姉である秋音がそう云うが、もはや冬歌は眠りこけていた。やはり睡魔には勝てない。


「冬歌。お父さんはきついんだがなぁ」


 大聖はそう云うが、実際そんなにはきつくなかった。

 その証拠に、秋音や深夏に対して苦笑いを浮かべている。


「しようがないなぁ」


 深夏は冬歌を抱きかかえ、広間を出ると、冬歌の部屋に入っていった。


 テレビは報道番組を流していた。

 政治家が不祥事を起こしたやら、タレントの熱愛報道やら、てんで珍しくも何ともない、平凡なモノばかりである。

 そんな中、廊下にある黒電話が鳴った。

 当時働いていた香坂修平がそれに気付き、そそくさと電話を取った。


「は、はい。わかりました。旦那様に訊いてみます」


 そう返答すると、修平は受話器を本体の横に置き、急いで大聖の元へと戻った。


「どうした、何かあったのか?」

「はい。白川郷へ慰安旅行に行った社員達を乗せた観光バスが、まだ戻っていない……と」


 慰安旅行とは名ばかりに、実際はリストラされた社員に対する、大聖たちの気遣いである。

 実際彼らを大聖たち自身が馘首かくしゅした訳ではなく、役員による勝手な行動であった。

 そもそもリストラというのは、基本的には整理解雇と言われており、企業拡大、もしくは縮小のさいにもちいられる苦肉の策である。

 しかし、耶麻神旅館はグループ会社であり、全国に旅館が点々とある。

 実際、社員や従業員を足せば、万を超えていると云われるほどの大企業だ。

 もちろん、審美眼しんびがんを持つ大聖自身がその現場に赴き、こういう風にすれば面白いんじゃないか、ここはこうでこうだと、自身の考えや地元の人たちの協力、知識を踏まえて経営している。

 単純に客を取るのではなく、その地域にしかない伝統を、いかにして客に楽しんでもらうかが、歴史蒐集家である大聖の考えてあった。

 それにリストラにあった社員も決して悪い社員ばかりではなかった。


「まだ帰っていない? 確か白川郷を出発するのが、今日の昼じゃなかったのか?」

「それだと、帰ってくるのは遅くても今日の晩ですよ? でもバス会社が電話してきてるんです」


 修平の返答に、大聖は訝しい表情を浮かべる。


「観光会社に連絡を、それともう一度バス会社に電話して、確認の裏付けをしてくれ」


 そう大聖が命ずると、修平と澪は外へと出る。

 いかんせん電話は一つしかなく、霧絵が広間にいたからこそ、携帯電話は使用出来なかった。

 そもそもこの榊山では電波が届かないと云われているが、実際は辛うじて使える。

 なぜ使えないという話が広がっていたのか、それは霧絵に対しての考慮である。

 彼女の心臓にはペースメーカーが備えられており、今は携帯といった微々なる電波でも耐えられるものはあるが、埋められているペースメーカーが古いためか、それに関しては全くの無意味だった。

 春那より以前、霧絵の胎内に子が宿っている時はペースメーカーは埋められていなかった。

 だが子を亡くし、心身ともに衰弱した霧絵が入院したさいに点けている。

 春那たち姉妹も持ってはいるが、春那は仕事以外のプライベートでは余り使用しない。深夏と秋音はどちらかと云うと防犯用に持っているし、冬歌は年齢的に持つものではなかった。


「春那! お前は役員に連絡して、むこうにも連絡がきてないか訊いてきてくれ」

「でも、お父さん。こんな時間じゃ……」


 春那は壁時計を一瞥したが、大聖の表情から言い返す事は出来なかった。

 大聖と霧絵にとって社員は家族同然である。

 こんな大企業でそんな人がいるのは珍しいものだが、そもそもこの耶麻神旅館は決して大きくしようと思って始めてはいない。

 うまく行き過ぎたのだ。それは決して大聖の持つ審美眼が理由ではない。耶麻神というブランド名がそうさせていた。

 耶麻神は言わずと知れた大富豪であった。

 その大富豪、耶麻神乱世の孫である霧絵と、婿養子として籍を置いている大聖は、決してその名をけがすような事はしていない。

 今は亡き、耶麻神乱世の力は未だに健在であり、その経営面における才は孫である霧絵に受けつかれていた。

 出資は霧絵の両親がしてくれたが、それは最初の方だけで、後は自分たちの利益や出資、金貸しなどでやりくりして経営している。

 それにも関わらず、万を超える社員がいるのは、その『耶麻神』という名があるからという反面、大聖の人柄にもあった。


 ドタドタと廊下が慌しくなる。


「旦那様、観光会社は旅館関係者から予定通りにバスが出ていると知らされています」

「それとバス会社の方も旅館にその裏付けを取っています」


 広間に入ってきた澪と修平がそう大聖に報告する。


「つまり、その道中に何かがあったという事か?」


 時刻は既に夜の十時を過ぎていた。

 いくら長野から白川郷がある岐阜まで、態々《わざわざ》下の道を通るとは考え難く、高速を走っていくのが妥当である。

 しかし、この冬の時期に高速を走るのは少なく、大雪が降れば通行止めになるのはよくある事だった。


「お父さん? 会社の方にはそんな連絡は届いてないって」

「どういう事だ? うちに電話があったのに、会社の方には連絡がきてないのか?」


 そう聞き返すと、春那は頷いた。


「それは可笑しいだろ? 先方の旅館には、ここの番号じゃなく、会社の連絡先を書いてるんだ。それに旅行会社やバス会社にも――」


 社長代理である春那自身がその番号を先方である旅館やバス会社に知らせていない以上、電話をかけはしない。

 春那が耶麻神旅館の方に確認を取って、バス会社からの連絡が来ていないことを確認している。

 それはつまり、会社が大聖たちの家の連絡先を、バス会社に報せていないということでもあった。


「しかし旦那様、現に旅行会社自らがこの屋敷に電話をしてきています」

「香坂くん。もう一度バス会社の方に連絡してくれ」


 そう大聖に命じられ、修平は再び外へと駆けていった。

 さて、どうしたものか……と大聖が腕を組み返すと、テレビのニュースが目に入った。


『本日、国道三六〇号線で、観光バスの転落事後が起き……』


 その報道に皆がギョッとした。

 国道三六〇号線は、長野から岐阜、いては白川郷へと繋がっている国道線である。


「――大聖さん?」


 霧絵は声をかけようとしたが、大聖の無言による圧迫からか、何も云えなかった。


『昨夜から続いた雪によるスリップ事故と判明され、警察によりますと、一部タイヤにはチェーンが着けられておらず……』


 昨夜から今朝にかけて、確かに中部と信濃方面では雪が降っていたことを大聖たちは知っていた。


『また、バスは陸棲観光のものであると判明。十メートル下まで落ちており、捜索は難航しているそうです』


「嘘…… だろ……?」


 旅行会社の名が出るや、その場の空気が凍り付いた。

 途端家の電話が鳴り出す。


「澪くん! 出て来てくれ」


大聖に命じられ、澪はそそくさと廊下へと出た。


「何かあったの?」


 広間に戻ってきた深夏が春那に尋ねる。


「深夏、ごめんけど、自分の部屋に戻ってくれる?」


 深夏は春那の表情や口調から、ただことではないと理解する。

 テレビのテロップに旅行会社の名前が出ていたのを、深夏は見逃さなかった。


「大河内さんたちが、どうかしたの?」

「いいから! 部屋に戻ってて!」

「心配しちゃいけないの? だって私、小さい時から大河内さんやあの子とお世話になってるのよ?」


 春那の怒声に深夏は食って掛かった。


「そんなの私だってそうよ! 秋音や冬歌だって! でも、会社の事は口を挟まないって云うのが――」

 

 ――うるさい!


 決して大きな声ではなかった。

 それでも春那と深夏にとっては劈くような声だった。


「ご、ごめんなさい……」

「春那、今は社長代理としてではなく、知り合いとして心配したらどうだ?」

「う、うん……」


 春那と深夏は顔を俯かせる。


『それに未だ死んだとは限ら……』


 そう云おうとした時だった。


『先程警察の発表があり、転落事故による死者は30人…… 乗客全員が死亡したとの事です』


 たった一人くらい……。その言葉が大聖の脳内に巡った。

 いや、バス会社というのは、一日に何台もバスを出している。

 若しかしたら偶然同じ国道を走っていたんだ。

 しかし、そんな大聖の思いなど、容易たやすく崩された。


『死亡したのは…… 大河内…… 智紀…… 他数名が遺体で発見され』


 ニュースキャスターは、ただ淡々と原稿を読んでいるだけである。

 しかし、それを聞いた安否を心配する人間にとっては、死刑宣告と同様のものだった。


「くそぉ! くそぉっ! くそぉっ!」


 大聖が怒号を挙げながら、畳を殴り続ける。


「お父さん…… 落ち着いて……」


 春奈と深夏が大聖を宥める。


「すまない。こういう時こそ冷静にならなければな」


 大聖は頭を振るい、ゆっくりと頭を上げた。


「春那、もう一度会社に連絡を。深夏、大河内くんの家にも連絡を頼む。お前が一番世話になっていたからな」


 そう大聖に云われ、春那と深夏は二人して、廊下に出た。

 二人が廊下に出るや、秋音が心配そうに澪の傍にいた。


「秋音、どうかしたの?」


 深夏がそう声をかけると、秋音はそちらに振り返った。


「それが、さっきから可笑しいの」

「――可笑しいって?」


 秋音の言葉に深夏は首を傾げる。


「さっきから無言だったり、出るといきなり『死ね!』って云われたり……」

「――どういう事?」

「わからないよ。でもまるでタイミングを計ったように、電話が鳴り止まないの!」

「それってつまり、同じ人が電話をかけてるって事?」

 春那がそう尋ねると、「いいえ、先程から電話の対応をしていますが、全員が同じような声ではないようなんです。まるでむこうに何人もいるような感じで……」


 澪にそう云われ、さらに訝しい状況になっていた。


「深夏。さっきお父さんに云われた通り、大河内さんのところに連絡して」

「大河内のおじちゃんがどうかしたの?」


 秋音がキョトンとした表情で訊いてくる。

 秋音も大河内家族の世話になったことがあった。


「さっきバスの転落事故のニュースがあったの…… その中に……」


 春那の説明を秋音はただ黙って聞いていた。


「――嘘でしょ?」


 話が終え、秋音は確認するように聞き返した。


「人が死んだ報道で、嘘が云える訳ないでしょ!」


 春那自身も嘘であってほしいと願った。

 しかし、先程転落死した人物の名がリストアップされ、その全員が慰安旅行に行った者達だった。

 一人くらいは同姓同名がいたかもしれない。

 しかし何人も知っている名前が挙がると、それはその人物以外の何者でもないという証拠でもある。


「そうだ! 早瀬警部に連絡はしないの? 警察が発表したんなら、協力してくれるんじゃ?」

「転落事故があったのは国道三六〇号線。長野県の県道なら、まだ調べてくれてただろうけど、管轄外の事故だったら警察は動いてくれないわよ」

「どうして? なんでぇっ? 警察って市民を守るのが役目じゃないの?」


 秋音の言葉が、痛く春那の気持ちを代弁しているようだった。


「秋音、警察を信じるなとは云わないわよ。早瀬警部や舞さんにもお世話になってるし……。でも、目の前で事故があっても、管轄内でない以上、警察は見向きもしないものなのよ……」


 春那は自分に言い聞かすように、秋音に言う。


「それに管轄内だったとしても、交通事故は交通課の処理になるから、刑事課の早瀬警部が関わる事にはならないと思う」

「そんな……」


 そう姉妹達が話している時だった。


「それが自然になっていればの話……ならな……」


 いつの間にか廊下に出ていた大聖が霧絵を連れて、春那たち四人に話しかける。


「深夏、秋音、すまないが今日は休んでくれないか? 明日も早いだろ?」


 大聖がそう云うと、二人はどうしてと言い返そうとしたが、大聖の決して見せることのない曇った表情を見るや、黙り込んだ。

 その表情はまるで今から二十年前、霧絵の子が亡くなった時の表情と似ていた。

 深夏と秋音は大聖の言葉に従い、二人はそれぞれの部屋に戻った。


「――お父さん?」

「ニュースでタイヤにチェーンが着けられていないと云っていただろ? そこがまず可笑しいんだ。この時期に雪が積もっていないとは考え難い。だからこそ用心してチェーンは着けているはずなのに着けていない。そんなのは自殺行為だし、雪が多いこの地域では先ず考えられない事だろう?」

「う、うん。私も歩く時は裏に雪駄せったがついてるような長靴を履いてるし……」

「それは滑らないようにするためだろう? 広い道だったら、大してではないが……」

「それがバスになると…… それじゃ…… 殺人?」

「とは限らん。もしかしたらあの報道の通り、着け忘れによるものかもしれない」


 しかし、大聖の考えは違っていた。

 いくらなんでも、そんな馬鹿げた事をするとは思えない。

 大聖は自分でこの地域は雪が多く、その事故の怖さを知っているからこそ、用心しているはずだ。と云っている。

 それに二泊三日で、連日小降りではあるが、その間、雪が止んではいない。

 昨夜から昼に掛けては豪雪とまではいかないが、この地域では然程珍しくもなかった。

 ――――だからこその疑問なのだ。

 自らの命を投げ出すとは考え難い……。もっと意図的なものか? 道中何かを踏み、パンクしてしまったためのスリップか……などと色々模索してみたが、結局報告がなければ意味がない。

 朝になるまで大聖は一人、徹夜の対応をしていたが、殆どが悪戯電話だった。


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