丗肆【8月12日・午後7時10分】
銃声が聞こえた。何度も何度も……その度に秋音は身を震わせ、叫ぶのを我慢している。
「警部!」
「ええ。犯人は容赦ないみたいですね……」
植木警視は戸を小さく開け、横目で廊下を見ている。
下手に顔を出せば流れ弾に当たるからだ。
「舞ちゃん! 瀬川さんの姿は見えますか?」
「いえ、先ほど窓の死角になるよう、書斎と広間の間にある廊下に非難した模様。その後は何度か様子を見ていたようですが、今は姿が見えません。向こうも諦めたのか、それとも弾を込めているのか、奇妙なほどに静寂しています」
「行きたいのは山々ですが、使用している拳銃がリボルバー式なら少なくとも弾倉に弾を込めるのに時間が掛かります。ですが、自動式だとマガジンを変えればいいですから、どちらかと云うと前者が好ましいですね」
「しかし奇妙ですね? 今まであんな殺し方をしてきた人間が、そんな狙わないと殺せないようなものを使ってくるなんて、私だったら散弾銃とか、量で攻めますが?」
「あちらさんは余程銃の腕に自信があるんでしょうな? それに散弾銃だと銃痕が死体以外にも残りますしね。やはり一発の方がいいんでしょう」
そう早瀬警部と植木警視が話している最中、私はずっと秋音の傍にいた。
確かに私の力を真似て殺してきたやつらが、銃を使ってくるなんて可笑しい。
それに厨の方でも聞こえてきた。多分ハナはそこにいるんだろうけど…… もう生きてはいない。
秋音は衰弱したように眼が虚ろになっている。
それでも意識を保とうとして、噛み締めた唇から血が流れているし、強く掴んでいる私の腕には爪痕がある。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。瀬川さんは?」
「無事……とは口に出来ませんな」
「……はい」
早瀬警部が言葉を濁らしたが、秋音にはわかっていた。
無事に帰ってくるとは到底思えないから……
大きな銃声がひとつ…… 今までで一番いやな銃声……
また一発……一発と……廊下からではなく、裏口の方から聞こえてきた。
その音で……私は正樹がこの舞台から退場された事がわかった。
「先輩…… 今の銃声は……」
植木警視が今までの銃声とは違うことがわかった。
「誰かが…… 撃たれた…… それも…… 何発も……」
早瀬警部は壁を殴り、声を殺した。
本当はどれだけ叫びたいのか、それは全員が触れられない事だった。
銃声は止み、それから数秒ほど経ったが、銃声は聞こえない。
「舞ちゃんはここにいて……いいですね?」
「はい…… 必ず帰ってきてください」
早瀬警部の言葉に植木警視が答えるが「それはちょっと守れそうにないですね?」
「え?」
「でもまた逢えるでしょう? こんどは皆さんで犯人も一緒に八月十三日の朝日を見ましょう……」
早瀬警部は振り向かず、それだけ云って出て行った。
「先輩? それは一体どういう……」
植木警視が何か云おうとしたが、早瀬警部は廊下を駆けていき、姿が見えなくなった。
「今度は? まるでもう逢えないような……」
植木警視が訝しく廊下を見る。
シン……としていて、冷たい夜風が隙間から入ってくる。
「植木警視? 四十年前、榊山で起きた猟奇殺人がどんなものなのか、警視自身は何か知ってるんですか?」
突然私にそう訊かれ、植木警視は振り向いた。
「ええ。先輩に調べて欲しいといわれましたし、大聖さんにも」
「お父さんにも?」
「あの鮫島渚さんが自殺……いえ、殺されたことは御存知ですか?」
「いえ、でも渚さんが会社を辞めたというのは耳にしています。でも殺されていたなんて……」
「鮫島渚さん以外にも、此処で働いていた使用人も…… 殺されているんです。それも……」
何か云おうとしたが、植木警視は言葉を止めた。
「続けてください。もう何を聞いても驚きませんから」
秋音がそう云うと、意を決したのか、植木警視はゆっくりと口を開いた。
「三ヶ月前まで、此処で働いていた“香坂修平”という方は御存知でしょうか?」
「あ、はい。香坂さんはよく冬歌と遊んでくれてましたから……でも、三ヶ月前に理由もなく、それこそこれまでの使用人の方々と一緒のように」
植木警視は懐から、手帳を取り出し、静かに口を開いた。
「先日…… 八月五日に餓鬼岳の外れで変死体になって発見されたんです」
「……変死体で?」
「はい。死体の状況は……」
植木警視が説明しようとすると「もしかして、今回の死体と同様じゃ……」
私がそう尋ねると、植木警視は頷いた。
「似てはいますが、眼球は抜かれていませんでした」
「それじゃそれをやったのも……」
秋音は口を震わせ、言葉を止めた。
瞳孔は開き、信じられないものを見ているようだった。
「何ですか? そんなに早く見つかりましたか?」
何よそれ? まるで自分が殺したような……
そっか、こいつが今までの殺人を犯した脚本家なんだ……
少し振り向けばいい。首を動かせばいい。
そんな簡単な事も出来ない。
目の前で恐怖に震えている秋音の表情を見ればわかる。
「もう少し、見つからないところに捨てればよかったですかね?」
何が捨てるよ……まるで物みたいな云い方して……
「出来れば穏便に済ませたかったんですけどね? 今回ばかりは…… 銃を使わざるおえませんでした……」
そうか……今の今まで殺人が起きても、その痕跡がわからなかったのは、消せないものがなかったから。銃痕は消せない。だから、ずっと誰にもわからなかったんだ。
「あなたがこんな事を?」
植木警視も首を回せないでいる。
「いいえ? 実際は他の人が動いてくれてましたが…… でも、まさか…… こんなところで植木警視に逢えるとは思いませんでしたよ? それに見た事もない方もいらっしゃる?」
声は冷静で、まるで最初っから勝つ事がわかっている人間の口調。
「あなた以外にも共犯者がいるということですね?」
「ええ。先ほどもいいましたが、私は動いてはいません。これは後始末ですよ。簡単に言えばお方付けですかね? もう全部終わったので……」
声はゆっくりと植木警視に銃口を蟀谷につき付け、躊躇なく…… 相手の悲鳴も聞くまでもなく……
血飛沫と眼球が爆風で飛び出し、それが私や秋音に飛び散る。
声が出ない。悲鳴が出ない。叫べない。叫びたくても…… 見えない猿轡をされているような……
「次はあなたです。秋音お嬢様……」
そう言うと、秋音の喉笛に銃口を付き付ける。
そして躊躇なく撃ち殺した。
「くっくっく…… くくくくくくくく……」
影は懐から小さなナイフを取り出し、秋音の顔の縁に沿って切れ込みを入れていく。その跡から血がだらだらと流れていく。
ベリベリと皮膚は剥がされていく音が部屋中に響き渡り、、赤い無数の血管や筋肉が露になっていく。
なんだ……鍬なんて使わなくていいじゃない? 凄く簡単な遣り方じゃない? 皮を剥げばいい……
わかるわけないでしょ! わかるわけないでしょ! そんな残酷な殺し方! これ以上にない単純な殺し方! わかるわけないじゃない! 魚じゃないのよ? 鶏じゃないのよ? そんな簡単に何の躊躇もなく、人間の皮を剥げる? 剥げられる?
ゴボッと源泉が泡を吹くような音が聞こえた。それからプチプチっと血管が切れていく音。今までもそうしていたの? やっぱり何の躊躇もなく?
「待ちなさいよ…… あんたが誰かはわからないけど…… 逃がしはしないわよ……」
私は憎悪に満ち、眼球が赤くなっていくのがわかった。
「生きて帰さない…… 言葉通りの意味…… あんたも死んで…… この舞台は終わり……」
私は相手を捕まえ、顔を自分に近付けた……
眼と眼が合う。これで…… こいつは……
…………え?
なんで……なんで? こいつ……平気なの?
なんで平気な顔してるの? 私……こいつに対して……殺したいほど……逃げられないほど……憎悪を持っているのに……
何で死なないの?
あ…… そうか…… 大事なこと忘れてた……
もしかしたら…… こいつにも…… 私と同じ力があったかもしれないんだ。
同じ力を持っている人間に……私の力は通じない。
それは私が正樹にした事じゃない?
……何忘れてるのよ?
「あっ…… がぁ……」
お腹が熱い。火傷しそうなほど…… 何発も…… 何発も…… 何発も……
煩いわよ? 一回で十分でしょ? 何回も撃たないでよ?
意識が遠のく中、狂ったような鹿威しの鳴る音が聞こえた。
第三話終了です。香坂修平は少しばかりキーパーソンとなります。
また、前(丗参)において、手紙はどうして殺人者(脚本家)を赦してほしいと書いてあったのか、それに関しても、第四話で明かされることになります。