丗【8月12日・午後5時20分】
廊下の真ん中に霧絵の死体が捨てられたように横たわっている。
顔の表面だけが髑髏を露にし、鍬か何かで耕されているような感じだった。
例の如く、眼球は抜き取られている。
それ自体も奇妙なことにかわりはないのだが、死体の周りに血が広がっていないのが不思議で仕方がなかった。
あれだけ顔がグチャグチャになっているにもかかわらずだ。
恐らく、深夏と同様、別の場所で殺し、ここまで運び込んだのだろうか?
早瀬警部は至って冷静に霧絵を見ている。
やはり職業柄慣れているのだろう。
私も四十年前、麓の人間達を殺したさい、似たようなものを見ているし、今までも同じような……いや、同じようなじゃない?
だって今まで、霧絵が発見された場所は気付かなければ一生見つからないかもしれない場所だった。
まるで今回の殺戮は、慌てて遣っている気がする。
だって、死体は見つからなければ一生わからない。
前二回、渡辺洋一が鶏小屋で発見されたのだって、正樹が気にならなければ……
ううん、澪や繭のどちらか、それこそ渡辺の姿が見えないと霧絵たちが疑問に思わないと見つかる訳がない。
それこそ今までの事だってそうだ。
渡辺が殺された後、春那と深夏が殺されたのだって、二人が自室にいた時じゃない?
それこそ冬歌だって同じ状況だっただろうし、まるで秋音以外狙っていなかった……
時間制限があるとしか言いようがない。
いや、今までだって、春那と深夏が殺されたのが夜中だったとしたら、冬歌だって似たような状況だった――だけど殺さなかった。
「鹿波さん? 鹿波さん!」
早瀬警部に呼びかけられ、彼を見遣った。
「霧絵さんを部屋に運びましょう。さすがに廊下のど真ん中に死体があったんじゃ、春奈さんたちが辛いでしょ?」
そういわれ、私は頷いた。
確かにこれ以上野晒しにするのは気が引ける。
腕のところを早瀬警部が持ち、私は足のところを持ち上げた。
身近にあったのは冬歌の部屋だった。部屋には冬歌の死体。その横に霧絵を横たわらせた。
死体をおいた後、私は握り拳を作っていた。
わかっていた……本当は運命なんて変えられるわけがないって、だってほんの些細な運命を変えたところで、結局みんなが死んでいくんじゃ、それこそ何の意味もないじゃない?
私や舞がやってきたところで、状況はなにも変わらない。
大聖との約束なんて果たせない!
自分との約束も何もかも果たせてないじゃない!
「鹿波さん、部屋を出ましょう」
そんな私の憤怒に似た表情を察したのか、早瀬警部がそう訪ねる。
――私は頷く事しか出来なかった。
廊下を出ると秋音に出逢した。
「何遣ってるの? 出来るだけ一人になるなって」
「あの? 母さんの……」
「ああ、冬歌さんの部屋に運びました」
早瀬警部がそう云うと、秋音は納得したのかそれ以上は尋ねなかった。
「犯人はどうして人を殺すんでしょうか?」
秋音は誰かに尋ねる訳でもなく、まるで独り言のように呟いた。
「もし何か理由があるのなら教えてほしいです。母さんや冬歌の死体から眼球を盗んでいるのが、金鹿之御子が持っている力を得るためなら、それも一つの理由だと思います。でもどうして深夏姉さんや冬歌の誕生石も一緒に盗んでるんでしょうか?」
確かにそれも釈然としなかった。
もし犯人……いや、渡辺たちが霧絵や姉妹以外、私と正樹にもその眼がある事を知っているとしたら、私達だって殺されている。
それに昨日の、正確に言えば今日の午前三時くらいに正樹が滝まで行った時だって、絶好の好機だったはずだ。
やっぱり順番があるのだろうか?
でも、眼球を盗む以外にどうして誕生石も盗んでいるのだろうか……?
深夏の死体は正樹が書斎で発見して以来、ずっと動かしていない。
さっき見に行ったけど、顔は見られたものじゃないし、ブラウスのボタンも外れかけていたから、無理矢理お守りを盗もうとして抵抗したのだろう。
それってつまり眼球が重要じゃなくて、誕生石の方が重要だという事?
「秋音? 春那は正樹と一緒なのよね?」
「あ、はい。舞さんも一緒……」
何か云おうとした秋音は、頻りに早瀬警部を見遣った。
「どうかしましたかな?」
惚けたような口調で早瀬警部が秋音から視線を外す。
まぁどうして疑問に思ったのかは云うまでもないのだけれど……
「大丈夫なんですか? お体の方は」
「あ、いやその? ほら、ジッとする……」
「そんな大怪我をして! 動き回らないで下さい!」
秋音が大声を張り上げる。
「大丈夫よ? 秋音……」
「何が大丈夫ですか? そんなに傷ついて!」
「だからぁ? 早瀬警部がそう簡単に殺されるわけないでしょ? そりゃやつらに襲われたって云うのは本当でしょうけど? 致命傷を受けるほどやわじゃないでしょ? それに、早瀬警部は狸よ、狸。敵を騙すにはまず味方からって言葉もあるでしょ? どうせ血糊とかそんなんでしょ?」
私がそう云うと、秋音は未だ信じられない顔で早瀬警部を見る。
「ほ、本当なんですか?」
「そうでもなければ、庭で霧絵や正樹と一緒に話せる訳ないでしょ? あの時壁に凭れているわけじゃなかったしね?」
そう自分の口から説明しておきながら、違和感を感じた。
「……どうしましたかな?」
私の顔を覗き込むように早瀬警部が尋ねる。
「なんで犯人は早瀬警部と植木警視を殺さなかった?」
「どういう意味ですか?」
私の言葉に秋音が尋ねる。
「早瀬警部は昨日の昼間、屋敷に来て、それからやつらに襲われているし、植木警視は書斎で殺されかけていた。もちろん二人とも重症だと騙れていればいいけど」
「もしかして、今まで姉さん達やタロウたちを殺した犯人が、どうして警部たちを殺さなかったのかが気になるんですか?」
「あんな残酷な殺し方をしている犯人が、たとえ嘘でも虫の息だった二人を今の今まで殺さなかったのが不思議でしょ?」
「確かに今迄のことを考えると、私もそうですが、舞ちゃんだって殺されていても可笑しくはないですね?」
早瀬警部が頭を掻きながら呟く。
今回に至っては、どうも向こうは焦っている気がしてならない。
今までは最初に渡辺を殺したように見せかけて、一回目は深夏を殺害。その後タロウ達を殺戮。冬歌・春那・霧絵・澪・如月巡査・早瀬警部・秋音・正樹の順番に殺していた。
二回目は春那を殺して、その次は変わらずタロウ達を殺してる。それからは、霧絵・冬歌・繭・秋音・澪・如月巡査・深夏・早瀬警部・正樹の順番。
だからこそ可笑しい。
今迄だってあんな惨い殺し方をしている犯人が、最初に誰も殺さずにタロウ達を殺してから、澪と繭、冬歌、深夏、霧絵と殺している。澪と繭に関しては、そもそもどうして身代わりみたいな事をするのだろうか?
もし植木警視が云う通り、澪と繭が犯人の一人だったら、どうして殺した?
そもそも殺す理由なんてあるのだろうか?
それにもう一つ奇怪な点がある。
たとえば澪が犬笛でタロウ達を殺し合わせたとしても、ハナが助かったとは思えない。
――ハナ?
私は立ち止まり、廊下の隅々まで見渡した。
昼間、犬小屋で私や早瀬警部、深夏、冬歌と一緒にいて、それから深夏と冬歌が屋敷に帰ると云って、一緒に戻り、そのまま行方不明になっている。
もしその間に犯人に連れて行かれるなんて……
忠誠心の強い犬種であるドーベルマンのハナが、霧絵や姉妹達以外に言う事を聴く人なんて―― 澪しかいないじゃない?
それじゃ澪がハナを連れて行ったの?
でもそれならどうやって冬歌と深夏を殺した?
別の場所で殺したのなら、話はわかるけど、冬歌に対してはほんの数分も経っていなかった。
そんな刹那に似た状況で眼を抉り取るなんて事は出来ないし、そもそもハナ自身もなにかしら違和感を持つ。
ハナも澪と繭が死んでいる事を知っているはずだから……
「ハナ…… ううん、タロウ達は澪の云う事はほとんど聞いていたの?」
「あ、はい。訓練も澪さんがしていましたし、散歩とかは私達もしていましたから。冬歌はどちらかと云うと遊んでいたって感じですね」
「それじゃそれ以外の人のいうことは?」
そう質問を重ねると、秋音は思い出すような仕草を見せる。
「うーん。どうしてか渡辺さんの言う事だけは聴きませんでしたね。それどころか渡辺さんが小屋に近付くだけで吼えてましたから」
それを聞いて、あの日タロウ達が私に見せた白骨死体を思い出した。もしあれが辞めていった従業員のだとしたら?
そもそもどうしてあんなわかりやすい場所に埋めているのか?
「ねぇ? タロウ達が悪戯で穴を掘ったりとかしない?」
「それ多分クルルの方じゃないですかね?」
秋音に訊いた質問をどうしてか早瀬警部が答えた。
「クルルはよく玩具を隠すんですよ」
「あ、この前深夏姉さんが『キーホルダー無くした』って…… それで探していたら、犬小屋にあって……」
「それじゃ…… たとえば鳥の骨とかも埋めたりする?」
「そんなのしょっちゅうですよ? 唐揚げとかが夕食に出た時は特に喜んでますから……」
それじゃあの埋められた骨は人のではないということ?
でも髑髏が出てきて、あそこに誰かが埋められていた。
よくあの穴に鳥の骨が埋められていたとしたら、誰も違和感を感じないだろう。
髑髏が見つからないほどに深いところまで埋まっていれば……
あの時タロウ達が私に見せたのは、クルルが埋めた物とは思えないものが埋められていた……って事になるんじゃ?
それに私が一瞬眼を放していた空きに髑髏を盗んでいった。
ご丁寧に掘った後も残さずに……
四十年前の殺人が原因としても、どうして渡辺洋一はこんなことをするんだろうか?
それこそ春那が生まれる前から恨みがあったとしたら、それはいったいどんな怨みなんだろうか?
人を此処まで残酷に殺せる怨み……
一瞬、渡辺洋一が自分と重なった。
あの時麓の人間達に集落の人たちを殺されたと勘違いしたとはいえ、深い憎悪に身を任せて、私は神子の力を使った。
もし彼が私と同じ力を持っていたとしたら、それは途轍もなく冷たい深海だろう。
深い深い闇の中に……躰は引き寄せられていく……
憎悪に引き寄せられていく……
何も見えない……ただ真っ赤に染まった人だけが目の前にいた。