廿玖【8月12日・午後5時12分】
「それじゃ、大和先生と睦さんも?」
舞さんが悔しそうに唇を噛み締めながら呟いた。
その口調からして、どうやら二人の事も知っているようだ。
「院内は見るに無残なものでしたよ。その中には誰のものかもわからなくなってましたからね」
「それって、どういう?」
早瀬警部の説明にいまいち想像が出来ない春那さんだったが、その表情から察して「もしかして、バラバラにされていたって事ですか?」
「五体を……まぁ、そんなものは普通に一件や二件あっても可笑しくはないんですけどね? それはあくまで五体をバラバラにした場合。あの地獄絵図は五体はおろか、五臓六腑を無造作に捨てられていました」
それを聞きながら、僕の横で鎮座していた秋音ちゃんが僕の服の裾を握り締めていた。
恐らく彼女は想像してしまったのだろう。
顔は青褪めており、手で口を押さえている。
「まさか? それも……」
春那さんがそう尋ねると、早瀬警部は視線を逸らしながら「恐らく」
と、たった一言だけ吐いた。
僕はちょうど立ち上がろうとしていた鹿波さんに声をかけた。
「――何?」
案の定、突然声を掛けられ、鹿波さんは一瞥するように僕を見た。
「秋音ちゃん、またお願い出来ないかな?」
そう言われ、僕を見ながら秋音ちゃんは不思議そうに首を傾げたが、僕の言いたい事がわかったのだろう。
少し頭を振ると、鹿波さんと一言、二言会話し、廊下へと出て行った。
「ちょっと、どうするんですか?」
やはり、春那さんと舞さんが僕に言い寄ってきた。
「大丈夫ですよ」
僕が普通の顔でそう言ったものだから、さらに二人は怪訝な表情を浮かべる。
「な、何を根拠に?」
「昨夜、澪さんと繭さんが殺された時、冬歌ちゃん以外の皆が霧絵さんの部屋で金鹿之神子の話をしていました。身代わりを使っているかもしれない犯人が、たった一人で寝息を立てていた冬歌ちゃんをどうして殺さなかったのか…… 多分、逃げる場所がなかったからじゃないんですか?」
「でも、冬歌の部屋は外側で窓がありますし」
「そこから出入りすれば問題はない。だからと言って、あの窓を誰が開けるんですか?」
「確かに それじゃやっぱり犯人は……」
舞さんが何か思い出そうとしている。
「今使っていない部屋ってどこですか?」
「客室は使ってませんけど」
「客室に潜んでいるとしたら、深夏さん達を連れ去る事は容易ではない。なら、誰も入る事が出来ない場所……」
「――誰も?」
考え込む舞さんに対して、春那さんはハッと気付いたように「父さんの部屋?」
そう言うと、春那さんは自分の部屋へと走っていき、一分も掛からずに戻ってきた。
「やっぱり! やっぱりなくなってる! 父さんがもしもの時にって私と母さんに渡してるあの部屋の鍵が亡くなってる!」
「多分、屋敷の人が留守のあいだ、盗んだか、偽造したかでしょうな」
「でも、大聖さんの部屋って殺風景でしたよね?」
舞さんがそう訊くと、春那さんは頷いた。
「父さん、書斎は綺麗なんだけど、自分の部屋は寝れればいいって感じで……」
「まぁ、元々放浪癖があリましたからな」
早瀬警部が壁に凭れ、天井を仰いだ。
「しかし、解せないのは、三人の関係性ですね? 一概に使用人だからというのは考え難いですし……」
舞さんの言う通り、渡辺さんをはじめ、繭さんと澪さんが関与しているし、早瀬警部が見たと言っている植木屋の事も気になる。
「春那さん、ここ最近植木屋に頼んだ事ってないんですか?」
僕がそう尋ねると、間髪無しに頭を振った。
「いいえ、この屋敷に植えられている物は余り手を掛けないようにしているんです。松が植えられてはいますけど、勝手に枯れて、勝手に落ちる……自然に咲いている物は自然に任せるのが一番だと父から言われていますので」
「それじゃ、植木屋が来る事なんて、まずないという事か?」
「だとしたら、私を襲ったその作業員達は」
舞さんがそう言うと、僕と早瀬警部は驚いた形相で彼女を見ていた。その表情から、舞さんは少しばかり後退りしていた。
途端、春那さんがそわそわと周りを見ていた。
「どうかしたんですか?」
「鹿波さんが一緒とは言え、少し遅いのでは?と」
「しかし、二人が出て行ってから、まだ三分も経ってませんよ?」
舞さんがそう言って春那さんを宥めようとしている。
その刹那、襖が小さく音を立てたが、そこに立っていたのは秋音ちゃんだけだった。
「か、鹿波さんは?」
春那さんがそう尋ねるが、秋音ちゃんは微動だにしない。
「ねぇ、どうしたの?」
その異常なまでの空気で察したのか、春那さんは廊下を見渡した。
――途端、ある方向に視線が止まった。
そして、秋音ちゃんの頭を軽く撫でると……
「うわぁあああああああああああああああああああああ――っ!!」
突然秋音ちゃんが崩れるように跪き、悲鳴をあげた。
「秋音はここにいて! いいわね!?」
そう告げると、春那さんは廊下へと出て行った。
ただ事ではない事は直にわかり、僕は廊下に出ようとしたが、秋音ちゃんが僕のズボンを引っ張って放さない。
「いやっ! もう! もう、一人にしないでっ!」
その泣き崩れた顔から、殺されたのが――いや、前にも同じ事があった。
「警部、立てますか?」
舞さんがそう言うと、早瀬警部は彼女の手を拒んだ。
「大丈夫ですよ、一人で立てますから。瀬川さん、秋音さんの事お願いしますね」
そう言うと、フラフラと立ち上がりながら、早瀬警部は壁伝いに春那さんのところへとゆっくり歩いていった。
僕と秋音ちゃんを見ながら、舞さんはその場に坐った。
「秋音さん、落ち着いて話してね? いったい廊下で何を見たの?」
舞さんがそう訊くが、秋音ちゃんは肩を震わせながら、僕に抱きついている。
「秋音ちゃん、何を見たんだい?」
僕も訊こうとしたが、やはり肩を震わせながら、強い力で僕にしがみついている。
ふと前にもこんな事がなかっただろうか……と思った。
「言えないほど……言えないほどのショック……あの時、あの時と同じ……」
舞さんが何か思い出したように呟いた。
「あの時って? もしかして秋音ちゃんが誘拐された時ですか?」
そう訊くと、舞さんはどうして僕がその事を知っているのか不思議に思いながらも、小さく頷いた。
「秋音さんが誘拐された時、一緒に男の子がいました」
「その男の子が誘拐犯に銃で撃たれ、それを見ていた秋音ちゃんはその後遺症で雷とかの劈くような音が嫌いになった」
「しかし、それは秋音さんが次第に大人になっていけば、自然と治ると思うんです。でも、目の前で人が殺された……殺される瞬間を見ている彼女は何かから逃げようとしているのかもしれません」
「――と言うと?」
「それは彼女が話してくれる時を待つしかないんです」
舞さんがそう言うと、ゆっくり秋音ちゃんの頭を撫でていた。
「あの、その時事件の捜査をしていたのって早瀬警部だったんですよね?」
「はい……それと私の父も携わっていました」
「舞さんと澪さんのお父さんが?」
僕が何かを言おうとすると、胸元から小さな寝息が聞こえてきた。ゆっくりと秋音ちゃんの顔を覗くと、苦しそうな表情を浮かべてはいるが、どうやら眠っているようだった。
「安心してるんでしょうね? 貴方、大聖さんに凄く似てらっしゃいますし」
舞さんはそう言うが、僕は首を傾げていた。
「そんなに僕って似てますかね?」
「秋音さんは凄いお父さんっ子なんですよ。だから、大聖さんが自分の我儘で買ってくれたフルートをあんなに一生懸命大事にしてますからね。こんな金持ちの家に住んでいたら、少しばかり我儘を言っていいものを言うと思ったんですけど、秋音さんは本当に喜んでましたよ。いいえ、春那さんも、深夏さんも、冬歌ちゃんも自分達がお金持ちである事を心から望んでないんじゃないんですかね?」
「霧絵さんも言ってました。普通に民宿を大聖さんと一緒にしたいだけだって…… 有名じゃなくてもいい。ただその時にお客様が笑顔で来て下さり、満足して帰ってくれれば、それだけ自分は幸せだって言ってました」
僕がそう言うと、舞さんもそう頷いた。
「霧絵さんも、大聖さんも、ただこの山の山紫水明が好きなんです。だからこの屋敷を民宿として開いていたのですけど」
「二人の思いを崩したのが四年前の出来事?」
「四年前、白川郷へ旅行に行った時、大河内さんを初めとする数名が転落事故で亡くなりました。それからなんです。耶麻神グループに不信な電話やクレームが入ってきたのは……やれ、あの事故は意図的なものだとか……やれ、あの社長は未熟だからこうなったのだとか……」
「四年前って事は、既に春那さんが霧絵さんの代理で社長をしている時ですよね? でも、それは春那さんの所為じゃないんじゃ?」
「だけど、あの事故に遭った人達は皆、戦力外通告を云い渡されている人達なんです」
「戦力外って? まさかリストラ?」
「もちろん、その人達は納得出来ず、春那さんに言い寄りましたが」
「私がそれを知ったのは、その人達に言われてからなんです……」
その声に驚き、僕と舞さんは襖の方へと目を遣った。そこには立っている事すらやっとといった感じの春那さんがいた。
「それに、戦力外通告を渡されたという人達のほとんどが立派な成績を残している人達で、とても私の身勝手な判断で契約を切るような事は出来ません。その事を渡辺さんをはじめ、役員の人達にも話しましたが、聞き入れてもらえず……それで母さんや父さん、渚さんに相談して、白川卿への旅行を計画したんです」
「それは春那さんや霧絵さん達の意思で?」
僕がそう言うと、春那さんは頷いた。
「でも、どうして? 現にその時には既に春那さんは代理とは言え、社長ですよね?」
「社長といっても、あくまで代理ですし、権限は母達に有りましたから……でも、父さんと母さんが役員の人達を説得させて、定年を迎える人達以外は無効としたんです…… ただ」
「その矢先に、あの転落事故が起きた」
「乗客、運転手、乗務員…… 合わせて三十人はいたと思います」
「その全員が……殺された」
「やはり、瀬川さんもそう思いますか? あの事故が意図的なものだと?」
「いや、そもそもその戦力外通告自体、意図的なものだとしか考えられない。そりゃ、中には戦力にならない人もいるかもしれないけど。でも、大量に戦力外にする事はないんじゃ? 精々五、六人くらいでしょう?」
僕がそう言うと、春那さんは何かを考えながら「確かに瀬川さんの言う通りなんです。中には仕事をしない人もいましたが、だからと言って、居なければ困るという人もいましたから……」
「――というと?」
「その困る人って言うのが、大河内さんだったんです。仕事は適当、本社の使用人をしていたんですけど、失敗が多くて、よく給料泥棒と言われていたそうです」
一瞬、そんな人だったら、戦力外通告を出されても可笑しくないと思ったが、何故かその人物に覚えがあった。
「でも、旅館の企画や、計画にはまるで三年寝太郎みたいな。鋭い判断で、それが全て的確に当たってるんです」
「しかも、その企画は常時五万人は来客させてしまうほどですからね?」
舞さんもその功績を知っているのだろう。
「た、仮令ば、どんな事を?」
「ここ、長野県が本社だと言う事はご存知ですよね? その近くに白馬村があって、其処に会社の支店があるんですけど、夏でも楽しめるレジャーとして、草スキージャンプの大会を計画したんです……」
「く、草スキー?」
僕は素っ頓狂な声を挙げていた。
「発想は何だか、子供っぽいですけどね? でも、白馬村はスキーで有名な場所ですし、スキージャンプをするにはいい場所でもあったんです」
春那さんがそう言う。恐らく春那さん自身、その企画は良かったと思っているのだろう。
「それに、草だと、怪我の心配もなさそうでしたしね。私もそうでしたが、父さんと母さんも二言返事で了承していました」
「ほ、他には?」
「仙台の七夕祭の帰りに、旅館で短冊にリクエストを書かせるとか…… 長崎のランタンフェスティバルで好きなものを書いた和紙を繋ぎ合わせて、大きなランタンにしてみたりとか…… 旅館に来てくれるお客様に、いい思い出を作ってもらうって言う事は父さん達と同じだったのかもしれません」
「でも、そんな立派な功績を残している大河内という人が、どうして戦力外通告を?」
「それは私にもわからないんです。ただ、何時の間にか、権限が父さん達から役職の人たちに移ってしまっている……そうとしか考えられないんです」
春那さんは悔しそうに、俯きながら言った。
「そう云えば、先輩は? それに鹿波さんは……」
「母さんの……」
その言葉に僕と舞さんは互いを見遣った。
「そ、それで秋音ちゃん……」
僕がそう呟いた刹那、春那さんが僕の方へと倒れてきた。
「は、春那さん?」
そう声をかけたが、微動だにしない。
だが、ゆっくりと肩が動いている。
どうやら、彼女も極度の疲労で倒れてしまったようだ。
「二人とも、昨日寝てないからか?」
舞さんがお腹を抑えている訳でもなく、平然と箪笥へと歩みより、タオルジャケットを取り出し、僕を見た。
「瀬川さん、動けますよね?」
「えっ?」
その問い掛けに僕は首を傾げた。
「ここは私が如何にかしますから……瀬川さんは先輩達のところに行ってください」
「でも、もし犯人がここに来たら?」
「大丈夫です。どうやら犯人は盗聴器でも仕掛けていない限り、私がここにいる事を知らないと思います。ただ、瀬川さんの推理が当たっていなければの話ですけど」
「どういう意味ですか?」
「このお腹、実はこうなってたんです」
そう言うや否や、舞さんは真っ赤に染まったサマーセーターを手繰り上げた。
「い、いきなり何を?」
僕は慌てて目を逸らした。
「あれくらいの土砂崩れを攀じ登れないんじゃ、警察官の娘じゃないんですよ。それにカモフラージュなんて日常茶飯事ですしね?」
よくよく見てみると、彼女の腹部は怪我などしておらず、真白なままだった。
「血糊ですよ、血糊。あの子、慌てて打ったものだから、当たったと思ったんでしょうけどね?」
「あの子って? 澪さんの事ですか?」
「水面下でこの殺人劇を終わらせたかったのでしょうし、恐らく私はこの劇に参加してなかったんだと思います。だから、澪は慌てて私を撃ったんでしょうけど」
「運悪く、それが空砲だった?」
「気が動転していて、昔春那さん達に遣った悪戯に気が付かなかったみたいですけど」
「それが、その血糊?」
そう言うと、舞さんは頷いた。
「でも、先輩のほうがもっと狸ですよ?」
舞さんはそう言いながら、小さく微笑んだ。
「あの先輩がそんな簡単に重症を負う訳がないんですよ」
それを聞いて、僕は肩の力が抜けた。
考えてみたら、重傷の早瀬警部が、庭で僕と霧絵さんと会話なんて出来る訳がないんだ。
「で、でも……どうしてそんな危険を冒してまで?」
「先程も言いましたけど、あくまでカモフラージュ。奴等が私を殺したと思ってくれていればいいんですけどね?」
そう言うと、舞さんは視線を襖へと遣り、再び僕の方へと見遣った。