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廿伍【8月12日・午後12時45分】


 すっかり疑心暗鬼になっているのか、深夏は執拗に霧絵を見ていた。その霧絵は冬歌の隣にすわり、一緒に昼食を食べている。


「それでこれからどうすればいいんでしょうか?」

「土砂崩れが起きて、舞ちゃん達がこれない事がわかった以上」

「それより、どうして襲わなくなったかよね?」

「確かに今までだって襲える好機はいくらでもありましたからね?」

「好機はいくらでもあった。でも敢えてしなかったって事も考えられませんか?」

「そうだとしても、神懸りな事をしているやつらよ? それじゃ、不自然過ぎるでしょ?」

「諦めたって事は?」


 深夏がそう言うと隣に坐っていた、春那が頭を振った。


「この屋敷が【箱庭】って言われている理由を考えたら、私達はもちろん、犯人も抜け出す事は容易じゃないはずよ? 綺麗に整備されている歩道は土砂で埋まっているし、かと云って周りの雑木林から抜け出そうならそれこそ自殺行為よ?」

「僕が精留の瀧に行けたのも奇跡的だった訳ですか?」

「多分、瀬川さんが夜目遠目の状態であの瀧まで行けたのは、そこに住んでいる精霊に案内してもらえたからかもしれません」


 霧絵がそう世迷言な事を発するが、誰一人気にもとめなかった。

 私は四十年前、憤怒の余り、取り返しのつかない過ちを犯し、瀧壷に落ちた時の事を思い出す。

 あの時、私は目が見えなかった。

 だけど、不思議と誰かに案内されていた気がしてきた。


 瀧の音が耳に入り、味噌汁を飲もうとした刹那、手を滑らせてしまい、そのまま――


「――鹿波さん? 鹿波さん?」


 秋音が私に声をかけてくる。何事かとそちらに振り返ると「味噌汁、零してますよ?」

 そう言われ、ようやく啜っていると思っていた味噌汁を零している事に気がついた。

 どうやら、お椀のふちにうまく口が当たってなかったらしい。


「あっちっ! あっつ!」


 人間覚悟してない時ほど、奇妙な行動を取ってしまう。

 慌てて服や卓袱台を拭こうとして、目の前にあった布巾を取ろうとした途端、湯飲みに手が当たってしまい、冷たい麦茶が秋音のスカートに罹ってしまった。


「な、何を遣ってるんですか?」


 霧絵が笑いながら云う。


「まったくこんな状況で」

 早瀬警部は呆れた顔で私を見ていた。


「ごめん、秋音」

「あ、いいえ、そんな場所に湯飲みを置いていた私にも一因いちいんがありますし」

「二人とも、着替えてきたら?」


 謝りあっている私と秋音を、春那が呆れた表情で見ながら言う。


「でも、確か鹿波さんって、着替え持ってなかったのよね?」


 確かに深夏の云う通り、私は着替えの一つもない。


「それだったら、秋音お姉ちゃんの貸したら? ほら、鹿波さんと秋音お姉ちゃん、同じくらいだし」


 冬歌がそう言うと、他の二人も納得した表情を浮かべた。

 冬歌がスッと立ち上がり、私と秋音の手を引っ張り、風呂場まで連れて行く。

 その後ろにはピッタリとハナがついてきていた。


「ちょ、ちょっと! 冬歌? 風呂場に行っても、着替えがなかったら意味がないでしょう?」


 そう秋音に云われ、ようやく気が付いたのか、書斎を通り過ぎろうとしたところで足を止めた。

 ずっと手を引っ張られていた私と秋音は少しばかり体のバランスを崩しかける。


「ご、ごめんなさい」

「まったく……それじゃ、私と鹿波さんは部屋で着替えるから、冬歌は皆のところに戻ってなさい」


 秋音がそう言うと、冬歌が納得してないような表情を浮かべる。


「冬歌? 今屋敷の周りに澪さんと繭さんを襲った人がいるかもしれないの。そんな状態で冬歌一人を廊下に置いておけないのよ? ハナ? 冬歌の事をお願いね」


 そう言われ、ハナは冬歌の服を咥え引っ張る。


「私達も着替えたらすぐ戻るから」


 そう言うと秋音は鍵を閉めていた自分の部屋の襖を開いた。

 秋音の部屋は冬歌と大差なかった。

 流石に中学生だけあって、机の上は地理やら歴史やらの教科書が乗っていた。

 私はその一つを手に取り、少しばかり一瞥した。


「着替え、こんなのでいいですか?」

「別に着られればいいわよ」


 箪笥から数枚シャツを取り出し、私に見せる。


「それにしても、あれから一度もボロシャツ着なくなったわね?」


 私は一枚のシャツを手に取り入った。それはあとを隠していた大きなシャツだった。


「それ、もう必要ないと思うんです」


 そう言われ、私は少しばかり考えていた。

 結局彼女は自分で運命を変えた。

 私と正樹はただそれを手助けしただけの事。

 ただ私は千智おねえちゃんに会えただけでも大きな収穫だった。

 私はずっと、集落の人たちは麓の人間によって、皆殺しにされたんだと思い込んでいた。

 それが千智おねえちゃんの話では女子供は助かったという。


「どうしたんですか?」

「あ、ごめん」


 作業着を脱ぎ、上半身裸の状態で呆然としていたのだろう。

 ただ、ジッと秋音が私を見ている。


「……何?」

「あ、いや、ただ――私よりあるなぁって」


 そう言われ、私は首を傾げた。


「それにブラジャーもしてないから、その、鹿波さんって着痩せするタイプですか?」


 別にブラジャーをしていないんじゃなくて、する習慣がなかっただけだし、六十年以上前の時代でブラジャーというもの自体がなかった。

 否、あったかもしれないが、私のいた集落はそれ以上前に隔離しているのだから、存在自体知らなかった。


「ああ、ちょっと胸を抑えられるの嫌いなだけなのよ」


 私は適当に言葉を濁らせた。


「それだったら、ちょっと待って下さい」


 そう言うと秋音は違う段の箪笥を開けると「これだったら合うかな?」

 と呟くと、私の肩を後ろから掴み、「ちょっと腕を挙げてください」

 言われるがまま、されるがままの状態で、秋音が私に何かを着けた。


「うん、やっぱりピッタリだ」


 秋音が目の前で小さく微笑む。

 少しばかり胸が苦しい。


「秋音、何をしたの?」

「否、そんな綺麗な胸をしてるんだから、垂れじゃ駄目だろうなって」


 どうやら私にブラジャーを着けていたらしい。


「ちょっと待ってて下さい。此処に鏡が」


 そう言うと秋音は箪笥と壁の間に入っていた大きな鏡を取り出した。

 とたん体が動かなくなる。

 今逃げ出しても良いのだが、自分の姿を考えるとそれが出来なかった。


「ほら」


 私は覚悟を決めながらも、目を瞑っていた。


「如何したんですか?」


 秋音の余りにも呆気ない声に私はゆっくりと目を開いた。

 目の前には二人の、秋音と私の二人の姿が映っていた。


「――どういう事?」


 二日前、精霊の瀧に水汲みに言った際、水面みなもに私の姿が映らなかった。つまり姿を映す鏡に私の姿は映らないはずだ。


「どうしました? やっぱり迷惑でした?」


 秋音が心配そうに聞く。


「ううん、秋音の所為じゃないのよ? ただやっぱり苦しいかなって?」

「私も最初は苦しかったですよ。まぁ慣れれば問題はないと思いますし」


 確かにこういうのは馴れだろうけど。

 秋音が私に着けたのは薄紫のレース柄のものだった。

 紫というと私の中では老婆のイメージがあったが、毳々《けばげば》しくもなく、少し大人の女性が着るような感じがして、どう考えても秋音の性格からして彼女のものではないのだろう。

 それを訊くと、秋音は申し訳なさそうに


「それ、深夏姉さんの中学の時の奴なんです」


 ――やっぱり。


「でもどうして秋音の部屋にあるの?」

「それは、ちょっと自分で買いに行く機会がなかったというか」

「それを見られるのが厭だった?」


 私がそう言うと静かに頷いた。


「深夏姉さんは何も言わずに貸してくれたけど、私には一回りサイズが」


 そう言いながら、秋音は濡れたスカートを脱ぎ、ズボンを履き替える。

 部屋を出ようとしたさい、鏡を一瞥した。やはり私の姿が鏡に映っていた。

 廊下に出た時、不思議と手が胸のところにいっていた。


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