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拾漆【8月11日・午後11時42分】


「瀬川さん、起きてますか?」


 そう言って、私は一、二度ほど襖を叩き、返事があったので襖を開けた。

 正樹はジッと窓から見える精霊の瀧を見ていた。


「……正樹?」

「……? えっ? か、鹿波さん?」


 正樹は慌てて私の方へと振り返ると、そのはずみで寄り掛かっていた窓縁から滑り落ちてしまった。

 人が落ちたにも拘らず、軽い言い方だったのは、この屋敷は一階建ての屋敷だったからだ。

 もし、ここが二階とかだったら、ただ事ではなかっただろう。


「いっ、っててててっ!」

「だ、大丈夫?」


 地面は未だ泥濘で全身泥塗れにはなっているが、幸い怪我はなさそうだ。

 私が手を差し伸べ、正樹を部屋へと上げた。


「ど、どうしたんですか? こ、こんな時間に?」


 正樹が泥塗れになった作業着を脱ごうとする。


「取り敢えず、用件だけ言うわ。着替えたら、霧絵の部屋に行く事。私は廊下で待ってるから」


 そう言って私は背中を向けたまま廊下に出た。

 妙な感覚があった。どこかで逢った事がある?

 それも私が生きていた時に……そう考えていると、部屋の襖が開き、正樹が廊下に出て来た。


「あの? 霧絵さんが僕に何の用で?」

「耶麻神家の事を貴方にもって」

「僕にもですか?」


 正樹が驚いた顔で私を見た。


「瀬川さんを連れてまいりました」


 私はそう言いながら霧絵の部屋に入ると、全員が私と正樹の方へと視線を向けた。


「母さん、どうして瀬川さんも?」


 深夏がそう言うと霧絵は静かに正樹を見ながら、「瀬川さん? 目は大丈夫ですか?」

「えっ? は、はい。でも…… 夜に広間で皆さんと話していた時、急に……」


 正樹が座り込み、頭を抱える。


「皆に言わなければいけない事があるの。いいえ、本当なら瀬川さんの御家族の方々にも言わなければいけない事だった」

「ぼ、僕の家族に?」


 正樹が見上げるように霧絵に聞いた。


「今から四年前。旅館建築現場である事故があったの。被害者はある男性でした。その事故で男性は両目を鉄筋で潰してしまった」


 正樹は驚いた表情で霧絵を見ている。


「幸い、アイバンクで男性に適合した両目が見つかった。それが…… 彼をここまで苦しめてしまっていた……」


 正樹は立ち上がろうとする。

 ガタガタと震え、何かを話そうとしている。


「……ど、ど……うし……て? どう……し……てそ……れ……を? ど……う……し……て…… それを霧絵さんが?」


 正樹の言動に気付いたのか、秋音が「まさか? その時の被害者だった男性って?」

 そう言われ、気付いたのだろう。

 春那と深夏が正樹を驚いた表情で見ていた。


「ええ…… 察しの通り。その時の被害者は…… 瀬川さんっ! 貴方なんですっ!! それにその角膜を提供したのは……」


 霧絵の言葉を待たずに、正樹がクスクスと嗤いはじめる。


「じょ? 冗談は辞めて下さいよ? どうして? どうして逢ったこともない霧絵さんが! 僕が角膜移植していることを知ってるんですか? それならどうして……」


 正樹は言葉が出なかった。ジッと正樹を見つめている霧絵の瞳は……

 あの時のあいつに似ていたからだ。ジッとその目はまっすぐ、まっすぐ正樹の双眸を見ていた。

 次第に正樹の目が赤くなっていくのが部屋にいる全員がわかった。

 私が正樹を自分に向けさせようとしたのは、同じ力を持っている人間には効かないとわかっていたからだ。

 それが出来なかった。霧絵がジッと私の方も見ていたから。


「か、母さん?」

「大丈夫。瀬川さんは……嘘で固められた金鹿之神子の様に人を殺す事は出来ない」


 それを聞いて、一番驚いたのは私だ。


「金鹿之神子は今で言う全盲の巫女だった。だけど、全盲でありながら、易者(えきしゃ)としては神懸りな事をしてきた。遠い昔で言えば、卑弥呼の様な存在だったでしょうね? 戦国武将がこぞって金鹿之神子を手中に納めようとしていたのは、当時未だ未確認だった天候や天災の占いをさせる為だった」

「だ、だけど! どうしてそれが皆殺しの神だって?」

「今は科学が発展していて、天候や天災が予知出来るようになってきた。けど、昔はその事が出来たのは神に近い存在……それを利用して、武将は国を納めようとしていた。つまり、巫女の力によって攻め滅ぼされた国は死屍累々。それが……金鹿之神子の話と混じってしまった」

「もっと詳しい事は大聖さんの書斎に有るけど…… けど! もっとわかりやすいのが貴女達の持っている【花鳥風月】だった」


 テーブルに広げられた4枚の絵を見ながら「花は春那、鳥は深夏、風は秋音、そして月は冬歌がそれぞれ持っている。これは耶麻神家が代々守って来た巫女の願いなの」


 深夏が突然立ち上がり、「ふさげないでっ!! これが金鹿之神子の願い? こんな! 意味の解らない絵が?」

「そうよ? こんな…… こんな怖い絵!」

 春那もそう言うが、一人……秋音だけがジッと四枚の絵を見ていた。


「秋音、貴女も怖いでしょ?」

「こ、怖いよ? でも、なんだろう? 何か訴えてるみたい。解らないけど……」

「どういう意味よ?」

「解らないよ? 小さい時からこの絵を見てるから…… ずっと部屋にあったから! でも、わからないの!」


 秋音が必死に何かを考えていた。


「この絵がどこを向いているのか、わからないから怖いんでしょ? それは…… 巫女は全盲だったから…… 全盲だったか故に、自分の周りがわからなかった。自分の周りで人が死んでいても、それに気付かなかった…… だけど、それは最初の巫女だけだった。巫女の子孫。強いてはその力を持った巫女はただ普通に生きていた。普通に生きていただけなのに、巫女の生まれ代わりという事だけで! それだけで忌み嫌われて来た!」


 突然霧絵の口調が激しくなる。


「四十年前、この榊山で起きた大量猟奇殺戮事件。その発端を促したのは…… 私の祖父であり、貴女達の曾爺様に当たる。耶麻神家初代総裁だった。……耶麻神乱世!」


 その言葉を聞いて、私は心の中でしまい込んでいた何かが爆発したのがわかった。

 気付いた時には私は霧絵を睨んでいた。


「あ、あ、あ、あ、!!」


 私は悲鳴なのか、ただ激しく深呼吸しようとしているのか、自分でもわからなかった。

 言いたい事が一杯あったけど、霧絵が悪い訳じゃない。

 それがわかっているからこそ、言葉が出なかった。

 私が憎むべき相手は霧絵じゃないとわかっているから!

 例え、あの大量猟奇殺戮が霧絵の祖父がした事だとしても、それを霧絵に問い詰めるのはそれこそ場違いだというものだ。


「私を殺したいでしょ? 私の祖父が鹿波さんの大切な人達を奪い殺したも同然なのですから」


 霧絵がジッと私を見つめる。

 その目が私を見る度、私は居たたまれない気持ちになった。


 殺したい!という感情が私の心を、思考を蝕んでいく。

 ……だけど、殺したくない! 殺したくなんてないっ!!


 私が本当に殺したいのは? 殺してしまいたいのは誰?

 今目の前にいる霧絵じゃない! この姉妹でもない! この世にいない存在。耶麻神乱世だけだっ!!


「どうすればいいのよ? ねぇっ!? 霧絵! どうしたらいいの? どうしたら? どうしたら貴女達を苦しめている! 奴等が求めようとしている隠し金山を奴等の手に渡さないようにするにはどうすればいいの?」


 私がそう言い放つと、広間から音がした。

 広間には……たしか澪と繭がいたはずだ。


「まだ起きてたのかしら?」


 深夏がそう言うや、正樹が咄嗟に廊下に出た。


「瀬川さん?」


 全員が開けられた襖から廊下を覗き込む。

 すぐ近くで正樹のうしろ姿が見えた。

 広間の襖を開いたまま、立ち往生した様に正樹は廊下に突っ立っている。


「せ、瀬川さん? どうかしたんですか?」


 深夏が広間を見た時だった。


「いぃやぁあああああああああっ!!」


 深夏の甲高い悲鳴が廊下に響いた。


 まるであの時と同じだった。

 おばあちゃんが内緒で早瀬警部の父、早瀬文之助から聞いた政治家一家猟奇殺戮と同じ光景だった。


 その時とは多少違うかもしれない。

 だけど、澪と繭はまるで剥がし取られたように、裸体は筋肉を曝け出し、バラバラに切り刻まれていた。

 首に至っては、何処を向いているのか解らないほど捻り込まれている。


 二人とも双眸は抜かれ、窪みが出来ており、そこから赤茶色の液体が出ており、それに混じって(うみ)の様な物も割られた頭部から出ていた。


 ズルズルと廊下の壁に凭れ崩れた深夏が「何で? 何で澪さんがこんな目に? 何で、この屋敷で一番強いはずの澪さんがこんな目に遭ってるの? だって? だって澪さん達が生きてたのって? 生きてたのって! 未だ十分も前だったわよね? そんな短時間で? 短時間でこんな事が人間に出来るの?」

 深夏が誰彼構わずに喚くように問う。


 その答えを言えるのは、この場にいない人間。

 この凄惨な事をした奴等だけだろう。


 ――鹿威しが鳴った。


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