拾陸【8月11日・午後8時14分/午後10時32分】
どれだけ寝ていたのだろう。僕は自分の部屋で横たわっていた。
気絶している間、僕はある夢を見ていた。
小さい頃、近くの工事現場に入り、友達と遊んでいた時の夢だ。
友人とかくれんぼをしていた時、突然上から鉄筋が落ちて来て、その時に両目を潰してしまった。
落ちて来たのは一本だけで、それが両目に当たった。
幸い命に別状はなかったが、目蓋を開ける事が出来ず、ずっと僕は真っ暗な世界にいた。
目の移植手術を受けて、若干光を得られるようになった。
でも、それからだ……何か感情的になると、目が真っ赤になる。
変な幻影を見るようになったのもその時だ。
鹿波さんがこの眼について、何か知ってるかもしれない。
そう思い、僕は起き上がり、部屋を出た。
廊下に出るとシンとしていた。
誰もいないのか?と思いながら、広間へと歩く。
静かに襖を開けると、渡部さん以外の全員が座っていた。
霧絵さんと冬歌ちゃん以外、まるで生気がないような表情を浮かべている。
「瀬川……さん?」
僕が部屋に入ってきたのに気付いたらしく、春那さんが呟くように僕の名前を言った。
「ど、どうしたんですか? まるで……」
僕はその先がどうしても言えなかった。『葬式みたいな』
と、口が裂けても言えなかった。
その静寂をかき消すように、春那さんが「タロウ達が殺されました……」
と、僕に告げる。
「……え? どういう意味ですか?」
僕は素っ頓狂な声で聞き返す。
「聞いての通りです。瀬川さん? ずっと部屋で休んでいらっしゃたんですよね? 本当に、自分の部屋で休んでいたんですよね? 一歩も部屋から出ていないんですよね?」
春那さんが涙を流しながら、僕に問い掛ける。
「姉さん! 瀬川さんがあんな事する訳ないでしょ?」
深夏さんが必死に春那さんを宥めようとしている。
「い、一体…… 一体! タロウ達は!」
「……思い出したくもない……」
僕の横に座っている澪さんが般若の様に憎悪に充ちた顔でテーブルを睨んでいた。
僕はその言葉を聞いて、タロウ達が凄惨な最後を迎えたのか、まるで知っているように想像が出来た。
知っている? また…… また同じ映像が僕の頭の中で流れる。
「くぅっ!」
僕は余りの頭痛にその場に跪いた。
「せ、瀬川さん?」
「ぅくぅううううううううっ! ぅぁあああああああああああああっ!」
何だ? 何なんだ? この痛みは?
「正樹? 貴方…… 記憶が?」
鹿波さんの声が聞こえる。
そうだ! この痛み…… 僕が…… この眼を移植した時から…… まるで何かを思い出させるように……
記憶喪失の人が、何か重要な事を思いだそうとしている時、まるで締め付けられる様な痛みが起きると、何かの媒体で知った。
それと似たようなのが僕を痛めつける。
僕はここに初めて来た。初めて来たはずなんだ。それなのに、僕は何度もここに、この屋敷に来ている。
「正樹ッ! 私の眼を見て!」
突然、鹿波さんが僕の顔を自分に向けさした。
「なっ? 何っ? これ……」
近くにいた澪さんが僕の眼を見て、絶句している。
「なんで? 何で瀬川さんの目が真っ赤なの?」
「正樹っ! 私だけを見なさい! 他の人の眼を見ちゃっ駄目ぇっ!」
鹿波さんが顔を近付けて、自分以外が視界に入らないようにしている。
でも、僕の眼はどこを向いているのか、僕自身わかっていない。
「正樹…… どうして? どうして貴方が、その眼を持ってるの?」
鹿波さんが呟くようにそう聞いて来た。
「な、何が…… 何か知ってるんですか? だったら! だったら教えて下さい! この眼は? この眼は一体、何なんですかぁッ!!」
僕がそう叫んだ時だった。
『大丈夫。貴方は殺せない! 誰も殺させない!!』
誰かがそう呟いた。
――少し時間が経ち、僕は眼を開けた。
「瀬川さん?」
心配そうに秋音ちゃんと繭さんが僕を見ている。
「正樹? 貴方、眼を移植したって言ってたわよね? その眼の持ち主の事は知らないの?」
鹿波さんが僕の頭を膝に乗せている。
「無理ですよ。臓器提供者はお互いの顔も事情も知らされない事になっていますから……」
澪さんがそう言うと……「正樹…… 貴方がその眼を持っている…… という事はその前の持ち主が……」
突然、何も聞こえなくなってしまう。
「えっ? な、何を! 何を言ってるんですか?」
僕は必死にみんなに問い掛けた。
だけど、誰も僕の声に気付いてくれない。
「みんなっ! どうして! どうして無視するんですか?」
僕は精一杯みんなに問い掛けた。それでも誰も気付いてくれない。
その代わり、あの音が聞こえた。
鹿威しが鳴り響く音が……
どうも納得がいかなかった。
血塗れになった金網の扉を見ながら、私はそう思った。
懐中電灯で小屋の中を照らすと、一つ引っ掛かるものがあった。
――首の数が足りない。
タロウ達三匹と小犬が確か五匹生まれたはずだから、計八個なければいけない。
だけど、凄惨な地獄絵図のような小屋の中に辛うじて首が繋がっている骸が二体。頭蓋骨を晒しだしているのが二、三個。そして、金網のところで朽ち果てているクルルと小犬の二体。
合計七つの死体がある。
それなのに、残りひとつ…… 強いてはハナの姿が見えなかった。
この惨状をタロウとクルルがしたのなら、どうしてハナは助かっているのだろうか?
むしろ、そのハナは一体どこにいるのか?
時間が経っているせいか腐臭がし始めているため、小屋の中が息苦しい。
「鹿波さん! 鹿波さんっ!!」
外から澪の声が聞こえる。私は手を合わせ、小さく呟いた。
小屋を出た私に気付くと、澪は「鹿波さん、どうしてそこに?」
と訊ねる。
「ねぇ? ハナを見てない?」
私の言葉に二人が首を傾げる。
「ハナ……いないんですか?」
「……よく冷静でいられますね? まるで他人事みたいに」
澪が怪訝な目つきで私を睨む。
「み、澪さん? そんな事」
「鹿波さんに訊きたい事があったんです。私達以上にこの榊山の事を知ってる。それも奥様以上に! 一体何者なんですか? 旦那様の命令でここに来たって言うのも!」
剣幕な表情で澪は私に攻め寄る。
「大聖から貴女達を守って欲しいと頼まれたのは本当よッ! そして、貴女達以上にこの山の事を知っているのも本当の話。第一、ここに屋敷を建てた事自体……」
自分の言葉に少し疑問があった。
「ここを建てたのは……大聖よね? それは耶麻神グループが大きくなってから?」
私の質問に、澪と繭は二人とも首を傾げる。
「いいえ、耶麻神グループが出来る前に建てられたって……」
「その時、耶麻神グループはまだ、大聖と霧絵、そして渡部さんの三人しかいなかった……」
「詳しくは奥様に聞かないと……って、そんな事を聞いてるんじゃないの! 私達が誰かに襲われる! 殺されるって事をどうして前もって、貴女が知っているのか? それを私達は―― ちょっとっ! きいてます?」
私は澪の言葉を遮る様に、急いで屋敷に戻り、霧絵の部屋へと走った。
部屋の中には肩に毛布を被り、布団の上に座っている霧絵と、それを看病していた春那がいた。
いきなり入って来た私に二人は驚いた顔で見ている。
「霧絵ッ!! 貴女に教えてほしい事があるの!!」
「な、なんですか? 突然入って来て……」
「良いのよ、春那……それで鹿波さん? 私に聞きたい事とは?」
霧絵が春那を宥めながら、私に聞き返す。
「この屋敷は…… 誰が建てたの?」
「それを聞いてどうしようと?」
春那が迷惑そうに私に聞く。
「大切な事なの! この山は決して入ってはいけない場所だったはず! それなのに、この屋敷が出来ているって事は、すでにこの山の所有者がいなくなっていると言う事でしょ? 第一! この山は誰のものでもなかった!」
私は出来る限り思い出していた。
集落の長は私のおばあちゃんだった。でも、長だっただけで、この榊山の土地そのものの所有権を持っていた訳ではなかった。おばあちゃん以外に重要な立場だったのは…… 確か……
その人物の名前が…… どうしてか思い出せない。
「どうしたんですか?」
霧絵が心配そうに私を見ていた。
「ごめんなさい。少し興奮してたわ。この屋敷を建てたのは…… 大聖なの?」
「いいえ、前々からありました…… 春那が生まれる前ですから、今から二十五年ほど前になります。屋敷を始め、この榊山の所有権は大聖さんが預かっていました」
「預かる? つまり父さんや母さんがこの山と屋敷を持っている訳じゃないって事?」
「その時、一緒にいたのは…… 渡部さんだった?」
その問いに霧絵は答えるように頷いた。
「つまり、前の持ち主の詳細がわからないと……」
「その持ち主に何か心当たりは?」
「ありません。大聖さんもその事に関しては何も……」
霧絵がスッと立ち上がり、箪笥の中から何かを捜していた。
「春那? 金剛石持ってるわよね?」
「え、ええ。いつも持ってるけど……」
「秋音が起きていたら、この部屋に来るよう言ってくれるかしら? 深夏は未だ起きてるだろうから……」
「こ、こんな時間に? 深夏ならとにかく、秋音はもう寝てるんじゃ?」
「それと貴女達の持っている花鳥風月の絵も持って来て……」
再び春那は霧絵を見ていた。
「母さん、あの絵はなんなの?」
「言われた通りしなさい! 鹿波さん? すみませんが瀬川さんも呼んで来てくれませんか?」
私はその言葉に少しばかり首を傾げた。
「この耶麻神家の忌々しい事を出来れば隠したかった。でも、これ以上貴女達を苦しめたくない」
「な? どういう事? それ?」
「それを話す上で、あの四枚の絵が必要なの。嫌でしょうけど、持って来てちょうだい」
「正樹を連れて来て欲しいというのは?」
「瀬川さんをここに呼んだのは大聖さんなの……表向きは使用人としての面接だったけど…… でも、本当の理由は…… げほっ! ごほっ!」
「母さん? 大丈夫?」
「大丈夫。とにかく本当の事を話すから……」
春那が心配そうに霧絵を見ながら部屋に出た後、私も出ようとした時だった。
「金鹿之神子様? 私は間違っていたでしょうか?」
不意にそう言われ、私は呆気に取られたような表情で振り返った。
気のせいだと思ったが、しっかりと私を見ながら霧絵はそう言った。
「どうして? 私が金鹿之神子だと思うの?」
「大聖さんがどうして貴女に頼んだのか…… 今思うと、『いままでの事は貴女様がした事ではない』と信じていましたから……」
私は霧絵の言葉が信じられなかった。
「あ、貴女…… 記憶があるの? タロウ達と同じように?」
「いままで、渡部さんは何者かによって殺され、そして春那達の中から誰かの眼だけが盗み殺されていた。でも、八月十一日が終わろうとしている時でもまだ、娘達は生きています…… それはそのような目に合わせていた人間が、この屋敷に出入りし難いと言う事でしょうか?」
「解らない…… ねぇ? 教えて! あの姉妹がどうして私と同じ力を持っているの? まだあの娘達がその事を知らない以前に、どうしてその事を第三者である奴等が知ってるの?」
「それは…… 私にも…… でも、それを知っていると言う事は、あの力も知っていると言う事ですか?」
「母さん? 絵…… 持って来たけど?」
襖から春那が部屋を覗き込んでいた。
「ごめんなさい、鹿波さん。そこにあるテーブルを出して下さい」
そう言われ、私は壁に掛かっていた折り畳み式のテーブルを部屋の真ん中に出した。
「母さん、私達に話って?」
深夏が入って来るなりそう言うと、「花鳥風月の意味は知ってるわよね?」
「確か自然の趣って意味でしょ?」
「それじゃ、貴女達の名前の意味は知ってる?」
そう言われ、春那、深夏、秋音は首を傾げた。
「えっと……その季節に生まれたから、安易に決めたと思ってたけど? やっぱり意味があったの?」
深夏が不思議そうに聞き返す。他の二人もそう思っていたらしい。
「あれ? 鹿波さん、瀬川さんは?」
そう春那に言われ、私は霧絵を見た。
「すみません。私が呼び止めたばかりに……」
「いえ、いいんです。それじゃ、瀬川さんを呼んで来ますね?」
そう言って、私は正樹の部屋へと歩いていた。
窓から入り込む月光のせいか、屋敷の廊下は薄暗く、繭と澪は広間で寛いでいた。
私が覗き込むと、澪が警戒心を剥き出しで私を睨む。
いままで、なぜ澪が何も出来ずに殺されてしまったのだろうか?と疑問に思っていた。
澪は私に殺意を向けなくなると、ずっと厨房の窓を一瞥する。
視線が私に向けられていないとわかると、私はそのまま正樹の部屋へと向かった。