閑話・草々と
鈴とした音が屋敷の中で響き渡っている。
先日実家に帰っていた澪さんが、篠笛を持ってきて、冬歌の前で吹いていたからだ。
その和を思わせる音色に、私や大聖さん、春那たちは聞き惚れていた。
「……っと、如何でしたか?」
と、吹き終えた澪さんが尋ねる。
「いいよ、いいよ。すごくいいよ」
「ほんと、澪さんってなんでも出来るよね?」
「姿勢もよかったし、どこの誰かさんみたいに猫背じゃなかったもんね?」
「んぐぅっ、そう云うんだったら、父さんは胡坐かくどころか、寝転がってたじゃない?」
「俺はこっちのほうが性に合ってんだよ」
「別にどっちでもいいじゃないですか? それに澪さんが自由にしていいって云ってましたしね」
私がそう云うと、澪さんは答えるように頷く。
「それじゃぁ、そろそろ夕飯の準備をしますので」
澪さんは立ち上がり、篠笛を片付けようとした時だった。
ジッと冬歌が篠笛を見つめていたのに気付く。
「吹いてみてもいい?」
「冬歌、簡単そうに見えるけど結構難しいのよ?」
と、深夏が笑いながら云うと、「そうでもないですよ。運指さえわかればそんなに難しくはないですし、秋音お嬢様の方がすぐにわかると思いますけど?」
そう言われ、秋音は首を傾げる。
「篠笛とリコーダーは、運指が似てますからね。あ、全部塞ぐと低いAbになりますから、右手中指を外したのがCになりますので」
そう云うと、澪さんは冬歌に篠笛を渡す。
「って、ことはひとつ開けることに音符が上がるってことでいいのかしら?」
深夏がそう云うと、冬歌が吹き始める。
「たしかにCだね」
と、秋音が云う。
冬歌は右手中指を外す。
――これだと『レ』になる。鳴った音は『レ』だった。
その次、普通だったら、『ミ』になるのだけれど……
「あれ? これってEb……」
秋音はそう云うと、冬歌に貸してという。
冬歌は素直に秋音に篠笛を渡した。
「えっと、――半開かな?」
秋音はそう呟くと、左手薬指を軽く押さえ、吹いてみた。
今度はちゃんと『ミ』になっている。
「お父さん、ちょっと電話のところにあるメモ帳もってきて、後ペンも」
転寝していた大聖さんが声に驚き、支えていた手を外したものだから、ガクッと頭を落とす。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ大丈夫だ……」
そそくさと広間を出て行く大聖さんを見ながら、「あれ、絶対照れ隠しよね?」
深夏が笑いながら云う。まぁそうなのだろうけど、云わないほうがいい。
深夏は戻ってきた大聖さんに軽く小突かれていた。
「これでいいか?」
大聖さんが持ってきたメモ帳とペンを渡すと、「ありがとう」
といって、秋音は笛を吹き始めた。
「えっと、さっき澪さんが全押しでAbって云ってたから、これで半開だとBになるのかな?」
そう云って、指を押さえながら確認を取る。
メモ帳には上からAbと書いており、B、C、C#、D、D#……と、音階。その横に○を六つ描いて、押さえるところを塗り潰し、半開するところを◎にしている。
「――これでいいかな?」
秋音はそう云うと、一通り吹いていく。
その音は一指乱れず鳴り響いた。
「よし合ってる。冬歌、これ見れば一通り吹けるよ?」
「ほんと? よしそれじゃぁ軽くかえるの歌でも吹いてみよう」
冬歌はそう言うと、秋音が描いた運指標を見ながら吹き始める。
「ドレ『ミ』ファ『ミ』レド、『ミ』ファソラファソ『ミ』――」
『ミ』のところで半開にしなければいけないのが、間違って全部塞いでしまい、『レ』のbになってしまう。
「落ち着いて、難しいのはそこだけだったから」
秋音がそう云うと、何度も吹いていくうちに骨を覚えたのか、夕飯を食べる前には一通り吹けるようになっていた。
スッと秋音が立ち上がり、広間から出て行く。
どうしたのかと思ったが、一分もしないで戻ってくる。
その手にはフルートが入っているハードケースがあった。
「冬歌? ご飯食べる前に輪唱しようか?」
そう云うと、冬歌は少し考えて「うんっ!」
と、頷く。
「輪唱か? それじゃぁお父さんもするかね?」
「でも、父さん楽器持ってないじゃない?」
深夏がそう云うと、「手笛ってのがあってな、よく知り合いのお姉ちゃんから教えてもらってたんだよ」
大聖さんはそう言うと、指を軽く揉み、手を組んだ。
そして親指のところに口をつけ、息を吹きかけると、音が鳴った。
「すごい。どうやるの? それ」
「これな、結構骨がいるんだよ。これ鳴らすのに三日かかったくらいだからな」
「それじゃぁ、冬歌、私、父さんの順番でどうかな?」
秋音がそう云うと、冬歌と大聖さんがわかったと頷く。
「冬歌、いつでもいいからね? あ、父さんドレミわかってる?」
「さすがに知ってるから大丈夫だ」
大聖さんが苦笑いを浮かべる。
「それじゃぁ、いくよ」
冬歌はそう云うと、ゆっくりと指を添えていく。
『きこえてくるよ~』のところで、秋音のフルートが歌い始め、その次に大聖さんの手笛が入る。
――輪唱が終わると、冬歌は楽しそうに笑みを零す。
「みなさん、ご飯の用意できましたよ」
繭さんがそう云うと、「よし、冬歌今日はお父さんとお風呂入るか?」
大聖さんがそう言うと、冬歌は首を傾げる。
「大聖さん、冬歌はもう三年生なんですから、一人でお風呂は入れますよ」
「そうか? せっかく手笛を教えてやろうと思ったんだがなぁ? 風呂場だと音が響くし」
そういえば大聖さんはお風呂に入ってる時、よく口笛を吹いてたっけ?
いや、もしかしたら口笛じゃなくて、今吹いてた手笛だったんじゃ……
私がそう考えていると、大聖さんが私を見る。
その表情は懐かしそうな、それでいてどこか切ないような――普段見せないようなそんな表情だった。
「奥様、早く食べないと冷めてしまいますよ」
澪さんの言葉に、私はハッとし、彼女を見遣った。
テーブルに座ったみんなをゆっくりと見渡し、手を合わせ、「いただきます」
と、みなでいい、食事を始めた。
ふと、秋音くらいの女の子が私たちのほうを見ている気配がし、一瞥する。
その気配は楽しそうに笑ってる。――そんな気がした。