表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/165

拾肆 【8月11日・午後6時26分~午後7時15分】


「うぅぅぅぅんっ?」


 広間で冬歌のうなり声がする。

 四姉妹がテーブルを挟むように座っており、真ん中には習字紙とその一式が置かれていた。


「だめだっ!! 全然出て来ない」


 深夏が倒れるように床に寝転がった。


「ねぇ、母さん。家で買うのは二匹くらいにして、残りの三匹は誰かに引き取ってもらうってのは駄目?」


 その手もあるにはあるのだろうけど、秋音と冬歌がうったえるようにジッと深夏を睨んでいた。心成しか澪も見ている。


「――もう少し頑張りなさい。名前を付けるのが大変だって事がわかるし、後々《のちのち》、貴女達にとって必ず必要になるだろうから」


 霧絵は笑いながら話す。

 もちろん四姉妹も適当に付ける訳にはいかないことくらいはわかっている。

 一生その名がついて回る訳なのだから、生半可に決める事は嫌だった。


「――母さん? 私達の名前って父さんがつけたのよね? やっぱり、産まれたのがその季節だったから?」


 春那が姓名占いの本を読みながら訊ねる。


「ええ、大聖さんがね」

「それじゃ、お守りに入っている小さい宝石も父さんが? 何か、イメージと全然違う事するよね?」


 深夏は首に掛けていた小さな袋の中身を取り出す。

 赤茶色の瑪瑙に縞模様が有るサードニックスだ。


 深夏の持つ赤縞瑪瑙サードニックスと呼ばれるこの宝石は、八月の誕生石と言われている。

 深夏の誕生月はその誕生石と同じく八月生まれだ。

 他の姉妹も同様に、誕生石をお守りとして大聖から貰っている。


 四月生まれの春那は金剛石ダイヤモンド

 九月生まれの秋音は青玉サファイア

 二月生まれの冬歌は紫水晶アメシストをそれぞれが同じように赤いお守り袋の中に入れていた。


「でも、父さん、ちゃんと私達の事思ってくれてるのよね?」

「……深夏姉さん?」


 感慨深く自己解決する深夏に、秋音が問い掛けた。


「だって、放浪癖のある父さんに逢う事なんて年にあるかないかでしょ? でも、この宝石だけは何時も持たなきゃって思うのよ。そうすると、父さんがいるような気がする……」

「人から見たら凄く小さいんだよね? でも、他の宝石より凄く綺麗」


 秋音が自分の青玉をお守りから取り出し、蛍光燈にかざした。

 蛍光燈の光が宝石を介して乱反射をしている。


「ねぇ、なんか似てない?」


 冬歌がその光を見ながら誰彼構わずに聞く。


「どうしたのよ?」


 冬歌がもどかしく口を動かしているので、深夏が怪訝そうに聞くと、「あっ! この山の山道ですよ! 此処に来る人みんなが言ってますけど、翠玉エメラルドを鏤めたような景色だって」

 澪がそう言うと、冬歌が自分の言いたい事を代わりに言ってくれたから、ウンウンと頷いている。


「あ、確かにそうですよね?」

「父さんが此処を選らんだのも、それが理由?」


 深夏が霧絵にそう問うと、「それもあるけど、多分、私の為じゃないかしら? 大聖さんの見る眼は確かだと思ってるし、貴女達の持っている絵も大聖さんが……」


 絵という言葉を出した途端、四姉妹の表情が暗くなった。


「ねぇ、あれはなんなの? あの絵ってそんなに大切な物?」

「あの絵、怖い……」


 冬歌が泣きそうな顔で霧絵を見ている。


「あれも父さんが? どうしてあんな絵を?」

「あれは四枚あってはじめて意味があるらしいのよ。ただキチンとした理由は大聖さんしか知らない…… その大聖さんも……」


 霧絵の言葉を聞いて、四姉妹はそれ以上聞かなかった。


「母さん、鹿波さんって一体何者なのかしら? 何か私達を前から知っているようだけど……」

「父さんが、私達を守って欲しいって言っていたみたいだけど…… それに金鹿之神子の力を私達が持っているって言ってた……」

「母さん? 母さんなら知ってるんだよね? 四十年前、この山で何があったのか……」


 春那にそう言われ、霧絵はゆっくりと四姉妹を見渡した。


「母さんは未だ冬歌と同じくらいだったから、余り覚えていないけど…… 四十年前、世間では偽の白バイ警官による現金輸送車襲撃。俗に言う三億円事件が日夜報道されてたわ。それと同じくらいの時に、政治家一家の惨劇があったの」

「政治家? ねぇ? 今日、鹿波さんが早瀬警部に言ってた事って?」


 秋音がそう言うと、襖が開いた。


「鹿波さん?」

「あれ? 瀬川さんは?」

「部屋で休まれています。霧絵? 当時八歳だった貴女が知っている訳じゃないでしょ?」


 私の言葉遣いに驚いたのだろう。全員が私を見ている。


「言葉を謹みなさい!」

「政治家が殺された時、いの一番に力を持った私達が疑われた。あの惨劇が出来たのが金鹿之神子だけだと言われていたから…… でも、あの力を持っている祖母は白内障しらそこひだったし、尤も殺す理由がなかった。隔離されたこの山では世間の事なんてわからなかったから……」

「それじゃ? 第三者がしたって事?」

「政治家が死ねば、それだけでニュースになる。世間でその事件を公にして、私達を排除しようとしていた」

「排除? どういう意味ですか?」

「その侭の意味。麓の人間が私達を畏怖しながらも、山から引きずりおろそうとしなかったのも……」


 私は言葉を止めた。犬小屋の方から何か音がしたからだ。


「何? 今の音?」


 深夏が慌てて立ち上がる。


「ねぇ? 今犬小屋って開けっ放しじゃなかった?」


 春那が澪に訊ねるが、「いいえ! 鍵はキチンと閉めました」

 と、首を横に振った。


「でも、タロウ達があんなに吠えるなんて」


 冬歌が心配そうに聞く。さっきからタロウとクルルが咆哮を挙げている。


「とにかく、いきましょ!」


 深夏が襖を開け、裏口へと走っていく。

 それに続いて、冬歌と霧絵以外の全員が広間を後にした。


 時間も時間か外が若干仄暗くなっていた。

 昼間の大雨で中庭の芝生がしっとりと濡れている。

「澪さん、鍵は閉めたんですよね?」


 春那が犬小屋の外側の扉のノブを扱いながら聞く。


「姉さん、開かないの?」


 静かに春那は澪を見た。

 その意図がわからなかったのか、深夏と秋音が首を傾げる。


「ねぇ? 鍵は確かに閉めたのよね?」

「はい。確かに、その事は鹿波さん以外はご存じでは?」

「それじゃ……鍵穴が壊れるって事は有り得ないって事ですよね?」


 春那が聞きたい事がてんでわからなかった。


「壊れてるって、どういう事?」

「ドライバーか何かで鍵穴を壊しているのよ」


 扉のノブの真ん中に鍵穴がある。その鍵穴が抉じ開けられたように潰れていた。


「で、でも? さっきまでタロウ達の声がしたよね?」

「それじゃ、中に誰かいるって事じゃないの? あの子達、余程の事じゃないと吠えないから……」


 深夏が扉越しに耳を傾ける。


「…………あれ?」


 深夏が一度耳を扉から離した。


「どうしたんですか?」

「ねぇ? タロウ達の声がしたのって、何分前だっけ?」

「えっと…… まだそんなには……」

「そ、そうだよね? それじゃ聞き間違い?」

「そんな事ない! だって……」


 秋音が何かを言おうとしたのだろうが、悪寒を感じたのか、身震いを起こす。


「大丈夫? 秋音」

「う、うん。大丈……」


 秋音が扉の枠外を見た刹那、「ねぇ? あれ……って……」

 眼を大きく開き、それを指差した。


 外側の金網から、中の木製の扉が見える。

その扉がギィギィと軋む音がしていた。


「中扉が……開けっ放し?」

「なっ? そんな? そんな事ないですよ!」

「そ、そうですよね? あの時も……」


 途端、繭が尻餅を付いた。


「なにやってるのよ?」


 深夏が繭の元に駆け寄る。


「い、今? 何か飛んだような?」


 繭の言葉に深夏が首を傾げる。


「は? 何云ってるのよ? 犬が飛ぶ訳……」


 深夏が再度中扉を一瞥した時だった。

 ――ペチャッという、何かが金網の扉に当たった。

 それがズルズルと下へと落ちていく。


「ぅぅあああああああああああああ!!」


 それを眼前に見た春那が跪き、悲鳴をあげた。


「ちょ、ちょっと? 何よこれ?」


 深夏が口を手で押さえながら、それを見た。

 扉に叩き付けられたのは昼間生まれた小犬だった。

 何かに噛み千切られたように、手足はなく、胴体に至っては、ぐちゃぐちゃに噛み潰されている。

 そして、扉に叩き付けられた衝撃で、眼球は飛び出していた。


「うぅぅげぇええええええええっ」


 ドボドボと澪と秋音が汚物を吐き出す。


「大丈夫? 二人とも」

「う、うん……」


 秋音が立ち上がり、私を見た。


「中に誰もいませんよね? いる訳ないですよね?」

「だって…… 扉が壊されているって事は中に入れないって事でしょ?」

「もしくは中に誰かが入っていて、その人を出さないように、鍵穴を壊したのか……」


 澪は余り小犬を見ないように目を扉から背ける。


「見えたの…… タロウが小犬を食っていたのが……」


 秋音の言葉に全員が困惑の表情を浮かべる。


「はぁ? 何言ってるのよ? そんな事有る訳ないでしょ?」

「そ、そうだよね? でも……」

「見間違いでしょ! 誰かが……」


 深夏が秋音を宥めようとするが、自分も納得出来ていなかった。

 今、そこに転がり落ちている小犬の死体は噛み千切られた……

 そんな事が出来るのは十中八九……


「み、澪さん、扉を蹴り壊して下さい!」

「で、でも! そんな事をしたら、犯人と鉢合わせに!」

「人間なんか! 人間なんか犬小屋にいないわよ!」


 深夏の言葉に澪は怪訝な表情を浮かべる。


「どういう事ですか?」

「ねぇ、鹿波さん? 金鹿之神子って、何か特別な事も出来るの?」

「特別な事?」

「ほらっ! 誰かを操るとか? そんな力」


 深夏の問いに私は首を横に振った。


「どういう意味よ? まさか……」


 全員が私を見るが、秋音が、「鹿波さんじゃないよ! だって、私達が犬小屋で遊んでいた時、鹿波さんいなかったもの!! それに、鹿波さんは瀬川さんの部屋に母さんといたって、繭さんが」


 秋音がそう言うと、繭が頷く。


「でも、私達が広間にいる間に、犬小屋に行ったって可能性だって……」

「それじゃ! 鹿波さんの足元よく見てよ! 鹿波さん、ずっと草履なんだよ? 私達が犬小屋から広間に戻った時も、まだ雨が降ってた! でも、鹿波さんの靴下、全然濡れてないじゃない! 着替えだって持って来てないのに、どうやって靴下を履き直すの? それに、鹿波さんは裏口からじゃなくて、表から来たから! 足跡が残っているはずでしょ?」


 秋音が必死に私を庇おうとしている。


「でも誰かの靴下を…… 無理よね? だって自分の部屋以外に入る事なんて不可能だし……」

「それはこの犬小屋もでしょ? 鍵は春那姉さんと澪さんしか持っていないんだから!」


 秋音が犬小屋を見た刹那、ガチャガチャと金網に体当たりするクルルの姿があった。


「ク、クルル?」


 深夏が跪き、信じられない様な顔でクルルを見ていた。


「な、何で? 何で動いてるの?」


 クルルの姿から、深夏は目を背けられなかった。

 クルルの胴体は骨を曝し、ボトボトと血を流していた。

 金網に当たる度に骨に罅が入る。

 普通だったら、死んでいるはずだ。

 それなのに、クルルは一心不乱に金網に体当たりをしている。

 まるで犬小屋から逃げ出そうとしているように……


 何度も金網に当たっている衝撃で、叩き付けられた小犬と同様、眼球が飛び出していた。それでも金網に体当たりしている。


「ぃっ! ぃいやぁっ!」


 秋音が春那にしがみつく。


「非道い……」


 春那も強張った表情でクルルを見ていた。


「澪さんっ! 金網を……」


 深夏がそう叫んだ時だった。シンと静寂が周りを包んだ。


「えっ?」


 全員が犬小屋を見た。


「今? 何か聞こえませんでした?」


 秋音が振り向かずに聞く。


「……何? 今の音? 何か潰れる様な……」


 全員が中扉から見える犬小屋を覗き込んだ。


「うぅうぅぅぅげぇああああああああああああああああっ!」


 全員が倒れるように、跪いた。


「あぁがぁっ! ぜぇはぁっ! げぇっ! ぇげぇっ!」


 吐いたばかりの秋音と澪でさえ、大量の汚物を吐き出している。

 咽頭へと遡っていく胃液が気持ち悪い。

 今、犬小屋に何があった? 否! 犬小屋に何がいた? 誰がいた? そうじゃないと説明出来ない!


「澪さん! 早く金網を蹴り壊してぇぇぇぇぇッ!!」


 深夏の言葉で我に帰ったのか、「皆さん! 下がって!」

 澪が静かに空手の構えを構える。


「せぇいぃっ!」


 澪が金網の鍵を蹴り壊し、扉が開いた。

 金網の扉を潜る時、誰もクルルと小犬の骸を見ようとしなかった。


「これって? 一体……」

「そんなの、誰に訊くっての?」


 先に入った澪と繭がその光景を理解しようとしていた。


「鹿波さん! 一体何なんですか? 皆殺しの力を持っている人間がしていない? それじゃ! どうやってこんな事が出来るんですか?」


 春那が私の腕を掴み、壁に押しつけた。


「春那姉さん!」


 深夏と秋音が春那を止めようとする。


「答えなさいっ! 答えなさいよぉッ!」

「姉さんっ! 鹿波さんが出来る訳ないでしょ? だって! 地面を見てよ! どうやったら、足跡も無しに入れるのよッ? 地面にある足跡は私達以外ないじゃないの?」

「それじゃ! これをタロウ達がしたっていうの? こんな! こんな夢みたいな事を!!」


 春那が秋音と深夏を突き飛ばす。


「ぃぃいやぁあああああああああああっ!」


 二人が悲鳴を挙げる。手には真っ赤に染まっていた。


「これ? 本当にあの小犬なの?」


 二人が息も絶え絶えに誰彼構わずに聞く。

 二人の足元には成りの果てが転がっていた。

 胴体は筋肉を曝け出し、頭はぐちゃぐちゃに潰されていた。

 くり貫かれた眼球からは、大脳がはみ出していて、それが犬小屋に巻き散らされていた。


「やぁっ! もういやぁっ! どうして? どうしてっ! こんな事するの? どうして! こんな事されなきゃいけないの? どうして! こんな思いしなきゃいけないの? この子達が何かしたぁっ? 私達が一体何をしたって言うの?」


 春那が崩れるように、私の目の前で跪いた。


 鹿威しが鳴った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ