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拾弐 【8月11日・午後2時43分】


 屋敷に戻り、着替えを済ませて一眠りしていた時だった。

 廊下が妙に騒がしく、私はその音で目が覚めた。

 廊下に出ると、繭が「あ、鹿波さん! ちょっと手伝ってください!」

 と、お湯の入った洗面器を持ちながら慌てていた。


「どうかしたんですか?」

「ハナが! ハナが産気ついたんですよ!」


 そう言い放って繭は裏口の方へと消えた。

 犬小屋に行ってみると、全員が集まっていた。

 一人、渡部だけはいない。

 タロウとクルルはおとなしく外に出されていた。


 さすが優秀な警察犬の血を受け付いているかはさておき、微動だにせず、ジッとみんなを見ている。


「繭さん! バスタオルを出来るだけいっぱい持ってきてください!! 澪さん、大和先生に連絡して!!」


 春那がハナを見ているが、手を貸そうとはしていない。


「お姉ちゃん、ハナ大丈夫だよね?」


 冬歌が苦しそうに息をしているハナを見ながら、今にも泣きそうな顔で春那に訊ねる。


「大丈夫よ冬歌。ハナはそこら辺のドーベルマンじゃないんだから」


 深夏が冬歌の肩を叩きながら宥めている。


「見えた…… ハナっ! もうちょっとよ! もうちょっとで産まれるから! もう少しだけ! もう少しだけ頑張ってッ!!」


 ハナの膣口から黒い塊が見えた。

 そしてどろりと赤い血で滲んだ羊水と一緒に……


「……産まれた?」


 秋音が小さく呟いた。


「ええっ! 産まれた。でも、まだ全部が産まれた訳じゃないけど……」


 深夏がそう言ったすぐ後だった。

 最初に産まれた小犬がまるで蓋をしていたかのように、徐々に二匹目、三匹目、四匹目が産まれた。


「秋音、優しく小犬をタオルにくるんでお湯の中に入れて。ゆっくり羊水と血を洗い落とすの……」


 春那が優しく秋音に手ほどきを教えている。

 ぎこちなくも一生懸命秋音は言われた通りにしている。

 私はふとタロウとクルルを見た。人間のように表情がわかる訳じゃなかったが、それでも喜んでいる事はわかった。


 数十分した後、小犬達はハナのおっぱいを飲んでいた。


「よかった。よかった」


 秋音が嬉しそうに泣いている。


「触っちゃ駄目なの?」


 冬歌が今にも小犬と遊びたそうに春那に言うが、「今はまだ駄目。まだハナの匂いが小犬達に付いていないから」


 そう言われ、冬歌は首を傾げた。


「あれ、澪さんは?」


 正樹が周りを見渡しながら言った。


「えっ? そういえば何時まで連絡しているのかしら?」


 深夏が屋敷の廊下側の窓から「澪さんッ!! 大和先生と連絡取れた?」

「あ、深夏お嬢様! あの電話機が……」


 澪にそう言われ、深夏は慌てて屋敷の中に入っていった。

 私も気になり、屋敷の中には入らなかったが、窓から二人の様子を眺めた。


「どうしたのよ?」

「そ、それが…… さっきから何度掛けても…… 大和医院に連絡が……」


 そう言われ、深夏は受話器を耳に当てた。


「電話中じゃないの? また後で連絡すれば」

「しているんです! 五分おきに! それなのにかからないのは可笑しくないですか?」

「それじゃ、今は往診に行っているとか?」

「それだったら受付の(むつみ)さんが出てくれるはずじゃないんですか?」


 そう言われ、深夏は中庭へと出てきた。

 その行動に澪は驚いたが、すぐにその後を追うように出てくる。


「ごめんッ!! 母さん!」


 深夏が霧絵にそう言うや、上着のポケットに忍ばせていた携帯を開いた。


「ちょっ、ちょっと! 深夏ッ!」

「状況が状況なんです!」


 と、澪が春那に説明する。

 深夏が慌てた形相で、何度も携帯のボタンを押しては耳に当て、また押しては耳に当てている。


「ど、どうしたの? 深夏?」


 春那がそう聞いた刹那。


「…………出て……出てよっ! お願いだから! お願いだから出てよ! 睦さんっ! 大和先生っ」


 その声に周りは喜びを掻き消された。


「えっ? 澪さん? どういう事?」


 秋音が澪に訊ねる。


「さっきから病院に連絡しても! 出ないんですよ、誰もっ! ずっと電話中で…… だから、深夏お嬢様が携帯で、大和先生と睦さんの携帯に」

「往診に出てるんじゃないの?」

「それじゃ! 携帯に出ないのはどうしてよ?」


 深夏が春那に食って掛かる。途端、春那の携帯が鳴った。


「もしもし? あっ! 早瀬警部? 今日は秋音の為にすみませんでした…… えっ? あ、はいっ! 秋音は側にいますが……」


 そう言うと春那は携帯を秋音に渡した。


「もしもし?」

「あ、秋音さんですか? あの、多分ハナが子供を産んでいる頃じゃないかと思ったんですけど……」

「えっ? あ、はい……」

「その……喜びも束の間なんですけどね…… 大川先生がお亡くなりになりました」


 その言葉に秋音は全員を見ていた。


「お、大川先生が? どうして?」

「それを今調べています。それと大和のじいさんとも連絡が取れないんですよ。なので携帯を忘れて、そちらにいらしているんじゃないかと思いましてね」

「それが、私達も今先生と連絡を取ろうとしているところなんです! でも、病院の電話も、先生と睦さんの携帯とも連絡が」


 私は電話の相手が早瀬警部だとわかると、半ば無理矢理秋音から携帯を盗った。秋音は驚いた顔で私を見ている。


「早瀬警部? 私鹿波巴と言います。 すぐに大和医院に行ってください!」

「えっ!? 鹿波……巴……さん? どうして病院に?」

「四十年前にも似たような事があったんです! 政治家の家族四人が殺された時、雷が起きていて、その時に麓周辺が停電になった。その時、使えなかった電話機は……確か粉々に破壊されていた筈なんです」


 私がまるで当たり前に話すものだから「ちょ、ちょっと待ってください! 鹿波さんでしたっけ? どうしてその事を? その事は警察は発表していない」

「発表していないじゃなくて、発表出来なかった。殺されたのは不祥事を起こしていた政治家家族。国家を動かしている人間がそんな綺麗に状況説明をすると思いますか? 下手をすれば、それに繋がっている政治家全員が死ぬ程の事だった」

「確かに、父が貴女と同じような事を言っていた気がします。それじゃ、大和先生はもう?」

 私は早瀬警部にそう訊かれ、黙るしかなかった。


「わかりました。一応大和医院に行ってみます。その後、そちらに伺います」


 そう言って、早瀬警部は電話を切った。


「すみません」


 私は秋音と春那に深々と頭を下げた。

 二人は私のした事に驚きを隠せないでいる。


「早瀬警部が大和医院に行って、その後こちらにくるそうです」

「どうして?」

「鹿波さん? これが校長室で言っていた耶麻神家に向けられた忌々しい事なのかい?」


 正樹が私にそう訊ねる。


「い、忌々しい事?」


 深夏が正樹を見ながら事の件を訊こうとしたが、「さむっ?」

 と、冬歌が会話にわって入るように体を震わせながら言った。


「あのですね? 今は夏なんですし、太陽だって……」


 繭がそう言いながら天を仰いだ時だった。

 空は緞帳のような、分厚い雨雲が流れている。


「さっきまで明るかったのに?」


 その瞬間、遠くから激しい雷が落ちる音がし、劈く音が嫌いな秋音は目を瞑り、身を窄めた。


「大丈夫ですよ。遠くで鳴っただけですから……」


 正樹が秋音を宥める。

 だけど遠雷の筈なのに、妙に大きく聞こえた。


「あ、ああ、ああああっ!」


 鳴る度に秋音は今にも叫びそうなのを堪えている。


「大丈夫! みんないるから!」

「みんな、屋敷に戻りましょ!」


 霧絵に言われ、全員が屋敷に戻ろうとしていた。

 私のすぐ側でタロウとクルルがみんなを見ている。


「タロウ、クルル…… 今度こそハナと小犬達を守ってくれ」


 正樹がそう言うと、二匹は静かに閨の前に座った。

 その姿はまるで神社で神を護っている狛犬の様だった。


「正樹?」

「自分でもわからない…… どうしてこんな事を言ったのか…… でも、うっすらとみんなが死んでいく姿が頭の中で流れるんです」


 正樹が私の方を振り向いた時だった。


「正樹? 貴方…… 目どうしたの?」


 正樹の目は真っ赤に充血していた。


「小さい時に事故に遭って、その時に目を移植してからこうなったんです。何かに怒りを感じると……」


 そう言って正樹は屋敷へと入って行った。

 あの目は……金鹿之神子の眼? でも、どうして、男の正樹が?

 そう言えば小さい時に移植したって……でも、それでも可笑しすぎる。あの力が使えるのは…… 私と同じ血族だけのはず……


 ポツポツと小さな雨が降りはじめた。ふと、犬小屋の中を覗く。

 タロウとクルルが周りを警戒している。彼等も惨劇を知っているからこそ、今度こそと思っているのだろう。

 恐らく、屋敷の中の人間以外は近付く事すら許されないだろう。


 鹿威しが鳴った。


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