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伍【8月11日・午前3時30分】

HPとの違い。①文章が多少なりとも違います。②HP上に載せていたTipsはコチラには載せません。③漢字間違いなどを修正しています。


 細流(せせらぎ)が聞こえる。

 あれから窓を閉めるのも億劫(おっくう)で其の侭にしていた。

 細流の中には微かに瀧の轟音も混じっている。僕は上半身だけ起こし、背伸びをした。

 時間は午前三時半。昨日、秋音ちゃんが言っていた時間よりも早く起きれた。

 それ位の時間に起きようと思っていたが、まさかそれより早く起きれるとは思っていなかった。

 僕は昨夜(ゆうべ)以来、着替えていない事に気が付くと、バックから着替えを出し、それに着替えようとした時だった。


「瀬川さん、起きてますか?」

 廊下から小さく繭さんの声が聞こえた。

「あ、はい。起きてます」

 僕は普段通りの声を出す。そう普段通りの音量でだ。

「あ、まだお嬢様方や奥様が寝てらっしゃるかもしれませんので、あまり大きな声は出されないでください」

「あ、すみません」

 繭さんにそう言われ、僕は声を潜めた。

「あの、作業着をここに置いておきますね。仕事中はこれを着て下さい」

「あ、はい」

「それじゃ、玄関の方で待ってますから」

 そう言うと廊下を歩く音がし、数秒後に音が途絶えた。

 襖を開けると奇麗に畳まれた甚平が置かれていた。それを羽織り、帯を締めるだけの単純な物で、着替えたばかりのシャツの上でも可笑しな部分はなかった。


 布団を三折りに畳んで、部屋の隅の退()かし、その上にバックを置く。

 窓を閉めようと近付くと瀧の細流が聞こえ、昨日見た幻を思い出していた。

 幻……かな? 僕は首を傾げながら、窓を閉めた。


 廊下に出た僕はハッと気が付く。玄関って…… どっちだっけ?

 考えるまでもなく、わからないでいた。

 春那さんと奥さんである霧絵さんに案内されたものの、昨夜、秋音ちゃんに会うまで自分の部屋が何処かさえもわからなかったのだ。

 要するに僕は道に迷い易い。否、自分の名誉の為に言っておく。

 迷い易いとは言ったが、てんで方向音痴と言う訳ではない。

 目的地だって目印が有れば行けるのだが、此処にはそれがない。

 だから案内されている時になにかしら目印を覚えておけばよかったと後悔している。

 説明書を読まない人間がいきなりパソコンの設定を弄って失敗するようなものだ。

 結局、自分の勘に頼るしかない訳で、左は行き止まりで、右は丁字の曲り廊下になっている。僕は右に進む。如何やら十字になっているみたいだ。

 僕はもう一度右に進んだ。

 すると玄関が見え、其処には澪さんと繭さん、それと初老の男が立っていた。


「遅いですなぁ? 新しく入った人は」

 初老の男が澪さんと繭さんに話し掛ける。

「迷っているなんてないわよね」

 繭さんが笑いながら言う。

「この屋敷って、大きいのは土地だけで、屋敷自体は大きくないのよね。部屋は奥が厨房と広間、その部屋から廊下を挟んだ右の部屋が旦那様の書斎。広間からみて、左からが奥様、春那様、深夏様の部屋。十字廊下を挟んで、秋音様、冬歌様の部屋。そのうしろにまた廊下があり、その廊下から、私達使用人夫々の部屋。そのうしろが客間になっており、廊下を挟んだ六部屋は物置となっているんですよ。瀬川さん」

 繭さんが振り向きながら僕に言う。どうやら説明してくれていたようだが、てんで理解出来なかった。


「……繭、ごめん、私もその説明はわからないわよ」

「……えええぇっ! 私、それで覚えたけどなぁ」

 澪さんにツッコまれ、繭さんは驚いた顔を浮かべた。

「確かに、繭さんの説明は解り難いですな。……そうだ、此処は紙に書くのが一番でしょうな?」

 初老の男がそう言うと、帯に挟んでいた細長い手帳を抜き出し、紙を一枚破く。

 此処で働いて何年、否、何十年と言わんばかりにスラスラと書き出した。

「うーん、やっぱり、絵にすると解り易いわね」

 繭さんが悔しそうに初老の男の手元を覗き込んでいた。

「……って、繭! あんたお嬢様達の部屋、全くの真逆じゃないのよ」

 そう言われた繭さんが驚いた顔で紙を見ていた。


「あれ? 奥様方や僕達の部屋は向かい合わせになってたんですね?」

「あ、部屋の入り口は逆になってるの。入り口は広間の方を向いてるから。

 旦那様が仕事の関係で、書庫を行き来出来るようにしてあったそうよ」

「あったそうって?」

「前は旅館だったらしいの」

 それであんな旅館の様な部屋だったのか?

「瀬川さんのいる部屋は瀧が直接見れるから、私は羨ましいんですよ」

 繭さんが僕を見ながら言う。

「私の部屋って犬小屋が直接見れるんですけど、大人しいとはいえ、ドーベルマンだから、恐いの何のって…… 昨日なんて、春那様から鎖の事を言われたけど、一昨日に変えたばかりで、千切れる物でもないのよね」

 繭さんが首を傾げるが、僕はまた思い出し、身を震わせた。

 そんな会話を割って入るかの様に一、二発ほど柏手(かしわで)が鳴った。

 鳴らしたのは澪さんだった。


「それじゃ、ぽちぽち仕事を始めましょうか? 瀬川さんは初めてですから、挨拶という意味で私と一緒に犬小屋に行って、タロウ達に餌遣りをしてもらいます。繭は農園から胡瓜きゅうりと茄子を取って来て、渡辺さんは鳥小屋に行って、餌やりと卵の収穫をお願いします」

 そう言うや否や、繭さんと渡部さんは夫々の場所へと消えていった。

「それじゃ、行きましょうか? 大丈夫ですよ。噛みはしませんから」

 そう言われても、昨日恐い思いをさせられている以上、僕の足は拉んでいた。


「ほら、恐くないですから」

 澪さんが笑いながら僕を見る。僕は彼女の二三歩うしろを歩いていた。

「そりゃ、昨日あんな事があったとはいえ、普段は大人しい子達なんですよ」

「そうかもしれませんけど、あんな唸り声挙げられて、挙げ句の果てには襲い殺されそうになったんですよ?」

「そんな大袈裟(おおげさ)ですよ? (じゃ)れようとしたかもしれませんし」

「それならどうして、唸り声なんて挙げるんですか? 人懐っこいなら、挙げないでしょ? 普通」

 僕は涙目で訴える。みっともない事この上ない。

「そんな事を云ってながら、もう小屋の中に入ってますけど?」

 ガチャリと重たい鍵が開く音がした。それと同時に獣の臭いがする。


 入って分かったが犬小屋は想像以上に広い。僕の部屋の三倍かそれ以上の広さだ。

「此処は周りが森で登山者も結構いるんです。そんな中であの子達の様な犬がいたら恐いでしょ? だから、あの子達がストレスを溜めない様にこれくらいのスペースを取っているんです」

 僕に説明したあと、澪さんは犬の名前を叫ぶと、奥にある小屋から三匹の犬が駆け寄って来る。

 僕は一瞬たじろぐが、三匹は僕に目もくれず、澪さんの所に集まって、コロコロと喉を鳴らすだけだった。


「ほら、新しく来た、瀬川正樹さん。みんな挨拶して」

 そう言われた犬達が一斉に僕を見た。昨日の事がまるで嘘の様に円らな瞳。

 否、飽くまで彼等はドーベルマンだ。そんな可愛い表現は彼等に失礼だろう。

 キリリとした表情で僕を見ていた。うん。これがいいだろう。

「よろしく」

 僕がそう言うと全員が高々と遠吠えをした。

 一瞬驚いたが、彼等が僕に対して歓迎の声だろう。そう解釈しておく。


 タロウはこの屋敷の番人をかれこれ五年以上やっているペテランで、他の二匹を従えている。

 ハナは現在妊娠中で、実はクルルの子を孕んでいるらしい。

 そのクルルは先刻から僕の足に頭を擦り付けていた。

「クルルは気に入った物には頭を擦り付ける癖があるんですよ。ほら、自分の縄張りにおしっこを掛けるって習性が有るじゃないですか? 犬って」

 まぁ、おしっこを掛けられないだけマシだろう。

 イヌ達が人懐っこいというのは本当だった。

 が、どうも釈然としない。彼等は飽くまでドーベルマンだ。

 番犬としてはこれ以上ないほど頼もしいだろう。しかし初対面の僕に対して、これは如何なのだろうか?

「大丈夫ですよ。悪い人にはとことん吠えますから、その場から出て行くまで」

 彼等が吠えないという事は僕が悪者ではないと理解してくれているのだろうか?

「タロウの親が優秀な警察犬で良く犯人逮捕に貢献(こうけん)していたと聞かされてますから。その遺伝子でわかるんでしょうね?」

 そのタロウはさっきからジッと僕を見ていた。見張っているというより、僕がどういう人間なのか観察しているような視線だった。


「昨日は鎖が繋がれたままでしたけど、普段からそうしているんですか?」

「いいえ、これだけ広い場所があるのに、彼等を束縛させるのは億劫ですから、普段は扉を二重にしているんです」

 つまり、昨日は柵が開いていたのか?

「鎖に繋がれていないなら、昨日は散歩していたって事になるんですかね?」

「まぁ、誰かが悪戯に門を開けっ放しにしていたかもしれませんし、昨日は散歩させたのは繭ですから、後で訊いてみますね」

 澪さんはしゃがみ込み、トートバックから犬の餌を取り出すと、餌入れに(そそ)きいれた。

 カラカラと音が鳴ると、僕の足元に座っていたクルルが餌に近付く。

 ハナはゆっくりと自分の餌入れの前に伏せ、タロウはジッと自分の前に置かれた餌入れを見ていた。


「まだよ」

 澪さんが待つよう命令する。三匹はジッとしている。

 これが三分くらい経っても続いている。彼等がどれだけ優秀なのか、時間が経つにつれ、わかって来た。番犬にとって、主人の命令は絶対なのだと理解する。

「……はい! 食べて良いわよ!」

 澪さんの声が掛かっても、三匹は慌てる事なくゆっくりと食べはじめていた。

「はい! これで餌遣り終わり。ねっ、簡単でしょ?」

 澪さんが僕を見て小さくウインクした。

「そ、そうですね」

「後は繭と渡部さんを待たなきゃいけないから、一度玄関に戻りましょ?」

 そう言うと、澪さんは静かに門を開け、閉めた。

 彼等の食事を邪魔しない様に考慮したのだろう。


 庭の鹿威しが鳴り響いた。


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