捌【8月11日・午前5時20分~午前7時20分】
「――渡部さんが行方不明?」
秋音ちゃんがそう僕達に尋ねる。
鳥小屋の中を調べた後、澪さんや繭さん、鹿波さんとバラバラになって、屋敷の中や周りを捜してみたのだが、渡部さんの姿はなかった。
秋音ちゃんが申し訳なさそうに僕を見ている。
「――秋音?」
「ごめんなさい。元はといえば昨日私があんな事を……」
「それとこれとは別の話でしょ? でも、逆に渡部さんが行方不明になったって事は……」
深夏さんが霧絵さんを一瞥しながら「会社の不祥事を渡部さんは事前に知っていた……と言う事になるのかしらね?」
そう訊くと、霧絵さんは小さく頷いた。
「――鹿波さん? 本当に渡部さんは自分から鶏小屋を閉めたの?」
霧絵さんにそう訊かれ、鹿波さんは頷いた。
――突然、電話機の音が鳴った。
襖近くに座っていた繭さんが立ち上がり、廊下に出る。
その数秒後、廊下から繭さんが秋音ちゃんを呼んだ。
春那さんが先刻から時計を気にしていた。
「姉さん? こっちは大丈夫だから、姉さんは会社に行って」
「でも、渡部さんが……」
「大丈夫ですよ。渡部さんは私達が見付けますから! 春那お嬢様は資料室に行って、事の真相を調べて下さい」
澪さんにそう言われ、春那さんは頷き、スッと立ち上がった。
「それじゃ、瀬川さん、鹿波さん……秋音の事、お願いしますね」
春那さんにそう言われ、僕と鹿波さんは頷いた。
着替えを済ませ、秋音ちゃんより早めに屋敷を出た。
本来の目的は秋音ちゃんがイジメに遭っている事と、その顧問の先生が楽器修理と偽って、部員のみんなからお金を取っていると言う事。
そして、そのお金が耶麻神グループに入金されている可能性があることについての追及だ。
秋音ちゃんは副部長さんと証拠が固められたら直に行くと言っていた。
「中学の場所はわかりますか?」
「えっと、確かこの近くだと水深中学校だっけ?」
僕がそう答えると、秋音ちゃんは頷いた。
「それにしても凄い当て字ですよね? 今更ですけど」
繭さんがそう言うと、「まぁ、いいんじゃないの? 本当にある名称を使うと後々問題があるだろうし」
澪さんがそう言うと、全員が首を傾げた。
――山道を下っている時だった。
昨夜土砂降りのように降った雨は、朝方には落ち着きを取り戻していたが、道には水溜りが出来ている。
そんな中、鹿波さんはまるで麓までの近道を知っているかのように山道を逸れ、それこそ獣道を歩いている。
僕はその後を追いながらも、不思議に思っていた。
「あの? 綺麗な道は通らないんですか?」
「まぁ、通ってもいいんですけど、もし犯人の一人が私達を尾けていたらどうします?」
「――えっ?」
僕は咄嗟にうしろを振り向いた。
「――もしもの話ですよ? それに、こんな獣道を大所帯で下っていたら、それこそ可笑しいじゃないですか? それに昨夜も言いましたけど、屋敷の人達以外は私達が使用人として働いている事を知らない訳ですから、顧問の大川って先生は油断すると言う訳です」
「でも、秋音ちゃんのイジメをどうやってわからせるんですか?」
僕が鹿波さんにそう訊いた刹那、世界が反転する様な錯覚が起きた。
『それは秋音次第でしょうね。それに正樹、貴方はどんどんあの姉妹の運命を変えようとしている』
突然、鹿波さんが僕を呼び捨てにする。
否、まるで別の人間と話しているような気分だった。
「どうしたんですか? 彼女達の運命を変えるって?」
「まず、深夏と冬歌の嫌いなニンジンを食べられるようにした。これだって立派に運命を変えているのよ? それに秋音だって本当は誰かに自分の背中の痕に気付いて欲しかった。でも、自分の事で姉妹に迷惑を掛けたくなかった…… 一番大きな事は…… タロウ達が正樹の事を忘れていなかった事でしょうね?」
鹿波さんは立ち止まり、僕を見ている。
「思い出して、貴方が本当に初めて来た時にタロウ達に噛み殺されそうになった事を……その時、貴方本当に殺されると思ったでしょ?」
鹿波さんがまるで見ていたように話す。
否、その時鹿波さんは見ていた。
でも、タロウ達から殺されるなんて……微塵も思えなかった。
それなのに“殺される”と思ったなんて……
え? あれ? 何だ? 突然自分の脳内に映像が流れて来る。
そこには初めて屋敷に入っていく僕がいた。そして庭の鹿威しに見とれてしまい、その直後、タロウ達が僕を襲いかかろうとしている。
そうだ。 僕はあの時本当に殺されると思った。
春那さんが外に出て来てくれなければ僕は……
――映像が突然止まった。僕の手に汗がびっしょりと出ている。
「ど、どうしてその事を? それより? 何なんですか? これは?」
「貴方、風呂釜を見た時も同じだったわよね?」
「そ、それは蒸し暑かったから」
違う。蒸し暑かったんじゃない……
何なんだ? 何なんだよ? この記憶は……
あの屋敷に来たのは昨日が初めてだ……
それなのに、みんなの、みんなの顔が当たり前のように出て来る。
屋敷に来る途中も、どんどん足が重くなっていた。
行きたくない…… 行けば殺される……
そう心のどこかにあったからだろうか?
「でも、貴方はここに来た。貴方自身が本当の事を知りたいから……」
鹿波さんにそう言われ、僕は跪いた。
「か、鹿波さん? き、君は一体何者なんだ?」
「今は話せないけど、貴方をずっと見ていたって事だけは言っておくわ」
そう言って、鹿波さんは歩き出した。