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伍【8月10日・午後7時10分】


 明るい食事の談話をしている最中、冬歌がジッと前に座っている秋音を見ていた。


「どうしたの? 秋音お姉ちゃん」

「ん? どうかした?」


 秋音は何の事だかわからず、聞き返した。


「ううん、さっきからゆらゆらしてるから……」

「……トイレ?」


 深夏が笑いながら言う。秋音はそれに驚き、口にしたものを噴出してしまう。


「み、深夏ねえ…… いっ!?」


 秋音が呻き声を挙げると、手に持っていた茶碗を落としてしまった。


「もうどうしたのよ? 足が痺れ……」


 春那が秋音の元に近付いた時だった。


「あ、秋音? 貴女、背中どうしたの?」


 春那がそう秋音に訊く。全員が秋音の背中に目を遣った。

 じんわりとではあるが、明らかに何かをされたような痕があった。

 否、上にカッターシャツを着ているのだからわからないが、それでも背中に何かアザがある感じだった。


「えっ? えっと、こ、これはね?」

「秋音、ちょっとこっちに来なさい!!」


 春那は半ば無理矢理秋音の手を掴み、廊下へと連れて行った。


「い、痛いッ! 姉さんッ! 痛いってば!」


 二人が廊下に出ると、ぴしゃりと襖が閉じられた。



「秋音? どうしたの? これ」

 廊下の隅っこで、春那は秋音の背中を診ていた。


「…………ぶつけた」

「それじゃ、この丸い痕は何?」

「そ、それも遊んでで誤ってぶつかって……」


 秋音はシャツを調ととのえる。


「嘘云いなさい!! これどう見てもぶつけられた痕でしょうが!!」

「違うッ! 本当に学校で備品にぶつかって!!」

「本当の事を言いなさい! 一体誰にされたの?」


 春那の問いかけに秋音は答えようとしない。


「そう、それじゃ明日ずっと部屋にいなさい!」


 その宣告に、秋音は怪訝の表情を浮かべた。


「どうして?」

「本当の事が言えないんじゃ、明日小犬が産まれるところを見せるわけにはいかないでしょ?」

「……学校でみんなにされた」

「みんな? みんなって誰?」

「ソレは言いたくない。だって言うとまた」

「誰かに苛められるから、黙っておく。それは一番いけない事じゃないんでしょうか?」


 突然うしろから声がし、春那と秋音はうしろを振り向いた。

 そこには澪が立っていた。


「秋音お嬢様? どんどん自分の中にしまい込んでいると、いつか爆発してしまいますよ」


 そう言うや、澪は左手の裾を捲くった。

 それを見るなり、二人は絶句する。澪の手首には無数の切り傷や、注射の痕があったからだ。

 たった数秒、いや二秒と言わないだろう。スッと見せては、スッと裾を元に戻した。

 しかし、信じられないものを見た場合、それが何分も見ていた錯覚に陥ることがある。春那と秋音が今、そういった感覚にあった。


「ど、どうしたんですか? ソレ」


 訊いてはいけないとわかりながらも、訊きたくなってしまうのが人間の心理であろうか? 春那はそう澪に訊ねた。


「私も秋音お嬢様と同じで、よくイジメられていたんですよ。だから、イジメられる度にリストカットして、気を晴らしていたんです。薬をしたのも、同じくらいの時ですかね? 高校に入る時に親が気晴らしに耶麻神グループの旅館に連れていってくれたんです。その時に旦那様と奥様に会ったんですよ。旦那様は直に私が薬をしているって気付いて、そしたら“好きな事は何かないかな?”って言って―― その時、テレビで空手の試合がやっていて、それを見ながら“あれ”って答えたみたいなんですよ。無意識にですよ。今思い出してもはっきりとしてませんけど。そしたら、その高校に入学して、すぐに空手部に入ったんです。凄く楽しくって、どうしてこんなに楽しいのかなって…… 気が付いたら、結構強くなってしまいましたけどね?」


 澪が笑いながら言う。


「あ、私も…… 最初は嫌いだった音楽が今凄く好き。それもお父さんに言われたからかな?」


 秋音は春那を見ながら言う。


「私も、最初は耶麻神グループの社長になって、今でも不安だけど…… 来店してくださるお客さんが満足した笑顔を見ると、遣っててよかったって思えるわ」


 春那が静かにそう話す。


「だから、秋音お嬢様? これ以上、誰かに嘘を言わないで下さい。自分が同じ思いをしていたから、見ていて凄く辛いんです。自分と同じ事をするんじゃないかって……」


 澪がうっすらと涙を流したのを二人は見逃さなかった。


「……お話だけはする。でも、これは私の問題だから」

「わかってる。自分で解決出来ないと思ったら、遠慮なく言いなさい! 私達は秋音の味方だからね?」


 春那がそう言うと、秋音は静かに頷いた。



「みんなッ! 私の話を聞いて」


 広間に戻ってきた秋音ちゃんが突然そう言うと、全員が彼女の方を見やった。

 冬歌ちゃんが鹿波さんと一緒に自分の部屋で遊んでいる時、広間には僕と秋音ちゃん、春那さんと深夏さん。繭さんと澪さんが居た。渡部さんと霧絵さんはそれぞれの自室で休んでいる。


「ど、どうしたの? 突然」


 深夏さんが秋音ちゃんにそう問うと、「私、吹奏楽が好きっ! フルートが好きッ!」

「そ、そんなのみんな知ってるわよ?」

「だからっ! 今吹奏楽部で起きている事を話すのっ! これは本当は春那姉さんに聞いて欲しかった……」


 秋音ちゃんが静かに視線を春那さんに向けた。


「顧問の大川って先生が、不正に備品修理の請求をしているそうなの。もちろん、楽器の手入れは私達生徒がしている。それは私が小さい時から一番気をつけている事だって事は知ってるでしょ?」


 そういわれ、僕以外の全員が頷く。


「それでね? 六月くらいから、徐々にその備品修理の請求額が大きくなっていってたの。部長さんは生徒会の人に言われて初めて知って、それを大川先生に聞いたら“耶麻神君に頼まれて仕方なく”って……」

「はぁ? ちょっと待って? ――秋音、まさか……」

「そんなわけない! 私だって部長にそう言われて、初めて知ったんだから!」

「それで? その背中の痕とどう繋がってるの?」

「これは、もうだいぶ前から…… 私が耶麻神グループの人間だって知ってから……」


 それを聞いて、春那さんと深夏さんは黙り込んでしまった。


「瀬川さんは、もしクラスメイトの一人がお金持ちだったらどうします?」

「えっ? そりゃ、(うらや)ましいとは思いますけど? 羨ましいと思うだけで後は何とも……」

「本当にですか?」


 秋音ちゃんが驚いた顔でそう僕に聞いた。


「羨むって言うのは、妬むって意味なんですよ」


 スッと、襖が開くと鹿波さんが広間に入って来た。


「あ、冬歌は?」

「冬歌お嬢様だったら、今ぐっすりと眠っていらっしゃいます」


 鹿波さんはそう告げると、僕の横に座った。


「見勝手ながら、話は聞かせてもらいました。私も小さい時に同じような目に遭いました。イジメなどとは違う形ですが、誰も私の目をみて話してくれませんでした。これもイジメといえば、イジメなんでしょうね?」


 鹿波さんがそう言うと、全員が何も言えなかった。


「――それで、秋音? 私に聞いて欲しい事って?」

「最近、耶麻神グループに不正にお金が使われているって言ってたでしょ? その中に、妙な単位で入金されているお金とかってない?」

「それは、渡部さんに訊かないと……確か管理してたのは渡辺さんだったはずだから」

「でも、普通だったら、自分の口座に入れないかしら? どうして、耶麻神グループなんかに?」

「もしかして、本当に秋音お嬢様が、その先生を脅している様に見せる為?」

「秋音お嬢様個人の口座に入れられなくても、グループに入れてしまえば」

「でも、それは無理です。全部の管理は基本的には渡部さんがしてますから」


 春那さんが残念そうに言うと、襖が開き、霧絵さんが入って来た。


「それなら、これを見たら。大聖さんがずっと使っていた帳簿よ」


 霧絵さんが白い帳簿を持って来て、全員に見せた。


「母さん?」

「大聖さんがね? 不思議に思っていたみたいなのよ? もっとも、渡部さんが持っているのは表向きの通帳ですけど」

「――表向き?」

「ええ、耶麻神グループの財産は総勢二十億って言われてるの。これは大聖さんがキチンと調べて計算した帳簿よ」


 そういわれ、春那さんは帳簿の中身を確認している。


「秋音――これじゃない?」


 春那さんはそのページを秋音ちゃんに見せた。


『20―04―24 送金3万』

『20―05―16 送金4万』

『20―06―27 送金5万』

『20―07―12 送金6万』


 送金の下に送った人間の名前が書かれていた。その全てが『大川一郎』と書かれている。


「秋音? この先生に何かされたの?」

「ううん、何もされてない。それにお金を請求するなんてこと!」


 秋音ちゃんは春那さんの質問に対し、首を横に振った。


「これ、出金じゃなく、入金になってるから、お金が口座に入れられてるって事でしょ? でも、やっぱり可笑しいわよね?」

「でも、どうしてお父さん、これを?」

「あの人はね、自分で見たもの以外は信じないのよ…… だから、支店も全部その場所を見て、お父さんが気に入った場所を私が承諾していたの。あの人の審美眼は凄いからね? だから、今回の耶麻神グループに対しての不正な取り引きに一番ピリピリしていたのは、春那、貴女じゃなくて、父さんだったの」


 霧絵さんはそう云いながら、春那さんの横に座った。


「父さんが? 何も言ってなかったけど」

「貴女にこれ以上心配事を抱え込ませないようにね。一人で調べていたの。それも最近、各支店にお願いして、帳簿のコピーを照らし合わせていたのよ。もちろん、貴女達姉妹の通帳も銀行にお願いしてね…… そしたら、有ろう事か、渡部さんの通帳だけは見れなかった。もちろん、それは、個人のものだから、見せれないって事も有り得るけど……」


 突然、澪さんが立ち上がり、「あの、待ってて下さい! ほら! 繭もっ!」

 そう促され、繭さんも立ち上がり、広間を出た。五分後、二人は戻って来た。


『これも確認して下さい』

 と、澪さんと繭さんは春那さんの前に銀行通帳を出した。


「あれ? みんな同じ銀行なんですね?」

「別々の銀行だと、後々面倒だから、初任給の時に口座も作っているの」


 深夏さんが僕にそう説明してくれた。


「澪さんも、繭さんも、これといって可笑しい所はないですよ?」


 そう春那さんに告げられると二人ともその場でへたれこんだ。


「でも、父さんはどうやってこの入金を知ったのかしら?」

「あれ? ねぇ? これって、渡部さんが会社に呼ばれた日じゃない?」


 そう繭さんが言うと、春那さんが慌てて広間を出ると、自分の部屋に入り込んだ。


「それで? 秋音はどうしたいの?」

「私は、この事を校長先生に話してみようと思ってる。事件の事は先生の耳にも入ってるだろうから……」

「長丁場になるわよ? それにもしかしたら、秋音の一人相撲になる危険性だって……」

「でも、このままじゃ、吹奏楽部のみんなに迷惑がかかるし…… それに、イジメをしている人達にだって、元々は私に原因がある訳だし」


 秋音ちゃんは肩を震わせている。


「それぞれに理由がある……かぁっ…… 繭? 二学期になったら、みんな吃驚するでしょうね?」


 深夏さんがそう訊ねるが、繭さんは何の事だろうと首を傾げる。


「否、学校じゃ私、結構いい子ぶってるでしょ? それが屋敷の中じゃ全然、月とスッポンみたいな感じじゃない?」

「え? あ、はぁ?」

「貴女だって、最初戸惑っていたけど、今はどうなの?」

「学校でのお嬢様も、屋敷の中でのお嬢様も、深夏さんに変わりはないです」

「それを聞いて安心したわ。本当はね、凄く不安だったのよ」


 深夏さんが背伸びをした時だった。


「やっぱり! 入金されている日付! 渡部さんが会社に来ていたって」


 春那さんが驚いた表情でそう言った。


「それと、今日も会社に来ていたそうだけど、誰も姿を見ていないそうなの」

「出入確認は?」

「出勤したのは午前八時二十分。出たのはお昼の二時前みたい」

「――銀行が閉まり掛ける時間?」

「春那? 明日、貴女は会社に行って、資料室に行きなさい」

「でも、あそこは厳重に警備されていて……」

「大丈夫。一寸耳を貸しなさい」


 そう言って、霧絵さんは春那さんに耳打ちをする。


「――わかった。それじゃ、明日私は会社に行くから」

「大丈夫。秋音の事は私が……」


 深夏さんがそう言うと、「ちょっと、待ってください!」

 突然、鹿波さんがそう言う。


「どうかしたの? 鹿波さん」

「あ、否、その先生が耶麻神グループを通して不正にお金を入れているのなら、深夏お嬢様が一緒だと分が悪いのでは?」

「あ、確かにそうね? 事の中心は耶麻神グループの通帳にその先生を通して、吹奏楽部の修理請求費として入金されている事だから。同じ耶麻神グループで、姉である深夏お嬢様が同席するのは却って……」

「それじゃ、どうするのよ?」

「私と瀬川さんが秋音お嬢様に御同行するんですよ」


 その提案に全員が驚いた。


「繭さんと澪さんは耶麻神グループの人間だって事は知られている訳ですから、まだ日の浅い私達二人が一緒にいけば、相手も油断するでしょう? それに、耶麻神グループに騙されたと虚構を謳えばいいですし」

「ど、どうやって?」

「要はその先生が不正を認めればいいんですよね? だったら、先ず、その楽器修理が本当にあった事なのかを調べる必要があります。秋音お嬢様? その部費管理は誰が?」

「基本的には顧問の先生がしてるけど? でも、今までは副部長の大渕先輩がしてました」

「それじゃ、その先輩に連絡して下さい。それと、もし通帳があったら、それも用意して下さると助かります」

「でも、先輩は見せてくれるかな? それに今は先輩達に迷惑掛けられないし」

「あ、ソレなんですけど? 秋音お嬢様あてに電話があったんですよ? “秋音さんはいらっしゃいますか? 明日学校に来て下さい”って…… ちょうど、秋音お嬢様が犬小屋に行っている時でしたから」

「なんで、それをいわないのよ」

「いや、言うタイミングが…… あ、大渕って人からでした」


 そう繭さんに言われ、秋音ちゃんは慌てて広間を出た。


「それで私は何を調べればいいの?」


 春那さんが鹿波さんにそう訊くと、「旦那様が持っている帳簿に書かれている、グループにお金が入金されてた日。その入金先の銀行を調べて欲しいんです。恐らく、その銀行から出し入れしているはずでしょうから」

「……でも、やっぱり可笑しいわよね? 普通だったら自分の口座に入れないかしら?」


 繭さんがそう言うと、襖が開き、秋音ちゃんが覗き込むようにこちらを見ていた。


「鹿波さん? 明日先輩も私の話に付き合ってくれるって…… お願いしたら、産休に入ってる前の顧問の先生と一緒に銀行に行って、通帳を再発行してくれるって言ってました」

「そうかっ! 再発行すれば!」

「あっ、今までのお金もそのまま記入される」

「よしっ! 後は耶麻神グループの通帳が見つかれば……」


 みんなが意気揚々と盛り上がっている最中、鹿波さんだけは上の空みたいだった。


「どうしたんですか?」

「いいえ、これであってるのかなって?」


 僕はその言葉に首を傾げた。


色々と可笑しな部分がありますが(特に銀行において、即日の通帳再発行など)、気にしないでください。

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