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拾捌【8月12日:午後4時24分】


「大丈夫なんですか?」

 深夏さんが僕にそう尋ねたが、僕は大丈夫だと頷いた。

 少しばかり眩暈がし、気を失っていたが、それも一、二分位のことだった。

 特に何の根拠もないのだが、僕と早瀬警部、そして深夏さんと一緒に行動を共にすることにした。


「他には入れない所ってどこになるんですかね?」

 書斎の鍵はないし、書斎の鍵が壊された形跡もなかった。

 広間や深夏さんたち家族それぞれの部屋。使用人の部屋、客間等々調べたが、あれから一向に変化はない。

 いや、視界としての変化はあったが、自然とそうなるから視野には入れないことにした。

 つまり死体はそのままの状態になっている。


「このまま犯人が見つからなかったら、死体遺棄で逮捕されるんですかね?」

「いや、私が証言しますよ。最初の渡辺さんや春那さんは難しいですが、他の人たちとなると、犯行に不可解が生じますからね」

 深夏さんの問い掛けに早瀬警部が答えた。

「普段使用されている部屋が殆ど変わっていなかったから、残るはあの赤い部屋とか廊下を挟んだ部屋くらいでしょうね」

 僕はそう言いながら、ひとつの部屋の前で立ち止まった。


 真っ赤に変色し、板で閉じられた襖がある。

「深夏さん、この部屋は?」

「ああ、そこあかずの間って言ってて、誰も中を知らないんですよ」

 深夏さんはそう云いながら、他の部屋に行こうと促す。


 僕はこの部屋に奇妙な違和感があった。

「二人とも、ここにいててくれませんか? すぐに戻ってきますから」

 そう言いながら、僕は玄関に行き、傘を持ってきた。

「それをどうするんですか?」

 早瀬警部にそう訊かれ、僕は傘の先を襖に貼られた板の近くに突き刺し、メキメキと板を剥がし始めた。


 一本、一本打ち込まれた釘が取れていく。一本残した状態で板は宙ぶらりんになる。

 襖を開けようとすると、建て付けが悪いのか、うまくスライドしてくれない。

「ああぁ、もうっ!」

 苛立った早瀬警部が、襖を蹴り飛ばした。


 廊下を挟んだ部屋には、スペースの問題か、共通して押入れがない。

 その奥に本棚があるのだが、その周りは本が無数に散らかっているのと、破られているものが殆どだった。


「深夏さん? この部屋のものは何も触れていないんですよね?」

「え、ええ。もうだいぶ前に使わないからって――」

 どうしてそうなったのかと訊ねようとしたが、それに関して、深夏さんは知らないと答えた。

 部屋の中を隈なく探してみたが、本は破られた部分が多く、また表紙は無事だったものでも、中身は黒く塗り潰されており、ヒントになるものも何もなかった。


「――あれ?」

 早瀬警部が声を出すや、床に落ちていたひときれの紙を手に取った。

「――母子手帳?」

 早瀬警部はそう云いながら、僕と深夏さんに見せた。

 床に散らばっている紙は読めないほどに破り捨てられているにもかかわらず、その4文字だけが綺麗に破り取られている。

「母子手帳って…… そのままの意味ですかね?」

「どうでしょうかね? ただの紙切れかもしれませんし……」

 そのあとも部屋を調べたが、それ以外に気になるものがみつからなかった。


 いや、本当に探して、あの『母子手帳』という四文字だけだった。

 あとのやつはまるでシュレッターにかけられたかのようにバラバラに細かく切り刻まれていていたため、滅入った状態では調べることも億劫だと早瀬警部が判断した。


 その後、他の空部屋も調べてみたが、特に可笑しな点はなかった。

「もう夜なんですね?」

 そう言いながら、僕は携帯の液晶を見る。時刻は午後七時になろうとしている。

「雨はもう止んでるんでしょうかね? 全然音がしない」

 ちょうど霧絵さんの部屋の前で、広間に戻ろうかと会話していた時だった。うっすらと日が落ちようとしているのが外の暗さでわかる。

「一度広間に戻りましょ。一度休んで、また隈なく調べるということで」

 早瀬警部の提案に、僕と深夏さんは賛同した。


「あ、広間に戻る前に風呂場に行きませんか? さっき本を調べた時、インクが付いちゃったみたいで」

 深夏さんがそう云いながら、掌を見せた。あの本が散らばっていた部屋でついたのだろう。手には黒いインクがついている。

「ええ。私たちも手を洗いたいですけど、どうして風呂場なんですか?」

「習字とか、絵の具を使ったりして手や服を汚した場合、炊事場の水で洗ってはいけないんですよ。シンクが汚れるから、料理の味がおちるって、澪さんから言われてるんです」

 この屋敷の水は殆ど精溜の滝から直接パイプを繋いでいると、誰かが言って…… 思い出そうとしたのだが、まったく思い出せない。


「そういえば、早瀬警部? 四十年前の場合、やっぱり直接川から水を汲んできてたんですかね?」

「さぁ、どうでしょうね…… パイプを繋いだのはただ単に往復するのが億劫だったからでしょうけど……」

「ただ、使える場所って一箇所に集められている気がするのよね? 炊事場と風呂場って、離れてるけど、直結しているようなところがあるから」

「――直結?」

 僕は深夏さんの言葉に違和感があった。


「確か、キッチンの横って、駐車場になってましたよね?」

「ええ。だけど、水を使うという点では、一線道に並んでない?」

 言われてみれば、たしかにそうだ。だけど、パイプがどれくらいの太さがあるのか、僕はほとんど知らない。

「しかしそうなると、いつ頃からパイプを使っていたのかという」

 早瀬警部の言う通り、直接精溜の滝からパイプを繋げているとしたら、少なくともこの屋敷が建てられてからになる。

「でもそうなると、冬は使えないんじゃないんですか?」

 僕がそう訊ねると、深夏さんは呆れたような表情を浮かべた。

「いや、そりゃ他の季節に比べて水は冷たいけど、そうならないようにずっと流しっぱなしにしているのが屋敷の庭にある池の水なのよ」

 それを聞いて僕は首を傾げた。池はそのまま湧き水のようなものと思っていたからだ。


「それじゃ、水道は凍ることはないと?」

「まぁ、川の水が乾涸びたらそこまでですけどね」

 やたらめったなことではそうそうないだろうが、雨が降ってくれるか、もしくは雪か降ってくれれば、それが溶けて川水と化してくれる。

「それにしても―― いったいどうやって犯人は足跡もなしに人を運べたのかしら?」

 深夏さんの言う通り、屋敷の中を隈なく探しても全く見つからなかった。

「早瀬警部? ここが集落だったのはいつ頃からなんですか?」

「いや…… ハッキリとした記述はないんですよ。伝説的には室町以前からあったそうなんですけどね」

「室町って、確か信濃だと真田幸村さなだゆきむらでしたっけ?」

「まぁ、正しくは真田信繁さなだのぶしげなんだけどね。幸村っていうのは呼称こしょうで、信繁の死後五十年以上経ってから書かれた軍記に登場したやつで、有名な『真田十勇士』にも書かれてるから、後の名前の方が本名より有名になったって、お父さんから聞いたことある」

 大聖さんが歴史蒐集家というのは聞いたが、そこまで詳しいとは思っていなかった。

「それに本人が生存していた時、幸村というのは一切なかったって」

 それを聞くや僕は何か違和感を感じた。


「ちょっと待ってください? それじゃ幸村っていうのは後に付けられたってことですよね?」

「えっ? ええ、そうなるかな」

「それじゃ…… それを金鹿之神子と置き換えて考えたらどうなりますか?」

 それってどういう意味?と深夏さんが僕に訊ねる。

「伝記では将軍の妾となった神子が戦の道具として利用されたでしたよね?」

「ええ。たしかにそうですけど?」

「でもそれをはっきりとさせる文献はないんじゃないんですか? 幸村みたいに後から付け加えられたものだったとしたら?」

「……それじゃ、皆殺しの神様じゃなかったってこと?」

 その問いに答えるように、僕は首を横に振った。その仕草に深夏さんと早瀬警部は首を傾げる。


「でも、どうして犯人は春那さんや秋音ちゃん……霧絵さんの眼球を盗んでるんだろ?」

「目に力が宿ってるからじゃないの? 何かのテレビで観たことあるけど、前の持ち主が持っていた記憶が移植した相手に移るっての聞いたことあるけど?」

 深夏さんの質問に、僕が答えようとした時だった。

「いや、それは医学的に可笑しいでしょ? 目に映るものを脳が認識するには、網膜を通してですから、移植した人間にドナーの記憶が移るというのはないと考えられてます」

「み、澪さん?」

 僕たちの目の前には、服をボロボロにした澪さんが立っていた。


「でも、瀬川さんの考えは一部あっていると思いますよ。この山の伝記はあっているものもあれば、出鱈目のものもありますから」

 まるで衰弱しているかのように、澪さんはフラフラとした足取りで僕たちに近づいてきた。

「それに―― 神子に関しては……」

 澪さんがその先を言おうとした時だった。


「げぇはぁっ! げぇほぉっ! ごはぁっ!」

 澪さんが大きく咳き込むと同時に大量の血が、ドバドバと吐き出されていく。

「がはっ! ごぉっほぉっ! げぇっ! ぐぅえぇっ!」

「み、澪さん?」

 深夏さんが倒れ込んだ澪さんに近付くや、

「――えっ?」

 澪さんは白目をむき出し、ヒクヒクとまるで水からあげられた魚のように痙攣している。


 そして何よりも理解できなかったのは、体がズブ濡れになっていることだった。

 ――が、廊下の先を見ても、床はどこも濡れてなどいなかった。

「ど、どういうこと? み、澪さん…… 濡れてるのに?」

 深夏さんが腰を抜かし、澪さんからゆっくりと離れた。


 ――鹿威しがなった。


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