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拾漆【8月12日:午後3時12分】


 風呂場を離れてから、数分。僕と深夏さん。そして早瀬警部は広間にいた。

「ありがとうございます。瀬川さん」

 深夏さんが衰弱した声でお礼を言いながら、僕の手からコップを受け取る。

「早瀬警部? 先ほど言っていた集落って」

 僕がそう訊ねると、早瀬警部は少しばかり息を整える。

「今から四十年ほど前まで、この山に小さな集落があったんですが、ある事件を切っ掛けに集落の人間は全滅した……」

「確かパトカーの中で女性が云っていた『鹿狩(ししがり)』というやつでしたっけ? でもどうして“鹿を狩る”のが、集落の人間を皆殺しにしたことに繋がるんですか?」

 僕がそう訊ねると、早瀬警部はお茶を一口飲んだ。


「そもそもの発端は、当時長野県議員を務めていた『小倉靖おぐらやすし』による地域開発によるものでした。その裏で手を回していたのが、霧絵さんの祖父、耶麻神乱世だったんです。彼はこの榊山を手に入れ、キャンプ場にしたりしていたそうですが、集落の人間は頑なに出ていくことを拒んだ――」

「その事件に早瀬警部は担当していたと?」

 僕がそう訊ねると、早瀬警部がゆっくりと天井を仰いだ。


「あの時見た死体のなんとも無残なことか。今思い出しても悪寒を感じますよ。まぁ、あれを見てから、刺殺やら絞殺やら……簡単な方法で殺された死体を見ても、なんともなくなってしまうくらい麻痺してしまいましたけどね」

 もう数え切れないほどの事件を担当したと云っていいほど歳のいった刑事だ。僕が想像できないほどの事件を見てきたのだろう。

 そんな彼でさえ、その事件だけは恐怖とまで言わしめている。

「ただ、その事件と今回の事件…… 共通する部分があるんですよね」

「神子がやったからというわけではないんですか?」

 深夏さんがそう尋ねるが、早瀬警部は首を横に振った。

「いや、皆殺しの神子である“金鹿之神子”が犯人だとしたら、どうして全員同じように無残な殺され方をされなかったのか」

「な、何を云ってるんですか? 現に春那姉さんの眼は抉り取られているし、母さんはバラバラにされて風呂窯の中に入れられていた。それに秋音だって……」

 深夏さんがそう言うと、何かを思い出すような仕草をする。

「秋音の死体…… 前は見れないくらいにズタズタだったのに、背中の方は痣がある以外は何もされていないっていうくらいに綺麗だった」

「顔の方も目が抉られた以外、殆ど何もされてませんでしたよね?」

 僕と深夏さんの話を聞きながら、早瀬警部は何かを考えていた。

「瀬川さん、先程秋音さんがいじめにあっているのではと仰っていましたが、それはいつ頃知ったんですか?」

 そう訊かれ、僕は驚いた。


「そういえば、あの時は興奮してて気付かなかったけど、どうして初対面の瀬川さんが、秋音がいじめられていることを知ってるんですか?」

 深夏さんも不思議そうに訊ねるが、僕自身よく理解出来ていなかった。

「あれ……?」

 二人に質問責めにあっている中、僕は少しばかり開けられた襖に目が行った。

 その隙間からスーッと、秋音ちゃんくらいの子供が走っていくのが見えたのだ。

「……誰かいる?」

 頭の中で呟いたはずが、口に出たのだろう。深夏さんと早瀬警部の表情が先程よりも険しくなっていた。

「何を云ってるんですか? こんな状況で、しかも人もこれない状態なのに」

「でも、さっき秋音ちゃんくらいの――」

 僕がそう言うと、早瀬警部が僕の目をジッと見る。


「そういえば、ここはもともと集落があった場所だったんですよね」

 そう云われ、僕と深夏さんは互いを見やる。

「もともとって、でもここは母さんがお爺ちゃんからもらった旅館なんじゃ?」

「いや、それなんですけどね。どうもその部分は曖昧なんですよ。なにせ霧絵さんは大学に行くまでの間、ずっと入退院を繰り返していましたからね」

 つまり、この旅館が何時建てられたものなのか、そもそも自分の父親が所有していたものなのかもわからないということだろうか?


「それに、霧絵さんと大聖くんがこの屋敷で住み始めたのが二六年ほど前……それ以前の事はなにもわからないんですよ」

「わからないって…… 一体どういう」

 深夏さんがそう訊ねると、早瀬警部は重たい表情を浮かべた。

「封鎖されていたんですよ。四十年前に起きた『鹿狩』から、ある事件が起きた三十年前までね……」

「――封鎖されていた?」

「この榊山は私有地なんですが、四十年前は集落の長が所有していました。今現在は霧絵さんが所有している形になっていますが、それはこの屋敷に住み始めてからなんですよ」

「それじゃ、その間に誰が所有していたのかわからないってことですか?」

 そう訊ねると、早瀬警部は少しばかり深呼吸した。


「いや、それが――当時の榊山所有者を調べたところ、まったく持って何も書かれていないんですよ」

「えっと…… どういうことですか?」

「つまり…… 四十年前に起きた『鹿狩』から三十年前に起きた事件の十年間。そして霧絵さんたちが屋敷に住み始めてから、榊山は誰のものでもなくなっていた」

「でも、これだけ素晴らしい山じゃないですか? 誰も買わなかったってことですか?」

「いや、買わなかったというより、買えなかった。競売に出されていない物件に手を出すことはできないでしょ?」

 僕の質問に、早瀬警部はすぐさま答えた。


「逆に考えて、買えなかったということは、既に誰かの所有物になっていたんじゃない?」

「でもそれだったら名義が記されているはずじゃないんですか?」

 ――云われてみれば確かに、と深夏さんは表情を曇らせた。

「警察の調べですからね、嘘偽りはないと信じたいですけど…… そうは云ってられないんですよ」

「さっき、『鹿狩』が行われた当時の議員『小倉靖』が絡んでいると言いましたよね?」

「え、ええ。それが一体……」

 僕がそう言うと、早瀬警部はお茶をコップに注ぎ、まるで心を落ち着かせるかのように飲み干した。


「殺されているんですよ? 『鹿狩』が行われた数日前に、一家全員皆殺しでね」

 それを聞くや、僕と深夏さんは腰を抜かした。

「警察の中には『鹿狩』は計画的犯行で、彼が生きていようが死んでいようがお構いなしに行われる予定だった――と考えている人間もいるくらいなんですよ」

「それって、危険を察知した神子が遣ったっていうことですか?」

 深夏さんがそう訊ねると、意外にも早瀬警部は首を横に振った。

「いや、私と私の父である早瀬文之助が当時の事件を調べていたんですが、殺され方が全く違うんですよ」

「違うって? でも、一家皆殺しなんですよね?」

 僕がそう訊ねると、早瀬警部はゆっくりと深呼吸する。


「小倉靖一家は全員白骨死体で発見されているんです――」

 その言葉に僕はこの屋敷で起きた事件を振り返ってみた。

「顔が焼け爛れていたり、折れた骨が皮を突き破って、露出していたのはいくつもあった。でも、骨だけの死体なんて……」

 僕はその先を言おうとした時だった。


「つぅっ?」

 突然痛みが走り、眩暈がし始める。

「せ、瀬川さん?」

 隣にいた深夏さんが僕に呼びかけるが、それもどんどん遠くに聞こえるようになっていく。

 ふと、気を失いかけようとした時だった。


『やめてぇ いたいぃっ! やめてぇっ!』


 子供がまるで何かに虐げられているような……そんな悲鳴が聞こえた。


 ――鹿威しが鳴った。


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