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拾参【8月11日・午後9時40分+8月12日午前6時40分】


 早瀬警部と如月巡査は用意された部屋で休んでいた。

 深夏さんと澪さん、繭さんと秋音ちゃんはそれぞれ二人一組になって休む事にしたようだ。

 警部さんたちがいる部屋の両隣にそれぞれが入っている。何時でも警部さん達が駆けつけられるようにだ。

 僕は懐中電灯を手に持ち、屋敷の見回りを始めた。


 電池が切れ掛けているのか、淡い橙色の光が屋敷の床を照らし出している。

 シンとした屋敷の中で、僕の足音だけがひっそりと響いている為か、一歩一歩が妙に永く感じる。

 ちょっとでも鈍い音を出そうものなら悪寒を感じてしまうほどだった。ここまで自分は臆病なのか?と思ってしまう。


 風呂場を抜け、裏庭に出た。夕方あれだけ降っていた雨が今はひっそりとしていた。

 それでも雨は振り続けている。さっき天気予報ではあの時間、丁度長野近くに強い雨雲が発達していたらしい。

 山の頂上に位置するこの屋敷だから、直撃していたのだろう。

 電気が通っているのだから電柱はあるのだろうが、街燈がない為、真っ暗な闇だった。


 少しばかり、裏庭に出てみる。サンダルが泥濘(ぬかるみ)に入り、足に冷たい感触が走った。

 もし渡部さん殺しの時、雨が降っていたら足跡が残っていたはずだろう。そう考えている時だった。

 ……足跡? そうだっ! 渡部さん殺しの時は確かに雨は降っていなかった!

 それは春那さん殺しの時もそうだった。でも、奥様が失踪し、殺された時…… 雨は降っていた!

 それなら足跡が残っていたはずだ! それなのに…… 足跡一つなかったじゃないか?

 つまり、犯人は外に連れ出したんじゃなくて、屋敷の中で殺したって事になるのか? 風呂釜までなら、風呂場から直接入れるようになっている。もしかして、犯人は…… 否! それだと無理が生じる。


 あの時、風呂場には澪さんがいた。彼女に霧絵さんを殺す事は時間的に無理がある。最低でも四十分以上のズレがなければ、奥様を連れ去り、殺す事なんて出来ない。ちょっと希望が出ては、簡単に打ち砕かれてしまう。

 本当に犯人はいるのか? そもそも、人間が犯人なのか? この屋敷に何かが住み憑いていて、それが渡部さん達を殺しているんじゃないのか? 古い屋敷とか、こういった人しれない場所にある土地には、そういったものが取り憑いていたりする。


 今朝、繭さんが言っていた事を僕は思い出した。

『あの滝は【精留の滝】って言って、御霊が留まる場所と言われているんですよ。昔は此処まで肝試しをしていた人だっていたんですから』

『でも、此処には人を驚かす事すらしない…… 下手をすれば、人を食らい殺す魑魅がいるそうですよ』

『魑魅魍魎って言えばわかりますかね? 魑魅は山の妖怪、魍魎は海の妖怪を現してるんです』

 あの時、繭さんはこの近くの滝、精留の滝に妖怪が住み着いているって言っていた。

 その時【下手をすれば、人を食らい殺す】と確かに言っていた。


 今がそういう状態じゃないのか? 渡部さんの死体も、タロウ達の死体も、奥様の死体も全部、まるで食い散らかしたような後だったじゃないか!

 引き千切るのに時間が必要か? 噛み千切るのに時間が必要か? 頭を粉々にしなくても、人体をバラバラにする事に…… 時間が必要かっ?

 もし、繭さんの言っている悪霊がこの事件の犯人なら…… 足跡なんて残るはずが無い! 悪霊に足跡なんて残るはずがないからだ!

 実体がないものに、どうやって足跡を残せと言うんだ? 強いて言うなら『水の中で息をしろ』と言っているようなものだ!

 出来る訳がない! 鰓呼吸が出来る魚ならまだしも、人間にそんな事が出来る訳がない!

 僕はこの殺人が人間によるものだと思っていた。

 否、人を殺すのは飽くまで人間だと考えていたからだ。でも、考えれば考えるほど不可能すぎる。それが短い時間に行われ、全員にアリバイがあると言う事だ。


 頭痛がする。何か…… 何かを知ろうとすればするほど頭痛が激しくなってしまう。

 僕の知らない記憶。それを思い出そうとすればするほど、探ろうとすればするほどに頭痛が仕出す。

 記憶喪失になった人が記憶を戻そうとする時に痛みを生じるらしいが、恐らく今僕が体験しているこの痛みはそれと似たものなのかもしれない。

 僕はその場に跪き、頭を抱えた。懐中電灯を落としてしまい、チカチカと切れ掛けている。

 スッと生温い空気が僕の頬を掠める。


『…………』


 誰かが僕に話し掛けている。雨の冷たさと、痛みで僕は意識を失ってしまった。

 意識が遠退く最中、あの鹿威しの音と一緒に、聞き覚えのある声が聞こえた。


『頼む…… 彼女をかたるやつを探し出してくれ!』


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 うっすらと視界が広がっていく。

『瀬川さんっ! 瀬川さんッ!!』

 誰かが僕の名前を呼んでいる。それも一人じゃなかった。

 僕は確か裏庭で気を失って…… そうか…… 誰かが僕を屋敷の中まで運んでくれたのか?

 僕は重たい躰を無理矢理に起こした。ところどころ痛みが走る。


「せ、瀬川さん?」

 僕の視界に入って来たのは大粒の涙を流している深夏さん達だった。

「よ、よかった…… よかった……」

 秋音ちゃんが肩を震わせながら、笑みを浮かべている。

「ちょ、ちょっとは空気読みなさいよ! 貴方が死んだら、後は老体と頼りないやつだけなんだから!」

 指で自分の目をこすりながら、澪さんは小さく微笑んでいる。

「ちょ、ちょっと待ってください! 頼りないって何ですかっ!?」

「まぁまぁっ…… でも、大事に至らなくてよかったですよ」

 狼狽える如月巡査を横目に、早瀬警部も安堵の表情を浮かべている。


「は、早瀬警部が此処まで? 裏庭で僕を発見して」

「いえ、廊下の真ん中で貴方が倒れているのを深夏さんが発見しましてね」

 それじゃ、僕を運んだのは?

「どこか痛みますか? 若しくは犯人を見ていてくれていたのなら、有り難いんですけど…… その表情から察するに、見ているどころか、どうして自分は屋敷で倒れていたのか?って逆に訊きたそうですね? でも、明朝四時頃、貴方は屋敷の中で倒れていたんですよ」

 僕は思い出そうとするが、やっぱり頭痛がする。


「せ、瀬川さん、本当に大丈夫ですか?」

 秋音ちゃんが僕の顔を覗き込んだ時だった。

「ひっ!!」

 秋音ちゃんは逃げるように僕から遠退く。

「ちょ、ちょっと! 秋音っ!」

「ご、ごめんなさい、瀬川さん……」

「あ、秋音お嬢様? あの時も瀬川さんの顔を見て……」

「昨日見た時以上に目が…… 目が怖いんです」

「目が怖い?」

 それを聞くと、早瀬警部が僕の目を覗き込んだ。


「こ、これは…… せ、瀬川さんッ! 貴方っ! 犯人に何かされませんでした?」

「え? 何をって……」

「み、澪さん、鏡を持って来て下さい」

 早瀬警部にそう促され、澪さんは大急ぎで手鏡を持って来るや、それを早瀬警部に渡した。

「瀬川さん、ゆっくり自分の目を確認して下さい」

 僕はそう言われ、ゆっくりと自分の目を鏡で見た。

「なっ!?」

 僕は遣りようない悲鳴を挙げてしまった。


 僕の目はそれこそ血で染まっていた。否、充血しているといってもいいのだろうが、真っ赤に染まった眼球を今の今まで見たことがない。

「あ、秋音! 昨日見たのもこんなだったの?」

「あ、あの時見た時は、そ、そんなに赤くなかった。慣れない環境で出来たストレスみたいなものかな?とか、眠れなくて出来たものかなとか思ったけど……」

「瀬川さん、目をどうかしたんですか?」

 早瀬警部が僕に尋ねる。


「僕…… 小さい時に工事現場で遊んでいて、その時誤って鉄パイプで視力を失ったんです。それで、移植手術を受けて……」

「その時何か後遺症みたいなものはなかったんですか?」

「いいえ、特に何も……」

 僕はそう言いかけた時だった。

 僕の中に何か一つ、見た事のない記憶が流れ込んで来た。

 僕の目が見た景色なのだろうか? 森の中で真っ赤な満月が昇っている。その月明かりに照らされるように一人の少女がただ立っていた。

 まるで何かをし終えたかのような……そんな感じだった。

 ただ、その少女は何者なのかわからなかった。


「カラコンを入れているとか、そんなんじゃないみたいですし、視力が悪くなっているとかはないんですね?」

 早瀬警部にそう言われ、僕は頷いた。

「一時的な症状かもしれませんね。秋音さん? 昨日見てからずっと赤かったですか?」

「あっ! いえ! あの時見たのは充血っていう感じでしたから、そこまでは…… それに、何分かしたら元に戻っていましたから……」

 それを聞いて、早瀬警部は何か考え事をはじめていた。


 スッと澪さんが立ち上がり、全員が澪さんに視線を向けた。

「澪さん、どうしたんですか?」

 僕がそう言うと、

「あ、瀬川さんは休んでいてください。少し早いですけど、朝食の用意をします」

 僕は咄嗟に腕時計を見た。時間は朝の七時を回っていた。

「み、皆さん、もしかしてずっと?」

「心配掛けたと思ったなら、気を付けてください!」

「あ、澪さん!」

 澪さんが部屋を出ると、繭さんが立ち上がり、後を追った。

「あれ? 如月君。犯人が隠れているかもしれないのに、女の子二人っきりにしていいんですか?」

 早瀬警部が悪戯っぽく如月巡査に言う。それを聞いて、如月巡査は慌てて立ち上がり、部屋を出た。


 早瀬警部はそれを確認するや否や、

「お二人は何か御存じじゃないんですか? この一連の殺人をした犯人を」

 突然そう告げられ、深夏さんと秋音ちゃんは驚いた表情を浮かべた。

「な、何を言っているんですか! そ、そんな事ある訳ないじゃないですか!?」

「春那さんの殺し方、そして霧絵さんの殺し方にひとつの共通点がありました」

「きょ、共通点って? は、春那さんは目を抉り取られているだけ! でも、霧絵さんは」

「目がなかったんですよ。霧絵さんの死体にも…… あれからいくら捜しても! あの顔の皮の燃えようからして、目は残っているかもしれないと思ったんです。それが…… 幾ら捜しても見つからなかったんです」

「そ、それじゃ? 犯人は母さんと姉さんの目を?」

「い、一体何の為に?」

 姉妹二人が狼狽える。


「それを貴女達姉妹に訊いているんです」

「彼女達が匿っているって言うんですか?」

「いや、恐らく彼女達は無意識に犯人を匿っているかもしれないんですよ! 自分達の土地に住むかもしれない何かをね」

 それを聞いて、二人の瞳孔が開くのが見えた。

「い、一体! 一体何を知っているって言うですか?」

 深夏さんが大声で叫ぶ。

「耶麻神大聖が…… 貴女達のお父さんが何者かに殺された形式があります」

『……えっ?』

 それを聞いて、二人は唖然とした。


「お、お父さんが?」

 先程の憤怒は何処にいったのだろう? そう訊きたいほどに深夏さんの顔から、スーッと血の気が引いていくのが解った。

「お父さんが? い、一体誰に?」

「それは解りません。しかし耶麻神グループに関係のある人間と言う事は確かです」

「グ、グループの中に? どうしてそんな事が言えるんですか?」

「貴女達家族の周りで、貴女達が直接関係している事でいい噂が面白いくらいに一つもないんですよ! つまり、貴女達のもっている総資産五百億円が目的で殺人を起こしている人間がいる! そして、それを貴女達は知らないうちに匿っているかもしれないから……」

 早瀬警部は繭を潜めた。出来る事なら話したくなかったのだろう。


 それにしても五百億…… 下手をすれば大企業レベルじゃないか?

「早瀬警部、どこでそれを知ったんですか? 耶麻神グループは資産の公表はしていないはずです! 支払っている税金から差し引いての計算ならまだしも! それなら最低でも十億はあるって事になりませんか?」

「総資産十億も持っている一代企業の社長宅が、こんな小さな屋敷だとは誰も思いませんよね? 私はあるルートから聞いた事なので本当の事は解りませんが」

「それを知っているって事はグループの中の人間って事になるんですか?」

 意外にも秋音ちゃんは冷静だった。


「でも、この家にそんな大金があったとして、何処にそんな金があるんですか? 入れる部屋全部を調べてもいいですよ!! そんな大金! 見つかる訳がないんですから!!」

「ね、姉さん?」

「それじゃ? 貴女達の持っている…… 四枚の絵画【花鳥風月】は一体何千万するんですかね?」

 早瀬警部が不敵な笑みを浮かべる。

 僕は咄嗟に秋音ちゃんを見た。昨日の朝、春那さんの死体を見た後、広間に戻って来た秋音ちゃんが深夏さんに絵の事を聞いていたからだ。

「私は少し本署に連絡します。あ、出来れば此処に絵を持って来て下さい」

 そう言って、早瀬警部はスッと立ち上がり、部屋を出た。


 部屋の中には僕と深夏さん、そして秋音ちゃんの三人だけが残った。

「大丈夫ですか?」

「警察はこれだから嫌いなのよ! 確かに疑うのは仕事かもしれないけど」

 深夏さんが吐き捨てるように吐いた。

「でも、もし本当に警部さんの言っている事が本当なら……」

 秋音ちゃんは俯きながら呟いた。

「あの? 旦那様は放浪の旅に出る時、何か一言言ってませんでした?」

「父さんの放浪は病気みたいなものだからね。一々気にしてたら…… あ、そう言えば…… 秋音? 確か父さん美濃で何かを見せてもらうって言ってたわよね?」

「――あ、うんっ! 美濃に知り合いの鍛冶屋がいるって…… その人に何か頼んでて、それが出来たから直接見に行くって言って……」

 二人が話している内容と、昨日僕が聞いた話と一致しない。


「ちょ、ちょっと待ってください? 昨日繭さんから聞いた話と違っているんですけど?」

「繭さんが?」

「旦那様は山形のさくらんぼ駅近くに行くって言ったそうです」

「まぁ、別に可笑しくはないかも。さっきも言った通り、父さんは放浪が趣味だから、風の吹くまま気の向くままって感じだから」

「でも、どうして秋音ちゃん達には美濃に行くと言って、繭さんには山形って言ったんでしょうか?」

 そう言うと二人は首を傾げた。


 僕は気分が悪くなり、横になった。無意識に目が閉じられていく。

 二人が立ち上がり、部屋を出る音がした。


 ――鹿威しが鳴った。


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