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拾壱【8月11日・午後6時20分】


「どういう事ですか?」

 早瀬警部が口調こそ落ち着いてはいるが、内心焦っている事は表情で解った。

 全員が座ったかと思ったが、霧絵さんの姿が見当たらなかったからだ。


「さっき見に行った時には確かに寝てらっしゃったはずなんですけど?」

 深夏さんが怪訝の表情を浮かべながら、廊下を捜し回っている。

「奥様の部屋の窓が開いてましたから…… まさかっ! 奥様は……」

「それはないですよっ! 屋敷の周りは森で…… 泥棒に入るのは余程の物好きだって、澪さん達が言ってたじゃないですか! それに、玄関付近には僕達がいたんですよ」

 僕は早瀬警部と如月巡査を見ながら言った。二人ともコクリと頷く。

「それに、今も土砂降りだって言うのに」

 全員が霧絵さんの部屋にいた。土砂降りと言う事は部屋の中に雨粒が入って来るはずだ。

 それに犯人が進入してきたのなら、布団まで足跡が残るだろう。でも、それが見つからない。


「霧絵さんが一人でって事はないですね」

 早瀬警部は奥様の容体の事を知っている。

 だからこそ、自分で窓から出たと言う可能性が低い事はすぐに解ったのだろう。

「私達は屋敷の周りを捜しましょう。澪さん達は屋敷の中を」

「ど、どういう事ですか?」

「冬歌さんと同じですよ。若しかしたら屋敷の中に閉じ込められている可能性だってある!」

 早瀬警部が捲くし立てるが、どうも理解出来なかった。

 僕と早瀬警部、そして深夏さんが屋敷の周りを、残りの澪さん、繭さん、秋音ちゃん、如月巡査が屋敷内をもう一度隈無く捜す事になった。


 玄関に出るや否や、すぐに横殴りの雨が僕の躰に当たった。

「さむっ!」

 思わず声を挙げてしまった。日中の暑さとはてんで違い、気温が下がるだけでこんなに感じ方が違うのか?

「こりゃ、さっきより激しいですね」

 早瀬警部が傘を差し、少し前に進んだ。

 庭先の土が泥濘になっていて、少しでも踏み込めば、跡がつくほどだった。

「あ、気を付けてください、雨で石が滑りやすくなってますから」

 深夏さんが僕達に声をかける。翼々見て見ると石に苔がこびりついていた。

「日がまだ出ていてくれているのが幸いですね? 冬だったらもう真っ暗ですよ!」

 悪寒を感じたのは勿論寒さのせいでもあるかもしれないが、それ以上の事でもあるかもしれない。

 もし、闇の中で誤って足を滑らせていたら、確実に頭を打っていただろうからだ。


「霧絵さんッ! 霧絵さんッ!」

「母さんッ! お母さんッ!」

「霧絵さんッ! どこにいるんですかっ!!」

 僕達の声が激しい雨に掻き消されている事はすぐに解った。

 それくらい激しく雨音が響いているからだ。

 幸いなのは雷が鳴っていない事だった。

 丁度、男風呂の裏まで来た時だった。

 僕が首を傾げたところを深夏さんが気付いた。


「どうしたんですか? 瀬川さん」

 深夏さんが不思議そうに僕を見つめる。

「いや、お風呂って…… 誰が沸かしてるんですか?」

 僕がそう訊ねたのは、風呂窯から熱気が感じたからだった。

 電気は無理でも、さすがにガスで沸かしているだろうと思っていたからだ。

「昨日は渡部さんが沸かしてましたけど、でも今日はまだ誰も」

 深夏さんの顔がみるみる青褪めていく。

 ここにいても解るほどに仄かに暖かかったからだ。

 だからこそ、僕も理解出来なかった。


「繭さんっ! 澪さんっ! 二人とも返事してっ!」

 男風呂の窓に向かって深夏さんが大声を発した。

 近くにいる僕達にははっきりと聞こえてはいるが、激しい雨音に掻き消されているのだろう。

 何度か大声で呼ぶが返事がない。

「深夏さん、嫌な予感がする! 急いで釜の火を消さないと!」

 僕はそう言いながら、風呂釜の蓋を開けた。

 その瞬間ムアッとするほどの熱風が顔に掛かり、思わず火傷しそうになった。


「げほっ! げほげほっ!」

 煙で咽せ、細目で釜の中を見た。

 燃え上がる炎が差し込んで来る風で激しく燃えている。

 息を整えようとした瞬間だった。


「うぅげぇえええっ!!」

 僕は堪らなくなりその場に吐いてしまった。

 今……何か……有り得ない物が釜の中で僕を見たからだ。

「だ、大丈夫ですか?」

「あっ、は、はいっ!」

 早瀬警部の肩を借り、僕はふらふらした足取りで立ち上がった。

「一体何が入っていたんですか?」

 深夏さんが心配そうに僕を見つめる。


「澪さんっ! 繭さんッ! 秋音ッ! いたら返事して!!」

 深夏さんが窓に向かって叫んでいる。

 ガラッと窓が開くと、そこから澪さんが顔を覗かせていた。

「ど、どうしたんですか?」

「どうしたんですかじゃないわよっ! なんですぐに……」

 深夏さんが言葉を止めた。

「澪さん、もしかして風呂場の中、サウナみたいになってたの?」

 澪さんは答えるように頷いた。確かにいつ沸かし始めたのか解らない状況だ。

 恐らく湯気が風呂場の中に蔓延していて入れなかったのだろう。


「それで、見つかったの?」

 答えるように澪さんは首を横に振った。

 それを見るや深夏さんの表情が暗くなった。

「とにかく、釜の火を消しましょう」

 早瀬警部がそう促すと、澪さんが「そこに乾いた土がありますから、それをかけて下さい!」と云った。

 澪さんの視線の先には、暴雨などで川が溢れた時に水が流れないようせきとめるために使う砂袋が置いてあった。

 中を見るとさらさらした砂が入っている。僕と早瀬警部は、大急ぎで大量の砂を釜の中に入れた。釜の中で砂埃が舞い上がり、見る見るうちに火が消えていく。

「そしたら、そこにある鍬で釜の中の物をかき出して下さい!」

 がりがりと鉄同士がこすりあって、嫌な音がする。

 砂や灰と一緒に何かがボトリと落ちた。


「いぃやぁああああああああああああああああああぁっ!!」

 深夏さんが跪き、甲高い悲鳴を挙げた。

 余りの凄惨な現実に叩き付けられ、興奮し、自分の髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き乱している。

 砂と灰に混じって落ちてきたのは…… 紛れもない人間の死体。完全に燃えきっていなかったのだろう。顔の筋肉が爛れたまま、眼球がない。

 しかし、それが誰なのかはすぐにわかったのは多分娘であるからだろう。


「き、霧絵さんっ?」

 早瀬警部も漸くこの死体が誰なのかわかった。

 僕と早瀬警部は釜の中の灰を全部掻き出した。

 灰に紛れながら落ちて来るもの、落ちて来るもの全部が直視出来る物ではなかった。

 ふと窓を見上げると、覗き込んでいたはずの澪さんの姿が見当たらない。

「うぅげぇええええええええええええっ! あぁっ! げぇぇえぇっ!」

 風呂場から幽かに吐く音が聞こえた。彼女も霧絵さんの死体を直視したのだろう。


「かっ、母さん……」

 深夏さんが嘘であって欲しいと思ったのだろう。

 自分が最後に見たのはたった数十分前の事だったから、それが骨しか残っていない躰に、焼け爛れたその無残な死に顔が現実だとは思えなかったからだ。


 第一、時間的に不可能すぎる。こんな小さな口に人間の、成人女性の躰を入れようとするなら、バラバラにするはずだ。

 つまり犯人は霧絵さんを殺した後、バラバラにして釜に入れ、火を起こす。それをたった数十分で出来る事なのか?

 出来ない事ではないかもしれない。

 でも、そんな凄惨な事が出来る人間がこの屋敷にいるだろうか?

 たった数十分…… いや、少し目をはなしたすきに犯人は奥様を連れ去り、殺し、バラバラにした。その間はまさに狂いもなく実行したとしか考えられない。 余程の手際のよさでだ。


 僕達の躰が雨でずぶ濡れになっている事に気付いたのは、澪さん達が此処に来た時だった。


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