漆【8月11日・午前7時40分+午前9時45分】
「あれっ?」
テレビのリモコンを扱っている冬歌ちゃんが不思議そうな声を挙げた。
さっきからチャンネルを廻しているのだが、どこもかしこも画面が砂嵐で見れる物じゃなかった。
「これじゃ、ニュースも見れませんね?」
朝食の用意をしていた繭さんが不服な表情を浮かべる。
「んぅん……」
「冬歌はいつも見ている子供番組が見れないから不機嫌だしね」
深夏さんは冬歌ちゃんの横に座っている。
自分の見たい番組が見れない事がわかると諦めたのか、冬歌ちゃんはテレビの電源を切った。
それを見て、深夏さんはクスクスと含み笑いを浮かべる。
それに対して、冬歌ちゃんは頬を膨らまし、深夏さんを睨んでいた。
「――――あれ?」
秋音ちゃんが雰囲気に違和感を感じたのか、広間を見渡していた。
「ねぇ、春那姉さんは?」
それを聞くや、僕と深夏さんは固まってしまった。
秋音ちゃんと冬歌ちゃんはまだ、春那さんと渡部さんが死んだ事を知らない。
そんな僕達の様子に秋音ちゃんは首を傾げた。
「澪さんッ! 春那姉さんはまだ部屋にいるの?」
味噌汁の入ったお椀が乗ったお盆を抱えた澪さんに、秋音ちゃんが質問した。
澪さんは一瞬、躊躇いながら、視線を深夏さんに向けた。
深夏さんもこれ以上隠す事が出来ないと判断したのだろう。
「秋音…… 落ち着いて聞いてくれる?」
いつになく真剣な表情の深夏さんを見て、秋音ちゃんは少ながらず困惑の表情を浮かべた。
「ど、どうしたの? 深夏姉さん」
秋音ちゃんも只事ではない事は感付いていた。
「今日の朝…… 渡部さんと…… 春那姉さんが殺された」
秋音ちゃんは深夏さんの言葉に一瞬聞き間違いではないのか?と言った表情で全員の顔を見渡してた。
だが、冬歌ちゃん以外は深刻な面影でそれが嘘ではないとすぐにわかった。
「――本当に?」
もう一度確認するかのように秋音ちゃんは僕達を見渡した。
「こんな事を冗談で言う?」
深夏さんの表情で嘘ではない事はわかっていたが、如何せん信じられなかったのだろう。秋音ちゃんはスッと立ち上がり、春那さんの部屋へと消えた。
僕は深夏さんを一瞥した。深夏さんは伝えてよかったのだろうか?と言った感じで誰とも視線を合わせなかった。
だけど、僕は深夏さんの遣った事は正しいと思った。
結局は曝け出される事を何時伝えたところで、彼女達を傷付ける事に変わりはない事は目に見えていた。
だから、深夏さんがすぐに伝えた事は彼女達に隠し事の仕様がないし、理由がないからだろう。
「冬歌? 貴女も春那姉さんの部屋に行って」
そう言われて、冬歌ちゃんも春那さんの部屋へと入って行く。
それを擦れ違いで秋音ちゃんが広間に戻って来た。
我慢しているのだろうか、今にも泣きそうな表情なのだが、どうもそれだけではないようだ。
「み、深夏姉さん? 『花の絵』どこに置いたの?」
それを聞いて、深夏さんは困惑の表情を浮かべた。
「壁に掛かってなかった?」
そう聞くと秋音ちゃんは激しく首を横に振った。
「――なくなってるの?」
深夏さんがそう言うと秋音ちゃんはコクリと頷いた。
それを聞いて、深夏さんの顔が青褪めていく。
僕は秋音ちゃんを見た。僕の視線に気付いたのだろう、秋音ちゃんが視線を僕に向ける。
「私達姉妹はそれぞれ一枚絵を持っているんです」
それだけを言うと秋音ちゃんは視線を外した。僕は澪さんと繭さんに視線を向ける。彼女達も答えたくないのだろう、視線を僕から外していた。
それがどんなものなのかは僕には想像出来ないが、彼女達が伝えたくないのなら詮索しない方がいいのだろう。
「うぅああああああああああああああああああああああっ!! ああっ!! わぁああっ!! わあぁああぁああああっ!!!」
しんとした重たい空気をまるで掻き毟るかのように、冬歌ちゃんが泣きじゃくりながら広間に戻って来た。
澪さんがしゃがみ込み、冬歌ちゃんを抱き締め、宥めている。
深夏さんは僕に視線を向けていた。
その視線に居たたまれなくなり、僕は視線を外してしまった。
「深夏、二人に伝えたのね?」
霧絵さんがタオルジャケットを肩に掛けた姿で広間へと入ってきた。
「おかあぁあああああああああさぁぁぁぁんっ!!」
冬歌ちゃんが霧絵さんの元に駆け寄っていく。奥様はゆっくりしゃがみ込むと冬歌ちゃんの髪を優しく撫でている。
「か、母さんッ? ね、姉さんが! 春那姉さんがッ!!」
秋音ちゃんも泣きじゃくっていて、息が正常じゃなかった。
「秋音…… 貴女もいらっしゃい」
優しい笑みを浮かべ、霧絵さんは秋音ちゃんに手を差し伸べた。
「うっ! あっ! ぅあっ! あぁっ! ぅあああああああああああああああああああ!!!」
その言葉で我慢出来なくなり、秋音ちゃんはその場に跪き、大声で泣き喚いた。
それを見ていた深夏さんが自分の腕を強く握り締め、泣くのを我慢していた。
最初に見たのは自分で、自分はあの時に十分なほど泣いた。そう思っているからこそ、我慢しているのだろう。
「深夏――辛かったら我慢しなくて良いのよ」
そう言われ、少し気が楽になったのだろう。深夏さんは表情を隠すように手で顔を被っていた。
肩は震え、誰が見ても泣いているとしか思えなかった。
中庭の掃除をお願いされた僕と繭さんは、朝方との違和感を感じていた。
春那さんの部屋で澪さんが言っていた通り、鶏小屋は何事もなかったように静まり返っていたからだ。
あの蹴り破った扉ですら、綺麗に閉ざされている。
「……薄気味悪いですね?」
帚を片手に繭さんが身震いをする。
「本当に…… 繭達は鶏小屋の中で渡部さんの死体を見たのよね?」
深夏さんが裏口の扉に寄り掛かったようにして、僕達を見ていた。その問いに繭さんは無言で頷いた。
「さっき、秋音達に訊いたけど、二人とも起きたのは七時頃だから、時間的に不可能よね?」
「秋音お嬢様だったら、隠す事は出来ると思いますが?」
「身内を疑うような事はしたくないけど…… ただ、貴女達は渡部さんの殺され方と春那姉さんの殺され方が極端に違うって言ってたでしょ? つまり殺した犯人は同じなのか、あるいは違うのかって事でしょ?」
渡部さんの死体を見ていない深夏さんは想像すら出来ないが、春那さんの異様なまでに綺麗な死体を見ていて思ったのだろう。
「渡部さんは顔すらわからないほどに顔が爛れてましたから…… それに比べて、春那さんのは……」
「目を奪われ、そこから血が流れての出血多量によるものじゃなくて、それ以外に対してのショック死の方が最優先でしょうかね?」
「あの流れていた血から想像してでしょ? 確かに出血多量で死んだとしたら…… パソコンのモニターに血が飛び散っているはずなのに…… 部屋の壁も綺麗なままだった……」
冷静に推理している深夏さんを見ていて僕は違和感を感じていた。
僕は鶏小屋の扉を開けようとしたが、やはり開く気配すらしない。二人が僕を見ているが、何度開けようとしても開く訳がなかった。
「やっぱり、あの時みたいに中から扉を閉めてるんですかね?」
「それはないわよ。鶏小屋は閉まらないようしているから…… 唯一閉めるとしたら、それこそ台風が来るか、大雪が降って来るかでしょうね」
僕は咄嗟に鶏小屋の屋根を見上げた。鶏小屋の屋根は普通よりも若干角度が鋭く作られている。
本州の中では、東北の次に雪が多く降る信濃地方だからこそだろう。雪が重みによって自然に落ちるようにとわざと傾斜角度を鋭くしている。
「人間が登る事も出来ないでしょうね」
「登ろうにもそこまで行く方法もないし」
その時、スッと深夏さんが横にずれた。途端に扉が開き、秋音ちゃんが身を乗り出していた。
「繭さぁぁんっ! さっきから携帯鳴ってますよっ!!」
秋音ちゃんの手には黒色の携帯があった。
それを見て、繭さんが慌てて自分の体を手当たり次第に叩く。そして少しばかり首を傾げた。
「あれ? 私の携帯…… 何処にありました?」
携帯の着信音が鳴っているにも拘らず、繭さんは訊ねた。
「えっ? 厨房にありましたけど?」
「おっかしいな? 私携帯扱った覚えないですけど?」
「とにかく、早く出て! うるさくてたまらないわよ」
深夏さんが迷惑そうな表情を繭さんに向けた。
繭さんは秋音ちゃんの所に駆け寄り、携帯を受け取った。
スライド式の携帯を扱い、ボタンを押すとそれを耳元に近付けた。――数秒して、繭さんは困惑の表情を浮かべた。
「もしもし?」
電話先に声を掛ける。
「もしもしっ!!」
苛立った声で電話先に声を掛ける。二秒ほどして、繭さんは乱暴に携帯を切った。
「どうしたの?」
深夏さんが繭さんに訊ねる。
「悪戯電話みたいですね? 相手は……非通知設定されてます」
そう言って、繭さんは携帯の画面を見せた。
「電話番号を知っている人ですよね? じゃなかったら、電話なんで出来ないはずじゃ?」
「それよりも、気味が悪いのは何時私が厨房に携帯を置いて…… しかも電源を入れていたかですよ?」
「屋敷の敷地内にいる場合は殆ど家の電話を使っていますしね?」
秋音ちゃんがそう言うと繭さんと深夏さんはコクリと頷く。
「秋音ちゃんも…… そうなの?」
僕がそう言うと秋音ちゃんは答えるように頷いた。
「つまり、みんな携帯を扱う事は先ずないって事ですか?」
「秋音と冬歌はどっちかって言うと防犯用に持たせているって言った方がいいかもね? 余り使わないように料金設定はされているけど、秋音は余り携帯を使わないし…… 冬歌は冬歌で最初は喜んでたけど、一ヶ月くらいしたら飽きてたし……」
それを聞いていた秋音ちゃんが呆れた顔を浮かべ、
「深夏姉さんがいうと説得力ないよ? 姉さん…… 結構携帯忘れてる事多い…… ッキャッ!!」
突然秋音ちゃんが小さな悲鳴を挙げた。
「私から見ても可愛いのに、ちっとも男の影がないのが不思議なのよね?」
そう言いながら、深夏さんは秋音ちゃんの胸を鷲掴みにしていた。
「ちょっ! ちょっと! 姉さんっ! やぁっ! やめっ!」
「うぅ~んっ! このはり! このふくらみッ! おぬし! 成長したなっ? 隠すでない…… 一体いくつになった?」
まるで悪代官のような顔の深夏さんが秋音ちゃんに詰め寄る。秋音ちゃんは僕と繭さんに見られている羞恥心で顔が紅潮している。
「言うてみぃいやぁっ? 一体いくつになった?」
「…………B」
秋音ちゃんが小さくそう呟いた。
「あっ! あんたぁっ! 私が同い年くらいの時より大きくない?」
深夏さんは驚きの余り、大声を挙げた。
胸から手が離れ、秋音ちゃんは逃げるように深夏さんから離れた。
「そ、そんなのわからないよっ! しらない内に大きくなっているって事だってあるしっ!」
「そ、それにしても! Bカップかぁっ!」
深夏さんはジロジロと秋音ちゃんの胸元を見ている。その視線に寒気がしたのだろう、秋音ちゃんは咄嗟に腕で胸元を隠した。今にも泣きそうな顔で深夏さんを睨んでいる。
「ははっ! ごめんごめんっ!」
「むぅっ!」
笑って謝る深夏さんを見て、秋音ちゃんは少し頬を膨らませたが、表情を見ていると、本気で怒っていないというのがわかった。
恐らく、深夏さんは場を和ませようとしたのだろうけど、他に方法はなかったんだろうか?
僕の横で繭さんが携帯を扱っている。
「やっぱり、殆ど非通知になってる」
「公衆電話からって事は?」
余り携帯を扱わないのだろう、秋音ちゃんが問い掛けた。
「それならきちんと『公衆電話』と出るはずなんですけど……」
「若しかして…… す、ストーカーっ?」
「こ、怖い事言わないでくださいよッ! 第一この携帯、深夏さんが私に貸していて、それをすっかり忘れて新しい携帯買ったから仕方なく私のになってるんですよ」
「あれっ? そうだっけ?」
攻め寄る繭さんに対して、深夏さんは笑って誤魔化していた。
「元が姉さんのって事は…… 相手は姉さん当てに電話しているって事だよね?」
「み、深夏さん? 若しかして、知っていて私に?」
「だぁあっ! 違う違う! 繭が持ってないから不便かなって思って!」
「確かに持ってませんでしたけど! それだったら自分の給料で買いますよ! そうだっ! 今からいきましょうっ!」
「な、何でそうなるのっ! 第一、今はそういう状況じゃないでしょ!」
そう言われて繭さんは何も言わなくなった。
確かに二人も殺されていて、携帯を買い換えに行こうとするのは普通考えられない。繭さんの表情が何か怯えているようなそんな感じだった。
否、他の二人もそうだ。笑ってはいるがどこか得体の知れないものに対して怯えている感じだった。
勿論、それは渡部さんと春那さんを殺した犯人に対してなのだろうけど……
あれ? そもそも…… この…… あれ? なんだ? この感覚? 誰の? 僕の感覚? 違う?
誰かが僕を見ている? 違う! 明らかにこれは僕の経験した記憶?
この屋敷に僕は……初めて来た……はずだ? この記憶は――誰の記憶だ?
何なんだ? この記憶? 誰の? 僕とは違う僕が見た記憶?
思い出そうとすればするほど頭が痛くなっていく。まるで思い出すな!と言われているような感じだった。
既視感という言葉がある。初めて来た場所なのに初めてと思わない現象。
そうだ! それと同じ感覚を僕は今感じているんだ。
この後も誰かが必ず殺される…… 何故かそんな気がしてならなかった。
鹿威しが鳴った。