陸【8月11日・午前6時10分~午前6時25分】
「はいっ! 小川さんにはいつも迷惑を……」
書斎の前に置かれている電話機を繭さんが使っている。
さきほど深夏さんから言われた通り、生徒会の人と話しているのだろう。――二分ほど会話をすると、繭さんは静かに受話器を置いた。
ガラガラと玄関の戸が開く音がし、僕と繭さんはそちらを向いた。
外に出ていた澪さんが戻ってきたとわかるや、僕と繭さんは澪さんのところへと駆け寄る。
「あ、どうでした? 足跡とか……」
戻って来た澪さんに繭さんが問うが、澪さんは黙って首を横に振った
「第一、春那お嬢様の部屋に窓はないのよ」
「それはそうですけど…… でも、そうなると殺したのは……」
「屋敷の中にいた人間……つまり、私達って事になるけど。でもね? 渡部さんが殺された時間と春那お嬢様が殺された時間帯…… 多少のズレはあっても同じ時間に殺されたって事になるかもしれないのよ」
澪さんは誰とも視線を合わせなかった。会話している途中、目の前に深夏さんが立っていたからだ。
「でも、貴女達が起きている時間に殺されているって事になるわよね? 現に渡部さんと会話しているのは貴女達使用人だけなんだから」
確かに渡部さんが殺される前、最後に会っているのは他でもない、僕達使用人だけだ。
――僕は一瞬不可解な感触に陥った。
渡部さんは殺された? 否、殺されたのか? 余りにも人間が出来そうにない、幻想的な殺人現場を目撃している。
顔は鍬で耕された様に爛れていて、四肢は強い力で引き千切られている。その死体が無数の糸に絡み、天井に吊るされていた。
その周りを首を捻られた百羽はいるだろう鶏の骸が塵の様に鏤められていた。
だからこそ、これがたった数十分という短い時間で出来るのだろうか? これがもし、幻想でないとすれば、その方法を聞きたい。
逆に春那さんは人間でも出来る可能性がある。
目を抉り取られての出欠多量で死んでいるのなら……
否、方法はいくらでもあるかもしれない。
だから、春那さんの場合は人間でも出来るかもしれない。
「どうしたんですか? また怖い顔して」
「こ、怖い顔してましたか?」
僕がそう聞くと他の三人がコクリと頷いた。
「何か、引っ掛かる事でも?」
「渡部さんと春那さんの殺され方が極端に違い過ぎるかなって」
「確かに……渡部さんと春那お嬢様を殺した人物が同じだったとしては、殺し方が極端過ぎるわね」
僕と澪さんの会話に付いていけないのか、深夏さんが困惑の表情を浮かべた。
「ねぇ、渡部さんってどんな殺され方をしてたの?」
そう訊かれ、僕達は躊躇った。
「顔はずたずたに引き裂かれていて、手足は強い力で……」
澪さんが説明するが、聞いて耐えられなくなったのだろう。
「ごめん、ちょっと……」
深夏さんはそう言って、足早にトイレの方へと消えた。
『み、澪さんっ!』
僕と繭さんがまるでステレオの様に声が重なり、澪さんに言った。
「しょ、仕様がないでしょッ! 本当の事言わないと深夏お嬢様は納得しないと思って……」
確かに隠した所で何にもならないとは思うけど……
「それとも、渡部さんは首を吊っていましたって、省略して言う訳?」
「べ、別にそう言っている訳じゃないですよ! でも、春那お嬢様が殺された直後にそんな事……」
「でも、訊いて来たのは深夏お嬢様本人よ!」
二人の言い合いが廊下に響いていた。
「瀬川さん?」
深夏さんがトイレから戻って来た。口元をハンカチで拭いている。
「二人とも、私を思ってくれているのは有り難いけど…… 澪さんっ! 急いで警察に連絡を! 繭っ! 秋音と冬歌にはそれぞれが起きて来てから状況を話す様に! 瀬川さん、失礼ですが、姉の部屋に入って、鍵束を持って来てくれませんか?」
深夏さんにそう言われ、先程まで口喧嘩をしていた澪さんと繭さんがピシッとした姿勢になり、二人とも深夏さんに向かって頭を下げると、澪さんは言われたまま電話の方へと走って行った。
僕も言われた通り、春那さんの部屋に入った。僕のうしろには、深夏さんと繭さんが付いてきている。
「鍵束は…… あった、これですか?」
鍵束は机の横に掛けられていた。全部の部屋の鍵が入っているのか、結構重たい。
「自分の部屋以外は入れないようにしているのよ。姉さんが全ての鍵を管理していて、一つ一つの鍵の作りが多少違っているの」
「つまり、春那さん以外は自由に入れないって事ですか?」
「ええっ! でも、姉さんはずっと開けていたかもしれないけど」
確かに殺される直前まで、春那さんは会社の人とチャットをしていたはずだ。
「ちょっと待って! 春那お嬢様はパソコンで、会社の人とチャット会議をしていたのよね? それならパソコンの履歴にいつ、どこに入ったのか……」
繭さんが言い切る前に僕は首を横に振った。それを見て繭さんは怪訝の表情を浮かべた。
「履歴はそのページに入った順番に表示されますから、何時入って何時終わったのかはわからないと思いますよ」
試しに僕はパソコンの電源を入れた――はずだった。
「……あれ?」
僕は確かにパソコン本体の電源を入れた筈だ。
それなのに軌道する音がしない。
どれだけ高性能なパソコンでも、微かにだがその音が聞こえるはずだが聞こえてこない。もう一度、電源を押すが、何度やっても同じだった。
僕はパソコン本体に繋げられている電源プラグを手に取り、たどってみると、
「なっ! 何だよ? これ!」
キーボード、マウス、プリンターのUSBコード…… 本体からモニターへと繋がっているコード…… そして本体の電源コード……
それがまるで熱で溶けたかのように、絶縁ゴムが爛れており、赤やら黄色やらの電線が露になっていた。
「電線が溶けて、どこか切れているって事?」
そう言われ、僕は頷いた。
「でも、どうして、電源コードだけにしなかったのかしら? わざわざ他のコードをこんな風にしなくても……」
「それより、これってやっぱり殺した犯人が? それとも……」
繭さんが聞きたい事は僕と深夏さんはすぐにわかった。
もし、これを犯人以外がしたのなら――春那さんしかしないだろう。
僕は一瞬誰かの視線を感じ、咄嗟にベッドに横たわっている春那さんの骸を見た。
横たわった死体は物言わず、ジッと天井を見ているだけだった。
深夏さんは霧絵さんの容体が心配になり、僕たちに一言そう言うと、そのまま隣にある霧絵さんの部屋へと消えた。
僕と繭さんはジッと春那さんの死顔を見つめていた。
血は止まり、頭の周りを赫々とした染みが吐き気を催させるが、春那さんの死顔を見ているとそれすら気にも止めれなかった。
「本当に極端過ぎるわね。仮に殺した犯人が一緒だったとして……どうして春那お嬢様は目だけを取られているのかしら? 渡部さんは形すらなかったのに……」
「先に春那お嬢様を殺して、それから渡部さんを」
「そう言う考えもあるけど、でもやっぱり可笑しいところはいっぱいありますよ? 第一に春那お嬢様が抵抗した形跡がちっともない。普通だったら抵抗するんじゃないんですか?」
僕は春那さんの躯を見た。
衣服には目から流れ落ちていた血の痕以外なく、増してや乱れなんて一つもない。――まるで最初から殺されるのをわかっていたかのように……
「あ、瀬川さん! 携帯使えます?」
廊下から澪さんの声が聞こえた。
「えっ? どうしたんですか?」
僕が言う前に繭さんが廊下に向かって聞く。
「あ、繭ッ! あんたっ! さっき電話使えたわよね?」
開けっ放しの襖を覗き込むように澪さんが出て来る。
「え? あ、はい…… ほんの数分前には使えて……」
そう言われ、澪さんは怪訝の表情を浮かべた。
「――どうかしたんですか?」
「ねぇ、それって本当に使えた?」
澪さんの言いたい事が如何せんわからない。
「……電話、通じないんですか?」
「そっ! だから、最後に使った繭に尋ねてるのよ」
「つ、通じてましたよ! 現に使っていたのを……」
繭さんは言葉を止めた。それもそうだろう。見ていたのは僕だけで澪さんは外に出ていた。
「…………瀬川さん、携帯使えます?」
そう言われ、僕は携帯を開くが、圏外だった。
「此処は山奥ですからね、電波が届かないのはしようがないんですよ。だから、唯一連絡が出来るのは電話とパソコンだけなんです」
つまりその連絡網が閉ざされてしまっていると言う事だろう。
「外に出てみれば……」と聞いて見たが二人とも首を横に振った。
「残酷だけど、この事は二人には知らせておきましょう」
澪さんがそう言うと、繭さんも申し訳なさそうに俯いていた。
僕はもう一度携帯を弄ってみた。辛うじてだが、メールは送れるようだ。
「警察にメールを……って悪戯と思われるでしょうかね?」
「それでも、通報にはなるかもね。試しに長野県警にでも送ってみる?」
そう言うと、澪さんは部屋の本棚から電話帳を取り出した。
ペラペラとページを捲っていくと『長野県警』と書かれたページへと行き着いた。『長野県警』と書かれた文字の下には電話番号とメールアドレスが書かれている。
それをみて、僕は首を傾げた。
「どうして、直接の番号を知っているんですか?」
「110番通報は近くの警察署に繋がるんじゃなくて、その電話番をしている局番につながるの。それから電話をした場所を特定して、近くの警察署に通知がくるって仕組みになってるんですって…… でも、いくら早くても数分は遅くなる可能性があるから、直接長野県警の連絡先を書いていたのよ」
長野県警のメールアドレスを打ち込んでいると『大和医院』という文字が目に入った。
そこにも病院の電話番号と院長らしき人物の名前の下に携帯番号とメールアドレスが書かれていた。
恐らく持病がある霧絵さんが通っている病院なのだろう。
「もっとも理由としては、山奥だからって事なんだけどね。あ、メール送れた?」
繭さんに聞かれ、僕は携帯の画面を見せた。
「これが悪戯じゃないと考えてくれれば良いけど……」
そう言われ、僕も釈然としなかった。
第一、メールアドレスを知っていると言う事は誰かが携帯を持っていると言う事だからだ。
それなのに今の今まで誰も使わなかったのがどうも納得いかない。――その考えに気付いたのか、澪さんが僕を見ていた。
「別に隠していた訳じゃないけどね、屋敷内では余り使えないのよ、携帯…… 奥様の躰の中にペースメーカーが埋め込まれていて、余り近くで機械を扱えないの。ほら『病院内では携帯の電源を切るように』って注意書きがあるでしょ? あれはペースメーカーをつけている患者がいる可能性があるから」
澪さんはそう言いながらポケットから携帯を取り出した。ピンク色の折り畳み式だ。
繭さんも携帯を取り出す。黒のスライド式携帯だった。
どうやら、携帯の電源を入れているだけでも電波が発生されていて、ペースメーカーの機能を狂わせているらしい。
そう言えば、霧絵さんが座っていた場所からテレビまで大凡5m程離れていた。テレビは電波を発するからそれ以上近付けない為だろう。
昨夜、渡部さんがテレビを点けるまで、誰一人テレビを扱おうとはしていなかった。
扱い出したのは、霧絵さんが春那さんの部屋に入ってからだ。
「そう言えば、昨日は繭が最後まで起きてたわよね? 何か可笑しな事でもあった?」
「これといって…… 見回りの時に変な視線は感じましたけど…… でも、どちらかと言うとまるでジッと見ているだけで何もしない…… あれ? 自分で言っていてわからなくなってきた」
話している最中、繭さんは首を傾げた。
「それってどこら辺で?」
「えっとっ…… 確か玄関の方から……」
「何か思い当たる節でも?」
「まぁ、私も信じている訳じゃないけど……」
澪さんはそう言うと、そのまま部屋を出た。
僕は繭さんを一瞥する。繭さんも怪訝の表情を浮かべていた。