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伍【8月11日・午前5時10分~午前5時30分】



 僕は男風呂にいた。()い加減、顔や手についた血を(ぬぐ)いたかったからだ。

 顔を拭いたタオルを見るや、ゾッとした。

 手に取った時はまだ真っ白だった生地が、気持ち悪いほどに真っ赤に染まっている。それだけ僕の顔面に血が滴り落ちていたということだ。

 一緒に鳥小屋の中に入った澪さんと繭さんも似たような感じだった。

 しかし、あの死体は一体なんなのだろうか?と、僕は考えながら風呂場を出た。


「あ、どうしました?」

 風呂場の前で霧絵さんと出くわす。

「あ、いいや、ちょっと……」

 僕がしどろもどろに話していると、隣の女風呂から澪さんと繭さんが出て来た。

 それと同時に屋敷の廊下側のドアが開いた。

「あ、奥様?」

「澪さん…… 繭さんに瀬川さんも? 三人とも、どうしたんですか?」

 霧絵さんが首を傾げながら、僕たちに尋ねる。

「あ、そ、その……」

 澪さんがどういえばいいのか言葉を探していた。

「そういえば――渡部さんがいらっしゃいませんね? ご一緒ではないのですか?」

 霧絵さんが僕達を見遣る。

「そ、その…… 渡部さんは……」

 澪さんが言葉を発した時だった。


「いぃやぁああああああああああああああああっ!!」

 突然、屋敷の中から悲鳴が聞こえた。

「今のは…… 悲鳴?」

 霧絵さんが屋敷の方の扉を見る。

「奥様! 今起きているのは?」

「今は恐らく、私と春那です。春那は恐らく一睡もしてないかと……」

 それを聞いて僕は驚いた。

 あれから、春那さんは一睡もしていないのか? あのニュースを聞いてから、今の今まで……


 僕を横目に澪さんと繭さんが屋敷へと走っていく。

「どうしました? 瀬川さん」

 霧絵さんに呼び掛けられ、僕は我にかえった。

 あれ? これも…… 何だ? これ? 僕は…… 悍ましい想像をしてしまった。

 この後、誰かが死んでいる。

 どうしてだ? 死んでいるとは限らないのに、それが揺るぎない答えだと言わんばかりに、それが頭に過った。

 誰かの眼球が…… 何者かによって抉り取られ……

 否! どうして! 今、そんな事を?


「お、奥様ッ!! た、大変です!!」

 屋敷の方から繭さんの声が聞こえると、霧絵さんはゆっくりと屋敷の廊下に戻った。

 屋敷の中はシンとしている。慌てて来たらしく、息を整えている繭さんが僕と霧絵さんをとある部屋へと案内した。

 ――そこは、春那さんの部屋だった。

 襖の前には深夏さんが跪いて、大声で泣いていた。


「あ、あああああ、ああああああああああああああああっ!!!」

 肩を震わせている。澪さんが横からそっと肩を叩いていた。

「み、深夏? い、一体? 何を見たのです?」

 霧絵さんは困惑しながらも、深夏さんに優しく問い掛けている。

「は、ははは、はる、春那ねぇさ、春那姉さんが……」

 混乱して何を喋っているのか深夏さん自身わからないでいる。だけど、きちんとそれだけは聞き取れた。

「春那? 春那がどうかしたのですか?」

 霧絵さんの問いかけに答えるように、深夏さんはまるで恐ろしい物を見るかのように、視線をそれに向けた。

 視線の先を追うと、春那さんはパソコンの前に座っていた。

 パソコンは電源を切れているのか、画面は真っ暗だ。


 僕は部屋の中に入り、春那さんを見るや、大きな音を鳴らすかのように尻餅をついた。

「み、深夏さん? これって一体?」

「わ、私がトイレに行こうとしたら、襖から明かりが漏れてたの…… まだ、起きてるのかなって、そう思って開けた…… そしたら、姉さん、まだパソコンの前に座っていて…… でも、パソコンは消してあって…… で、可笑しいなって思って姉さんを……」

 そう言って、深夏さんは喋るのを止めた。

「せ、瀬川さん? 春那は、春那は一体?」

 霧絵さんがふらふらと部屋に入って来る。

 ――見せるべきか? これを? ただでさえ身体の弱い霧絵さんに――?


「来ちゃダメだ!!」

 僕は咄嗟に大声を挙げた。

「どうしてです? 私の娘の容体をどうして見てはいけないのです?」

 霧絵さんの言う通りだ。彼女に春那さんの姿を隠すという道理はない。

 でも、これは…… 見せようにも、見せれる物じゃない!!

「……か、母さん! 見ては駄目っ!」

 深夏さんが大声で叫んだ。が、既に遅かった。


「あ、あああああああああっ! ないっ! ないっ! ないっ!! 春那にっ! 春那の眼がっ! 春那の目がッ! ひとつもっ!」

 春那さんの顔を見た霧絵さんが悲鳴を挙げた。

 それは、完成していない人形のようだった。そう表現出来るほどに傷の一つもないからだ。

 たった二つの目を入れれば完成と言う形状で彼女は息絶えていた。

 春那さんの眼には空洞が出来ていて、そこから血管やらが見えてしまう。

 まるで血の涙を流したかのように涙腺から血が今も流れている。

 それが床に落ち、水たまりが出来ていた。


 誰一人、その場から離れようとしなかった。ボトボトと血が落ちる音だけが静寂を掻き毟る。


「ごほっ! ごほっ!」

 霧絵さんが跪き、激しく咳き込んだ。

「母さん、大丈夫?」

「ご、ごめんなさい、深夏……」

 霧絵さんは深夏さんの肩を借りて、ゆっくりした足取りで部屋を出た。

「……繭、ごめん。六時くらいになったら、副会長に連絡してくれない?」

 深夏さんは詳しい要件こそ述べなかったが、何を言いたいのかは感付いたのだろう。繭さんはそれに問う事なく頷いた。


「ねぇ? 春那さんはいつ殺されたのかしらね?」

 澪さんが部屋の中に入って来て、春那さんを見る。

「それは…… わかりませんけど……」

「でも、今も血が流れてるって事は、最低でも一時間前くらいじゃないの? ほら、死後硬直って、それ以上経ってからなるって……」

 僕はあまりそういう知識は乏しいので詳しくはわからない。。

「でも、もっと可笑しいのは、どうして綺麗に抜かれているかよね?」

 ソレに関しては僕も同意見だった。


 目を抉り取ったとしても、無理矢理という形ではなかった。

 そこだけが妙に亡くなっている。まるで頭蓋骨の眼球が入る所をなぞってくり貫いたかのような…… 流れ落ちる血以外、眼の周りは綺麗すぎたからだ。

 普通だったら、どこか必ず痕があるはずなのに、それすらない。


「もしかしたら、中から抜いたのかも?」

「中からって、頭の中からですか?」

「い、いくらなんでも、人間が出来る事じゃ」

 繭さんがそう言い放った瞬間、僕は悪寒を感じた。

 人間が出来る事? この殺し方は……人間の出来る事じゃない?

 人間の出来る殺し方なんて、それこそ、種も仕掛けもある。

 でも、人間が出来ない殺し方は?――それこそ! 種も仕掛けもない!

 そんな大それた事がこの屋敷内にいる人間に出来るのか?


「ど、どうしたんですか? 瀬川さん。恐い顔して?」

 難しい顔をしていたのだろう、それを繭さんが覗き込んでいた。

「え、あ、いや…… 繭さんの言っていた事が……」

「私が言ってた事? なんか言いました?」

「人間が出来る事じゃないって」

「確かに、人間の出来る事じゃないわよね?」

「それを考えると、鶏小屋の渡部さんの死体は……」

 僕がそう言うと、二人は何かを思い出したような顔を浮かべた。

「そ、そう言えば…… 鶏小屋って、開けっ放し……」

 澪さんはそう言うや否や、裏口の方へと走って行った。

 僕と繭さんはその姿に唖然とする。


「ど、どうします?」

「ど、どうします?って聞かれても…… このままにしておくのは…… 春那お嬢様をベッドまで運びましょ」

 そう言うと繭さんは椅子を動かした。

 パソコンのキーボードに置かれていた手がずれ落ち、ダランと宙に揺れる。窪んだ目から流れ落ちる血が(わだち)を作るように跡をひいていく。

 椅子をベッドまで運ぶと、繭さんは肩を、僕が足を持つ形になって、春那さんを寝かした。


「これ…… どう説明すれば良いのかしらね?」

「秋音お嬢様と冬歌お嬢様にですか?」

「別にかしこまった言い方をしなくてもいいですよ。さっきだって、深夏さんのことを『深夏さん』って言ってたでしょ? でも、本当に…… どう説明すればいいのかしら」

 姉が死んだ……と、言うのは楽ではないが言えない事ではない。

 しかし、それは(れっき)とした死因がわかってこそ言える事だろう。

 だから、この状態で死んでいる場合、どう説明すればいいのかてんでわからない。


 そう考えている内に裏口から澪さんが戻って来た。

 僕と繭さんを一瞥すると、さっきまでパソコンの前にいた春那さんがいないのに気付くと、部屋中を見渡した。

「春那お嬢様、そこに運んだの?」

 ベッドに横たわった春那さんの躯を見つけると僕達に聞いた。

「駄目でしたか?」

 繭さんがそう聞くと澪さんは首を横に振った。恐らく、彼女も同じ事をしたのだろう。


「それで、鶏小屋はどうだったんですか?」

「あ、それなんだけど…… 私達が離れてどれくらい経った?」

「え~と…… およそ三、四十分くらいですかね?」

「そ、その間、誰も屋敷からは出てなかったわよね?」

 平然を装ってはいるが、澪さんの言動には焦りがあった。一体何を訊きたいのだろう。

「それがね? 鶏小屋の扉が閉まってるのよ?」

『へっ?』

 僕と繭さんは同時に素っ頓狂な声を挙げる。

「ど、どういう事ですか? えっ? だって……今の今まで誰も外に出てないのに?」

「私も最初は秋音お嬢様か、冬歌お嬢様が起きて、鶏小屋を閉めたのかと思ったけど…… 二人とも未だ寝てるのよ」

「それじゃ、一体誰が?」

「閉まってるって事は扉が元に戻っているって事ですか?」

 繭さんがそう聞くと澪さんはコクリと頷いた。

「でも、扉は澪さんが壊して」

「だから、腑に落ちないのよ!」

 澪さんが項垂れるように壁に寄り掛かった。


 僕はベッドで横たわった春那さんの死体を一瞥した。

 血は今も流れている。それに伴って枕許は赫々に染まっていた。


 ――鹿威しが鳴った。


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