廿壱【8月12日・午後11時20分】
雨が上がり、月が昇っている。その月明かりが部屋に入って来る。
心身ともに疲れた僕はひと休みしようとしたとき、閉めていた襖から鈍い音がした。
「瀬川さん? 秋音ですけど、お休みのところすみません。その、お話がありまして……」
廊下の方から秋音ちゃんの声がする。僕は襖を開けると、秋音ちゃんは僕に会釈するや、部屋に入り、鎮座した。
「どうしたんですか?」
「あの…… あの時、絵の女の子が瀬川さんの方を見たって言いましたよね?」
確かにあの時、女性が僕を見ていたと感じたが、勘違いと言う事もあって余り深くは気にしていなかった。
「その、変な話、私達姉妹も…… あの絵が恐いって言うより、女性が何かを訴えているって感じがしているんです。ただ、何を訴えているのかわからず、私達は恐いと感じていました」
秋音ちゃんはスッと立ち上がり、窓際に立った。
「ここから滝が見えますよね?」
秋音ちゃんはジッと滝の方を見ながら
「昔、この山で大量殺戮があったそうなんです。あの開かずの部屋はその大量殺戮で殺されたこの山の住人達の怨念が詰め込まれているんです」
僕はその光景を想像してしまい、吐き気を催した。
「ただ、屋敷であった事を知っているのは私達家族だけなんです」
「どういう事ですか?」
「あくまで私の想像ですけど…… その金鹿之神子が持っている力を私達姉妹の誰かが持っているんじゃないかと…… そうでないと、何故、私達姉妹だけが眼を盗まれるのか説明が付かないんです」
「また話が飛んでしまってますけど、早瀬警部が言っていた四十年前の山の中で起きた大量の死体と、この屋敷で起きた大量殺戮は同じ人間がしたと?」
「いいえ、これも私の想像ですから外れて欲しいと思っています。金鹿之神子の力は感情が高まれば高まるほど殺し方が違うらしいんです。この屋敷の住民達はどちらかと言うと何かに襲われて殺されたのではなく、殺される事がわかっていた」
「どういう事ですか?」
「……父に一度聞いたんです。この山の事を……」
彼女の父、耶麻神大聖によると……
当時この山には集落があった。それこそ何百人程度の小さな集落だ。
その中にあの金鹿之神子の力を持った女性が居た。
ただ、その集落の人間は彼女を忌み嫌ってはおらず、逆に敬っていたそうだ。
それを気に入らなかった麓の人間達が彼女を殺そうとしたが、逆に殺されたと言う。
「その集落の集合場所がこの屋敷だったって事ですか?」
「いいえ…… この屋敷が出来たのはその事件から十年ほど経ってからなんです。四十年前に既に建てられていたのなら、この屋敷にも何かしら警察の目が向けられるはずなのに、今の今までその様な事がなかった。ただ、この屋敷の地中深くに、その人達の骨が埋められていると言われています……」
そう聞かされながら、僕は悪寒を感じた。
「つまり、集落の人間と、麓の人間が対立していたって事になるのかな?」
「正しくはこれ以上金鹿之神子が持っている力を悪用させない為に、集落の人達がこの土地に住んでいたって事になるのかも」
「そうか、麓の人間は彼女の持っている力…… 早瀬警部が言っていた目に力があるとすれば……」
「今まではその医術を持っていた人間でしか出来なかった…… でも、時代が進むにつれ、大金を叩けば、無免許医師だろうと使ってでも、眼を移植して、殺戮道具として使える。現にその力を使えば国さえも滅ぼせる力と言われていますから……」
「でも力は感情によって左右されるって」
「何か恨み、憎しみの強い人間に入れる。身体の全ては神経で繋がっている。それは感情で繋がっていると言ってもいいんです! よく、落ち込んだ時は『肩を落とす』って言いますよね?」
「――と言う事は、その力を悪用させない為に集落の人間は自害をした」
「いいえ、恐らく麓側の人間に殺され、この土地に埋められたんだと思います。それに…… 早瀬警部が言っていた四十年前の死屍累々と、この土地で起きた事が奇妙に時期が一致しているんです」
秋音ちゃんが窓を覗き込むと、その刹那、逃げる様に僕の足元まで後退りした。
「ど、どうしたの?」
「あ、ぁぁ…… あ、あああ!!」
秋音ちゃんは動揺していて、うまく口が動いていない。
僕はただ事ではないと察しするや、窓から外を覗き込んだ。
部屋の目の前には滝が見える。淡い月明かりがその場所を照らし、その滝にほかならぬ違和感があった。
淡い光を放つ水面にひとつの影が浮かんでいる。
それがフェードインする様に、輪郭を隠していた雲が流れていく。それに伴ってその影が正体を現していく。
一瞬、僕は腕が折れる痛みを感じた。その痛みの先を見ると、秋音ちゃんがギュッと僕の腕に抱き付いていた。その表情は恐怖と悲しさを浮かべている。
僕が此処に来てから何かが狂っているかの様に、幾つもの屍を見た。
だけど、あれは最初見たものと同じだった。
耶麻神霧絵と見られるその死屍は完全に腐り爛れていた。役目を果たさない四肢はそれぞれ自由な方向に流れている。
その足跡を現すかのように血が浮かんでいた。
霧絵さんの顔は鍬で耕されたかの様に、あの綺麗な面影は微塵もなかった。
秋音ちゃんは話している間、ずっと窓際に立っていた。
その間、水に落ちる音すら気付いていない。
そう言う僕も気付いていなかった。
「いぃやぁああああっ!!」
秋音ちゃんが悲鳴を挙げる。
その数秒後、廊下から走って来る音が聞こえた。
「どうしました!?」
「……早瀬警部?」
部屋に入って来た早瀬警部は僕達に何も聞かず、窓から外を見渡した。
「――っ! あれは?」
「恐らく行方不明になっていた霧絵さんかと……」
「くそっ!!」
早瀬警部は拳を窓のサッシを力強く叩いた。
そんな中、僕はまた違和感を覚えた。
「あれ? 如月巡査は?」
「……ああ、それが如月君も、澪さんもいなくなっているです」
「……どうして?」
「澪さんはいついなくなったのかわかりませんが、如月君は本の一瞬なんです!」
「め、目の前にいた人間が突然いなくなったって事ですか?」
……その時、廊下からガタンと、何かが落ちた様な音がした。
「――広間の方?」
「秋音ちゃん? 君は此処にいて!」
「い、いぃやぁ!! もういやぁ!! 一人にしないでぇええええええっ!!」
「瀬川さん!彼女も連れて行きましょう! 此処で一人にするより、一緒の方が!」
「でもこれ以上、彼女に……」
僕の言いたい事がわかったのだろうか、早瀬警部は少し考え込んでから首を横に振った。
「いえ、やはり三人一緒にいた方がいいでしょう」
僕の腕を秋音ちゃんは必死になって抱き付いている。
鹿威しが……