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壱【8月10日・午後2時】

HPとの違い。①文章が多少なりとも違います。②HP上に載せていたTipsはコチラには載せません。③漢字間違いなどを修正しています。


 目を疑う様な光景が広がっている。

 指で両目を擦り、再びあたりを見渡すが、やはりこの世のものとは到底思えない森林の輝きがそこにはあった。

 まるで翠玉(エメラルド)を細かく砕き、絵の具の中に混ぜ、それをあたり一面に蒔き散らしたような、そんな絵画を見ているようだった。

 (そび)え立つ木々の狭間から木漏(こも)れ日が入り込み、更にその輝きは増していく。

 鹿威(ししおど)しの音が遠くから聞こえた。どうやら僕の目的地が近くにあるようだ。


 僕はポケットの中に入れていた手書きの地図を見る。

 何度も出し入れしていたため、紙はぐちゃぐちゃになっていた。

 今日、僕はこの先にある古いお屋敷でお世話になる。

 勿論、僕の家は平凡な家系で、そんなに貯金がある訳じゃないし、親戚に立派なお屋敷を持っている人なんていない。

 要するにアルバイトとしてその屋敷へと向かっている。


 それにしても綺麗な場所だと歩くたびにそう思ってしまう。

 ゆっくり景色を楽しみたいが、そうは云ってられない。

 時計の針が約束の時間に刻々と迫っていた。


 また鹿威しの音が聞こえた。一定時間ごとに鳴り響く鹿威しの音が道標になっているのだろう。

 此処まで登るのに一度も道標示を見ていない。


 夏なのに何処か涼しさを感じる長野県北部の山中。

 夏だと感じさせるのは、青々とした葉っぱと木漏れ日。

 涼しいと感じるのは、日が余り入って来ていないからだろう。

 蝉時雨せみしぐれが鳴り響いているのも、やはり夏の雰囲気に合う。

 が、それすらこの風景に霞掛かっているようなものだった。

 それほど吸い込まれる様にこの風景は美々(びび)しい。


 (ようや)く、屋敷の門が見えると、足元に小さな(ほこら)があった。

 祠は幾度の雨風に(さら)されてしまったのか、屋根やら周りに苔が生えていて、手入れなどされていなかった。

 恐らく、観音開きとなっている門の所には、赤茶色に変色したお札が貼られていて、何かを封じているかのように禍々(まがまが)しい雰囲気のある祠だった。

 僕は祠を見なかった事にし、屋敷の門の前に立ち、呼び鈴を押した。

 普通の家だったら、気付かない訳がないほどの大きな音が辺りに響き出した。


「……はい」

 インターホンから女性の声が聞こえた。

「今日からアルバイトに来ました、瀬川と申します」

「あ、はい! お待ちしておりました。一寸お待ち下さい」

 女性がそう言うと、インターホンは切れ、変わりに門がゆっくりと開かれていく。

 門を抜けると、(まだら)(ちりば)められた碁石のような石が芝生の上に埋められている。

 それを(さえぎ)るかのように楕円形だえんけいの石版が一つおきに埋められており、屋敷の玄関まで続いていた。

 その左側には時代劇で良く見る、砂地を波の模様で造った庭。

 右側には小さな池があり、そのほとりには小さな花が生えている。

 その花は遠くからは見えず、近付こうとした時だった。


『ぐぅるるるるるるるるるるるぅぅぅぅぅ……』

 まるで獣の様な唸り声が周りから聞こえて来る。

 なんだ?と最初は思ったが、僕の記憶にこれほどまでに狂暴な唸り声を発する犬はいない。

 こういった立派な屋敷だと、それくらいの犬くらいいないといけないんじゃないのか?

 そう考えたところで周りから聞こえて来る唸り声は止むわけがない。

 奥の茂みから、一つ、二つ、三つと黒い影が近寄って来る。

 三匹のドーベルマンが繋がれている筈の鎖を引きずって、ゆっくりと僕の所へと近付いて来る。

 遠くからでも、彼等の息遣いが聞こえて来る。いつでも、襲い懸かれるようなそんな威圧感だった。


 逃げようと、後退(あとずさ)りしようとした瞬間だった。

 不意に落ちていた枝を踏んづけてしまい、彼等に合図を送ってしまった。

 いっせいに走り出したドーベルマンが僕を目掛けて、襲いかかって来た。

 駄目だ!とそう思い、僕は目を瞑ってしまった。


「おやめ!」

 刹那、女性の声が聞こえ、ゆっくりと目を開けると、犬達が大人しそうに、座っていた。――が、視線は女性と僕を行ったり来たりしている。助かった……訳ではなさそうだ。

「可笑しいわね? この前、鎖を取り替えた筈なのに…… それに小屋には厳重に鍵が閉められているはず……」

 女性が不思議そうにドーベルマン達を見る。さっきの狂暴な唸り声はどこへやら、犬達は女性に寄り添っていた。


 女性はゆっくりと僕を見て、微笑んだ。

「すみません。この子達が……恐かったでしょう?」

「あ、はははは……」

 本当は恐くて『どうして確り繋がっていないんだ!』と喚き散らし、怒鳴りたかったが、女性に謝られると弱い。

「あなた達、どうしたの? いつもは吠えないのに」

「え? 吠えないんですか?」

 僕が驚いた声でそう訊くと女性は頷いた。

「ええ! この子達は赤ちゃんの時からこの家にいますから、人間には慣れているんです」

 女性は不思議そうに犬達を見る。当の本人たちは「くぅーん?」と先程とはてんで違う鳴き声を発し、人懐っこく舌を出していた。

 特に用がなくなったのか、犬達はゆっくりと先程現れた茂みの方へと走り去った。


「すみません。お疲れの上、このような怖い思いをさせてしまって」

 女性が僕に向かって深々と頭を下げた。

「あ、いえ、奥さんのせいじゃないですよ」

 僕はあたふたして、女性を「奥さん」と言ってしまった。

 ――が、よく見ると僕と対して変わらないか、少し年上と云った感じだった。

 間違えたのは雰囲気が僕の知っている女友達よりも、はるかに大人っぽかったからだ。

「ふふふ、奥さんだなんて」

 女性はくすくすと小さく笑った。

「母さんは屋敷の奥にいらっしゃいます。私はその娘で春那(はるな)と申します」

 春那と名乗る女性は屋敷の玄関に向かって……

「母さん! アルバイトの人きたわよ!」

 春那さんがそう言った数分後、屋敷の奥から女性がゆっくりと歩み寄ってきた。

 女性は黒い留袖を着ており、柄に数匹の揚羽蝶(あげはちょう)が足元に(えが)かれている。


「ようこそ、いらっしゃいました。道中、お暑かったでしょうて」

 女性が優しげな声で僕に話しかけるや、深々と頭を下げた。

「あ、いえ、ここまで来るのに結構楽しめましたし」

 確かにここまでの道のりは奇麗な風景で楽しめた。

 ふと、鹿威しの音がし、僕はその音の方を見た。池のほとりには水汲み場があり、ジョロジョロと流れる水の下に鹿威しが置かれている。

「若い人には珍しいかしらね」

 奥さんが僕を見ながら話す。珍しいと言われれば確かに余り見る事はない。

 だけど、その珍しさに加えて、鹿威しには金箔が貼られているのか、輝きを発していた。


 美女二人が僕に屋敷を案内してくれている。

 元々身体の弱い奥さんが人手の足りなかった屋敷掃除のアルバイトを募集したらしい。

 三ヶ月前を最後に働いていた使用人が次々と辞めてしまい、困っていた矢先、僕が電話した。

 そして、一度会うと言う事で、僕はこの屋敷に呼ばれたのだ。

「それじゃ、ここが瀬川さんのお部屋になります」

 春那さんはゆっくりと部屋の襖を開ける。部屋は六畳一間の立派な客室だった。

「うわー」

 僕が呆気にとられていると廊下からドタドタと走って来る音が聞こえて来た。


「待ちなさい! 冬歌(ふゆか)!」

「おねぇちゃん! こちら! 手の鳴る方へ! きゃはははっ!」

 十歳ほどの女の子が廊下を走り回っており、それを中学生くらいの女の子が追い駆けている。廊下の先で一瞬見ただけで、直に見失ったがまた現れた。

「冬歌ぁっ!」

 春那さんがその先に向かって怒鳴るや、小さな女の子は金縛りにあったかの様にピタッとその場に止まった。

「ちょっ! ちょっとぉっ! 冬歌ぁっ! 急に止まらないでぇっ!」

 追い駆けていた女の子が逆に止まる事が出来ず、小さな女の子を巻き込んで転んでしまった。


「いったぁぁぁぁぁいぃぃぃぃぃっ!」

 下敷きになった冬歌と呼ばれた女の子がワンワンと泣きじゃくる。

「いったぁっ……! あっ! ご、ごめんっ! 冬歌!」

 秋音と呼ばれた女の子が冬歌と呼ばれた女の子を抱え起こす。

 そのうしろに春那さんが凄い剣幕の形相で立っていた。

「もう! いつも廊下は走っちゃいけないって言っているでしょう」

「ごめん、姉さん」

秋音(あきね)もよ」

 春那さんに叱られている冬歌ちゃんと秋音ちゃんは正座をさせられている。

 冬歌ちゃんはさっき倒れた痛みで肩を震わしている。

 秋音と呼ばれている少女は髪がボプカットと言うべきか、肩まで伸びた髪は綺麗に整っていた。

 冬歌と呼ばれた女の子は、髪が胸まであり、少しウェーブが掛かっている。


「すみません」

 奥さんが僕に向かって謝っている。別に謝られる事はされていないのだが……

 その刹那、背中にやわらかい感触がした。

「ねぇ、母さん? この人が新しいバイトの人?」

「あら、深夏(みか)? おはよう」

 奥さんが僕のうしろにいる女性と話している。

 否、僕としては早く降りて欲しいと言うか、降りて欲しくないと言うか……

「深夏、宿題はどうしたのよ」

「いいじゃん! 夏休みは未だあるんだし」

「それに、何? 家だからってそんな格好」

 春那さんと深夏さんの話が続いているのだが、僕としては好い加減、降りて欲しいし、何より……重たい。

 深夏さんが話す度に背中に感じるやわらかい感触と、柔らかい吐息が重なって、意識が朦朧としてきた。


 そして、何かが切れる音がすると、僕は倒れてしまった。


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