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拾漆【8月12日・午前9時】


 外が妙に静かだった。雨は確かに降ってはいるのだが、昨夜までの激しい豪雨は過ぎ去っていた。

 まるで周りが台風の目に入ったかのように雨音が寂寞せきばくとしている。

「駄目ですね、道が塞がっています」

 朝食後、早瀬警部が念の為にと、山道を見に行ったが、数分後に戻ってきた。

 山道はあの一本道だけで、その途中、土砂崩れが起きていたそうだ。人間だけなら通れるが、警察の応援は呼べないので如月巡査が下唇を噛み締めていた。

「ああ、皆さん! 奥さんと…… 冬歌ちゃんでしたっけ? あれから見つかりましたか?」

 玄関で傘を閉じている早瀬警部が僕達を一瞥しながら訊ねるが、僕達はただただ首を横に振るだけだった。

「鶏小屋には入れるようになったんですか?」

 早瀬警部が朝食中、僕達にお願いしていたのだが、それを如月巡査も手伝ってくれていた。

 しかし、釘抜きは未だに見つかっていない。

 結局、澪さんの一撃でこじ開ける形になってしまった。


 ――ただ、再び入った時には…… 如月巡査以外は唖然に取られていた。

「嫌なにおいですね? うぅげぇ……」

 如月巡査はもっぱら首を切られ、腐った鶏の死体を見て吐き気を催したのだろうが、僕達は眼中になかった。

「誰も、入ってませんよね? あれから一度も」

「あ、当たり前でしょ? 入れたらそれこそ、ここで殺害出来るトリックなんか全部覆されるわよ」

 僕と繭さんはその一点を懐中電灯で照らしていた。

 既に気化され、その赤い痕跡しか残っていない血の跡の上…… 本来ここにあったはずのものがない。

 懐中電灯で天井を照らすと、数十本の糸がその軽さでゆらゆらと風になびいていた。


「だ、誰かが切り落としたのかしら?」

「こ、恐い事言わないで下さいよ!!」

「ごめん、でもそう考えられない?」

「――どうやって?」

「そ、それはわからないけどね」

 僕達の会話に違和感があるのか、如月巡査が不思議そうに僕達を見ていた。

「あの、殺されたのは鶏ではないんですか? 本当に渡部氏はここで殺されたんですか?」

 確かに初めてここを見るなら、あの死屍累々と化している鶏に目が行くだろう。僕は黙って天井を見た。その視線に気付いたのか如月巡査も天井を仰ぐ。

「糸が無数にくくられてますね? ガイシャは天井に吊るされていた? それじゃ絞殺って事ですか? 若しくは自殺」

 あの凄絶な死体を見ていないのだから、そう思うだろう。


「それで、死体は? まさか…… 動かしているですか?」

 そう言われて、僕と繭さんは激しく首を横に振った。

「あの高い天井の上から吊るされていて、どうやって死体を動かすんですか? 梯子を使っても、あの骨組みまでいけないのに?」

 扉の横に梯子はあるが、あれは屋敷の瓦や雨漏りを直す為にあるもので鶏小屋自体に使うものじゃなかった。要は収納する場所がなかったため、そこにかけてあるだけだ。現に長さが扉より五十センチ長いだけだった。

 つまり、梯子を使って天井に登ろうなんて出来るはずがないし、如何せん梯子を掛ける所がこの鶏小屋にはなかった。

「それにしても、雨漏りが非道(ひど)いわね? 雨でにおいを和らげているかと思ったけど、余計気持ち悪いわ!」

 澪さんが天井を見ながら呟いた。音を立てながら鶏の死体の上に雨粒が落ちている。昨日の豪雨のせいで、鶏小屋の中は水浸しになっていた。

 その死体から強烈な死臭が漂って来る。

「閉じないで、鶏だけでも処理しとけばよかったですね?」

「……とは言っても、これも立派な死体ですから、食用ではなく、飽くまで卵を産ませる為に飼っていましたからね」

 春那さんが鶏を見ながら言った。


「秋音?」

「姉さん、私にも手伝える事ない?」

「大丈夫よ。それより、貴女こそ大丈夫なの?」

「う、うん…… もう大丈夫……」

 秋音ちゃんが春那さんと話している途中だった。

 数時間振りの雷鳴が近くに落ちた。秋音ちゃんはピクリとし、体を窄めるが、昨日みたいに悲鳴は挙げなかったが表情は脅えていた。

 勿論、それはこの死屍累々に対してではなく、得体の知れない音に対してのものだった。

「秋音、本当に大丈夫なの?」

「うん…… あ、瀬川さん? あの、お恥ずかしい事をお聞きしますけど…… よろしいでしょうか?」

 秋音ちゃんが僕を見ながら言う。僕はコクリと頷いた。

「一昨日の昼、瀬川さんが来た日にタロウ達が瀬川さんを襲おうとした時ですけど…… ごめんなさい! タロウ達の小屋に勝手に入ったの、あれ、私と冬歌だったんです」

 突然謝られ、僕は慌てふためく。いや、一番驚いているのは春那さんと澪さんだった。

「ちょ、ちょっと待ちなさい? 澪さん! あの日、犬小屋の鍵はきちんと閉めていたんでしょ?」

「あ、はい! 確かに閉めました。あの日は晴天でしたから、犬小屋の中で遊ばせてましたけど」

 それを聞いて、もっと驚いているのは謝った当の本人だった。

「え? 掛け忘れじゃなかったの? 外も中のドアノブに鍵が刺さった侭だったから、まだ中に居るのかなって冬歌が言い出して、それで私も一緒に入って……」

「ちょ、ちょっと待って? な、なんか似てない? 私が渡部さんが鶏小屋にいるって思った時と……」

「でも、違うのは鍵があるかないか……」

「違う! 掛けられるか掛けられないかの違いよ!」

 どっちも似たようなものだけど?


「いい? 鍵が掛けられるって事はそれを閉じる鍵が必要でしょ? でもあるのは犬小屋だけ! でも、鶏小屋も閉じようと思えば閉じられる。簡単に言えば、扉に板を貼ってしまえばいいんだから!」

「でも、繭? それだと鶏小屋には入れないわよ?」

「ううん? 入れなくていいの! 入れないって事は、鍵が閉まっているって言う勘違いが生じるでしょ? でも、鍵は閉まっていなかった。扉を閉ざしていたのは、渡部さんの死体だった……」

 まるでそうであるように繭さんが言う。それを聞いていた僕達は唖然としていた。

「でも、トリックとしてはそういう考えもありかもね。でも…… どうやって犯人は馬鹿みたいに高い天井に渡部さんを短時間でぐちゃぐちゃに殺して、その死体を吊り揚げられた訳?」

「そ、そんなに非道かったんですか?」

 秋音ちゃんが僕を見ながら聞く。

 僕は何も言わなかったが、表情を察したのか顔が蒼褪め、肩を震わしていた。今思い出しても身震いと吐き気がする。

「また神隠しですか? 全く金鹿だか何だが知りませんけど、警部も困った人だ。この科学が発展している世界でそんな御伽みたいな事が……」

『彼女はそんな非道な事出来ないはずです!』

 如月巡査が吐き捨てる言葉に聞き捨てならなかったのか、春那さんと秋音ちゃんがそれに食って掛かった。


「まるで犯人を知っているみたいな口調ですね? 犯人を匿うと共謀として見られますよ?」

「誰がこんな事をしたのかわかりません! でも、彼女はこんな人間が出来るかもしれない事は出来ません。早瀬警部が昨夜言いましたよね? 今回と四十年前の猟奇殺人が似ているって…… それが例え犯人がその力を持っていても、渡部さんを天井に吊るしたり! 深夏の目だけを抉り取って殺すなんて事は先ず出来ないんです! 殺す時は徹底的に殺す! それこそ跡形も無く、身元が解らないほどに!」

 春那さんがその人を庇う様な事を言った。

「瀬川さん? 繭さん? 澪さん? 渡部さんの死体を見つけた時、死体はどんなものでした?」

 秋音ちゃんも必死になって僕達に質問する。

「え? 顔はぐちゃぐちゃに剥がされていて、四肢は強い力で引き千切られていました」

「他に、胸や身体は痛めつけられてませんでした?」

「……いいえ! 頭からの血で真っ赤になっていたかもしれませんが、身体は恐らく傷つけられていなかったと思います。 渡辺さんの来ている甚平の布切れは落ちてませんでしたから」

 その言葉に澪さんがハッとする。


「ちょ、ちょっと待って? 可笑しいわよ! 若し、本当に此処で殺されたのなら! 此処で袖を千切られていたら、その布切れが何処かに落ちているはずなのに……」

「あ、あの時は死体から逃げるのに精一杯だったから気付かなかったけど…… 瀬川さん? 布切れなんて…… ありました?」

 二人にそう言われ、僕も気付いた。

「彼女が犯人なら、裸だろうが、なんだろうが、跡形もなく殺すんです! でも、形を残して殺す事はないんです! タロウ達の死体がそれを物語っています」

 それを聞いて思い出したのか、如月巡査は口を押さえた。

「良いですか、みなさん。これは歴とした、人間が行った犯行なんですよ? それをやれ金鹿だ、やれ彼女が遣っていないだ……」

「そう思うならそれで良いです! でも! 彼女は遣っていません!」

「それでは、その彼女を連れてきてくれませんかね?」

 如月巡査がそう言うと春那さんは黙り込んでしまった。

「ほら、本当はいないんでしょ? つまり誰かが、あなた達の中に犯人がいるっという墓穴を掘っているって事じゃないんですか?」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 人間がしたのなら、僕達にはアリバイがあるんですよ? それにいくら凄絶な死体でも、この中にいる人達がそれを行える訳がないと僕は信じています!」

「いいますね? でもあなただって容疑者の一人なんだ!」

 如月巡査が僕を指差す。


 僕はある二人が気になっていた。

 僕が初めて此処に来た晩、自分の部屋の窓から覗いた時、滝で水浴びをしていた女性と、昨日庭の掃除をしていた時、屋敷の窓から覗いていた女の子。

 でも、彼女たちも違う。彼女たちも人を殺せるとは到底思えなかった。

 どうしてそう思うのか、僕自身が不思議に思えた。


 鹿威しが鳴った。


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