拾陸【8月11日・午後7時~午後11時】
HPとの違い。①文章が多少なりとも違います。②HP上に載せていたTipsはコチラには載せません。③漢字間違いなどを修正しています。
こんな状況で食事が出来たものではないが、慌ただしくて昼飯すら取れていなかったため、夕食だけでも取ろうと春那さんが提案し、僕たちはそれを黙々と食していた。
「ごちそうさま」
秋音ちゃんは茶碗の上にお箸を置き、厨房の方へと持って行くと、数秒ほど水が流れる音がした。
水の音が止むと秋音ちゃんは厨房から戻って来る。どうやら、茶碗や食器に水を掛けていたようだ。
秋音ちゃんはそのまま誰とも視線を合わせず、広間を出た。
数秒して、遠くから襖が開く音がした。
「解せませんなぁ?」
早瀬警部がお茶を飲みながら呟いた。
「…………」
「深夏さんの殺され方はまぁ、時間がありますから、人間には可能な犯行です。しかし、あのタロウと言いましたっけ? イヌ達の殺され方は異常過ぎる」
如月巡査が思い出したのか、身震いをする。
「つまり…… ひとつは人間が出来る事…… もうひとつは、人間では出来ない事」
「人間に出来ない事?」
「思い出してみてください。貴方達がその犬の唸り声を聞いてから、その小屋までの時間。多く見積もっても五、六分と言った所でしょ? そして、彼等の凄絶な死に様と比べてみてください。
はっきり言います。どんなに手際よく彼等を解剖しても、三匹で二十分は掛かるでしょう? そして、臓物を引き抜き、彼等の顔を粉々に砕き、其処から貴方達に見つからずに逃げる事なんて出来ません。犬小屋に隠れ、すきを見て、この屋敷を出ようとしても、山道はあの一本道。周りは森です」
「――どういう事ですか?」
如月巡査が不思議そうに聞く。僕も同じだった。
「もし、是等の犯行が人間がした事と考えると…… まず、この屋敷を隅から隅まで知っておかないといけない。次に犯行を実行する時間、つまり、最初の渡部氏が殺された場所に彼が行く事を予め知っておかなければいけない」
そう言われた時、僕は澪さんを見たが、翼々考えたら犯行時間中の澪さんは僕と一緒に居たし、タロウ達が殺された時間だって、僕と一緒に居た。……つまり、どう考えても彼女に殺人が出来る可能性がない。
「しかし、それはあくまで人間が行った事ならという推理です。人間でないなら、この犯行は根本的に覆されてしまう」
「け、警部? な、何をふざけた事を?」
「ふふふっ! 如月君、車の中で話した事を忘れましたか? 有り得るんですよ。この山では……」
早瀬警部が無気味な笑いをしながら周りを見る。
「この山には古いお話がありましてねぇ? 金鹿之神子と言われているんですけどね。まぁ、昔々のお話ですから、信憑性はありませんけどね。この山には昔、小さな集落があって、そこに住んでいる一族の目は朱色に染まっていたそうです。そして、その目を見た人間は否応無しに殺されてしまう。それこそ、生物関係無しにねぇ…… その力を利用しようと、何人もの将軍様がその村を訪れ、その瞳を持つ娘を妾にしようとしていたそうです」
「妾? どうしてそんな危険なものを自分の側に?」
僕がそう聞くと早瀬警部は首を横に振った。
「妾と言っても、そのまま自分の側に置く訳ではありません。要するにその娘を戦略結婚の道具に使うんですよ。そして、その娘の目を隠し、敵の将軍様に奉納する。祝宴を迎える時にその包帯を外し、彼等を殺す。それこそまさに宿怨と言わんばかりにね…… その娘だけが助かり、また道具として使える…… 時代が時代なら最強の道具だと思いますよ」
「でも! その娘はそんな力、欲していないんじゃないんですか?」
「ええ、ご老人達に話を聞くと、その力を持つのは極希で、殆どが十三歳を迎える前に死んでしまうそうです。別に村に流行病が起きている訳でもなく、その力を持つか持たないかは十三歳から十四歳になる直前までわからないそうです。しかし、十三歳の夏の日に自らの瞳を自らが抉り取るそうですよ」
想像したのがいけなかった。僕の体が正直にそれに反応する。気持ち悪いにおいが咽頭までかけのぼってきた。
「……でも、それと今回の殺人と、どう関係があるんですか?」
「信憑性はないと言いました。ただ、極めて似ている訳ですね? もし、タロウ達がその力を持っている人間に殺された可能性もあると言う事です」
「そんな御伽話! 誰が信じるんですか?」
「いいや! この山にはそれが有り得るんですよ! 私がまだ警察になったばかりの頃、この山で大量の殺人事件がありました。今から四十年くらい前の話です」
四十年前、この山で数十人の大量死体が発見された。
それは、死後数時間しか経っていないにも関らず、死体の殆どが腐り爛れ、臓器は干涸らびていた。顔は粉々に砕かれ、身体も訳がわからないほど折り曲げられており、まるで糸の外れたマリオネットの様だと、当時のマスコミは言っていたそうだ。
早瀬警部以外の全員はその話自体初めて聞いた。それもそうだろう。飛び抜けて年上の早瀬警部以外、歳が上なのは春那さんと澪さんだが、それでも僕とさほど変わらない。
「どうです? 似ているでしょ?」
「まぁ…… でも、それが今回の猟奇殺人と何の関係性が?」
「そこなんですよね? 金鹿之神子が生まれると言われていた鹿波家の末裔は十年以上前にあった、あの大災害で死んでしまいましたからね。それも…… 一家残らず…… なので、今回の事件と結び付けるのは如何せん難しいんですよ」
早瀬警部が腕を組み、項垂れる。
「でも、金鹿之神子は殺人を望んでいない。むしろ、その忌々しい自分の力を虞ていたんでしょ? それが何故大災害があった時まで生き残っていたんですか?」
「恐らく、その時まで女子が生まれなかったか…… さっきも言った様に、力に目覚めず、十四歳になる直前に死んでしまったか…… 何れにせよ、彼女の力と思われる理解不能の猟奇殺人は四十年前、この山で起きた事以降、何も起きなかったんですよ」
外の雨が激しく降り続く。時々ではあるが雷鳴が轟き、その度に屋敷内に響き渡る。
「秋音お嬢様、大丈夫かな? 部屋に一人でいるのは……」
繭さんが開かれたままの襖の先を見ながら言う。
「それにしても、雷様もしつこいわね? これじゃ、秋音お嬢様に追い撃ちを掛けているようなものじゃない?」
澪さんが怪訝な表情を浮かべ、開いたままの襖の先を見ていた。
「今日は私達も帰れそうにないですからなぁ…… 如月君? 今日は寝ずの番じゃからそのつもりで……」
早瀬警部にそう言われ、如月巡査は静かに頷いた。
「どうしました? 瀬川さん」
「え? あ、いや……」
ぼ~っとしていたのか、僕は春那さんに呼び掛けられるまでジッと雨の音を聞いていた。
遣らずの雨というのはこういうものなのか?と考えながらも、やっぱりあの音がわからなかった。
わからないんじゃない。音の正体は疾うに知っている。
知っているからこそ、可笑しいんだ。
この暴雨の中でその音だけが澄んで聞こえていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
広間には早瀬警部と如月巡査がいた。他の人間達はそれぞれの部屋で寝ている。
時刻は午後十一時になろうとしている。
使用人達は早くて、後四時間ほどで起きて来る。
ラジオを掛けてみるが、ノイズしか入らない。テレビに至っては砂嵐しか映らなかった。
ラジオは電波が悪くなっているのだろうからわかるが、テレビはアンテナが暴雨によって故障してしまったのか…… いずれにしろわからないが、何も映らない。何も聞こえない。
如月巡査が苛立って、乱暴にスイッチを切った。
「如月君! 取り敢えず、整理しましょう」
早瀬警部に促され、如月巡査は早瀬警部と向かい合わせに座った。
二人の間に手書きの地図が置かれた。今朝、渡部洋一が破いた帳簿の裏に書いたこの屋敷の全体図だ。
「入れない場所は、書斎のみ。他はその部屋で休んでいる人以外は春那さんが自由に入れると……」
「そう考えると深夏さん殺害は春那さんが?」
「彼女がそれを出来るとは考えられません。それに詳しくは鑑識がきてからじゃないとわかりませんね。あれ、恐らく発見される少し前…… そうですね? 約一時間くらい前に殺されていると思いますよ?」
「そ、そんな事が可能なんですか? だって、目を抉り取られているだけで、後は外傷なんてどこにも見当たりませんでしたけど?」
「目を抉り取っただけなら、生きていたかもしれませんけど、その中を傷つけられていたら? 間違えれば脳を傷つけかねませんからね?」
――こんな話がある。
ある外国人が子供の頃、遊んでいた時に誤って鼻に鉛筆が突き刺してしまい、それが数年後、大人になってから、その鉛筆の取り出し手術をするまで刺さったままだったという。
それは一歩間違えれば、即死だったにも関らず、その手術が行われるまで普通の生活をしていたそうだ。
人間の身体というのは恐らく現代医術を以ってしても、未知の部分が多い。
それを裏付けるのはやはり臓器や骨髄移植だろう。
本来、遺伝子が似ているはずの家族でもない第三者が自分の身体に合うのだから、人間の身体は不思議で奇妙だ。そして、何よりそれを受け入れてしまうから面白い。
否、衆生と言われている生物全ての構成など恐らく何百年経ってもわからないと思う。
医療や科学が後に発展しようとそれだけは未知の領域としか言わざる終えない。
「繭さんの話だと、発見当時はまだ血が流れていた。これが若し、一時間以上経っていたら、血管は傷つけた場所を凝固しているはずです。恐らく枕元が真っ赤に染まっていたのは、噴出ではなく、その勢いを殺し、尚且つ、その場所にそれと同じくらいの量の血を流した。その最中に発見したのでしょう」
「彼女はガイシャと同じ学校に通ってましたね? 関係性はないんでしょうか? 何か学校でトラブルがあったりとか……」
如月巡査がそう言うが、早瀬警部は首を横に振った。
「いいや、彼女達の通っている高校は此処ら辺でも有名な進学校ですからね。それだけに悪い噂は公にされてはいないでしょう」
「と、いいますと?」
「繭さんが此処をバイトする理由は、常に深夏さんの行動を監視するようにと理事長に言われているそうです。まぁ、飽くまで噂ですけどね?」
「しかし、彼女がそうなら、殺す理由にはならないはず」
「ええ、そうです。監視させる為、この屋敷に住まわせたのなら、殺す理由にはならない」
そう言うと、早瀬警部は大きな欠伸をする。
「歳のせいですかね? この時間になると妙に眠くなってしまう」
初老の早瀬警部と違って、若い如月巡査は目をギンギンにしていた。
「如月君? そんなに興奮していると、かえって遣り難いですよ?」
「い、いえ! 私は大丈夫です!!」
そうは言うが、緊張している。
要はこういう警備も初めてだと言う事だ。如何して連絡を受けた時、自分と同じかそれくらいの力量のある【強行課】の刑事がいなかったのかと、早瀬警部は頭を抱えた。
「それにしても、静かですね?」
如月巡査が不思議そうに言った。
それは早瀬警部も同じだった。勿論、全員が各々の部屋で休んでいるのは確かなのだが、如何せん静かすぎる。
聞こえて来るのは治まらない豪雨。大きい雷鳴が鳴り響かなくはなっているが、それでも遠雷が数秒に一回は鳴っていた。
「如月君、少し見回りましょう」
そう言うと早瀬警部はスッと立ち上がり、襖を開け、廊下に出た。
その後を如月巡査が追った。
広間を出て、グルッと書斎の周りを回って、風呂場の方を見る。その前を通り、中庭の扉を見る。
何も問題がないとわかると、今度は女風呂、男風呂を見る。
勿論、誰も入っていなし、可笑しい様子もなかった。
蛇口から水が一粒、一粒、固まった雫が落ちるだけだ。
倉庫の横にトイレがあるが、一枚板の扉で閉ざされているだけで、防犯も何もない。
スッと開き、中を見る。真っ暗で何も見えなかったが、芳香剤の匂いがするだけで何もなかった。
後は部屋の前の廊下なのだが、地図を見ていた如月巡査が首を傾げた。
その理由は今眼前に続いている玄関までの廊下からしか各々の部屋にいけないと言う事だ。
逃げられるは逃げられるのだが、窓を開けなければいけない。それを確認しようと窓のロックを外し、開こうとしたが、半分も開かなかった。
しかも、その窓は全開にしても子供が抜け出せるかどうかと言った感じだった。
つまり、大の大人が逃げる事は先ず不可能と言う事になる。
出入口は裏口か玄関しかないと言う事だ。
「袋のネズミですか?」
「でも、本物のネズミだったらかじって袋を破りそうですけどね?」
「捕まったネズミは必死ですからね。でも、此処にはそんな穴はありませんでしたよ。皆さんの部屋を見せてもらいましたけど、そんな大穴はありませんでした」
「それじゃ、人間説で考えると犯人はどうやって逃げたか……」
「若しくは隠れているか、私達の前に既に姿を見せているか?」
「それじゃ、あの中に犯人が?」
「人間説で考えればね? よく言うでしょ? 木を隠すなら森の中ってね? この耶麻神邸の内部を熟知しているなら、それは可能だと言う事です」
しかし、それは飽くまで人間がした犯行としての推理だ。
自分で言っておいて何だが、若し本当に金鹿之神子の仕業だとしたら、どうする事も出来ないと早瀬警部は心の隅っこでそう思った。