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漆拾弐【曖昧な真相と本当の願い】


 骨壷が入った木箱を元の場所に戻し入れ、その上から土を被せる。

 そして誰かが合図したわけでもないのに、全員が祠に向かって拝み始めた。


「これで……もう大丈夫かな……」

「友依ちゃんも喜んでると思うな」


 冬歌ちゃんがそう云うと、鹿波さんが苦笑いを浮かべる。


「やっぱりこちょばゆいわ」


 それを見るなり、由佳里さんがクスクスと笑みを零した。


「ようやくみつけた……」


 可細い声が聞こえ、全員がそちらへと振り向く。


「芳……江」


 早瀬警部が狼狽するように言う。

 目の前に立っている女性は早瀬警部の娘だろうか?


「早瀬警部! その人から離れて!」


 そのうしろの方から植木警視の声が聞こえた。


「止まりなさいっ! 連続殺人犯!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ? どうしたんですか、舞ちゃん」

「早瀬警部! 彼女が昔どこに住んでいたのかご存じないんですか?」


 植木警視にそう訊ねられ、早瀬警部は答えるのに躊躇いをみせる。


「彼女は三十年前に起きた事件の当事者なんです」


 由佳里さんがゆっくりとそう告げる。


「当事者? でも……」


 早瀬警部がその先の言葉を躊躇う。


「何を云ってるの? 私は孤児院なんて知らない……」


 そう云い、女性はハッとした表情をする。

「別に私は三十年前の……と云っただけで、孤児院までは云ってない」


 由佳里さんが悪戯ぽい笑みを浮かべる。それを見るや、女性は舌打ちをした。


「早瀬警部? 彼女が自宅で行方不明になった状況を渚さんから聞いているはずですよね?」

「えっ? ええ、それが……」

「まだわからないんですか? 家に侵入してきた犯人に怯えもしないで対応するなんて、たとえ警察官の妻であろうと、慣れるものじゃないんですよ!」

(おっしゃ)ってる意味が……」


 早瀬警部の戸惑いに、植木軽視は少しばかり頭を掻くや――


「いいですか? 犯人が来ることを事前に知っていなければ、渚さんをシンクの戸棚に非難させる事なんて出来ないんですよ? それこそタイミングを見計らない以上は!」


 植木警視は銃を構えた状態で、ゆっくりと僕たちの方へと近付いていく。

 そして、チラリと祠の前で膨らんでいる地面を見た。


「それが彼女が探していた少女の遺骨ですか?」

「……かどうかはわかりませんが、恐らくそうでしょうな」


 早瀬警部は視線を女性に向けながら話す。


「証拠は……DNA鑑定でもしますか?」


 その問いに早瀬警部は首を横に振った。


「それで舞ちゃん? どうして私の家内が殺人犯だと?」

「ガラスですよ……」


 その言葉に早瀬警部は首を傾げる。


「警部の家にある全てのガラスは防犯用の強化ガラスになっています。これは外側からではなく、内側からでも同じですよね?」

「ええ。じゃなかったら防犯にはならないですからね」

「事件当時、警部の家に入ろうと玄関のドアを開けようとしたけど、閉まっていて入る事は出来なかった。それじゃ次はどこから入りますか?」

「何処からって……そりゃピッキングなり何かして……」

「春那さん! 泥棒が空き巣に入る時、最大で何分掛かると諦めるがご存知ですか?」


 突然話を振られ、春那さんは戸惑いを見せる。


「えっ? えっと…… 五分?」

「平均して二分から五分の間と云われてます。ドアも駄目。ガラスも防犯用の強化ガラスになっていて割る事も出来ない。それは自分の体で実証済みですからわかります」


 そう云いながら、植木警視は左手を僕たちに見せる。包帯が撒かれていて痛々しく見えた。


「それじゃ……渚さんや、目の前にいる女性を襲おうとした犯人はどうやって……」

「招き入れるか、それとも元から鍵を閉めていないかのふたつしかないんですよ」

「それって、家内が犯人だと自分で云ってるようなものじゃないですか?」

「渚さんが身を潜めていたのはシンクの戸棚なんです」


 そう云いながら植木警視は、冬歌ちゃんと秋音ちゃんをチラッと横目で見る。


「例えば、冬歌ちゃんと秋音さんだったら隠れられるかもしれない。それくらい渚さんの全身は百六十センチもありませんでしたから。警部の家のキッチンは、二人暮らしということもあってか、あまりものが入ってませんでした」

「まぁ、冬歌だったらシンクの戸棚に隠れるなんて難しくないでしょうね」

「秋音も屈めば隠れられるでしょ?」


 と、春那さんと深夏さんが植木警視の推理に頷く。


「あれ? ちょっと待って……確かに渚さんはそんなに身長高くないけど、でも……」


 春那さんが少しばかり首を傾げる。


「渚さんがプライベートで早瀬警部の家に行くなんてこと……」


 そう云うと、全員が早瀬警部を見遣る。


「渚さんが私の家に行ったのは、一昨日が初めてですよ」

 そう云いながら、早瀬警部は信じられないといった表情で、目の前の女性を見遣った。

「始めてあった人間の身長を目分量だけでわかりますかね?」

「それじゃ、そこにいる女性は前々から早瀬警部の家に渚さんがくる事をわかっていた?」

「わかっていた……じゃなくて、最初からそう仕向けてたんですよ。私は心配になって警部の実家に連絡を入れる。もちろん用件は渚さんの安否です。でも、昨日電話をすると、電話に出たのに誰も出なかった」

「ふぇっ? 云ってる意味がわからない」

 冬歌ちゃんの言うとおり、電話に出たのなら、誰かがいたはずだ。そうじゃなかったら電話に出ることなんて出来ない。


「渚さんは舞さんが早瀬警部の家に着くまで、戸棚の中に身を潜めていたんですよね?」

「ええ。そうじゃなかったら、こんな怪我していませんよ」

 植木警視の話では、騒がしい物音に気付いた渚さんが内側の鍵を開けてくれたのだという。

「つまり、植木警視が電話をかけていた時、早瀬警部の家には渚さん以外に誰かがいた。第一、電話に出てから、すぐに電話は切れなかったんですよね?」

 僕がそう云うと、

「でも、そこにいる人が電話に出たっていう可能性だってあるよ?」

 冬歌ちゃんがジッと目の前の女性を見遣りながら言う。

「その後に家を出ても可笑しくないって事?」

「まぁ、子供騙しにもならないわね……」

 そう云うや、女性は小さく、それでいて大きく歪んだ笑みを浮かべた。


「えっ?」


 一瞬何が起きたのかわからない。隣にいた由佳里さんの足元がガクッと折り曲がる。

 素足からはダラダラと血が大量に流れ落ちていく。


「きゃああああああああああああああああああっ!!」


 それを見て誰かが悲鳴をあげる。


「よ、芳江っ! 一体何を?」


 早瀬警部が狼狽するように女性に怒号を放つ。


「くくくっ……きゃははははっ! 痛くないでしょ? だって死んでるんだからねぇ? 死んだ人間は痛みなんて感じないでしょ? 全く、死に損ないの神様なんて、気持ち悪い話創るんじゃないわよ!?」


 女性はケラケラと嘲笑しながらもう一度、由佳里さんに銃を撃つ。


「やめろ! 芹江!」


 早瀬警部の声が届いてないのか、女性は執拗に由佳里さんを傷めつけている。


「あぁっ……がぁっ……」


 由佳里さんは声を殺すように、その痛みに耐えている。

 それを見て僕は理解できなかった。


「あんたっ! 好い加減に――――」


 鹿波さんの瞳が真っ赤に染まり、女性を見遣ろうとしたが、それを由佳里さんが制する。その行動が理解出来ず、鹿波さんは戸惑った表情で由佳里さんを睨んだ。


「いいの……巴……これは、わたしが受けなきゃいけない罰だから」

「なっ? 何云ってるのよ?」

「そうですよ! こんな罰の受け方なんて……」


 由佳里さんは戸惑う僕たちを見遣りながら、ゆっくりと立ち上がる。


「どうして……どうして私たち金鹿之神子は、自然に死ぬ以外に死ぬ術がないかわかる? それはね……私にもわからないし、多分誰にもわからないんだと思う。でもね……誰もがそう。殺される理由があったって、それを食い止める事が出来る。それは殺す人間でもそうだし、殺される人間でもそう……自殺する人間だって、死ぬことを躊躇う猶予だってある」


 由佳里さんの言葉を聴きながら、目の前の女性は含み笑いを浮かべる。


「でもね……あの男はおねえちゃんを殺したのよ? それはあなたも知ってるはずよ?」


 確かに……彼女が孤児院にいたのなら、子供たちが院長を殺したのかという理由も出てくる。


「院長は……確かに友依ちゃんを風呂場で溺殺した。だけど、人工呼吸で助けようとしたのも事実なのよ。だからあの事件は事故なのよ。最初から殺すつもりなんてなかった!」

「違う! あの鬼は! おねえちゃんを殺したぁっ!」


 女性は聞く耳を持たないといった感じに、激しく首を振った。


「由佳里さん……僕たちは最初、院長を殺したのは女職員……つまり君と鹿波さんのおばあさん。鹿波(りょう)がやったものだと思っていた。だけど実際は君が殺したんじゃないのか?」


 僕がそう云うと、由佳里さんは静かに僕の方へと見遣った。

 その表情からは諦めたようなそんな感じがする。


「――理由は?」

「一つ目に鹿波怜は白内障で両目が見えない。いくらなんでもこんな状態じゃ人を殺す事なんて出来ない。 ふたつ目にこの山になっている榊だ。鹿波さんの話だと、彼女は知らないし、物知りのおばあさんでも目が見えない以上、それがそうだとは云い難い。警部の話だと、鹿波怜さんは院長を殺した場所は榊がなっている場所だと供述していたことを説明してくれた」

「それが理由? でも、理由になってない」

「ううん。おばあちゃんがもし榊がどんなものか知っていたとしても、それが何処になっているのか……それを知らなかったら?」


 鹿波さんの言葉に由佳里さんは反応するかのように目を瞑った。


「ええ……巴の云う通り、おばあさまは榊がどこでなっているのか知らないわ……」

「それじゃどうしてそんな狂言を?」

「早瀬警部? この山の元の名前はなんでしたか?」

「――っ? “逆鬼”山……」

「榊とは元々、神と人間の境目になる木という説があります」

「つまり鬼に逆らうという名前から考えて、それと同じだったという事ですか?」


 僕がそう云うと、由佳里さんは頷く。


「だからこそ、一度私たちはこの山を捨てる理由がほしかった」

「それを耶麻神乱世は知っていたんですかな?」

「耶麻神乱世は元々からこの山の所有者だったんです。だから大聖と霧絵さんは、この山を受け取る事が出来た」

「えっと? ちょっと待って? 耶麻神乱世が元からこの山の所有者だったって……それじゃどうして“鹿狩”なんてしたの?」

「――山は一体どれくらいで売れると思う?」

「えっと……」


 僕たちはその問いかけに答えられなかった。


「山自体に価値なんてない。重要なのは山になっている木のほうなの。杉、ヒノキ、松などが立派に成長して、木材として利用できるかどうか、つまり採取出来るかどうかで値段は決まる。この山にはそんなものは生えていない。だからそもそも価値なんてなかったの」

「でもそれじゃ、どうして名前を騙ってでも、この山を手に入れようとしたんですか?」

「耶麻神乱世はそもそも集落の人間だった。そして名前を変え、富を得た……」

「そ、そんな人がどうして自分の故郷を?」

「正樹さん。貴方は霧絵さんに耶麻神乱世は彼女が三歳(みっつ)の時にはすでに亡くなっていたと聞いてますね?」


 由佳里さんにそう訊かれ、僕は頷いた。


「彼女が生まれつき体が弱く、幼女期の頃から入退院を繰り返していた事も知ってますね?」

「ええ。でも、それがどういう……」

「霧絵さんが耶麻神乱世のことを知ったのは、彼女が大学を卒業し、大聖さんと結婚する前に私が教えたんです。そして、彼女が金鹿之神子だということも」

「それをあなたは神子という記憶だけを消した」


 そういうと、由佳里さんは頷いた。

 少し間を置いて、由佳里さんは深く息を吐く。


「四十年前、どうしてこの山で“鹿狩”が行われたのか……それは一度災害があったからなの」

「災害?」

「昭和四十年八月七日に起きた松代群発地震というのを知ってる? それは執拗な地震でね、その長さは十年間と云われてる。でも、地震の主な原因は地中の断層ブレードのズレ、ひいてはその衝撃によっておきるのが原理なの。だけど海岸自体がない長野の皆神山という場所が震源地とされている。それじゃ地震は何が原因かわかる?」

「たしか地中のマグマが活動して、それが原因だって……」

「それじゃ、四十年前“鹿狩”を行った本当の理由は……集落の人たちを非難させるため?」

「それを正樹(せいぎ)たち親子がおばあさまに伝え、避難を促した。だけど、おばあさまは頑なに拒んだ。その理由は手紙に書かれてるはずよ」


 そう云われたが、手紙はすでに箱の中だ。


「さぁ? どうしたの? 此処を退ける気になった?」


 女性はそう云いながら、銃口をゆっくり僕たちの方へと向けた。


「縁……いや、今は芳江って云った方がいいみたいね? もうやめなさい。いい子だから」

「ふんっ! 裏切り者が……そうやって自分ばっかり犠牲者気取りして、同情なんてしないでよ?」


 由佳里さんはふらふらとした足取りで、ゆっくりと女性へと近付いていく。


「いい子だから……そんな危ないもの、早く捨てなさい……」


 その口調はまるで、子供にやさしく怒っているように聞こえた。


「こ、こないで! そ、それ以上来たら……」


 目の前の女性はまるで由佳里さんが近付いていく事を拒むように後退りする。


「ごめんなさい…… 謝っても…… 赦してくれないわよね…… でも、この子達は…… 大聖の子供や大切な人たちには関係ないでしょ? あなただって…… 大聖から聞いてるはずよ…… 友依ちゃんの遺骨が発見されていた事も、そして祠の下に埋葬されていた事も……」

「違う…… あんなの…… あんなのおねえちゃんじゃない…… おねえちゃんは…… おねえちゃんは……」


 何時の間にか女性は大木に背を打ち、凭れ落ちていく。


「芳江…… 私の力を利用した代償…… 貴方の命と引き換えにだったわよね?」

「や、やめて…… こ、殺さないで……」

「今まで関係のない人たちを殺して、自分だけ逃げようなんて…… 虫が良すぎるわよね?」

「謝る。謝るから…… 死刑も覚悟してるからぁ…… だから、だから赦して……」


 女性がそう云うや、由佳里さんはゆっくりと離れ、僕たちの方を見た。


「くくく…… きゃははははっ! なんていうと思ったぁあああああああああああっ?」


 女性は起き上がり、銃を由佳里さんに向けた。


「由佳里さん!」


 僕が云うが先に由佳里さんは女性の方へと振り向いた。

 その途端、女性は銃を捨て、脱力したかのように地面にへたり込む。

 ――そして……


「いやぁああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 慟哭のような悲鳴をあげながら、女性は体をガタガタと震わせ、恐怖に満ちた表情を浮かべる。


「ゆ、由佳里さん…… 一体何を……」


 僕は由佳里さんにそう訊ねると、「あの子に、孤児院での記憶を思い出させただけ……」


 僕は友依ちゃんが見せたあの地獄のような過去を知っている。

 だからこそ、どうして思い出させたのかそれを問いかけた。


「大聖も洋一も……この山で起きた事、体験した事を思い出していた。それでもなお、必死に足掻いて生きる道を選んだ。それは、過去の事だって区切りが出来ていたから」


 そう云いながら、由佳里さんは女性の方を見遣る。


「でも、彼女はそれを頑なに拒んだ。あそこにいたのは自分じゃない……そう言い聞かせながら生きていたの……」

「自己催眠……というやつですかな?」

「私の力は、確かに利用するには便利な力。でも、その人が実際に体験した事のある記憶しか封じられないし、思い出させることも出来ない」

「それが……姉妹たちの違和感だったってわけね? どうして深夏と冬歌がニンジンを食べられるようになったのか、秋音が夢で自分が死んだことを、まるで体験したかのように云ったのも、春那が電話で警察に連絡しようとした時に感じた違和感も全て、自分の経験した事だったから……」


 鹿波さんがそう云うと、由佳里さんは静かに頷いた。


「早瀬警部……芳江はもう、あなたの知ってる子じゃないかもしれません。だけど、もし彼女を大切な人だと思っているのなら、どうかまもってあげてください」

「どういう意味ですかな?」

「この子に私の力を使わせる条件として交わした契約は、“自分の命と引き換えに”だったんです。だけど、私はこの子を殺す事なんて出来ない。だから孤児院での事を思い出させて、心を殺す事にしたんです」


 由佳里さんは寂しそうな表情を浮かべ、僕たちを見る。


「本当に……大聖は幸せ者でしょうね……あの子がどうしてこの山に居座ったのか、その理由が私にもわかったわ……」

「ふぇっ?」


 由佳里さんが冬歌ちゃんを見ながら微笑むので、何がなんだかといった感じに冬歌ちゃんは反応した。


「冬歌ちゃん、どうして庭の池に金色の鹿威しがあるか知ってる?」

「えっとねぇ……お父さんが悪い鬼から家を護ってもらえるようにって」

「鹿威しはね……獣を追い払うためにつくられたものなの。だからこそ、大聖はこの山に鬼が来る事、悪い気が来ないようにするおまじないとして、庭に鹿威しを作った。だから鹿威しは危険を報せるために作ったの」


 それを聞いて僕は鹿波さんを見る。


「巴……あなたがどうしてこの山に再び来たのかは訊かなくてもいいわね?」


 そう云われ、鹿波さんは複雑な表情を浮かべながら、静かに頷いた。


「――お別れは……しなくてもいいわね…… どうせ、また会えるんだから」

「え?」


 鹿波さんが言葉を発するより前にゆっくりと由佳里さんの姿は消えていく。


「そうそう、正樹さん。貴方は最初、この山の森林は“翠玉(エメラルド)”みたいだって感じてたわね……」


 そう云われ、僕は頷く。


「――“翠玉エメラルド”の宝石言葉は“森の湖”」


 そう言い残し、由佳里さんは消えていった……



 長野県警には多くのマスコミが殺到している。

 同時に耶麻神旅館本店でも、同様のことが起きていた。


「ですから、社長はまだ来ておりません」


 受付嬢がそういうが、記者たちは聞く耳を持たない。


「社長がまだって、社長も会長も死んだと警察の発表があったんですよ?」


 そう、事件からすでに二週間ほどが過ぎ、警察の発表で、榊山で起きた無差別殺傷事件の被害者という形で大聖さんと渡辺さん、春那さんの思い人である香坂修平さんの死亡が発表され、霧絵さんの死は、持病による病死として発表された。

 もちろんそれだけでは納得がいかないマスコミは、警察や旅館本社に昼夜押しかけ、真相を暴こうとするが――


「はいはい。仕事の邪魔ですよ」

 拡声器で発せられたその声に、記者たちはビクッとする。

 言葉を発したのは早瀬警部だった。


「貴方たち、仕事熱心なのもいいですけどねぇ? 人に迷惑をかけてたら元もこうもないでしょ?」


 その騒音を聞きながら、僕と春那さんは本社のエレベーターで社長室へと向かっていた。


「久しぶりだなぁ……よく父さんと連れて行ってもらってたっけ」


 僕はエレベーターの一面ガラスから見える景色を見ながら云う。


「お父さんは、人が楽しんでくれる事を第一に考えていたから、まーちゃんがいつも喜んでたのを嬉しく思ってたんだと思う」


 そう云えば、初めて春那さんや深夏さんにあったのもそんな感じだった。


「だけど、まーちゃん? どうして由佳里さんは私たちが姉弟なんて嘘を、母さんに吹き込んだのかしら?」


 春那さんが不思議そうに僕に訊ねる。

 それは由佳里さんが一度僕たちの前から消えた部屋の畳の下で発見された手紙に書かれていたからだ。

 事件後、警察の捜査で屋敷内は隈なく捜索された。

 そんな中発見された一通の手紙。そこには由佳里さんが僕たちにヒントのようなものを書いていた。


『思い出の箱は決して消える事はない』


 ――という短い言葉。

 だけど、それが誰に当てたものだったのか……僕と春那さんはすぐに気付いた。


 それは小さい時、父さんや大聖さんに怒られて捨てられたもの。

 だけど本当は捨てていたんじゃなくて、取っていた。

 それを確かめるために社長室へと向かっている。


 社長室に着くと、春那さんは胸のポケットからカードキーを取り出し、センサーに通す。

 ピーという電子音がなると同時に鍵が開く音が聞こえた。

 中に入ると何も変わっていない。僕が四年前、彼女たちと離れる前に見た時と、それこそ小さい頃に遊びに来た時と、何一つ変わっていなかった。


 金庫はどうやら十字キーとテンキーによるものだった。


「えっと……上を押しながら4。右を押しながら8。下を押しながら9。左を押しながら2っと……」


 春那さんがメモを見ながら、パスワードみたいなものを入力していく。

 あれ?と、僕は何か違和感を感じていた。


「後は5を押しながら……あ、開いた」


 何とも呆気なく金庫の鍵が開き、中には大量の手紙が入っていた。


「えっと、春那さんはこの金庫の暗号を知らなかったんですよね?」

「え、ええ。由佳里さんのメモで始めて知ったのよ? それに、この金庫だけはお父さんから開けないようにって云われてたから」


 それじゃ中に何が入っているのか、知らないという事だ……


「これ……うちの旅館に泊まったお客さんがくれた感謝の手紙だ……」


 そんなのをこんな大切に保管していたのか……と僕は金庫を見る。

その奥に箱のようなものがあった。

 中身を取り出し、机の上に乗せた。

 箱の中には子供が描いた落書きのようなものが入れられている。

 その絵には“おとうさん”と“おかあさん”というかわいらしい文字が目立った。


「これ……私が幼稚園の時に描いたお父さんとお母さんの似顔絵だ」


 春那さんが絵を手に取りながら、そう呟く。


「他にも一杯ありますけど、多分深夏さんや秋音ちゃんの絵もありますね」

「冬歌のもありますね。お父さん、ちゃんと取っていたんだ……」


 箱のそこには“おねえちゃんとかみさま”という字が書かれた落書きの絵があった。


「この女の子は友依ちゃんですかね? その隣りには鹿みたいなのが描かれてる」

「なんか……楽しそう……」


 絵には確かに心が和らぐものを感じる。

 女の子と鹿は池のほとりに立っていて、そのまわりを緑色のクレヨンが一面に塗られている。


「――あれ?」


 僕はジッと池を見据える。


「どうかしたの?」

「これ……精留の瀧」

「まぁ、この絵が山で描かれていたんならそうなるんじゃない?」

「いや! これ、由佳里さんが最後に云ってたのと一致する」


 そうだ。どうして僕はこの山に最初きた時のことを由佳里さんが知っていたのか、それがどうも引っ掛かっていた。

 ――あの時、屋敷での初めての夜。清流の瀧で見た少女って…… 由佳里さんだったんだ……

 僕はてっきり鹿波さんか友依ちゃんとばかり思っていた。

 そもそも女の子という認識だけで、顔までは見えなかったのだ。


「由佳里さんが翠玉(エメラルド)の宝石言葉は“森の湖”だと云っていた。此処は山であって、森なんかじゃない。つまり、彼女自身、若しかしたら“森”というものを知らなかったんじゃ……」

「精留の瀧への道が森だった……そう云うこと?」

「大聖さんが孤児院に居た時の筆記を読んだ事あるよね? あれって漢字が使われてなかった」

「あれ? でも月日は漢字になってたよ?」

「そこなんだ。三十年前って事は、少なくとも大聖さんは十八歳前後と考えてもいい。でも、何も教えてもらっていなかったら?」

「年齢は関係ない……まーちゃんはそう云いたいの?」


 春那さんにそう訊かれ、僕は頷いた。


「誰かが教えてくれない以上、知る事は出来ない。鹿波怜さんが昔話を述べていたとしても、字は誰が教えていたと思う?」

「それは由佳里さん……それじゃ、彼女は元々漢字を知らなかった」

「院長や男職員たちが、子供たちを奴隷同然に扱っていた以上、勉強を教えていたとは考え難い」


 僕はもう一度女の子と鹿が描かれた絵を手に取り、春那さんに裏を見せた。

 そこにはよく地図なんかに書かれている“北”を示すマーク。つまり方位記号みたいなものが描かれていた。


「何か宝の地図みたいな感じがするね」


 春那さんが絵を手に取りながら、ジッと見ている。


「ねぇ、まーちゃん……これって重ね塗りじゃない?」


 そう云いながら、春那さんは絵をライトに照らしながら、裏側を僕に見せた。

 そこには薄らと榊山全体の地図のようなものが描かれており、どこどこに何があるというのをひらがなで具体的に書かれている。


「それじゃ、これを見れば、お父さんたちは元から山を降りる事は出来たんだ。でも、どうして……」

「逃げられなかったんだ。鹿波怜さんや由佳里さんをおいて……彼らにとってお母さんみたいなものだったから」

「大切な人を見捨てられなかったということ?」


 鹿波怜がどんな思いでこの山に残ろうとしたのだろうか……

 それは恐らく、この山に伝わる物語の金鹿……神使も同じだったのだろう。


「出られるけど出られなかった。だからあの詩は榊山のことを“箱庭”って書いてたんだ」

「今思えば、結局、誰も悪くなかったって事になるのかな……」


 春奈さんがポツリと呟く。

 由佳里さんの話では、院長は確かに友依ちゃんを溺殺している。

 しかし、それは躾という形であり、殺意があったとは考え難い。その証拠に院長は友依ちゃんの蘇生を試みようとしていたらしい……

 それなら子供たちは誰を殺したのか……

 これはあくまで僕の憶測でしかないが、院長や男職員を殺したのは由佳里さんだったんじゃないだろうか。

 子供たちがどんなに殺意を持っていたとしても、持つことは誰にだってある。

 だけど、それを実行する事を由佳里さんは耐えられなかったのだろう。


 だから自分の力を使った。その力を使い、子供たちに嘘に近い記憶を植えつけたんだと思う。

 由佳里さんは対象者自身が体験した記憶以外は、消す事も思い出させる事も出来ないと云っていた。

 つまり想像や夢も、云ってしまえばその人の記憶や懇願なのではないだろうか……

 そう考えると、子供たちは何度虚空にその悲鳴をあげていたのだろうかと、こうやって考えていても、胸が苦しくなる。


 でも、何故か小さい時に、春那さんや深夏さんと遊んでいた時、もう一人いた気がする。

 多分僕たちにしか見えなかったんだろう。

 悪戯好きでおせっかいで、そして何より僕たちを見守っていた神様が……


「社長、警察の方が――」


 秘書らしき男性の声が聞こえ、春那さんは入るように促す。

 それを聞いてか否か、少し間を置いてドアは開いた。


「き、如月巡査?」


 目の前にいたのは、今まで舞台に参加していた如月巡査だった。

 だけど、何か雰囲気が違う。


「初めまして、警視庁特命係の如月英明といいます」

「警視庁……長野県警の刑事課に所属していたんじゃ?」


 僕がそう訊ねるが、如月巡査は不思議そうに僕を見る。というよりもまるで初対面といった感じだ。


「早瀬警部が世話になっているようで」

「あれからどうなったんですか? 連絡がなかったので、みんな心配してるんですよ?」

「早瀬警部の奥さん。芳江さんは今精神科の病院にいます」


 如月巡査は僕たちに何故芳江さんがそうなったのかという経緯を訊くが、僕たちは答えようがなかった。

 自分たちはその場にいたため、その原因は知っている。

 だけど、話したところで虚誕きょたんだと笑いとばされるだろう。

 だから僕たちは本当の事を決して話そうとはしない。


「それで……芳江さんの罪状は……」

「まだ決まったわけではないですが、大量殺人、拉致、監禁とありますからね」


 とても無期懲役になるものではない。

 いや、芳江さんもそのことは覚悟していたのだろう。

 だから由佳里さんの力を利用する条件として、自分の命を差し出していた。

 僕たちを殺した後、由佳里さんも殺すことにしていたが、それがかなわなかったようだが――


「それでは失礼します」


 上の空だったせいか、如月巡査の話をろくに聞かず、彼がドアの前で軽く一例をし、部屋を出て行く寸前に僕はそれに気がついた。


「ねぇ、まーちゃん。由佳里さんが悪い人じゃなかったのはわかったけど、あの時、タロウとクルルが吠えたのはどうしてかな?」


 春那さんは椅子に腰を下ろしながら云う。

 クリスが生まれようとしていた時、タロウとクルルは由佳里さんに対して警戒心を強めていた。

 もし由佳里さんが悪い人じゃないと理解していたら、あそこまで吠える事はなかったのかもしれない。

 そう。初めてこの舞台に立った時の僕と同じように……


「屋敷に入る前、門の前で秋音ちゃんや冬歌ちゃんが出迎えてくれて、突然、冬歌ちゃんが僕に抱きついてきたんだ。ということは薄らと僕の事を覚えていたんだろうか?」

「まーちゃんが私たちのことを忘れていたと同じように、私たちもまーちゃんとの思い出を忘れていた。だけど、記憶を全て消すのではなく、曖昧に記憶を消していたのかもしれない」


 春那さんが話をしている中、僕は由佳里さんが云っていた言葉に戸惑っていた。

 確かに四年前、僕は耶麻神という人間から離れる事は出来た。

 結局、事故だったとはいえ、耶麻神旅館が僕の両親を亡くしたことには変わりない事実だ。

 だけど、会社はこの首を絞めるほどの不祥事を隠す事無く、ましてや、被害者に対して真相を調べようとさえした。

 僕が鉄骨が落下したことによる事故で入院していた時も、親族は頑なに面会謝絶をしていたが、大聖さんや春那さんたちがほぼ毎日のように見舞いに来ていたようだ。

 直接あった事はなかったので、真相はわからない。


 僕は大聖さんから貰った孔雀石マラカイトを眺めながら、どうしてこれを僕にくれたのだろうかと考える。


「いつか僕が此処に来ることを願っていたんだろうか……」

「願っていたと思うよ。だって、まーちゃんが私たち家族と再会してくれることを、第一に願っていたんだから」


 春那さんは笑みを浮かべながら云う。

 僕は孔雀石マラカイトを電灯にかざし、大聖さんが僕に…… いや、恐らく彼女たちと僕が再開する事を願って、これを与えたのかもしれない。


 孔雀石マラカイトの宝石言葉は“新たな始まり”なのだから――


【虚誕】根拠のないことを大げさにいうこと。でたらめ。ほら。

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