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漆拾【8月12日・午後10時21分】


「うわ、さむっ!」


 深夏が体を震わせながら言う。夏とはいえ夜はやはり冷える。


「屋敷に戻りましょう?」

「さんせー、ううさむい」」


 秋音がそう言うと、冬歌が同意する。

 姉妹たちは霧絵を乗せた車椅子を押しながら、屋敷の庭へと入っていく。


「そういえばさ? 姉さんと秋音はどうやって助かったの?」


 深夏がそう尋ねると、「私たちは、深夏とまーちゃんが小さいときにやった悪戯に助けてもらったのよ」


 そう云われ、深夏は首を傾げた。


「覚えてない? よく客室にある押し入れの中に隠れて、お父さんや大河内さんを困らせたり、ビックリさせてたでしょ?」

「ああ、思い出した。その後に必ずお父さんにこっ酷く怒られるんだよね」


 深夏は少しばかり苦笑いを浮かべた。


「でも、そのお陰で助かったんだけどね」


 春那はそう云いながら、冬歌を見ると、違和感を感じた。


「冬歌…… あんた、子犬は?」


 そう云われ、冬歌は少しばかり辺りを見渡す。


「あ、あれ? いない……」

「あんた抱き抱えてたんじゃなかったの?」

「お母さんに呼ばれるまでは抱いてたはずだよ?」


 深夏と冬歌は辺りを見渡すが、影すらない。


「春那姉さん、懐中電灯持ってなかったっけ?」


 秋音にそう云われ、春那は懐から小さな懐中電灯を取り出し、それを渡した。

 灯りが点けられ、周りを照らす。しんとした音を掻き乱すかのように、ザワザワとした風の音が気持ち悪く鳴っている。

 それは幼い冬歌が一番敏感に感じており、近くにいた深夏のズボンを、ギュッと掴んで放そうとはしなかった。


「誰か……いる?」


 深夏がそう呟くと、嫌な空気は濃度を増していく。

 灯りのない夜道で、自分ひとりしかいないはずなのに、うしろにもうひとり誰かが歩いている……そんな恐怖心と似たような感覚だった。

 タロウたちを見ると尻尾を寝かせ、怯えたように後退りしている。

 それがどれくらい危険なのかが嫌なほど理解出来た。


「あれ? 皆さんどうかしたんですか?」


 ふとそう声を掛けられ、そちらへと振り向くや、姉妹たちは安堵の表情を浮かべた。


「み、澪さん? 無事だったんですね」


 秋音がそう云うと、澪はクスッと笑った。


「ええ。舞さんが助けてくれたんですよ。事件も無事に解決したそうです」


 澪がそう云うと、姉妹たちは安堵の表情を浮かべた。

 ――ただ、タロウたちは近付こうとすらしない。


「どうしたの?」


 冬歌がそう訊くが、タロウたちはジッと澪を見据えるだけで、何もしない。


「ははっ! やっとあえたんだからどうしたらいいのかわからないんじゃない?」

「そうでしょうね。それにまだこんなことがあって混乱してるんでしょ……」


 そう云いながら、澪はゆっくりとタロウたちに近付き、手を差し伸べる。

 それを避けるかのように、タロウたちは秋音や春那の方へと後退りする。


「ど、どうしたの? ほら澪さんが……」


 秋音はそう云いながら、ゆっくりと澪の方へと見返した。


「――あれ?」


 何か違和感を感じたような言葉を発した。


「どうかしたの?」


 春那がそう訊くと、「み、澪さん? 足はどうしたんですか?」

 そう訊ねると、澪は少し立ち止まり、「ああ、ご心配なく、無傷で逃げ切れたんですよ……」

 そう云いながら、澪は自分の左足をぶらぶらと動かした。


「それと、手はどうしたんですか?」

「手……ですか? ほら、このように……」


 今度は手を見せながら、澪は笑った。


「それじゃ…… 犬笛はどうしたんですか?」


 それは恐らく苦し紛れの質問だったのだろう。

 いや、最初からタロウたちはこの違和感に気付いていた。

 だけど、今目の前にいる人間は、紛れもなく秋音や姉妹たちが知っている澪だ。


「犬笛……ですか? あれ? どっかに落としたのかな?」


 そう云いながら、澪はポケットの中を探った。


「タロウ! クルル! その人は澪さんじゃない!」


 そう秋音が叫ぶと、二匹は一斉に澪に襲い掛かった。


「ちょ、ちょっと! 秋音? 何やってんのよ?」


 深夏がそう叫ぶが、「もし、もし目の前にいる澪さんが本物だったら、一番信頼してるタロウとクルルが襲うはずがない! でも、澪さんは手を怪我していてたはずでしょ? それに――足を銃で撃たれているはずだから、そんな悠々と歩ける訳がないでしょ?」


 確かに、今目の前にいる“澪”は、まるで平然と此処まで歩いてきたような表情をしていた。

 犯人から逃げてきたのなら、少なからずとも苦しそうな表情をしているはずだ。


「それに……犬笛は澪さんにとって一番大事なもので、いつも首に掛けてた。それくらい大事なものを! がさつにポケットなんかに直すわけがない!」


 そう云い切った時、途端にタロウとクルルの悲鳴が聞こえた。


「へぇ~~っ? 結構観察してるものなのね?」


 そう云いながら、“澪”はゆっくりと立ち上がる。


「私がわかったんじゃない。タロウたちが澪さんに近付こうとしなかったから……」

「それだけの理由?」

「それだけじゃ理由になりませんよ。でも! この子達がどれくらい澪さんに逢いたかったのかわかるから……」


 秋音の言葉を待たずに、銃声が聞こえた。


 ――が、それは虚空を撃っただけだった。


「な、なにやってるの?」


 深夏がそう叫び、“澪”を取り押さえようとしたが、もう一度“澪”は銃を虚空へと撃った。


「一体何を……」


 春那は“澪”の行動に理解出来なかった。そもそも銃を撃ったという事は殺すために……


 いや、違う…… これって……

 その嫌な予感は隣にいたはずの秋音をみれば一目瞭然だった。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁっ!!」


 ガクガクと震え、両耳を手で塞ぎ、怯え始める。


「あ、秋音? 大丈……」


 春那がそう云うや、もう一度銃声が聞こえた。

 そして、それに反応するかのように、秋音はもう一度悲鳴をあげた。


「み、澪さん? 一体何を……」

「深夏ぁっ! 冬歌ぁっ! ふたりとも離れてぇ!」


 春那がそう叫ぶと、二人は少しばかり躊躇う。


「どうやら、まだ忘れてないようですね?」


 “澪”がそう云うと、秋音はゆっくりと“澪”を見据える。


「あなたが誘拐された時に一緒にいたのはね……? 私の弟なんですよ」

「――え?」

「だから…… 弟が代わりにあなたの犠牲になったんです。その代償として…… その罪滅ぼしとして…… 死んでくれませんか?」


 “澪”がそう哂うと、ゆっくりと銃を秋音に向け、「そうそう…… 弟が云ってましたよ……耶麻神家なんて、気持ち悪いって……よくも生きてるよなぁって……さっさと死んでくれないかなって……」

「う、うそ……」

「うそじゃないですよ? だって、姉である私が云ってるんですから……」

「うそだぁ……」

「だから、懇願したって無駄なんですよ……あなたたちがどんなに足掻こうと、あなたたちを見る目は決して変わらない。そういうもんなんですよ」


 “澪”はそう云うや、ゆっくりとトリガーに手を掛けた。


「好い加減にしてくださいっ!」


 ふと秋音の目の前が暗くなる。

 よく見てみると、そこには春那が仁王立ちで庇っていた。


「そうね? あなたも……みんな殺してあげましょうかね? そしたら、もう耶麻神なんて名乗れる人はいないんですから」


 “澪”は口元を歪め、銃口を澪の額に点けた。


「撃てるもんなら撃ってみなさい! でも、この子達に何かしたら!」

「戯言は死んでから云いなさい!」


 “澪”がそう告げると、その刹那、銃声が聞こえた。


「お姉ちゃん!」「秋音っ!」

 深夏と冬歌がそう叫ぶと、「春那姉さん? 大丈夫?」

 聞こえたのは秋音の声だった。


「……う、うん。本気で怖かった……」


 何ともしおらしく幼さすら感じさせる声が聞こえた。


「えっ? ちょっと待って? それじゃ外したって云うの? あんだけの距離で? どうやって……」


 深夏が混乱したようにそう云うと、ゆっくりと“澪”を見据えた。

 目の前で“澪”はタロウとクルルに覆い隠され、両腕を噛まれていた。


「な、何をやってるの! 早く放しなさい! 聞こえないの?」


 “澪”が懇願するように叫ぶが、タロウとクルルは聞く耳を持たないかのように、ずっと両腕を放そうとはしない。


「聞くわけないでしょ? あなたみたいな偽者に……」


 弱々しく聞こえたその声を頼りに、姉妹たちはそちらへと見遣った。


「み、澪さん……」

「ほ、本物よね?」


 深夏がそう云うと、伏せていたハナがゆっくりと起き上がり、目の前で今にも倒れそうなほど衰弱している澪に近付いた。


「ほ、本物だ……」


 冬歌がそう云うと、澪はハナの頭を撫でる。

 ハナもそれに応えるように澪の傷付いた手を懸命に舐めていた。


「冬歌お嬢様? 駄目ですよ。クリスを手放したりなんかしたら……」


 澪はそう云いながら、抱き抱えていた子犬を冬歌に手渡した。


「ど、どこ行ってたの?」


 冬歌がそう訊ねるが、子犬はクゥーンと小さく鳴くだけだった。


「ど、どうして……完璧に……完璧にこの子達を騙せたはずなのに……」


 ゆっくりと両腕を開放された“澪”が空を仰ぎながら、そう訊ねる。


「人に成り代わって、誰かを騙すって云うのは、それは凄く簡単なことじゃないの……。もしあなたが、今の私と同じ状況だったら、騙せていたかもしれない……でも、タロウたちだけは絶対騙せっこない」


澪はそう云いながら、近付いてきたタロウとクルルの首元を撫でた。


「どういう意味?」

「人間には特有の……本人すら気付かない、その人だけのにおいってのがあるの。タロウたちはそれに敏感だから、じゃなかったら警察犬なんて出来る訳ないでしょ?」


 そう、だからこそ、タロウたちは、この倒れている“澪”に決して近付こうとはしなかった。

 ただ自分たちの判断ではどうしようもなく、秋音が違和感に気付き、自分たちに命令をした時、初めて目の前にいた“澪”が偽者だったということに確信できた。


「そんなの理由になってないでしょ?」


 そう云うと“澪”はピクリとも動かなくなった。いや、そもそも最初から動いてすらいなかった……


「どういう……」


 “澪”を照らしていた春那が絶句した。


「タロウたちは……腕を噛んでいたはずだよね? それがどうして血が流れてないの?」


 それは自分たちの目の前にいた“澪”が本来生きていない骸だったからなのか、それとも幻だったのか……


「瀬川さんや鹿波さんは……?」


 澪がそう訊ねると、「あ、早瀬警部と一緒に屋敷に……」

「奥様は……」

 澪はそう云うと、車椅子に乗った霧絵に気付く。

 ――そして深々と頭を下げた。


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