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陸拾玖【8月12日・午後9時32分】


 屋敷の中は嫌気がさすほどに荒らされていた。

 廊下は破れた襖の障子紙や、割れた食器、散乱した銃痕などが目立っている。

 それらに目を遣りながら、生き残っている人間がいることが本当に信じられなかった。


「鹿波さん、霧絵さんたちをそのままにしてよかったんですかな?」

「霧絵は家族だけでさよならしたかったんじゃないかしら。それに、言いかけてたのはこの殺人劇と関係ないことだろうし……」


 そう話している鹿波さんを見ていると、その表情はまるで霧絵さんに対する哀れみよりも、自分への後悔の色が濃く出ていた。


「霧絵さんはこの殺人劇が、誰の仕業なのかを知っていたということでしょうか?」

「知っていたのは……霧絵じゃなくて、大聖だったのかもしれない」

「――と云うと?」


 鹿波さんの言葉に早瀬警部が聞き返す。


「まず、大聖が渡辺に殺される事をすでに知っていたとしたら、岐阜の刀鍛冶のところに行かずに、早瀬警部に一言云ってるでしょ?」

「確かに……殺されるという危険性を考えれば……」

「でも、あえて大聖は“帰りが遅くなったら迎えに来てくれ”という曖昧な伝言をしている。しかもご丁寧に自分の胃の中にメモを残してね」


 そう云われ、早瀬警部は少しばかり考えると、「もしかすると、大聖くんは一人でこの殺人を止めようとした――ということでしょうかね?」

 そう云いながらも、早瀬警部は納得のいかない感じだった。


「気になるのは……あの縁っていう“少女”なのよね……」

「彼女がこの事件の真犯人なのは間違いないんでしょ?」

「だから違和感があり過ぎるのよ?」


 僕の言葉に鹿波さんが苛立った声で言い返す。


「いい? 三十年前に起きた事件がこの殺人劇を起こした原因だったとしたら、その関係者が関わっているというのが筋ってもんでしょ? そうなると、自然的に浮かび上がるのは、当時少女を殺した院長に復讐した大聖と渡辺が先に浮かび上がる。縁が今までこんなことをしていた大本の原因が、殺された少女の遺体を捜し出す事だったんだから」

「そうじゃなかったら、当時の子供だったとしたら……でも彼らは――」


 そうだ。彼らは催眠療養で、孤児院での出来事を覚えていない事になっている。


「それに孤児院にいた子供たちに身寄りはなかったんですよね?」

「当たり前でしょ? じゃなかったら“孤児”とはいえないでしょ?」

「わかってますよ。そうじゃなくて、彼らを匿ったのが捕まった女職員だったとしたら、それを子供たちが本当の犯人だと知っている人間だったという事じゃないですか?」


 僕は早瀬警部を見ながら云う。


「確かに……あの犯人に関係している人間だったとしても、子供たち・


犯人だったというショッキングな内容は警察内でも極秘でしたからね」

「子供たちが犯人だったという理由は?」

「女職員のいい訳ですよ……」

「いい訳?」


 そう聞き返すと、早瀬警部は深いため息を吐いた。


「院長が殺されたのは、榊のなっている場所とされていたんですけどね……」


 その話を聞きながら、僕は以前、深夏さんたちと話していた事を思い出していた。

 あの時、爆発による土砂崩れで山から下りられなくなっていた。

 その場所を見に行った時、頭上に榊がなっていたんだ。そのことを深夏さんに報告すると、彼女はホッとしたような表情を浮かべていた。


「鹿波さん? あなたがこの山にいた時、榊はなっていたんですか?」


 僕がそう訊ねると、「どうかしらね? 仮に咲いていたとしても、それを誰かが知っていなければ、私が知る由もない。それに、村一番の物知りだったおばあちゃんだって、白内障しろそこひが患ってのめくらだったから……」

「ちょっと待ってください? まるで私の云っている事が嘘に聞こえるじゃないですか?」


 早瀬警部が狼狽する。


「だからなんですよ。榊って云うのは小高木になるらしくって……」


 僕は云い掛けるや、一度鹿波さんを見遣った。


「この山の語源って鬼を逆らうという意味でしたよね?」

「え? ええ、昔話の金鹿之神子が自分の命を引き換えにこの山に結界を張って……」

「でも、実際は金鹿之神子というのは、女職員が作った御伽噺だったとしたら?」

「ちょっと待って! それじゃ私が四十年前に集落を襲った麓の人間を殺した原因が見当たらないわよ?」


 今度は鹿波さんが狼狽してしまう。


「ありえないでしょ? そうじゃなかったら、たった一瞬で殺すなんて事……」

「でも人間の君がそんな神懸かりな事が出来るとは考えられない」

「私だって……でも、その力は……遺伝で……」


 鹿波さんはまるで自分に言い聞かせるように言葉を呟いていた。

 すべて幻だった……。すべて思い過ごしの幻覚だった……

 恐らく彼女に早く逃げるように、幻を見せたのだろう。

 ただその結果、彼女は精留の滝壺に沈んで死んでしまった。


 そもそも……。鏖という言葉は恐らく昔話から来ている。

 解いて字の如く、金鹿と書かれるその言葉は、むかし鹿の角は金になることから乱獲されていた事が語源とされている。

 昔話というのは本当かどうかわからない。

 それが真偽という証明もない。

 ただあるのはそれを騙った人間がいる事だけだ。


 ――つまり、それを誰かが作った御伽噺だったという事になる。


「ただ、この殺人劇が今までと違っていたという事でしょうね……」

「それってどういう……」


 僕がそう訊ねると、鹿波さんは広間と書斎を挟んだ廊下に目を遣る。


「警部……三十年前の屋敷と今のとでは、屋敷の間取りは全く一緒なんですよね?」


 そう訊かれ、早瀬警部は少しばかり頭をかくと、「ええ。造りはほとんど一緒だと思いますよ」


「それがどうしたんですか?」

「可笑しいでしょ? 広間と廊下には部屋一つ分が悠々入るスペースがあるのに、それを利用しなかった」

「――確かに……」


 僕と早瀬警部がそう呟くや、鹿波さんは何処から持ってきていたのか、登山などに使われるピッケルを手にするや、それを壁に向かって振り下ろした。


「な、何をやって!」

「大丈夫っ! 霧絵や春那にも許可もらってるから」


 ――いや、そういう問題じゃないでしょ?

 と、云いそうになるが、壁は意外にも脆く崩れ落ちた。

 そして、鹿波さんはそのあなに向かって懐中電灯を向けた。


「なっ!」

「何でこんなところに屋敷なんて造られたのか…… そして、どうして事件が起きたのち、建て壊しがされなかったのか」


 鹿波さんが静かな口調で言う。

 だけど、その表情はまるで、色々な感情がごちゃごちゃに混ざり合って、自分でもわからないほどのものだっただろう。


 ――ライトに照らされた孔の先にあったのは、数え切れないほどの亡骸むくろだった。


「ど、どうしてこんなのが……」

「四十年前に起きた“鹿狩”で生き残った人間は一人もいない。千智お姉ちゃんが子供たちだけが生き残っているとしたら、それが三十年前だと何歳いくつくらいになると思う?」


 そう訊かれ、僕は少しばかり考えて……

「少なくとも十歳から二十歳くらいには…… ――あっ!」

 僕は自分でそう云うと、鹿波さんがどうしてそう訊ねたのかという真意に気付く。


「早瀬警部? 大聖たち孤児院にいた子供たちは、催眠療養で事件当時の事を忘れさせた本当の理由は?」

「それはもちろん、あんな事を大人になっても覚えているのは酷というものでしょ?」

「でしょうね。でも、それならどうして此処を一度更地にしたの? 孤児院にするくらいなら私の家でもよかったと思う。私の家は集落の中でも一番大きかったし、立派だった。ただ、盲だったおばあちゃんにしてみたら、広すぎて逆に不便だったかもしれないけど……」


 鹿波さんはそう云いながら、ゆっくりと早瀬警部に近付く。


「どうしたんですかな? 怖い目付きをして……」

「そ、そうですよ? 一体どうしたんですか?」

「正樹は少し黙っててぇっ!!」


 そう怒鳴られ、僕はズキッとした。

 彼女の表情は本当に辛そうだったから、まるで信じていた全てが裏切られていたかのように……

 その相貌からは薄らと大粒の涙がたまっていた。


「早瀬警部だから……早瀬警部だからこそ、本当の事を訊かせてほしいの…… 四十年前、おばあちゃんの家に遣ってきた警部の父親、つまり! 早瀬文之助がおばあちゃんに会った後、その数日後に“鹿狩”が起きた! おばあちゃんは政治家殺人が起きる数十年以上前から、それこそ私が生まれるずっと前から盲だったから、力なんて使えないし、政治家に対する怨みなんて持っていなかった! それを早瀬文之助は理解したうえで、この山を降りていった……」


 そう叫びながら、崩れるように鹿波さんは跪いた。


「事件の後、此処は一度誰ひとりいなくなっていた。その上で孤児院が造られたのなら、それはそれで、別に気にはしない……。でも、どうしてこんなところに死体があるの? 壁は今壊した以外に掘られた痕跡なんてなかったし、それこそ、隠すような、不自然なものは何一つなかった…… つまり! 最初からこの屋敷は! 四十年前に殺された集落の人間と麓の人間の亡骸なきがらを隠すためだけに造られた! それを監視するために“孤児院”という表面を使った。集められた子供たちも、十年前の事なんて何一つ覚えてない。この山に元々住んでいた子達だったんじゃないんですか? 目隠しか何かして、道を覚えさせなかった。その理由は屋敷が元々集落だった場所に建てられていて、それを不信に思わせなかったためぇっ……」


 鹿波さんの言葉が切れるのを待たずに、早瀬警部が鹿波さんのおなかを蹴り上げる。


「がはぁっ!」

「は、早瀬警部? 一体何を?」


 僕は早瀬警部を止めようとすると、「鹿波さん…… 事件にはね…… 必ず三つの理由があるんですよ」

「三つの理由……?」

「一つ目は“フーダニット”……誰が犯人なのか。二つ目は“ハウダニット”……どのように犯罪を成し遂げたのか。三つ目は“ホワイダニット”……なぜ犯行に至ったのか」


 早瀬警部はまるで観念したような表情でそう告げる。


「誰が犯人なのか…… どのように犯罪を成し遂げたのか…… そして、どうしてこんな事をしてしまったのか」

「三十年前の子供たちは、大好きだった少女を殺されたという立派な理由がある。あなたが麓の人間を力で殺したというのも、それはそれで立派な理由だ……あなたにそんな思いをさせてしまった彼らにも責任があるのだからね……」

「それじゃ、あそこにある亡骸があんなふうにされているのも理由があるんですか?」

「父が榊山に登った後、二日ほど一切の連絡がなかったんですよ」

「どういうこと? だって、警部の父親が屋敷を出た後、付き添いのお役人さんたちと一緒に山を降りているはずだし、今もそうだけど、この山の山道には灯りなんてついていない! いくら山登りに慣れている集落の人間でも、夜の山は危険だって……」


 言葉を止めるや、すぐに信じられないような表情を浮かべる。


「おばあちゃん……最初から“鹿狩”が起きることを知ってたんじゃ……」

「でしょうな……鹿波さんのおばあさん。鹿波怜が私の父とは少なくとも知り合いだったわけですしね…… だからこそ、私は真実が知りたかった」

「――真実?」

「どうして、目が見えない怜さんを、政治家殺人の犯人にされたのか…… それは恐らく殺されたのが政治家だったからという理由にあったのかもしれません。発見されたのが小倉靖ただ一人で、そのほかに見つかった死体は全部関係のないもの。その後、次々と家の周辺から白骨死体が発見され、その数から一家全滅という惨殺事件になった。でも、これには一つ不審点がおきるんですよ」

「不審点?」

「発見された小さな遺体は、今私たちが保護している、春那さんの秘書を遣っている鮫島渚さんなんです。彼女は事件当日、祖母の家に泊まりにいっていて、難を逃れていたんですけど」

「警察はあろう事か、彼女を“死亡扱い”にしていた」

「し、死亡扱い?」


 僕が素っ頓狂な声を上げると、「現在では白骨死体が発見された後、鑑識でDNA鑑定をします。それから遺体の身元が判明されるんですが、当時はDNA鑑定なんてものは先ずなかったんですよ。だから、発見された小さな白骨死体を警察は渚さんだとしたんです」

「れ、連絡とかはしなかったんですか? 普通、そういう事が起きた時には遺族に連絡がくるんじゃ?」

「見つかった白骨死体が小倉靖のものじゃなかったという疑いがあった……?」

 そう鹿波さんが言うと、早瀬警部は頷いた。


「それを警察は“小倉靖の家で殺されたから、白骨死体を小倉靖本人のものである”と公にしたんです」

「もしかして、それを隠すために……鹿波さんのおばあさんが利用された」


 僕がそう云うと、鹿波さんはワナワナと震える。


「なによそれ…… そんな理由で? そんなつまらない理由で……知るわけがない政治家の遺体を間違って公にしたから…… 理解出来ない殺し方をするかもしれないっていうだけで、おばあちゃんが疑われて……」


 鹿波さんは言葉を止めるや、こちらへと見遣る。


「早瀬文之助がおばあちゃんにあったのは、それを報告する事だった。でも、おばあちゃんがそんな事するはずがないと信じていたからこそ、早瀬文之助は無防備でこの集落に来た。何も(やま)しいことをしていないから、おばあちゃんは早瀬文之助を山に下ろした……」

「それが本当なのかどうかなんですよ」

「もし早瀬文之助がこの山に登ろうものなら、この山に住んでいる金鹿が彼を拒む! だけど、拒まなかったということはおばあちゃんに報せるだけだったから……」


 僕はふたりの遣り取りをみながら、ふと疑問に思った。

 確かに四十年前に起きた“鹿狩”が原因で、この山に一度誰もいなくなっていたのなら、その後に集落を一度崩すだろう。

 その後に孤児院を造ったのなら、何の不思議でもない。


 ――だから不自然なんだ。

 鹿波さんのおばあさんが集落で一番偉かったという事は、反面、家が他の家よりも大きかったという事になる。

 それはつまり、態々壊さなくても、その家を使えば早い話になる。


 でも、そうしなかったのはこうするためだったのか……

 僕はそう考えながら、何もいわない白骨に目を遣った。

 ――答えてくれるわけないか……

 そう思うと、ふと目の前に白いもやが見えた。


 そちらに目を遣ると、殺された少女……友依ちゃんの姿が見えた。

 彼女は僕の足元に転がっている懐中電灯を指さし、今度は孔の方に指をさした。


「これが…… どうし……」


 訊きかえそうとしたが、彼女はすでに消えていた。

 彼女は何かを伝えようとしている…… いや、彼女が殺された本当の理由が……

 僕は転がっていた懐中電灯を手に取り、孔を潜るや、白骨死体に向けた。


「そうか…… だから此処に造らなくてはいけなかったんだ……」


 僕はふたりにその事を話すや、ふたりは信じられない表情を浮かべていた。

 仮に白骨死体が麓の人間による“鹿狩”によるものだったとしたら、その後、警察が捜索をしているはずだ。

 だけど、白骨死体がそのままこの山に残っていたという事は、埋葬されていたか放置されていたという両極端になる。

 それが誰によるものなのかは置いといて、地面を更地にするさいに白骨は発見されたという事になる。


 白骨にはそれを証明するかのように所々にひび割れがあった。

 それは少なくとも発掘されたという証拠だ。

 もし白骨が埋められずに放置されていたとしたら、罅なんて先ず入らないだろう。

 生き物の骨に、そんな簡単に罅が入るとは到底思えない。


「鹿波さん? 四十年前、確かに“鹿狩”が行われたんですよね?」

「ええっ! おばあちゃんが話をしている最中にね」


 何か気に食わないのか、鹿波さんは喧々とした口調でそう言い放つ。


「おばあちゃんが話しているなか、誰かが麓の人間が山に入ってきたっていって」

「それからどうなったんですか?」

「いきなり入ってきた知らない男が、おばあちゃんを銃で撃って……」


 そう云いながら、鹿波さんは少しばかり頭を抱えた。


「それから、誰かにおなかを殴られた衝撃で気を失ってて…… 気付いたらみんないなくなってて…… 周りには屍が……」

「つまり少しばかりの記憶がないということですよね?」

「でも、あの時、おばあちゃんは逃げようとしなかった…… 逃げられたはずなのに、逃げるようなことはしなかった」


 鹿波さんは信じられないような表情を浮かべる。


「もしかしたら……」


 僕はそう云うや、その先を躊躇った。

 たとえそうだったとしても、それは鹿波さんが一番信じたくないものだろう。


「もしかしたら……何?」


 鹿波さんが僕の服を掴み、そう訊ねる。


「もしかしら、早瀬警部のお父さんが“鹿狩”のことを話した上で、あえて死を選んだんじゃ……」


 僕がそう云うや、頬に電気が走る。


「そんなわけないでしょ? 自分が死ぬのよ? 死ぬ事がわかってて、どうして? どうしておばあちゃんがそれを選んだって云えるの?」


 鹿波さんはワナワナと震え、ジッと僕を睨む。


「それじゃ、どうして集落の人しか入れない場所に、麓の人間が入る事が出来たんですか? そもそも、なんでそんな場所に? 此処には防空壕がある事をみんな知ってたんですよね?」

「わからないわよ! それを証明してくれる人はもういない!」

「それは早瀬警部だって同じですよ。彼だって本当の事を知りたいけど、それを教えてくれる人はいない」

「瀬川さん……」

「この殺人劇は出鱈目に見えて、実際は全部繋がってるんですよ」

「そりゃそうでしょ? 全ての元凶は耶麻神乱世が……」


 鹿波さんはそう云うや、少しばかり表情を強張らせる。


「霧絵が生まれた時点で、耶麻神乱世はすでにこの世の人間じゃない。全部の事件は、その耶麻神乱世の名を騙った人間による犯行……ってこと?」

「四年前に起きた転落事故もそれにあてはまると?」


 ふたりがそう訊くや、僕は頷いた。


「ちょっと待って? 四十年前ならとにかく、孤児院はどう説明するの? あれは院長に殺された友依に対する、大聖や渡辺を含む、子供たちによる復讐殺人だったはずでしょ? 耶麻神乱世の名前なんてひとつも……」

「孤児院を経営していたのが……耶麻神乱世だったとしたら?」

「どういう…… 意味?」

「あそこにある白骨死体は、どう見ても更地にしていた際に発見されたものかもしれないんです。もちろん詳しいことは警察の人にお願いしますけど……」


 僕はそう云いながら、早瀬警部を一瞥する。


「わかりました。もちろん事件が終わりましたら、鑑識に回します」

「ただそれが誰のかはわからないんですよね?」


 僕がそう云うや、早瀬警部が首を傾げる。


「早瀬警部は言いましたよね? 四十年前の事件は、まだDNA鑑定が出来なかったから、特定する事も出来なかった」

「あ、そうか……もしこの白骨死体が殺された集落の人間や麓の人間だったとしても、それを証明するものがなければ、本人であるという証明も出来ない」

「しかし、私は四十年前に起きた事件の捜索に参加してるんですよ」

「それが全ての狂いだったのかもしれません」


 僕がそう云うと、早瀬警部がまるで狐につままれたような表情を浮かべた。


「それが本当に金鹿之神子……鹿波さんによるよるものだという証言が出来ますか? いや、そもそも“誰が殺害したのか”ということすら出来ないんですよ?」

「ちょっとまって! 私は確かに……」

「それじゃ君は本当に自分がしたという証明が出来るというのかい?」


 そう云われ、鹿波さんは苦虫を噛むような表情を浮かべた。


「つまりは誰かが“ありえない殺し方”をしたことで、それがあたかも金鹿之神子によるものと思わせる」

「鹿波さんが自分がやったという証言をする理由は?」

「それはわかりません。何せ当の本人でも理解できてませんし、そもそも僕だって推測の想像でしかない」


 僕はジッと彼女を見据えた。


「君は本当は誰一人殺してないんじゃないのか?」


 そう。だからこそ僕はそう願いたかった。


「何でそんなことが云えるの?」

「君は…… 人を殺す事なんて出来ない! それがたとえ力によるものだったとしても、君は自分の記憶を裏返すように――」

「でも、私は! 私ははっきりとこの目で見たの! 私の目をみた麓の人間が、狂ったように! 自分の顔を掻き毟って! 私の目の前で自滅したのよぉ!?」

「だけど! それが本当に君の力によるものだったという証明が出来るのか?」


 僕がそう叫ぶが、鹿波さんはまるで何かに疑いをかけているような感じがした。


「ちょっと待って…… わたし…… 今、自分で“麓の人間”って……」

「――? どうかしたんですかな? あなたが殺したのが麓の人間だったとしても」

「ちがうの! ちがう! あいつは! あいつは麓の人間じゃない! 集落にいた! ずっと前から! 私がちいさい時から!ずっと…… 一緒に! 一緒に……」


 鹿波さんは慟哭するかのように、そう叫ぶ。


「何で? あの時……あの時、確かに私の目の前で……あいつが死んで、怖くなって…… 精霊の瀧に逃げるように……」


 鹿波さんは衰弱するように、壁に凭れ、そのまま崩れ落ちる。


「瀬川さん? 一体どういう……」

「彼女が四十年前に殺されたのではなく――自殺した。その際に色々な記憶が曖昧になっていたという事」


 僕がそう説明するが、早瀬警部は首を傾げる。

 そもそもこんな夢物語を誰が信じるのだろうか……


「――ということは、仮に彼女の証言が本当だったとして、彼女が殺したのは一人だけ?」

「彼女が殺したと思われる人が自滅したのち、鹿波さんは怖くなってその場を逃げたと言っている。と言うことは彼女は誰一人殺していない」

「彼女が殺していないという証拠は?」

「鹿波さんがどうして死んだ後も此処に留まっていたのか……」


 僕は確信できる訳ではないが、そうではないかという考えがあった。


「これは僕の想像でしかないけど、この山には“金鹿”という神使がいるそうです。彼女を含む神子は、その加護を受けていたとしたら?」

「何とも現実離れしてますが……まぁ、鹿波さんの存在を考えるとあながち信じないといけませんな」

「つまり、それによる力で、彼女に真実を教えたかったという事になる」

「誰かが彼女に偽りの記憶を植えつけたと?」


 早瀬警部がそう云うと、僕は小さく頷いた。

 そうじゃなかったら……彼女があれほどまでに苦しみ、そしてこの現世に蘇る理由がない。

 彼女の性格上、サッパリとしているから、死んだらそれもまた運命と切り捨てるだろう。


「鹿波さん……確か前の舞台で、君は大聖さんに頼まれて、この舞台に参加したって」

「よく覚えてるわね? ええ。大聖に霧絵や姉妹たちがどうして殺されるのかって言う理由と、助けてほしいって……あっ――――」


 鹿波さんは何かを思い出すような仕草をする。


「あの時、私の血筋を持ってるって…… でも、それは霧絵のお母さんが持ってて……」

「それが必然的に耶麻神乱世に繋がる」

「でも、あの力は女性にしか出来ないのよ?」

「霧絵さんが生まれたのも、春那さんの本当のお母さんが生まれたのも、耶麻神乱世が死ぬ前だったとしたら?」

「それじゃ、耶麻神乱世の妻か何かが力を持っていたと言うこと?」

「いや、逆かもしれない」

「――逆?」

「あの力が最初からなかったものとします。そして実際に“鹿狩”が行われた」

「でも、父はあの力を知っていた。だから鹿波怜に忠告に行ったんじゃ?」

「それを誰がし始めたのか……そもそもこの地域に住んでいる人は少なからずとも知っているその力を、あの事件が起きるまで誰一人危険視しなかったのか…… それは、その力があくまで物語の中でのことで、誰一人信じていなかったから……」

「それじゃ、小倉靖がありえない方法で殺害された事が、その力によるものだとした」

「でも、警察は真実を調べるものでしょ? 生物を殺せるのは、生物か自然でしかない」

「確かにたとえどんな方法でも、何かを殺すのは、私たち人間か、自然による災害しかない。車で轢き殺すにしても、毒を盛るにしても……」

「だけど、飢饉はどうするの? あれは……」

「飢饉というのは、自然による災害になるんじゃないかな?」

「云われてみれば確かにそうかも…… 農作物が不作なのは、結局自然によるものだし」

 鹿波さんはそう云うと、僕は続けてこう云った。


「鹿波さんはあの時、山で取れた熊の肉を鹿波怜さん、つまり君のおばあさんは食べなかったと云っていたね?」

「えっ…… ええ。あの時、私もおばあちゃんも食べなかった。そもそもおばあちゃんは肉嫌いだったから」


 鹿波さんは何かを思い出す。


「あの時、みんなが食べた熊には毒が盛られていた……」

「まさか……そんな出鱈目なこと?」

「集落の人間が自給自足で生きているという事は、山に住んでいる熊だってその対象になる。その熊に死なない程度の毒が盛られていたとしても、それは熊にとってのもので、人間が感染する恐れがあった。いや、むしろそうするためにわざと熊に毒を盛った」

「ちょっとまって! この山に熊なんて出ないわよ? 精々猪が畑を荒らすくらいだけ……」


 鹿波さんがそう説明すると、次第にどうしてあの肉を食べたのかと言う疑問が出てくる。


「あの肉を本当に熊肉だといえるのかい? 君はさっき云ってたよね。たとえその木が榊だったとしても、それが本当にそうなのかはわからない。物知りである君のおばあさんは目が見えなかったから知る由もなかった」

「それじゃ、誰かがそれを熊の肉ではないと云えば……」

「少なくともそれを知っている人間じゃないとわからない。そもそも僕たちだって、ミンチされた肉が鶏肉だったとしても、豚肉やら牛肉と云われたら、そう思ってしまう。なにせその工程を見ていないし、知らないんだから」

「じゃ、じゃぁ、仮に集落のみんなが食べたのがそうだったとしたら―――― その病原菌を調べた人間が……」

「集落の人間を殺そうとした何者かの仲間……だったということですかな?」

「それはわかりませんけど……」

「つまりそれと同じということ。君の目の前で殺された人間が、金鹿之神子の力によるものだという証明がない」

「彼女が殺したのではなく、自発的にそうなったということでしょうかね?」

「仮にそうだったとしても、どうして? どうして私の前で――」


 僕は鹿波さんをジッと見据える。


「自滅した人は君を助けたかったんじゃないかな? だけど君はそれに応えられなかった」

「それが……それが私のわだかまり?」


 鹿波さんがそう云うと、僕は頷いた。


「そして四十年前に起きた事件全てがあの白骨死体が証明した。いや、もしかするとこれが発見される事を、この屋敷を建てた人が願ったんだ。自分ではなく……」


 僕は鹿波さんの肩を力強く握る。

 彼女は咄嗟に悲鳴をあげるが、彼女もジッと僕を見据えた。


「君は本当は滝壺に溺れて死んだんじゃなくて、誰かに殺されて死んだんじゃないのか?」

「どういう……」

「そうじゃなかったら、死んだ人間がこうやってのうのうと存在するわけがないし、触れられる訳がない」


 そうだ。たとえそんな不思議な力だったとしても、滝壺に落ち、溺れ死んだのなら、それは自然死になる。

 でも、落ちる前に誰かに殺されたとすれば、それは自然死とは言わない。


「つまり、誰かが彼女を殺した。その結果、彼女はこの世に留まった」

「それをしたのは恐らく……」


 僕はジッと白骨死体を見据えた。


「私の知ってる人……」


 鹿波さんは僕の手を払い除けると、ふらふらとした足取りで白骨死体へと近付く。


「集落がどうして襲われたのか、どうして白骨死体がこんな風になっていたのか……建てた人物がそれを誰かが発見される事、そして、それが誰なのかを前々から知っていた人物…… それが…… 耶麻神乱世だった……」


 僕がそう云い切ると、鹿波さんは白骨死体をまるで愛おしく抱える。


「これは僕の想像でしかないけど、耶麻神乱世はこの山を知ってたんじゃないかな? そしてこの山に何か不吉な事があった」

「それが肉に含まれた毒だったと言うことですな」

「だけど集落の人間はこの山から離れなかった。いや、むしろ離れる事すら出来なかった」

「おばあちゃんがどうしてあの時、防空壕じゃなく、私の家にみんなを集めていたのか……」


 鹿波さんはスッと立ち上がり、僕を見た。


「防空壕の中には、集落みんながつくった思い出があったから」

「思い出? 金銀財宝ではなく?」

「金銀財宝なんてありませんよ。そもそもあんな狭い場所に宝物庫なんてない」

「それは…… この殺人劇を企てた人間も考えてのうえでしょうかね?」

「少なくとも、彼女がこんな事をしているのは、殺された少女の遺体を見つける事だと思います。当然あの中にはいないでしょうし――――」


 僕は白骨死体を見ながら云った。


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