陸拾漆【8月12日・午後8時17分】
縁が声にもならない呻き声を出しながら、苛立ちを顔一面に浮かび上がらせる。
まさか自分の脳を弄る力が、いとも簡単に、それこそ無形極まりない理由で破られたのだから、納得できる訳がない。
「どういうことよ? あの時、確かにタロウとクルルは人間の死肉を食べてるのよ! それに! あの小娘は噛み殺したはず! なのに、なに? 全部演技? ありえない! そんなのありえるわけがない!」
縁は澪の腕に縄を結び閉めている力を一段と強くしながら地団太を踏む。
「っ……」
澪は縄の締め付けに小さく悲鳴を挙げた。
「しかもなに? 屋敷にはもう誰もいない? 私が大金はたいて雇った、世間のゴミ虫がぁっ? 一体何をやってるのよ? 鹿狩をしてるはずなんでしょ?」
誰振り構わずにそう問い質す。しまいにはヒステリックな声を挙げていた。
縁にとっては予想もしていなかったシナリオだったのだから云うまでもない。云ってしまえば、早々に殺してしまえば早い話なのだが、彼女にはそう出来ない理由があった。
「ええいっ! もういいわ! まずは一人目! さっさと殺してしまって! あいつらに恐怖を味合わせてやるのよっ」
最早、冷静な判断すら存在していない。
縁の命令を躊躇っているのか、男は銃を構え続けていた。
「なぁにやってるのぉっ! 引き金を引くだけでしょうが! 狙いを定めて、引き金を引く! たったそれだけのことでしょう!」
縁は怒鳴り散らしながら、男に言う。
「…………」
男は視線を少し澪から外した。
縁は痺れを切らしたのか、澪を突き飛ばし、「貸しなさい! あんたたちはゴミねっ! ゴミはゴミらしく、肥溜めにでも入って溺れ死んでしまいなさい!」
そう云いながら、男から強引に銃を奪った。
「さぁてぇ! 誰から殺してやろうかしらね? もう誰でもいいわ…… だって、ここはみなごろしの世界! みなごろしの神様が住んでる山だもの! 誰が死んだって可笑しくない…… くくくっ…… ひゃはははっ……」
そう謳いながら、縁は銃口を澪に向けた。
「あなたにはそうね? 殺した後に顔一面を筋肉だけにして、胸は削ぎ落として、おなかをかっぴらいてから子宮を野晒しにしてあげるぅっ!」
ゆっくりと引き金を引きながら、縁は歪んだ笑みを浮かべた。
――が、その顔はキョトンとした顔へとかわっていった。
いや、縁には理解出来なかっただけだった。
むしろ理解すら出来なかった。
「どうしてそんな顔が出来るのよ?」
そう訊かざるおえなかった。
澪の表情は恐怖に戦いているわけでも、増してや哀れんでいるわけでもなかった。
至って普通。ただ人の話を淡々と聞いているような表情だった。
その表情が今現在の状況からは程遠いもので、だからこそ縁は理解出来なかった。
「はぁっ……」
澪は小さくため息を吐き、縁を見据えた。
「云っておくけど、この山に神様は祭られていない!」
はっきりと澪はそう縁に告げた。
確かに祠に祭られているのは稲荷なのだから神様に間違いはないが、祠は神庫が訛り転じたものだと言われている。
つまり、神を収める場所ともされているが、あの祠に祭られているのは小さな神様。神様ですらない未熟な少女とそれを護る神使だけ……
「神様ってのはね、人間には何もしない傍観者なのよ! 人は不安な時があれば神様に縋り付く、でもそれが当たり前なのよ! 何でも理由がなければ答えを見つけられない! 何でも神様を理由にすれば赦されると思ってんのっ? 神様はねぇ、道具じゃないのよ! ただジッと見守りたいだけの神様に何を期待するっていうの!」
「それじゃ訊くけど? どうして祭ってるのよ? 何も出来ない神様なんている意味がないでしょう?」
「存在しているかしていないかじゃない! 私たちが信じるか信じないかよ!」
「それじゃ私は神様はいる事を信じるわ! いるからこそ利用する! 神は人間に利用されるべき存在なのだから!」
「その利用目的が大量殺人の濡れ衣じゃ、誰もあんたなんかに加護を与えないでしょうけどね!」
そう叫びあいながら、澪は中途半端に結び付けられた縄を解こうとしていた。
親指と人差し指を器用に使いながら、その結びを解いていく。
(あと少し……)
そう安堵した一瞬だった。
「なぁにやってんのよぉおおおおおおおおおおおおおっ!」
そう叫びながら、縁は銃を澪の頭に叩きつけた。
「きゃはははははっ! もう撃ってあげない! 予定変更! 撲殺! 滅茶苦茶に叩きつけて! その綺麗な顔に血塗れの泥塗れにしてあげるぅっ!」
ヒステリックな声を出しながら、縁は澪の頭に執拗に銃を叩きつけた。
澪はそれを腕で庇いながら蹲る。
「どうしたのかしらぁ! 団子虫みたいになっちゃってぇ! まるで殺してくださいって云ってるようなもんじゃないのぉっ!」
そう叫ぶや、縁は銃を澪の頭に突きつけた。
「一瞬で殺してあげる……怨むなら……」
縁がそう口走った時だった。
どこからともなく銃声が鳴り響き、澪の頭に伝わっていた、冷たい感触は何処かへと消えた。
何が起きたのかわからない澪は少しばかり顔を覗かせた。
「っ…… えっ……?」
それはまるで月の光に照らされて作り出されたスポットライトに輝く舞姫のようだった。
縁の体は反り、宙を少しだけ飛んでいた。
ドサリと体が地面に叩きつけられたのは、撃たれてからほんの一秒も経たなかっただろうが、それすら長く感じられた。
「あっ? えっ? あぁ?」
縁は何が起きたのか全く理解出来ない様子だった。
見てみると、縁の腕はぶらぶらと曲げられることはなく、間接部分からは血が止め処なく流れている。
「動かないで! 銃を持っている人間は全員銃を捨て、頭に手をつけなさい!」
凛とした声が辺りに響き渡る。
「ま、舞さん……」
澪は驚いたような、拍子抜けしたような複雑な声をあげた。
小さく舌打ちをし、縁は舞を見据える。
「警察が人を撃ってはいけないんじゃないの?」
「人を撃ち殺そうとしている人間に云われたくないんですけどね?」
それもそうだと、縁は苦虫を噛んだような表情を浮かべた。
「それに拳銃の使用は、犯人逮捕のさいには必須ですからね」
「あなた拳銃使うの慣れてるでしょ?」
縁の問いに答えるように、舞は小さく笑う。
もちろん嘘ではないが、訓練を人一倍に遣っている所為でもあった。
「でもね? あなたはまだ有利な立場じゃないのよ?」
そう謳うや縁は拳銃を澪に向けた。
「あなたの大切な妹が殺されるのを我慢できなくてこんなところに来たんでしょうけど! そんなの知ったこっちゃないのよぉ!」
その言葉を発すると同時に銃声が聞こえた。
拳銃は地面に落ち、その上には大量の血が流れている。
「あぁ?」
「何を云ってるんですか? 私は植木舞……彼女は大内澪……苗字が違えば“姉妹”なわけがないですよ」
舞はそう告げる。
「あなた……本当に拳銃の腕がいいわね」
「それよりもどうして撃たないんですか? その至近距離なら澪さんを簡単に殺せると思いますけど」
確かに至近距離なら確実に殺せる。
「あなたが右腕の皿と前腕を撃たなきゃね……」
縁はここまでピンポイントに撃たれるとは思っていなかった。それどころか全て構えてた上で……
腕からは大量に血が流れているが、致命傷にはなっていない。
「暗視ゴーグルをしている訳でもないのに、どうして的確に場所が見極められるの?」
そう苦し紛れに訊ねるや、「拳銃の長さは極知してますし、腕の構造や長さも知ってる。後は勘」
そんなもので……、と縁は顔を歪めた。
「熟知してるの間違いじゃないの?」
「その上に“極める”ってのがあるのよ!」
舞はそう云うや、拳銃を構えた。
「でも……殺戮にそんなものは必要ない! ナイフで心臓を抉れ! 銃で弾を蟀谷に打ち込め! 目を潰せ! 脳を叩き割れ! 舌を切り落とせ! ルールなんてない! 熟知なんて必要ない! 殺人は殺せば成立! 殺してしまえば人形同然! 死ねばゴミ! 資源ごみ! 大自然へのお供え物!」
縁はそう云うや、舞に近付く。
「撃てるもんなら撃ってみなさい! 撃って私の心臓を抉り取ってみなさい! そうすればこの舞台は幕が下りる。だって殺人の実行犯が死ぬんですからねぇ! 幕が下りて、はいさようなら! 観客は拍手喝さいどころかわけのわからない舞台で悲喜交々、だって全ては闇の中で、誰も知らない、誰も知り得ない、全てを知っているわたしが死ぬのだからねぇ!」
縁と舞、ふたりの顔がほぼ一寸近い場所に近付いた時、銃口は縁の左胸を挿していた。
「さぁ撃ちなさい!」
「――それは出来ないわ。あなたに訊きたい事を訊くまではね」
「……? 何を云って……」
縁が途端に不思議そうな表情を浮かべる。
「先ずひとつ。あなたの本名は何? そもそもあなたたち孤児院にいた子供たちに名前はあったの?」
「名前はなかった。全部番号で呼ばれてた」
「その上でどうやって大聖さんや渡辺さんに気付いたの?」
「大聖が霧絵と結婚した後、この屋敷を管理人から貰い受けた」
「その管理人とあなたはどういった関係?」
「どういった……まるで私と管理人が繋がっているみたいな言い回しね」
「その通りの意味よ。そうじゃなかったら、あなたはまるで最初から太田大聖が孤児院にいた子供だったと知っていることになる。孤児院が業務停止を受けたのは、今から三十年前に起きた子供たちによる院長殺害が原因。それ以降あそこには誰も住んでいない。つまりは大聖さんが霧絵さんと結婚し、その場所に来るまでは誰もいなかった。それなのに、どうやってあの場所を貰い受けたなんていえるの?」
「もちろん管理会社によ」
「私が以前屋敷の授与に関して訊いた霧絵さんの話では“大聖さんが管理していた人間に貰い受けた”と云っていたけど、誰も管理していなければ、“管理した”とはいえない」
その言葉に縁は舌打ちをする。
「そもそもこの場所には昔集落があった。だけどある事件により、そこに住んでいた人間は殺された。いや、消された」
「――消された?」
「正しくはいなかった事にされた。県警の資料室に虫食いにされた書物があったけど、あれは警察が知られたくないことを書いていたのだと私はみている。でもみられたくないものがそこにあるのは不自然極まりない。だから私はあの事件は警察ではなく政治家に関係しているものだという前提で話をしていくわ」
そういうや、舞の視線は澪に向けた。
「大丈夫ですか?」
何時の間にか澪の近くには数人の警官が立っており、その様子を縁は横目で見据えてた。
「警察の上には政治家が牛耳っている。もし仮に長野県知事があの山に何かを作ろうとしていたとしたら、表面ではダム建設なんて云われていたけど、実際は違う。あの山には歴史価値の高いものが数多く埋葬されている。それこそ帝国すら動かせれるほどの」
「ま、舞さん…… さすがにそれはないですよ。そもそもそんな話」
「澪さん、先ほどあの祠には神様は祭られていないと云いましたね」
「え? ええ。あそこには神様にはなっていない未熟な少女と神使が祭られている」
「その考えは間違ってませんよ。祠は神様もそうですが、霊を祭るものともされています。もちろんあの祠にはお稲荷様が祭られてもいますが、祠にはひとつのものしか入れてはいけないなんてルールはないんですよ。それに、屋敷の玄関に飾られている詩に書かれた“鹿”は鹿のことではなく“祠祀”つまりはその祠を祭る役人を指している」
と、舞は話を進めた。
舞の憶測は極端な話だが、実はそうではない。
この山には確かに神様は祭られていたが、それを管理していたのは当然の事ながら巴が生きていた四十年前の集落の人間たち。
それがいなくなってしまえば、神様を祀る人間はいなくなる。
もちろん孤児院の院長や男職員たちが祠を崇拝していたとは考え難い。
大聖があの祠には秋音くらいの女の子が祭られており、毎年、神無月にはその祠に懐剣を供えている。
それに関して舞はすでに書斎で理由を知っている。
「云っておきますけど、この山に神様は存在しない。祭られている稲荷神は分霊と云って、力はそんなにないのよ。それに、あなたの目的は孤児院で殺された少女の遺体を見つける事にある。それなのに今までの大量殺人はなんだというの?」
確かに遺体を発見するくらいなら遣り過ぎになるが、それ以前に捜索に費用が掛かる。その上での殺人だった。
――が、舞はそうではなかった。
目の前にいる人間が三十年前に孤児院にいた人間だとは到底思えない。
そもそも目の前にいる人間は秋音や巴と同じか、もしくは深夏や繭と同じかそれくらいにしか見えない。
彼女が、少なくともその時の記憶があるとすれば、軽く見積もってせいぜいななつかそれくらいだろう。
しかも孤児院にいた彼女らが職員によって性的陵辱を受けていたことを大聖の書記に書かれていた為、それよりも上という事になる。
だからせいぜい十二から十五の間。
それから三十年経っているわけだから、四十五歳と考えるのが妥当だった。
「あなた……本当に孤児院にいた人間なの?」
「ええそうよ?」
そう云われても信じられなかったが、本人が嘘を言っているとは到底思えない。視線はしっかりと自分を見ているし、不審な行動もしていない。
「私の目的はおねえちゃんを助けること。こんな寒い場所じゃなくてもっと暖かい場所にね!」
そう告げるや、縁は舞の横腹に触れた。
その途端に舞の意識が薄れた。
「げぇほぉっ! ごほぉっ! がはぁっ! くぅはぁっ! がぁはぁっ!」
ドボドボと涎やら何やらが口の中から吐き出され、舞は跪いたり、仰向けになったりとジタバタする。
「舞さん?」
澪はそう叫ぶが、目の前で何が起きているのかわからない。
それは当人の舞ですらわからなかった。
縁が何かした事には変わりないが、ただ横腹に触れただけ。
「くくくっ! くきゃはははははっ!」
そして縁は嘲笑する。
「あ、あなた! 一体なにをしたの?」
「何も……ただ、脳の記憶に“胃”という意識を消しただけ」
「そ、そんな事出来るわけないでしょ?」
「ふふふっ! 出来るのよ? 私の力は人の記憶を塗り替える力。金鹿之神子が持つ“みなごろし”の力と同様にねぇっ!」
澪の質問に縁は平然と答える。
「三十年前……」
舞がゆっくりと立ち上がりながら呟く。
「孤児院に居られなくなった子供たちはある療養を受けた。それが大聖さんや渡辺さんが孤児院での記憶がそこに来るまでの間になかった証拠……」
「療養?」
「心に傷を負ったあなた達は、殺人を侵していることもあり、また……その中の子供たちが幼かったため、後のトラウマにならないようにある療養を受けている」
舞は咳き込みながら、必死に可能性を考えていた。
その様子を縁は冷たく見つめる。
「子供たちが受けた療養は“催眠療養”。孤児院に居た時の記憶全てを奥底に沈める事だった」
「そ、そんな事って……そんな出鱈目な話」
「そうじゃなかったら、大聖さんや渡辺さんがおなじ孤児院に居たという証明が出来ないんです。それに書斎で見つけたあの書記も嘘になる」
澪の問いだったのだが、舞は自分でも信じれていない。
が、この場面を書いている際、催眠療養について調べてみたところ、実際に人間の記憶が書き換えられるという証明が実際にあった。
ワシントン大学の心理学者たちが人間の記憶がいかに曖昧なのかを示す実験として、学生たちに子供時代に悪魔が憑くところを目撃したことがあると“信じ込ませた”。
その後に悪魔憑きによる記事が書かれた新聞を見せ、あたかもそうであったと思わせた。
極端な話ではあるが、確かに人間の記憶は年をとる事に衰えていく。幼い頃の記憶など曖昧に近い。
それは生きている上で仕方のないことで、実際は消えてはいないし、消える事もない。ただその出し方を忘れてしまうだけ――
あるふとしたきっかけでその記憶が蘇る事もある。
大聖が孤児院の記憶が蘇ったのは、言うまでもなく屋敷を見た事にある。それは渡辺もしかり。
「だから、あなたが孤児院での記憶があり、さらにこんなことをしている理由がわからない。院長に殺された少女に関係するのなら……」
「わかるわけないでしょ……」
ゾッとするような鋭い目で睨みながら、縁は呟いた。
「確かに大聖や洋一は記憶が催眠療養によって、書き換えられていた。でもね、私はこれまでずっと記憶は消えることはなかった。――だって、私たちをあんな目に合わせた大人の言う事を信じる訳ないでしょ!」
突然、澪の傍に居た警官が澪に襲い掛かる。
「な、何をやって!」
と、舞が叫んだ時だった。
「あがぁっ……」
澪に襲い掛かっていたはずの警官がゆっくりと崩れ落ちていく。
「警察に対しての正当防衛は禁止されてるんですか?」
「あ、いや……公務執行妨害にはなるかもしれませんけど……でも状況が状況ですし、そもそも催眠に罹っていたとすれば……」
説明をする舞に対しても近くにいた警官が襲い掛かるが、その瞬間、舞は横腹に蹴りを入れる。
「なっ?」
ふたりの躊躇いない行動に縁は戸惑っていた。
「これも正当防衛ですかね?」
「まぁ警視の舞さんが言うんならそうなるんじゃないんですか?」
澪はゆっくりと呆気にとられている縁の横を素通りし、舞の手を握り引っ張り起こした。
「さてと、そこの年齢不詳をどうにかしないと……」
澪はそう云いながら、縁を見据える。
「あなたたち状況がわかってる? 確かに澪は強いかもしれない。舞もそれは同様! でも片方は重傷を負っている!」
「重症? 重症ってのは! 実際にそうなった人の事を言うのよ! 実際に舞さんは胃をなくしていない。なくしていないのなら重症ではない! いい? トラウマってのは、小さいときとかの嫌な記憶が蘇る事でしょ? だったら同じようにすればいい!」
澪はそう叫びながら、舞に言う。
警官数名がふたりを襲おうとするが、それは到底無理な事だった。
「あんまり動かない方がいいですよ? あなたは本当に怪我してるんですから……」
舞は澪の左足を気遣うが、「こんなの、中学のときに受けたイジメに比べたら何とも思いませんよ。今は早くみんなに無事だってのを報せたいくらいですから」
まるで襲ってくる警官が、二人にとっては煩い虫にすら思えてくる。
何度も催眠に罹った警官たちが襲い殺そうとするが、二人の電光石火に手も足も出ないでいる。
もちろん二人が殺さないように手加減している状態でだ。
防空壕の中で澪は足に重症を負っているし、壁を殴った時に左手を負傷しているので、十二分に力を出せないでいる。
が、それでも何故か無事にみんなの傍に戻れるという確信があった。
それは近くに舞がいるからなのか……それに関しては当の澪は知る由もなかった。
死屍累々という言葉があるが、そう云わざるおえない。周りの警官は全員のた打ち回っており、動ける状態ではなかった。
「さてと……後はあなただけね」
ジワリジワリと二人は縁を木を背にさせながら近付く。
「な、なによ? どうしてそう云えるの?」
「あなたを助けてくれる人はいない!」
澪がそう云うや、「でもね。私にはあなたたち二人を殺すことが出来る。自分の手を汚さずに!」
縁は笑いながらそう叫ぶ。
「あなたがお得意の記憶を書き換えるってのをして?」
舞がそう云うと、縁はクスリと笑みを浮かべる。
「ええ! そうよ! あなたたち二人はその崖から飛び降り自殺する! 姉妹仲良く死んでしまいなさい!」
そう叫ぶと、二人はピタリと足取りを止めた。
それを見るや縁はホッとした表情を浮かべた。
『んなわけないでしょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお?』
二人が同時に同じ事を叫び、縁の後ろにある木を殴った。
木は振動を起こし、葉が揺れ落ちていく。
「あ? あれぇ?」
縁は何が何なのか、頭の中が真っ白だった。
今の今までこんな事なかったのに……
「さっきあなたが云ったことでしょ? 大人の言う事を信じるわけがないって…… だったら私たちもあなたの云っていることを信じなければいい!」
澪がそう告げる。
「な、なによ、そぉれぇ……理由になってない……」
縁はそう云うや、ズルズルと崩れ落ちながら気を失った。
「澪さん、ここは私たちに任せて、あなたは早く皆さんのところに! 恐らく屋敷の方に向かってると思います」
「で、でも! まだ繭の事も……」
「大丈夫です。繭さんは恐らく霧絵さんや春那さんたちと一緒だと思いますから」
それはどうしてなのだろうか?と、澪は舞に訊きたかったが……
「わ、わかりました」
そう告げるや、重たい足を引き摺りながら、澪は屋敷へと向かった。
気を失っていた警官がゆっくりと立ち上がるや、「よろしいのですか? 本当の事を言わないで」
「澪さんが本当に妹だって事? 言える訳ないでしょ? 覚えてるわけないんだから」
澪と舞の両親が離婚したのは、まだ澪が物心ついていないほどに幼いころだった。
もちろん、母親が澪に父親に関することを教えていない。
だから舞は、自分に対しての記憶があるとは考えていなかった。
「でも、最後のお二人は本当に姉妹でしたよ。息が合っていたというか……」
「そういってもらえると嬉しいわ……」
そう二人が話していると、無線機から連絡が入った。
「はい。……こちらは無事に終わりました。犯人は確保。格闘の末、気を失っています。精神に異常あり、三十年前の事を何者かに植え付けられている模様」
そう説明しているうちにそうではないのかと……舞は自分でもわからないでいた。
彼女が実際に犯行を指示していたのか、それすら疑わしかったからだ。
どう見ても、孤児院に居た子供とは思えない。
だとすれば、残された可能性は記憶を何者かに植え付けられたことにある。
――そう舞は感じていた。