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陸拾参【8月12日・午後7時31分】


 長野刑務所の一角。時間も時間からか、電灯が疎らに点滅している。

 囚人たちは夕食を終え、各自の部屋で寛いでいる時間帯であった。

 そんな中、制服を着た警官が二人、自分たちの持っている書類に書かれた資料と、囚人の数を照らし合わせていたが、何度繰り返しても合うことはなく、その行動に囚人たちも首を傾げていた。


「おい? 今日は誰も点呼をしていないのか?」

「いや、しているはずだ。午前、午後の作業中も不振な点はなかったそうだからな」


 そう言いながら、片方は定員大凡八百人前後の囚人リストを見ていた。

 さすがに多すぎる気もするが、作業中監視の目は重々光らせていた、自由時間だって同じ事を繰り返している。

 しかし、百人もの人間が消えるというのはどうも腑に落ちない。となれば、誰かが意図的に教えていない事になる。

 警官はもう一度、部屋をひとつずつ覗いていき、覗き窓から部屋にいる囚人の数を数えた。

 一部屋でせいぜい十人くらいだと考えて、部屋の数は八十。またタコ部屋の場合もあったが、この場合、一部屋二十人前後と考えておく。

 実際はそうではないらしいが……


 パッと見で全員がいるとしたら、その部屋の人間は抜け出していない。そう繰り返していくと、余った部屋は合計で九部屋あった。

 つまり九十人ほどいなくなっているいうことになる。

 が、それは八百人前後と考えての事で、実際は出所している人間もいる。

 こういうのは早々に書き換えなければいけないのだが、今になってこちらのほうが最重要視されている。

 警官二人は何度もプリントアウトした紙と囚人の人数を照らし合わせていた。


「不審な行動をとっている人間はいなかったのか?」

「いや、それはないはずだ。そもそも、俺たちだって確認しているはずだろ?」


 となると、どうしていなくなったのかが不思議だった。


「そういえば、今日誰か来るとか云ってなかったか?」


 そういわれ、片方は首を傾げた。


「いや、家族や弁護士による面会の申し込みはあまりなかったと思うぞ? それにその時だって、俺たち監視員は目を光らせているはずだが?」

「だよな? でも、誰か来たような気がするんだよ?」

「ははは…… 何回もこんなことして、頭が可笑しくなったか?」


 そう哂われながら、監視員はやはり腑に落ちない表情を浮かべていた。


 突然として消えた囚人と、囚人それぞれの罪状をリストアップしたプリントが入っている書類。それを照らし合わせ、消えた人間を数えているはずだった。


「なぁ、この****って男。何をしたんだ?」

「そいつか? ――――」


 尋ねられた監視員は少しばかり考え込む。


「――――どうした?」

「いや、それに入ってるって事は、少なくともうちに入っているって事だよな?」

「まぁな? それがどうかしたのか?」


 そう訊ねると、もう一度監視員は首を傾げた。


「思い出せないんだ……その****が何をしたのか」

「何云ってるんだ? ここにこうやって書いてあるじゃないか…… “幼女暴行レイプ殺人未遂”って」


 監視員の男は書類をもう片方の監視員に見せ、その部分を指差した。


「あ、ああ…… そうだな、そいつは確か死刑されたはずだ」

「ちょっと待て? 確か事件があったのは三ヶ月前で、まだ死刑は決まってないはずだが?」


 いくら事件が残酷極まりないことだったとしても、囚人は幼女を殺してはいない。

 表沙汰は幼女暴行レイプと殺人未遂が目立っているが、最重視されるのは暴行レイプの方で、それが死刑になるという例が実はあまりなかった。


 レイプは“強姦致傷罪”(刑法百八一条二項)にあたり、懲役三年以上となっている。それに足して、殺人未遂は懲役伍年となっている。が、どちらも“死刑”となる可能性は低い。

 女性読者の方には申し訳ないが、日本の刑法ルールではそういう事になっている。


「それじゃ、この****ってのは、覚えてるか?」


 二人は書類をペラペラッと適当に捲りながら、それを思い出していた。

 その中には、強盗・誘拐・詐欺と様々な罪状が書かれていたが、いずれとして“死刑”には至らず、そしてどれらも懲役や執行猶予がついているものばかりだった。


 照らし合わせ、いなくなった囚人全員がそうだった。

 つまりあの時、巴の目の前で殺された囚人たちは“警察によって殺される理由がない”人間ばかりだった。


「監視カメラで確認しよう」


 監視員は天井につけられた監視カメラを見ながら云う。

 自分たちの記憶が余りにも曖昧だったが、記録されたものはどうだろうか……


 監視室に入ると、パイプ椅子に老人が座っており、茶を飲んでいた。

 それを見るや、入ってきた監視員の二人は敬礼した。


「これは大町署署長どの」


 そう二人が言うや、老人、大町署署長は会釈した。


「数が合わないそうだが?」


 突然そう云われ、二人は互いの顔を見やった。まだ話してもいないが、どうやら監視カメラで二人の行動を見ていたらしい。


「はい。何度照らし合わせましても、人数が合いませんで」

「それで監視カメラならわかると?」


 何か見透かされたような言い回しだった。


「調べても無駄じゃよ? さっき確認したが、不審な点はなかった。廊下や運動場、面会室に至ってすべてな……」


 そういわれても、確認しない訳にもいかず、監視員の二人は今日一日分のビデオを早送りで見ていた。

 さすがに二十四時間監視されているビデオを普通に再生したのでは、無駄な労力といえる。


 大町署署長の言う通り、不審な点は確かになかったが、違和感だけはあった。

 それは“誰一人として部屋に出入りしていない”ことだった。


 時間は確かに八月十二日、午前五時から七時までを早送りで見たのだが、その間人が出入りした様子はなかった。

 いや、この時間は本当に正しいのだろうか? 二人は監視室を見渡した。本来いるはずの監視員が少ない。

 せいぜい三人はいるはずだったが、そのことを署長に訊ねた。


「もう定時だからじゃろう? 後は自動監視じゃからな」


 その言葉に監視員の二人はあわてて、ビデオデッキを調べた。

 ビデオデッキの設定画面に入ると、パスワード入力が表記されている。

 家庭製品でも子供の悪戯防止にこういったものが入ってる場合もあるが、囚人を監視する以上、滅多に触れる事はない。

 時間は確かに自分たちの腕時計に記された時間と一緒だったが、何か引っ掛かる。

 監視員の一人を廊下に出し、その映像をモニターに映し出された。


 時間表記は“8/12 PM 8:42”と記されている。


 モニターには手を振る監視員がおり、録画再生されている事がわかる。

 十分ほど経ち、廊下に出ていた監視員が戻ってくると、すぐさま確認をとるため、ビデオを再生した。

 今度はキチンと再生されている。それを見るや監視員の二人は首を傾げた。

 いや、監視カメラなのだから、映っているのは当たり前だ。映っていなければ意味がない。だからこそ理解出来なかった。


「これに触った形跡は?」

「いやないだろう? 設定パスワードを知ってるのは監視員の俺たちだけだ」


 二人はうしろで見ている大町署署長を見やる。彼は静かに茶を飲んでいた。

 何か用があってここに来たのだろうが、二人はそれどころではなかった。


「あんたら、人の記憶ってのは消えると思うか?」


 突然そういわれ、二人は困惑する。今はそんな話をしている状態ではないからだ。


「まぁ、老人の与太話だと思って聞き流してもええんじゃがなぁ?」


 そういうや、署長は茶を入れなおした。


「記憶というのは忘却しないかぎり、決して消えないんじゃよ。人は頭の中で考えたり、行動したりするじゃろ? もし、腕を動かしたり、走ったりするという“行動”という記憶がなくなったら、人は動けなくなる。赤ん坊が立って歩くのは、目の前にいる人間がそういった行動を取るから、それを真似ているだけなんじゃよ。目でみるだけでも覚えるからな」


 署長はゆっくりとそう話す。


「つまり文字を書くことや、言葉を覚えるのも……真似事?」

「そうじゃよ。最初から何でも出来る人間はおらんよ。詐欺にしてもその手本があるし、人が騙され易い言葉を巧みに使わなければいけない。殺人にしてもその行動に模範がある場合もある。人は普段何気なく見ていても、頭のどこかで記憶しているんじゃよ」


 監視員の二人は互いの顔を見やった。


「ですが、記憶がそんな簡単に消えるものなんでしょうか?」

「まぁ、齢によるものなら致しかたないが、二人はまだ若いからな…… あるとすれば、記憶を消されたかじゃな」


 そう署長が言うや、二人はドッと吹き出した。


「冗談は止めてくださいよ。そんなこと出来る訳ないじゃないですか?」

「今日起きた事…… 事細かく云えるか? あんたたちの話だと、午後になって囚人の数が足りない事に気付いたようじゃが?」


 そういわれ、監視員の二人はハッとした。云われてみれば、今日の午前中に関する記憶が二人には余りない。


「人の記憶は決して消えはせんよ。ただ自分の力では思い出すことが出来ないだけ…… 何が切欠で思い出すのかははわからんがな……」


 署長はそういいながら、茶を飲み干した。


*注:実際の刑務所はもっと監視が厳しいです。

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