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陸拾壱【8月12日・午後7時25分】


 誰かが私の身体を揺さぶり、声をかけてくる。

 その言葉は静かな音量なのだが、周りに気付かれないようにしているのだろう。

 ぼんやりとした意識の中、周りがあわただしくなっているのに気付いたのは、もう少し意識がハッキリとしてきてからだった。


「おいっ! 大丈夫か?」


 もう一度声を掛けられ、私はこうべを震った。


「よかった……意識はあるみたいだな。ちょっと待ってろ、今縄をほどいてやるからな」


 その言葉に私は耳を疑う。まだ意識がおぼろげで、相手は何を云ってるのか理解出来ていなかったこともあったが、何より悪寒を感じるほどに冷たい場所だった事から、ここが防空壕の中だという事に気付いたからだった。

 そして、私の記憶の中でこの声を聞いた覚えがない。


「心配するな。俺たちはもう自首するって決めてるんだ。これくらいのことしないとな――うし、ほどけた」


 男の云う通り、私の両手首を縛り付けていた縄がほどけ、体が自由になった。


「それにしても、酷いな……可細い手首に痕がついてる」


 男がそう云いながら、ライトで私の手首を照らした。

 それを見て、私はギョッとする。

 麻縄で絞められたその手首には、縄の痕がくっきりと浮かんで血みどろになっている。

 どれくらいの力で手首を絞めたのだろうか……


「ちょっと待ってろ、今手当てしてやるからな」


 男は小さな箱から傷薬を取り出すと、手際よく治療をこなしていく。


「ねぇ? どうしてこんな事を?」

「皆殺しにされる事がわかってるのに、これ以上加担できるかってんだ……」

「み、皆殺し?」


 聞き返すようにそう云うと、男は少しばかり視線を外した。

 奥の方からコツコツとハイヒールのような音が聞こえる。

 私がまだ生きていた頃は、一度も聞いた事のない音だったけど、今回の舞台では、以前よりも何日か前から参加しているため、霧絵と一緒に町に行った事がある。

 その時に聞いた事のある音が、この狭苦しい空間では耳障りといえるほどに反響していた。


「全員、敬礼!」


 ハイヒールを履いた女の隣にいる大柄な男がそう言い放つと、周りにいた人間が一斉に立ち上がり、まるで軍隊のように目の前にいる女と男に敬礼をする。

 先ほど縄を解いてくれた男が影となってくれているためか、二人には私が見えない状態になっている。


「さて、皆さん…… 今何時ですかねぇ?」


 女がそう含み笑いを浮かべると、「ご、午後七時……」

 奥の方にいた人間の一人がそう言葉を発すると、聞きたくもない音色が響き渡った。


 多分撃った男とその横にいる女以外、全員何が起きたのかわかっていない状態だった。

 いや、どうしてこんなことで撃たれないといけないのかという疑問すら出てくる。


「あぁ…… がぁ……」

「自分たちが云われた時間すら覚えてないなんてねぇ? どれだけ白痴はくちなの? まぁ、いるだけで役に立たない人間だからねぇ? こんなのがいようがいまいが、人間は履き捨てるほどいるんだけどね……」


 女がそう云うと、目線を隣にいる男に向ける。

 銃を持った男は、有無を言わず引き金を引いた。


「あっ! がぁっ!」


 そしてもう二、三発……まるで見せ付けるように銃を撃ち付ける。

 ただ打ち付けてるんじゃない。腕や足といった、撃たれても即死しない場所しか狙っていなかった。


「さぁて? もうひとつ確認していいかしら?」


 女はゆっくりと視線を周りの人間たちに向けながら……「午後七時になったら、あなた達は何をしないといけないんだったかしら?」

 そう冷静を装った言い方で、もはや動けない男の首を、鉈のような刃物で叩き割った……


「っ!」


 いてもたってもいられず、私が何かを云おうとすると、目の前で陰になってくれている男がそれを制する。


『ちょっとっ! 目の前で殺されて黙っていられるの?』


 そう小さく云うと『黙っていられないに決まってるだろ! でも……』

 男の言葉に違和感があった。

 目の前で人間が殺されてるのに黙っていられない。でも殺されても仕様がない理由があるという事だ……


 改めて周りを見渡すと、十代や二十代、果ては六十以上の老体までいる。

 園塚という男が正樹と同じくらいだったから、てっきり犯人グループはそれくらいの人間が集まってるとばかり思っていた。

 でも、それでも殺されていい理由なんて……


「さぁて? 次は誰に訊こうかしらね?」


 女はゆっくりと周りを見渡すと、「そうね? 貴方に訊きましょうか? 幼女暴行殺人の犯人さん?」

 そう女が一人の男に目をやって言い放つと、「さぁ? 云いなさい…… 貴方たちは何をしないといけないのかしら?」

「し、“鹿狩”を……」

 ガタガタと震えたその言葉から、聞きたくもない言葉が聞こえた。


 ああ、そうだ……忘れたくても……これだけは絶対忘れたくない!


「あんたたち! いったい何考えてんの?」


 私が怒声をあげると、「おい、待たないか!」

 陰になってくれていた男が私の肩をつかみ、止めにかかる。


「わかってんの? この山では“鹿狩”は皆殺しって意味なのよ? この山で殺されていい人間なんていない! 殺すんだったら、他のところで殺しなさいよ!」

 そう私が口走ると、「君っ! 殺されていい命なんてあるわけないだろう?」

「だったら! どうしてさっき殺されていたのを平気で黙っていられたの!」


 恐らくそれは禁句だったのだろう。

「彼らは……殺されて当然の人間なんだ……いや、死なないと駄目な人間しかいないんだ……」


 ――――えっ?


「それって…… どういう事?」

 私がそう尋ねると、「彼らはねぇ? こういう事なのよ?」

 代わりに女が近くにいた人間に銃口を向け、撃ちはなった……

 そして、撃ちつけられた頭部からは狂ったように血が噴出していた。


「彼らはねぇ? 死刑囚なの? わかる? 警察に殺される事を確定された囚人なのよ?」


 それを聞いて私は怪訝な表情を浮かべる。

 女がはっきりと死刑囚と云うが、そんなのが呼べる訳がないからだ……

 死刑が確定しているという事は、少なくともこんなところにいるわけがない! いるとしたら刑務所の中に決まっている。


「何を云ってるの! 大体どうやって……」


 そう訊くや、女は懐から黒い手帳のようなものを取り出した……


「見た事ある? あるわよね? よくドラマでも使われてるから……でもこれは本物……あんな出来損ないのインチキとはわけがちがう」


 女が手にしているものは、警察手帳だった。


「け、警察が! 警察がこんな事していいの!」

「いいのよぉ? さっきも言ったけど彼らは死刑囚……殺されていい人間なのに、まだ殺されない愚かな囚人。知ってる? 死刑なんてのはねぇ、ただの懺悔に過ぎないのよ? 殺された人間が生き返るとても思う? 殺人犯が死んだって、残されるのは怨みだけ……」


 女の云いたい事がよくわからない。


「それにね? 別にここにいる全員が死刑囚じゃないのよ? いわばその予備軍。殺人を犯した人間に世間が優しく手を差し伸べるとても思う? だったら世の中に出すよりも、此処で殺してあげたほうがいいでしょ?」


 女はそう云うと、もう一度銃を手当たり次第に撃ち付ける。


『や、やめ……』


 止めようとしたのに、どうしてか言葉が出なかった……

 それは恐らく私自身がそれを心のどこかで認めていたのかもしれない。

 殺された人間への悲しみなんて、その人を思っている人間にしかわからない。

 どうして殺されたのか、どうして殺されなければいけなかったのか……

 その理由がわからない。誰も教えてくれやしない。


 四十年前のあの時だってそうだ。

 どうして……どうして誰も悪くないのに、殺されないといけなかったのか……

 どうして、ただ静かにあの場所で暮らしていたかったのに、それを壊されないといけなかったのか……

 今となってはそのことを知っている人間はいないのだろう。

 多分、千智お姉ちゃんもその事を知らないのだろう。

 それでも―― 死刑囚だから殺していいなんて、そんな理不尽な言い訳が通じるわけがない!


「いい加減にしなさいよ?」


 私は女に向かってそういう。いや、女にしかいえなかった。


「あらぁ? 何かしらお嬢さ……」


 女が言葉を止めた。そして……


「げぇ…… げぇほぉ……」


 大きく咳き込むや、その手からは大量の血が零れ落ちていた。


「なっ…… いったい何が?」


 女はゆっくりと私を見遣り、そしてたじろぐ……


「こ、これは…… これは一体……」


 隣にいる男も気付いたのだろう。――私の相貌が血に染まっていた事を……

 目の前にいる人間を助ける理由なんてない。

 だけどこんなところで死なれたら迷惑なだけ……

 死刑が決まっているのなら、刑務所で執行されてしまえ!


「へぇ? 話には聞いていたけど、結構綺麗な眼をしてるじゃない? たとえるなら、あれかしら? 紅玉ルビーとか……」

「だまれ!」

「ほう、怖い怖い……そんな眼で見つめないでよ」


 ふざけているのか、それとも余裕があるのか……


「さっきはあんたの肺を殺した。次はどこがいい?」

「そうねぇ? 肺は二つあるからいいけど……さすがに二つなくなるのは困りものよね?」

「だったら、その減らず口を……」


 そう云おうとした時だった。

 黒い何かが飛び掛り、体のバランスを崩すと、私は仰向けになる。

 一瞬何が起きたのかわからなかったが、冷静になってそれを見るや……


「た、タロウ? クルル?」


 それはいなくなっていたタロウとクルルだった。


「あ、あなたたち無事だっ……」


 そう二匹に云おうとしたとき、足元に違和感があった。


「な、何やってるの? クルル?」


 私の足を、クルルがまるで玩具のように咥えていた。


「ちょっと、何してるの? 痛いでしょ? 放して!」


 そう叫ぶが、クルルは放そうともしない。それどころか加える力が大きくなっていく。


「タロウ! あんたからも云いなさいよ!」


 そう私の体に圧し掛かっているタロウに云うと、タロウは理解したのだろうか、ピョンッと飛び降り、私の腕に回り込むや……


「あぁがぁあああああああああああああああああああっ!!」


 激痛が全身を駆け巡り、気絶しそうになる。

 どうして? どうしてこんな事になってるの? 私はゆっくりとタロウたちを見やると、その変貌に言葉を失った。

 二匹の眼は確かにある。だけどそれすら感じさせないほどに眼の色はどんよりとしていて、まるで空洞だった。


「きゃはははっ! いいわねぇ? これが本当の飼い犬に噛まれるってやつ? いや、噛み殺されるってやつかしら?」


 目の前にいる女は壊れたように哂い出す。


「さぁ! お遊びはそこまでにして、もう殺してしまいなさい?」


 そう女が言うと、タロウとクルルは私の体から口を放すと、ゆっくりと私の首元に来る。


 ――ちょっと待ってよ? ねぇ? 冗談でしょ? ねぇっ!


 そう言葉にしようとしても、激痛が先立って、うまく出なかった。

 どうして、誰も助けてくれないの? どうして、誰も助けようとしてくれないの?


「さぁ、殺してしまいなさい……」


 そう命令が下されるや、二匹はほぼ同時に私の首元を噛んだ。


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