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陸拾【8月12日・午後6時32分】


「――これは?」


 大和医師が長野県警本部長殺害に関する鑑識と検死結果の確認をしに、同県警捜査本部へとおもむいていた頃、大牟田警部が、渚からの伝言だと云って、大和医師に小さなメモを渡していた。

 精神の異常で、一時的なおし(言語障害)となっている今の渚には、長い文章を口で伝えるすべはなく、このように筆談で遣り取りするしかなかった。

 とはいえ、耳に異常はないので、大和医師と大牟田警部は喋る事が出来た。


「これは……先日見つかった使用人達の詳細ですか……」


 大和医師がそう訊ねると、渚は頷く。


「捜査に加わっていた刑事の話だと、あの場所で見つかった人間は、渚さん以外、全員殺されていたそうです」


 大牟田警部と大和医師は、その現場に出向いてはいないので、どれほどのものなのかはわからないが、その凄惨な光景が心的外傷トラウマとなり、渚は言葉が喋れなくなっている。

 その時の光景を大和医師と大牟田警部は出来る限り想像しようとはしなかった。


「遺体の数は――少なくとも十人ほどかと……」


 その言葉に大和医師は首を傾げた。

 警察が“少なくとも”という、曖昧な表現は許されない。

 大地震による捜索ならば、まだわかるが、小さな小屋で発見された遺体は、全てを発見出来た“はず”である。

 大牟田警部の言葉が曖昧だったのは、その遺体の異常さにあった。


 死体と云うのは“発見された人数分”がなければいけない。

 例えば殺人事件が起きた別荘に、四人の人間がいたとする。

 そこでひとつの頭蓋骨が発見され、次に胸を刺されただけの綺麗な死体がふたつ発見される。

 最後に首のない二つの水死体が発見される。


 首がない死体が発見された事で、その頭蓋骨は首のないふたつのうちのどれかに想定出来るが、はたしてそれは本当に首のない水死体のものだろうか?

 遺体となって発見された首のない水死体は首がないだけで、発見が早かったのか、腐敗は進んでいなかった。

 そして頭蓋骨はふたつとも、死体が発見された池の底で見つかった。


 ――が、ここで死んだと思われる四人の内、一人でも行方がわからなくなっていたとしたら? 最初からではなく、途中から四人になっていたとしたら?


 そもそも、四人しかいないのに、誰が四人の死体を発見出来た?

 死体を発見したのは、別荘に遣ってきた管理会社の清掃業者の人間だった。

 殺された四人の人間たちは、誰一人他に来るものを誘っていないのだから……

 死体が四つあり、そして、人間が四人しかいないと云うことが、後々わかれば、それは別荘に四人しか“いなかった”という事になる。


 事件と言うのは、誰かが警察に通報しなければ、事件にはならない。

 そして、その誰かが事件を知らなければ、殺人にもならない。

 云ってしまえば、見て見ぬ振りと一緒に過ぎない。

 大牟田警部の言葉を簡略的に説明すると、そういったものだった。


「死体の数と発見された遺体の数が合わないと云う事ですか?」


 そう云われ、大牟田警部は頷く。渚にそのことを訊ねようにも、当の本人ですら詳しい数は覚えていない。

 渚の筆談によると、発見された小屋の中では、凄惨な殺人事件が行われていたが、連れてこられた“人間”は、まるで人形のようだったという。


「つまり、運び込まれていた人質は、実は既に死んでいたか、虫の息だった。そして、その遺体を解体して、臓器を売り捌いていた」


 大和医師がそう云うと、大牟田警部は口を押さえた。

 医療関係の映像で手術しているシーンを思い出したのだろう。


「ですが、大和先生みたいに専門の人間がいたと云うのならわかりますけど、やつらにそんなのがいたんでしょうかね?」


 そう云われ、大和は少しばかり考えた。


「大学をでているか、研修医か……少なくともそれに詳しい人間がいたということでしょうな」


 売買する以上、臓器の扱いに詳しくないといけない。そうでなければ、売れるものも売れないからだ。


「渚さんの話だと、作業後は床が血で一杯だったと――恐らくその事で、発見されていない遺体の血液が検出されたんだと思います」


 だから曖昧な表現だったのかと、大和医師は思った。

 部位や状態によって区々《まちまち》ではあっても、大量の金が手に入る。とはいえ、その犯罪理由が、三十年前に殺された少女の遺体を捜すためだけ……


 一日にどれ位の金を棄てなければいけないのだろうか……

 最早壊れたその思考に、大和医師は犯人を哀れむような、苦虫を噛むような心境だった。


「大牟田警部、鑑識の資料持ってきました」


 奥にある鑑識課から出てきた若い警官が駆け寄ってきた。


「ああ、ご苦労さん」


 それを大和医師が極当たり前のように受け取るので、若い警官はぼかんとした表情を浮かべる。――そんな彼を横目に、大和医師はジッと資料を読みふけっていた。


「本部長の遺体から検出された血液は三種。一つは本人のもの、もうひとつは……」


 大和医師の言葉が途切れた。


「――解析不能?」


 そう云うや、大牟田警部と若い警官を見遣る。


「病院からのデータで血液解析は出来るんじゃろ? 何で本部長だけで、後の二つは解析出来んかったんじゃ?」

「本部長の血液は直ぐにわかったんですが、他の二つは何回遣ってもエラーが起きるんです」

「そんな訳ないじゃろ? 血液が本部長を除いて、ふたつ見つかったと云う事は、ひとつはあの奇妙なもう片腕の持ち主じゃろ?」


 大和医師の云う通り、もうひとつの血液は確かにバラバラになって発見された本部長の遺体と一緒にあった右腕である。

 そうなると、血液は二つであり、残りの一つがわからない。


「そのもう一つも解析不能と云うわけか?」


 そう訊かれ、若い警官は頷いた。


「それも可笑しいじゃろ? 血液検査のデータを病院から受け取ってるはずじゃし、あの腕は少なくとも成人男性のものじゃったぞ?」

「そう云われましても、見つからないんですよ」

「人間の血液じゃろ? 動物のならデータにない場合があるが」

「いえ、確かに血液の一つはA3。これは本部長のもので先ず間違いないです」


 一応本部長の息子である大牟田警部も父親と同じA型である。

 母親も確かA型だったはずと大和医師は自問自答する。


「詳細不明の血液ですが、一つはBint、もう一つはAxとなってます」


 専門家である大和と、少なからずとも鑑識課に所属している若い警官はわかっているが、余り詳しくない大牟田警部と渚はキョトンとしているばかりである。


 人間の血液は三つとなっている。

 AB型はA型とB型が重なった血液となっている為、本来の数には入っていない。

 さらに同じ血液型でも1、int、2、3と云ったように、血液内の割合によって呼び名も違ってくる。

 ここまで血液型の種類を分けているのは、単に個人を特定する為とも云われている。

 ただA型やB型だけでは、不特定多数過ぎるからだ。


「――本末転倒かの?」


 大和医師は大牟田警部を見ながら云う。


「三十年前に起きた孤児院の子供たちは保護された後、血液検査をしとるからデータは入ってるはずじゃ……となると、考えられる可能性は……」


 そのデータを改編しているか……と大和医師は考えたが、口に出す事が出来なかった。

 そんな事をしたら、警察自らが捜査を混乱させているという事になる。


「ここの管理は?」

「笹本警部だったと思いますが?」

「聞いた事ない名前じゃな? 何処その署からの転任者か?」

「確か、岐阜県警の……」


 岐阜県警と聞いて、大和医師は何かに気付く。


「岐阜っつぅたら、あれか? 四年前の転落事故……」


 大和医師は渚を見ながら、全員に聞こえるように呟く。

 彼の言葉に、当時使用人であり、春那の秘書であった渚は頷いた。


「確か事故があった場所が管轄上、岐阜県警が指揮をとっておったなぁ……」

「――呼びましょうか?」


 大牟田警部が尋ねると、大和医師は頭を振る。


「もう定時退社しとるじゃろ? それに四年前の事件が打ち切りにあっとるし、恐らく資料どころか、証拠も全部ない事にしとるじゃろうよ?」


 大和医師は呆れたように、笹本警部の呼び出しを断った。

 呼んだところで若い警官だと事件自体に関わっていないだろうし、あの事件は結局アクセスとブレーキを間違えたという“交通事故”として処理されている。

 被害届けも結局は大聖や春那たち、そして社員の家族が出したが、どういう訳か受理されていなかった。

 全て警察内が揉み消したと思えるのと、資料がないというのもある。

 大和医師は鑑識として赴きたかっただろうが、警察内で管轄外に関わる事は余り好ましくなかった。


 大和は再びため息を吐く。

 自分の不甲斐ない立場に憤りを感じていたのと、高々政治家や金の力で、事件をなかった事にするのかというもの。

 そして、事件によって失った人命に対する重みよりも、組織という、自分にとって、余りにもつまらない事を優先した上司への哀れみのため息だった。


「もう一度鑑識をお願いします」


 大和医師は鑑識結果の資料を若い警官に返すと、喫煙室へと消えた。


「大和先生?」


 大牟田警部と渚はどうしたのだろうかと互いを見遣った。

 その時、大和医師には限りなく無に等しい事を考えていた。

 この猟奇的な殺人劇の脚本家が、孤児院にいた子供によるものだとしたら、誰一人彼等の本当の名前を知らない。


 いや、若しかすると本当の名前すらなかったのかもしれない。

 生命は生まれた時に始めて名前が付けられる。

 固有名詞の場合もあるが、人間の場合は、必ず個々の名が付けられる。

 付けられないのは水子や生後間もなく死んだ子くらいだ……


 若し、孤児院の子供たちが保護されて以降に名前を付けられていたとしたら――血液鑑定に名前が出なかったことにも説明が付く。


(有り得んよな……そんなこと……)


 大和医師は紫煙を吹かし、それが消えていくのを見届けながら、思考していた。


 ――時刻は既に夜七時を回っていた……


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