伍拾参【8月12日・午後1時34分~午後2時23分】
「舞ちゃん? 野々村隊長とは連絡取れませんか?」
「駄目ですね。電波障害か何かで、アンテナが圏外と一本を行ったり来たり……」
植木警視は広間をウロウロしながら、電波が引っ掛かる場所を探していた。
山の中なのでアンテナが三本立つ事はあまりないが、それでも、普段は二本は立ってくれている。
元々は霧絵さんの心臓につけられたペースメーカーが誤作動を起こさないようにと、春那さんたちもあまり携帯を使わないようにしていた。
実際、家庭用電話はあるし、春那さんがネットを通じて会議をしているため、通信関係は不便と云うわけではなかった。
「女は午後七時までは、何もしないと云う事ですかな?」
「さぁな。だが、あの女は手段を選ばないだろうぜ? 今はこっちも動かない方がいい……」
園塚さんにそう云われ、早瀬警部は怪訝な表情を浮かべる。
「女の目的が、三十年前に殺された少女の遺体を捜すためと同時に、この屋敷……いや、施設を取り戻そうとしている」
「そのためには手段を選ばないわけですか? 自殺者の遺体を解剖し、臓器を売り捌いているのも、その資金にするため……」
植木警視が言葉を止めた。
「ここ何ヶ月の間、行方不明になった人が、生死問わずに発見された事は?」
春那さんがそう早瀬警部に尋ねると、「家族が捜索願を出さない以上、行方不明者は行方不明者と認められないんですよ。貴方達が今の今まで大聖くんに対して、捜索願を出さなかったのと同じようにね」
そう言われ、春那さんと深夏さんは少しばかり俯いたが、「……でも、父さんは精々一週間くらいで帰ってきてたし、ふらっと何処かに行ってたからね。一々捜索願は出して……」
深夏さんがそう云うや、ハッとするように、「それじゃ、その家族も一両日くらいじゃ、行方不明と思わなかった?」
何とも荒んだ家族だと、放浪癖がある大聖さんだから、一週間くらいでは春那さんたちも探す気にはならないが、そうでないのなら、半日でも行方がわからないと捜索している。
「まぁ各家庭の事情を話すほど、口は軽くないですし、この事件には関係ないでしょうから話しませんですけどね」
早瀬警部の云うことは尤もで、結局、女が使っていた偽造死体は、その行方不明者、言うなれば自殺者を使っていた……と云う事になる。
「ですが、阿寺渓谷で発見された、本部長の死体は、本人で間違いはないんですよ」
「首だけ……と云うわけではないでしょうが。若しかしたら他の部分も……」
二人の会話からして、警察内にも犯人の一人が入り込んでいた可能性がある。
「ただ、少なくとも……早百合が最後に見た、八月十日の午後以降、発見されるまでの経緯がわからないんですよ。村の人も本部長を知らないわけですし、不審に思っても不思議じゃないんですよね……」
「報告では、村に白い車が入って来たとは云ってましたけど、村人のものだったらしいですから、誰もそれに対しての不審を持ってなかったそうですよ」
つまり盗難車と云う事だろうか……
「まぁ、本部長の遺体をバラバラにした後、旅行バックに入れて持ち込んだ……」
「ちょっと、幾ら可能性だからといって、直球で云わないで下さい。冬歌ちゃんが聞いてたらどうするんですか?」
僕はそう云いながら、冬歌ちゃんを見遣る。
当の本人はハナの近くで子犬と遊んでおり、それに夢中なのか、僕達の話を聞いていない様子だった。
そんな中、霧絵さんは四枚の絵をジッと見ていた。
「どうかしたんですか?」
「この絵を描いた人が、三十年前に孤児院で働いていた職員だったとして、そのモデルは、恐らくその時にいた子供と云う事になりますよね?」
確かに中に入っていた手紙のような言葉と、写真を見ても、孤児院に居た子供を描いたものと考えて、先ず間違いはないだろう。
「でも、若し犯人が、当時孤児院にいた子供だったとしたら、こんな事をするとは思えないんですよ」
「どういう意味ですか?」
「だって、人を殺してまで資金を作る理由が、三十年前に殺された少女の遺体を見つける事なんですよね? その少女が描かれている絵を、こんな風にしますか? 寧ろ、まるで少女は元からいないって云ってる感じがして」
霧絵さんの云う通り、これを犯人がしたとしたら、それこそ理解出来ない。
園塚さんの話だと、犯人は院長に殺された少女の遺体を捜し出す事だと云っていた。
そんな人が、少女が描かれた絵をこんな風にするのだろうか……
「でもさ? 何でそんな絵をお父さんは持ってたの?」
「そうだよね? 前の家主から貰ったとはいっても、その家主が絵を描いた人から受け取っていない以上、絵は存在してない……それに、父さんにこの屋敷を与えた事にも違和感があるんだけど」
春那さんと深夏さんが、霧絵さんにそう訊ねる。
「屋敷を明け渡された……と云えるんでしょうかね……」
霧絵さんの言葉に、僕達は首を傾げる。
「二十六年前、私の両親から、大聖さんとの結婚を許してもらうために課せられた条件は、旅館の再現だった。私は蚊帳の外みたいな人間だったから、旅館がどんな場所なのか知らなかったわ……で、行ってみたら山の麓にある寂れた施設だった……この屋敷も元々は旅館として考えていたんでしょうね」
「ちょっと待って? それって、孤児院は、元々耶麻神が管理していたって事になるんじゃ? しかも、旅館って……」
「まぁ、元々利益も何も期待はしてなかったみたいだし、その旅館は殆ど閑古鳥が鳴いてたらしいからね。ほら一昔前に、無駄な税金で造った施設が問題になったじゃない? その旅館を管理していたのが、私のおじいちゃんだった」
「耶麻神乱世が政治家に何かしら支援をしていたことは知ってましたが、そんなこともしてたんですね」
「その旅館が出来たのはいつなのか、ご存じないんですか?」
植木警視がそう訊くが、霧絵さんは首を横に振る。
「舞ちゃん? 彼女は大学に入るまで、ずっと入退院を繰り返していたそうですし、自分でも蚊帳の外だったと云ってたじゃないですか?」
「そうですけど……でも、四十年前には、既に耶麻神乱世は死んでるんですよね? そして、誰の指示かわかりませんが、確かに“鹿狩”によって、集落は消滅した。でも、集落ひとつをなかった事にするなんて事、いくら政治家を牛耳れるほどの力があったとしても、地名を消すなんて、総理大臣くらいにしか出来ませんよ?」
植木警視はそういいながら、ありえないことを口にした。
「総理大臣も四十年前の事件に関与していた?」
「むしろ、その総理大臣も何か弱みを握られていたと考えていいかもしれませんな……若しくはこの榊山に何かがあると……」
早瀬警部はそういうが、何か釈然としない感じだった。
「その耶麻神乱世っていう爺さんが、そんな事をしてまで欲しかったものはなんなんだ? 俺たちを雇って、こんな事をしている女と、全く一緒の事をしている気がするんだが?」
園塚さんの云う通り、理由は違うにしろ、やっていることが一緒だ。
「榊山は元々、“鬼を逆らう”と云う意味の“逆鬼”をなぞってるんですけどね。何時からそう呼ばれているのか、はっきりとしたのがわからないんですよ」
「耶麻神乱世が四十年以上前に死んでいるので、直接“鹿狩”に関しての指示を与えたとは考え難いんです。死んだ人間を戸籍上生きている事にして……という方法なら出来るでしょうけど」
霧絵さんの言葉に何か違和感があった。
「死んでいるのに、戸籍がある?」
「戸籍と云うのは、その人が“存在している”という意味があります。これは生まれてきた人間に課せられた尤も当たり前の義務なんです」
「でも、孤児院にいた子供たちには戸籍がなかった……つまりその戸籍を親、若しくは孤児院の職員が作らなかった」
「戸籍を作るも作らないも自己報告ですからね。死んだ事を隠していたと考えてもいいでしょう……」
「つまり、その耶麻神乱世の影響はそれほど強かったということ?」
「そうなりますな」
聞けば聞くほど、滑稽な話だ。
死んだ人間には戸籍が残っていて、生きていた子供たちには戸籍がない。
しかも、四十年前“鹿狩”によって集落が滅んだ後、正式に耶麻神乱世はこの世から“死んだ”ことになったという。
何とも武田信玄のように、“死を三年間隠匿するように”という史実そのものだった……
「大聖さんがこの屋敷が孤児院だったというのは」
僕がそう尋ねると、「知ってたのかと訊かれると、答えは本人にしかわかりませんね。大聖さんが歴史蒐集家だったのは結婚する前から知ってましたし、あの絵を春那たちに与えた理由も、今となっては……」
「その大聖くんの部屋は蛻の殻同然なんですよね」
「――と、云いますと?」
「お父さんは家にいる時、各地で集めた歴史資料を書斎で整理していたんです。お父さんがいるときは入れたけど、普段は入れないようになってるんですから……」
「鍵は大聖さんしか持ってないんです。マスターキーもありませんから、もう入る事は出来ないんだと……」
ふと霧絵さんは早瀬警部を見遣った。
「大聖さんの胃の中から、ミクロカードが検出されたと言ってましたね。本当にそれだけだったんですか?」
霧絵さんの問いに、早瀬警部は困ったような表情を浮かべた。
植木警視も早瀬警部の挙動不審に違和感を感じ、尋ねる。
「いやね……故人のプライベートを覗くっていうのは、何とも趣味が悪いんですけどね」
「でもさ? 幾ら父さんでも、ミクロカードは飲み込めても、鍵までは飲み込めないでしょ?」
深夏さんの云う通り、鍵そのものは飲み込む事は出来ない。
――えっ? 鍵そのものは飲み込めない。
「若しかして、データの中に、鍵が置いてある場所があった」
僕がそう訊くと、早瀬警部はバツが悪いのか、自分のポケットに手を入れた。
「データの中には“荒らさないように”と書かれてましたからね。故人の願いは聞き入れて下さいよ」
そう云いながら、早瀬警部は握り拳を開いた。
――そこには小さな鍵が乗せられていた。
「げぇほっ! げぇほげほっ!」
束になって本棚に上げられていた本を下ろし、埃を叩くや、それが舞い上がり、春那さんの顔に掛かる。それを吸い込んだらしく、激しい咳払いが狭い書斎でこだましていた。
「舞さん? 早瀬警部の話だと、この中に三十年前の事が書かれている本があるんですよね?」
春那さんと深夏さんが奥の方で探しながら植木警視に尋ねる。
「はい。鍵のある場所が書かれたテキストファイルにそう書かれてました」
「にしても、いったい何冊あんのよ?」
本棚に仕舞われたものや、入りきれず束になって床や棚の上に置かれたもの。一目で見ても、何百もの書籍が置かれている。
「父さんの歴史蒐集癖も、ここまで来ると病気ね」
春那さんが呆れたように溜息を吐く。
僕は目の前に置かれている本を手に取り、そのタイトルを目にする。
「えっと、“娘りぶか灰”……? むすめ…… りぶか? はい……」
「あ、それ左からじゃなくて、右から読むんです。“灰かぶり娘”といって、言うなれば、シンデレラを日本語訳にしたものなんです」
深夏さんにそう云われ、パラパラッと頁を捲っていく。
確かに内容はシンデレラそのものだった。
他にも“金太郎”や“桃太郎”。“浦島太郎”に“鶴の恩返し”。はたまた“瘤取り爺さん”といった、ポピュラーな昔話に関する本があった。
後は歴史上の人物に対するものや、民話などもある。
「でも、内容はみんな違うんですね」
「作られた時期が違うってのがありますね。昔は使えたのが、今じゃ使えないって事で、書き直されているのもありますね」
そんなことを話しながら、書斎の中を隈なく探していく。
「それにしても、昔話の本は下手したら、破れるくらいボロボロになるって云うほどに読み込まれてるわね。それに、紙芝居で使うようなのもあるし……」
平閉じされた本や、紐で閉じられた本と比べて、バラバラとなった紙の束もあった。
それは某金色の骸骨が活躍する物語だったが、破れや、手垢で紙は汚れているのが何本もあった。
「でもさ、これって、昔話じゃないでしょ?」
「そうだよね? 他にも昔話って云えないやつもあるわね」
春那さんと深夏さんはそう云いながら、他の本を探す。
「大聖さんは歴史蒐集が趣味だったんですよね?」
植木警視が春那さんたちに尋ねる。
「趣味を通り越して、使命みたいなものかな? 支店の視察に行く時も、それを口実にして、色々な資料を買い漁ってたみたいだよ」
「ま、それはお父さん個人の趣味だから、お金はお父さん持ちでしたけどね」
「ふたりは小さい時、読んでもらったとかあったの?」
「お父さんからは昔話に関する薀蓄を教えてもらっていたくらいですね。読み聞かせは渚さんとかがしてくれましたよ」
春那さんはそう云いながら、植木警視を見やった。
「あっ! ちょっと待って……」
深夏さんはそう云うや、下に敷かれた本を漁る。
「ちょっと! お父さんが“荒らさないように”ってあったでしょ?」
「わかってる! でも、私や姉さん…… 多分、秋音と冬歌も話を聞いてるのよ!」
その言葉に春那さんは首を傾げる。
深夏さんが埃に塗れた一冊の本を取り出す。
その表面についた埃を叩き落とすと“神使と少女”と書かれたタイトルが見えた。
「あ、懐かしい。あれ? でも、それって」
「うん。この山に伝わる、昔話なんだけどね……」
深夏さんはそう云うや、パラパラとページを捲っていく。
「あれ?」
そう云うや、深夏さんは頁を捲るのを止めた。
「どうかした?」
春那さんは覗き込むように、それをみた。
「えっと? これって、玄関に飾られている言葉……」
そう云うや、春那さんは本から一枚の紙を取り上げる。
“この山に努々《ゆめゆめ》近付く事勿れ。
金色に煌く鹿がその屋敷に住まいて、死屍を喰らい、咆哮を挙げん。
その声を聞きし者、煉獄の夢魔が汝を縊らん”
何とも気味の悪い詩なのだが、何か違和感が、「ねぇ? これ“山”って書いてあるけど、玄関に飾られてるのは“屋敷”じゃなかった?」
深夏さんがそう云うと、春那さんは頷く。
「それじゃ、元々の詩はこれだったんじゃないかな?」
それなら、何の理由で書き直したのだろうか……
「その昔話と何か関係があるって事ですかね? 確かその話って、鹿が出てきてたはずですけど」
「本に挟んであったっていう事は、少なくともそうでしょうけど……」
深夏さんはそう云いながら、何か釈然としていない。
「金鹿…… “鏖”の神様だと聞かされてて、この詩にはそう読み取れるんですけど、小さい時に聞いた話は全然違ってるんですよ」
「書き直されているって事ですか?」
「うーん……書き直されているというよりも、結末が違うって感じですね」
僕はどんな話なのかを問う。
物語は戦国時代。恐らく鎌倉時代末期から室町時代にかけての話らしい。
この榊山には鹿と人間が一緒に暮らしていて、村人は鹿をとても大事にしていた。
その鹿の中に一匹だけ、金色に輝く鹿がおり、村人はその鹿を神の使いとして崇めていた。
その鹿の近くに、村の少女が一緒に暮らしていた。
ある日、近くで戦が起き、近々村が襲われるという情報が村に広まっいく。
村人は鹿を避難させ、本来お仕置きや折檻の為に造られていた地下牢に少女を避難させた。
村は兵により滅ぼされたが、少女はその兵によって発見され、生け捕りという形で連れて行かれる。
村を滅ぼした殿様が、その娘を大層気に入り、自分の妾にしようとしたが、少女はそれを頑なに拒んだ。
村を滅ぼされ、しかもその殿様の妾になるくらいなら、死んだ方がましだと、少女はその晩、城を抜け出し、村があった山へと逃げ出した。
少女は跣のまま、ただひたすらに村へと帰ろうとした。
殿様は少女が抜け出した事に憤怒し、兵を百人ほど捜索に向かわせた。
たった一人の少女に多過ぎじゃないかと、兵たちは思ったが、上の命令は必ずの世界で口を出す事は出来なかった。
少女は何とか村が見える場所までこれたが、既に傷ついた足を引き摺るのがやっとだった。
そんな少女のうしろには、殿様が仕向けた兵が少女を捕まえようと近付いていた。
少女は精神と体力の疲労から、足取りは重く、捕まるのも時間の問題だった。
兵が少女を捕まえようとした時だった。
真っ暗だった山道に、まるで真昼と云えるほどの明るさが浮かび上がり、兵たちは怯んだ。
そして、次の瞬間。少女を捕えようとした兵たちの首が飛んだ。
周りの兵たちは何が起きたのかわからず、ただ立ち尽くしているだけだった。
兵たちの目の前には、飛び散った血の色で染まった鹿がおり、鹿は少女を自分の背中に乗せた。何がおきたのかわからなかった兵は、混乱するが、直ぐに少女と鹿を追いかけた。
「――あれ?」
物語を読んでいた深夏さんが、首を傾げる。
「どうかしたんですか?」
「いや、確かこの後、少女を乗せた鹿が、鉄砲で撃たれて、瀧に落ちるんじゃなかった?」
話を読みながら語っていた本人が結末をわからないでいた。
僕は覗き込むように本を読んでみると、「なっ?」
と、大声を挙げた。
物語の結末が書かれているはずのページが真っ暗に塗り潰されているのだ。
「これって、前からかな?」
深夏さんが春那さんに尋ねる。
「そうでしょうね? そうじゃなかったら、父さんがこんなことするとは思えないし……でも、何か終わりを知られたくないって感じがするわね……」
春那さんは頁を捲りながら、そう云うと本を閉じた。
「でも、この中に三十年前のことがあるってのが不思議だよね?」
「――っていうと?」
「だって、父さんは早瀬警部がテキストファイルを見ることを“わかっていた”という前提で書いたって事になりません? 父さんが早瀬警部を信頼しているからこそ、家族の私たちでさえ入ることが許されていない書斎の鍵をわたしてるんですよ? それじゃ、書斎の中に三十年前のことがわかる物。ううん、これが前々から起きる事を知っていたって事になるんじゃないですか?」
確かに、そうじゃないとこんな手の込んだ事は出来ない。
若しかして……大聖さんも霧絵さん同様に記憶障害の影響がなかった?
「後で母さんに訊くとして、今は三十年前の……」
春那さんはそう云うや、ある一点を見た。
「ここが孤児院だったって事は、その事を前の家主は知っていた」
「ちょっと待って! それじゃ父さんがずっと前からこの屋敷がそうだったって事知ってるみたいじゃない?」
深夏さんが狼狽する中、春那さんは机の引き出しを開けた。
その中には小さな手帳が入れられていた。
そして、それを手に取り、ひらいてみた……
「8月11日…… けさからおねえちゃんがいなくなっていた。いんちょうはしんや、とつぜんおねえちゃんをもらいたいと、おきゃくさんがきたとうそをついた。
こんなやまおくに、よるくるひとはほとんどいないし、いんちょうがおねえちゃんをてばなすとはおもえない……
おねえちゃんがなにかりゆうがあって、きえたとしかかんがえられない……
きょう、そのことをいんちょうにきこうとしたけど、わたしたちのはなしをきいてくれなかった」
書かれているのは日記で、書いているのは文脈からして恐らく、孤児院にいた子供だろう。
「漢字とか教えてもらってないのかな? 全部ひらがなだ……」
日記に書かれた内容から察すると、恐らく行方不明になった少女よりも少し下に思えた。
つまりは少なからずとも漢字は覚えているはずだ。
だけど、書かれている平仮名も、何とも拙く、歪んでいた。
まるで“院長が少女を殺した”と考え、感情を剥き出して書いたとしか思えなかった。
「でも、何でこんなのが父さんの机に?」
「若しかして、父さん……三十年前、孤児院にいた?」
ふたりはそう考えながらも、あるひとつの信じられないメモを見る。
“院長の首を絞め、殺した後……僕達を苦しめた職員はガス中毒で殺した。唯一助けてくれていた先生は僕達が殺人を犯している事に気付き、それを隠蔽するため、院長を崖から突き落とした。次に職員の身体をバラバラにして、精留の瀧に落とした……。僕達は間違った事をしている。そしてその罰を受けなければいけない。だけど、誰も僕達の事を知らない……”
「これって、父さんの字じゃない?」
「それじゃ、父さんは院長を殺した子供の中の一人だったって事?」
「ちょっと待ってください! その孤児院の中には渡辺洋一がいたという報告があったんですよ? 若し、大聖さんが孤児院にいたとしたら、すでに二人は知っていたって事じゃないですか?」
確かに……大聖さんと渡辺さんは大学時代に“初めて会った”と云う事になっている。
つまりは……その記憶が“なかった”という事になるのだろうか……
「あれ? 何か続きが書いてあるけど」
そう云いながら、深夏さんはその部分を読み上げた。
“この手帳を誰かが読んでいると云う事は、多分俺は死んでいるという事になる。早瀬警部が俺の胃の中からカードを手に入れ、帳簿の事や、三十年前に起きた事件の真相を知ってくれれば有難い。本来ならすでに時効になっているが、それでも俺の心の中には今でも蟠りしか残っていない。
この屋敷を手に入れた時、院長に殺されたお姉ちゃんを真っ先に探した。あの時、防空壕がある場所を知っていたが、入る事が許されていなかった。
防空壕の中は薄暗かったし、幾ら探してもお姉ちゃんは見つけられなかった。
屋敷を手に入れたのが二十六年前で、お姉ちゃんが死んだのはそれより四年ほど前になるから、もう朽ち果てたのだろうと思い、もうおねえちゃんの事は忘れようと考えていた……
だけど、ある日、渡辺洋一から奇妙な話を聞かされた。当時孤児院にいた子供たちで、もう一度お姉ちゃんを探し出すというものだった。
既に防空壕の中を隈なく探していた俺は、その計画に賛同出来なかった。いや、むしろこれ以上お姉ちゃんと、先生を苦しめたくなかった。
前の家主からもらった“花鳥風月”の絵を見た時は驚いた。
先生は絵が上手い事は知っていたけど、描かれていた少女は、まさしくお姉ちゃんそのものだった。
そして、何よりお姉ちゃんが一番、あのお話が好きだった。
だから先生はそれに関する場所を背景にお姉ちゃんを描いたのだろう。
俺がこの屋敷を手に入れた理由は、もう一度この屋敷を孤児院にしようとした事。
あの腐った職員とは違う。俺たち子供たちが、本当はして欲しかった事を娘達に押し付けてしまうかもしれないが、そういう事をしたかった。
この絵は春那たちに渡したのは、少なくとも俺の独り善がりかもしれない。
だけど、この山は決して人が近付いてはいけない神聖な場所じゃない事。そして、血は繋がっていないにしろ、俺の子供に代わりはない事をわかって欲しい。
このメモが春那たちに読まれる事を願って……
太田 大聖”
春那さんが手紙を読み終えると、「解せないですね」
植木警視が呟くように言う。その言葉はふたりもそう思っていたらしく、反論をしようとはしなかった。
「まるで全てを知っていて、それでも止めようともしなかった」
「全部……わかることだと知っていたから止めなかったのか……」
いや、恐らく“止めてくれる事”を信じているからこそ、大聖さんは潔くこの舞台から降りたのだ。
そして、大聖さんは犯人を止めようとした。
だけど、頑なに犯人は犯行を続けた。
「自分ではどうする事も出来なかったんでしょうかね?」
「父さんは自分で出来る事はほとんど自分でする人でしたからね。それじゃ、この事はお父さんじゃ出来なかった?」
そう云いながらも、他に何かないか探してみたが、三時間ほど経っても何もなく、園塚さんが云っていた通り、午後五時を回ろうとしていても、何の動きもなかった。