表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
134/165

肆拾弐【8月12日・午前4時54分】


 男は先程の交戦で重傷を負い、今にも倒れそうだった。

 それでも意識をたもっていられたのは、自分の過ちを、霧絵たちに赦してもらおうという甘い考えからではない。

 赦されないのが正論なのだ。

 それでもこの殺人劇に一矢いっし(むく)えるかもしれないという淡い期待によるものだった。

 それ故に重たい足を引き摺ってでも、屋敷にいる人間たちに危険をしらせようとしていた。


 壁伝いに声のする広間へと歩いていく。

 一部屋四畳一間となっているこの屋敷は、傷を負った彼にとっては思った以上に広く感じられた。

 男は一歩、また一歩と歩んでいく。近付く度に声は大きくなっていくと同時に、彼の額からは、汗が大量に流れていた。

 それと同時に廊下には血が点々と零れ落ちていた。

 そんな彼の事など露知らずか、広間では既に全員起きており、茹で上がった玉蜀黍を苦戦しながらも食べていた。


 廊下で見張っているタロウとクルルが男の気配に気付き、唸り声を挙げた。

 男は屋敷の中にタロウ達がいる事は知っており、一瞬足を止めた。

 視界の先に二つの黒い影が入ってきた。


「タロウ、クルル? どうかしたの?」


 襖を開ける音と同時に秋音が二匹に声をかけた。

 タロウとクルルは血の臭いがするほうを見ながら、うめくだけで、吠えはしなかった。

 そんな二匹を見て、秋音は少し廊下に出て、あたりを見渡した。


 秋音は気付かなかったが、男からは秋音の姿が確認出来た。

 そして少し経って、秋音も男が屋敷に入っている事に気付く。

 秋音は見つけるや大きな悲鳴を挙げた。

 そのことで広間にいた全員が男の存在に気付く。


 屋敷内に男がいるにも拘らず、タロウとクルルは一度も彼に対して吠えてはいない。

 その事に対して春那たちは疑問に思った。

 そして男は、春那たちが自分に気付いた事を知ると、ホッとした油断からか、意識が一気に遠退き、その場に倒れた。



 大町警察署の前には、マスコミが駆けつけていた。三重野はそれを見るや、自分のSPをしてくれている警官に状況を尋ねる。

 明朝三時頃にマスコミ各社に、白馬温泉の旅館で変死体が発見されたというタレコミがあった。

 それを聞いて、三重野は首を傾げる。

 そもそも誰が好き好んで、まだ判明していない検死結果をマスコミ等に流すだろうか?


「被害者の状況は?」


 マスコミの一人がそう尋ねる。

 どうやら三重野を検視での主任としてみているようだ。

 三重野はあくまで第一発見者として同行しており、それを警察医だと知るや、鑑識課が彼の指示を受けていただけだ。

 というのも、長野県警管轄内で三重野を知らない鑑識班はいなかった。

 が、警察を辞めている彼は部外者に他ならない。

 三重野は視線をうしろにいる若い男に向けた。

 彼がこの大町警察署での警察医だったからだ。そして、云ってしまえば彼がこの検死の責任者でもある。

 検視主任はマスコミに対して、「検死結果はまだわからない状態です。ですからお話しする事はありません」

 と、言い切った。


 勿論間違ってはいない。顔はグチャグチャで、指紋採取や血液検査をしない以上、身元は判別出来ない状態だった。

 あの割れたパトランプが車内に転がっていたから、同業者である事に気付いたまでだ。

 若し何もなく、ただ死んでいるだけだったら、検死に時間が掛かっていただろう。


 警官はその職に就いた時、指紋を採取するように義務付けられている。

 死体を調べた際、死んだ二人が履いていたズボンから財布と壊れた携帯が見付かった。

 犯人は焦ったのか、それとも態となのかはわからないが、それら全てに彼らの指紋が付着していた。

 自分が現役の時は検出にまる二日くらいは掛かっていたはずが、たったの数時間で分析されるとは、これも時代の流れかと、三重野は感じていた。


「はいはい。マスコミの皆さん。訊く事がないならさっさと撤収してください」


 拡声器を使って、よぼよぼの老人がそう言い放つ。


「それにねぇ? まだ発表もしてないのに、何で知ってるのかなぁ? あんたら、若しかしてえに餓えたハイエナかなにかですかなぁ? 若しくは肋骨ろっこつを浮き出させて、地面に鼻をつけては餌を探している老犬ですかなぁ?」


 老人はケラケラと笑いながら、マスコミを見渡した。

 マスコミはこの老人を、ただの老い耄れだと感じたが、そうではなかった。

 老人はゆっくりと深呼吸をすると……


「わぁあったぁあら! すぁあっさぁっとでぇてかんかいねぇえええ。あぁんたらぁぜぇいん! こぉおむしっぉこうぼぉぐぅあいぃで、ぶぅたぁばぁこにたぁたたきいぃれっぞぉっ!!」


 (わかったら! さっさと出てかんかいね。あんたら全員! 公務執行妨害で牢屋ぶたばこにたたき入れっぞっ!!)


 老人の怒号と拡声器の音量が最大に上がっていた為か、恐らく半径百メートルほどの範囲で、地響きと思わせるほどの騒音が響き渡った。

 マスコミはこれ以上場にいられないと感じ、そそくさと撤収していった。


 叫んだ老人はゼェゼェと肩で息をしていた。


「大丈夫ですかぁ? まったく無茶しないで下さいよ。署長」


 警察署から出てきた婦警が老人の下へと駆け寄り、声をかける。


「なぁに、いきなりこの爺を呼び出したのは貴様らじゃろうが、こっちは寝とったのに、余りにうるさいからのぉ、ちょっと脅しただけであれじゃよ」


 人が心配しているのにそれはないだろうと、婦警は思ったが、これがこの老人なのだから云えなかった。

 老人はそんな婦警の心配を知ってか知らずか、“くっくっくっ”と笑みを零していた。


「それでぇ三重野くんやぁ。実際のところ、検死結果はどうじゃったんねぇ?」

「死因は出血多量によるショック死とは思いますが、どうやら顔をわからなくする為にグチャグチャにした後、心臓に一閃メスを入れ、血を抜き取った形跡がありますな。おそらく車内一面に流れていた血のあとはそれだと思われます」

「警官は如何して殺されたかわかってるんかなぁ」

「恐らく耶麻神邸を襲おうとしている犯人グループの仕業かと……」


 そう云われ、老人は少し考えるや、「ちっとなぁ、面白い話を思い出したわい。多分君も話くらいは知っちょるじゃろうがな」


 老人はそう云うや、三重野を署内入れた。


 署長室に行くのも億劫なのか(というよりかは面倒)、老人は近くのソファに座った。三重野は老人の隣りに座る。


「今から四十年前の話じゃがなぁ? まだ耶麻神乱世が生きていたと思われていた時じゃ。ここら一帯を牛耳とった乱世が、突然活動を自粛したんは、なんでじゃと思う?」


 そう訊かれたが、三重野は思い浮かばなかった。


「それはなぁ、乱世は既に死んでいて、重鎮が勝手に政治家一家殺人と榊山での鹿狩りを行ったと云われとったんじゃけどな」


 老人は婦警が持ってきたお茶を一口飲み、「だが、実際のところ、麓からの人間と、当時金鹿之神子と呼ばれておった鹿波怜以外は殺されておらんのじゃよ。水深中学の校長先生が生きているように、今も助かったもんは生きとるはずじゃ……たった一人を除いてなぁ……」


 それが巴だと云う事を二人は知らない。


 ――しかしここで疑問が残る。

 老人ははっきりと麓から来た人間以外に、集落からは鹿波怜しか殺されていないと云っている。それならあの時巴が殺した、彼女にとっては大切な存在であった彼は、いったい何処へ行ったのだろうか……。


「それから三十年前の孤児院で起きた殺人じゃが、それも可笑しな点があったなぁ?」

「孤児院にいた一人の少女が行方不明になっている。ですが、あれは確か自首してきた犯人が遺体を埋めたと云ってませんでしたか?」

「あの山の地中は防空壕じゃぞ? 農園のあるところ以外は、土は固くて、掘れるもんじゃないじゃろ?」


 そう云われ、三重野はハッとする。

 つまりは少女は殺されたあと、どこかへと連れて行かれたか、防空壕の中に遺棄されたかのどちらかである。


「それになぁ、金鹿にも色々いるみたいなんじゃよ……」

「――と云いますと」

「金鹿之神子の力は文献からして、瞳術なのがほとんどなんじゃが、能力が違うんじゃよ」


 老人は金鹿之神子が持つ力による話をこう続けた。


 “一つ目に、相手の身体に傷を負わせ、肉体的に殺す力”

 “二つ目に、相手の脳に進入し、不要なもの、つまりは記憶を消したり付け加えたりする力”

 “三つ目は、相手の脳に痛みと幻覚を与え、あたかも殺したように思わせる力”


「三つ目の性質(たち)の悪さは、相手の精神を壊す事にある。恐らく死ぬ事よりも残酷な殺し方じゃろうな……だが、これらの能力は実際あったかどうかはわからん」

「それじゃ四十年前に麓の人間が榊山で惨殺死体として発見された時、貴方は神子の仕業だと?」

「そうは思っておらんよ。そんな夢物語があるわけがなかろう。しかし、証拠のない文献にはそういうもんがまとわりつくもんなんじゃよ。そして、それを大聖は知ろうとしておった……」


 三重野はそう云われ、首を傾げた。


「太田大聖が歴史蒐集家と云う事は聞いておるじゃろ? 特に昔話に執着しておったそうじゃ。地域に散らばった色々な話から本当の筋書きを見つけるのが、彼の生き甲斐だった様じゃ」

「生き甲斐……」

「そして、山形や秋田の地方で“みなごろし”という言葉があってなぁ、それを確かめに云ったそうじゃが、無駄足だったみたいじゃよ」

「と、云いますと?」


 老人は深く溜息を吐く。


「“みなごろし”は“よくついた餅”という意味だったそうじゃ」


 そう告げられ、三重野は飲んでいた水を噴出した。


「それでな、金鹿之神子に関する文献を調べなおしたが、どれも裏づけがない。それに、最初の神子に子供はおらん。つまりは受け付かれるものではないんじゃよ。恐らく榊山に伝わっている金鹿の世話をするための神子に伝えてきた与太話だったと言うわけじゃな」

「ですが、確か激情すると、目が赤くなるとか……」

「虹彩の色は普通何で決まる?」


 老人は目を指差しながら、三重野に訊いた。


「え? 確かメラニン色素が……」


 三重野はそう云うと、老人が言いたい事に気付く。


「つまりは金鹿之神子と言われた最初の神子は色素が少なく血液しかなかった事からという事じゃ。そしてそれを理由に目が見えないという文献が残った。もちろん世間体のために隠していたと考えてもいいじゃろうな……」

「しかし、それじゃみなごろしの力は証明にはならな……」


 三重野はハッとする。それを文献にしたのは誰か、そして得をするのは誰か……


「今みたいに証拠が直ぐにわかる時代ではないからな、昔は……人の口から口への伝達じゃったろうよ。その間に、根も葉もない話が付け加えられたと考えても可笑しくはないじゃろ」


 そう云うや老人は立ち上がり、二階にある所長室へと消えていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ