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丗漆【8月11日・午後10時37分】


「……凄いですね?」


 植木警視が鹿波さんの傷痕を診るや驚きを隠せないでいた。

 怪我をしている事は前々から聞いてはいたらしいが、ここまで酷いとは思っていなかったらしい。


「タロウが本気を出したかどうかはさておき、重症には変わりないはずなんですけど」


 秋音ちゃんが洗っておいた包帯を巻き取りながら、怪我の治療を手伝っている。


「確か訓練をしたのは昨日でしょ? 炎症を起こしている様子もないし、結構怪我が治るのは早い方なの?」

「そうですね。早いといえば早いですね。気にした事ないですけど……子供の時は怪我をしても、水で汚れを落とすか、大きな傷だとしても、薬草で治していたくらいですよ」


 深夏さんの質問に鹿波さんはあっけらかんとした表情で答える。


「何時の時代よ、それ……」


 そう深夏さんが云うと、僕と霧絵さん以外の全員が頷いた。

 鹿波さんは四十年前に亡くなっている。それに麓から隔離していた集落では、薬は貴重なものだったらしく、ほとんどただ同然だった薬草で大抵の病気は治していたらしい。


「これでよし。余り無理な行動はしないで下さいね……」


 植木警視がそう云うと、少しばかり視線を外す。


「云っておきますけど、ここにいる誰一人、舞台から降りる気はないですよ?」

「わかってます。だからこそ最終確認をしたいんです」


 そう云うと、植木警視は早瀬警部を呼び掛け、テーブルの上に屋敷内の地図を広げた。


「一度お話した通りです。先ず霧絵さんと冬歌ちゃんは長野県警が保護します。冬歌ちゃんにこれから始まる事を見せられませんからね。次に援護班が今、山の麓周辺を探索しています。何も異常がなければ、其の儘山の中を探索。鶏小屋以外の防空壕を発見するのも時間の問題でしょう。その周辺で不審な人影があったら、連絡するようにといっています」

「見つけたところで外からは開けられないんじゃ?」

「外はあくまで両方に設けられた脱出用の行路に過ぎません。それは恐らく外から入れないと思っている犯人グループが篭城出来るようにしたんでしょう。そこをつきます」


 そう云うと、植木警視は廊下を挟む六部屋を赤ペンで突いた。


「先程先輩と調べたところ、赤い部屋の室内や、畳が取れる場所は全て確認しましたが、異常はありませんでした。繭さん。澪さんと最後に別れたのは何処ですか?」


 そう訊かれ、繭さんは少し考えると、「確か、使用人の部屋が並んでいるところの十字路で」

「つまり、少なくともそのふたつの内、どちらかの部屋で連れて行かれた」


 植木警視はペンで二つの部屋を囲むように何重も円を描く。


「ただし、此処で疑問点が浮かんでしまう」

「中に入れた澪が、どうして出てこれなかったでしょ?」

「でも、それは中からしか開閉出来ないからじゃ……ちょっとまって! それじゃ、中に入れた澪さんにだって開けられた……でもそれが出来なかった」


 春那さんがそう云うと、植木警視はゆっくりと頷いた。


「つまり、部屋に入った瞬間に眠らされたか、抵抗していた末に気絶をさせられたか……少なくとも、抵抗している間でも襖は開けられた筈なんです」

「つまり、襖のところに誰かがいて、開けたくてもそれが出来なかった」


 そう考えると、確かにこの二部屋が怪しい。


「私と警部はこのうちの一つに的を絞り、今から襖を抉じ開けます。若しも其処が当りだったら……」

「部屋に誰かがいるか、他の部屋と違うと云う事ですな」


 早瀬警部はそう云うと、霧絵さんを見据えた。


「構いませんよ。襖なんて何回でも取り替えられます。でも、人の命は変えられません」


 そう云われ、植木警視と早瀬警部は頭を下げた。

 そんな中、春那さんは霧絵さんを見つめている。その事を尋ねると、


「いや、元々あの両部屋は壁で埋まっていた筈なんですけど、何時の間にか元に戻ってたんですよね」

「つまり、元々は部屋がなかったって事……ですか?」

「恐らく、前の持ち主が屋敷を与える前に部屋を封じたんでしょうな。拷問部屋なんて物騒なものを何時までも残してる訳がありませんし」


 早瀬警部はそう云うが、僕は違う意味で隠したのではないかと思った。


「霧絵……正直に云って、あの部屋の鍵は本当にないの?」

「鹿波さん! 何度も云いますが、あの部屋の鍵は元からないんです」


 鹿波さんの質問に春那さんが答えた。


「元からないって事は、最初から取り付けられていないって事じゃないの?」


 そう云われ、春那さんは顔を歪ませる。


「考えてもみて、私たちは外からしか襖を見ていない。それに何処を探しても鍵は見付からなかった。いや襖が動かないように釘か何かを打ちつけた後、紙を張り替えてしまえば、知らない人は鍵が掛けられていると思ってしまう」

「――何を証拠に?」

「本当に鍵が掛けられているのなら、全部の部屋に鍵がついているはずでしょ? それなのに、赤い部屋以外の五部屋には鍵が見当たらない」

 春那さんは何か云おうとしたが、何を云っても無駄だと思ったのだろう。悲痛な表情をすると、黙り込んだ。

「春那さん……」

「春那、此処には貴女を責める人はいないわ」

「……嘘よ。皆私を責めるんでしょ?」


 春那さんは何かを思い出したのか、肩を震わせ、ガタガタと歯を鳴らす。


「先輩……何かあったんですか?」


 植木警視が早瀬警部に問い掛ける。

 早瀬警部は複雑な表情を浮かべ、ジッと黙り込んでいた。


「姉さん……もういいんじゃないかな? だってずっと隠してたら」

「そうよ。それに、あれは……」


 深夏さんと秋音ちゃんが春那さんを宥める。


「こちらとしては、既に処理されている事です。貴女が喋りたくないのなら、それでもいいでしょう……でも、明日の早朝私達はその部屋に入るんですよ」


 早瀬警部がそう云うと、「秋音……冬歌と一緒に部屋に行ってて。早瀬警部、二人をお願いします」

 そう云われ、秋音ちゃんは冬歌ちゃんを自分の部屋に連れて行く。

 護衛のために早瀬警部も付いていった。


「なにから話しましょうか……」


 春那さんは天井を見上げながら、皆に云う。


「当事者の私からは、遠い過去の事でもあり、まるで昨日あった事でもあるんですけどね」


 ブツブツと小言を呟く。


「二年くらい前、丁度繭さんが住み込みで働き出してからしばらく経った日でした。今日みたいに昼はカンカン照りだったある日、一組の家族が山登りに来たんです。修平さんが山菜取りに出ていた時に見つけたようで、車が通れるような場所ではなく、獣道で発見したそうで、もう日が沈むくらいの時間でしたから、今日は一晩泊まって、明日帰りなさいと皆で云ったんです」


 僕は深夏さんと繭さんを見遣る。

 それに気付いたのか、二人は春那さんが嘘を吐いていない事を証言するかのように頷いた。


「その日は会社役員の方々が来ていて、客室が空いてなかったんです。それであの空き部屋を提供したんです。その人たちは何も云わず、その部屋に入ったんですけど……」


 春那さんは其処まで云うと、黙り込んでしまった。


「その後、その家族に何があったんですか?」


 植木警視が訊こうとするが、春那さんは口を動かさない。


「部屋に入ってから、夕食の準備が出来たと云っても、“此方で用意をしているので、大丈夫です”とか、“今は三人ともお腹が空いてませんので”と、襖越しに云われて」

「その時、直接話した訳ではないんですね?」


 僕がそう云うと、繭さんは頷く。


「再び訊きに行ったのは確か九時くらいの時でした。そのくらいの時間なら、親御さんは小腹が空いているかもしれないと思い、お茶の誘いに行ったんですが……」


 繭さんがそこまで云うと、春那さんと同様、黙り込む。


「一家心中ですよ……他人様の家で、親子三人自殺したんです!」

「じ、自殺……?」

「それだけじゃない! 後で香坂さんが一家を見つけた場所を調べてみると、ふたつの携帯が壊されていたり、通帳や銀行のカードが切り刻まれるように捨てられていたそうです。その時、高坂さんが一家を見つけていなければ、その場で死んでいたということなんですよ」


 深夏さんは怒号を挙げるように言葉を捲くし立てる。


「死体はどういった状態で? 思い出したくないのはわかりますが……」

「母親と子供は首を切り落とされ、父親は首吊り自殺をしていました」


 その事を話す深夏さんの表情が歪む。


「直ぐに警察に連絡し、身元を確認してもらいましたが、それが……」


 話を続けようとした時、広間の襖が開いた。


「それが妙だったんですよね? その親子には配偶関係がなかったんですよ」


 早瀬警部が遊び疲れたのか、すっかり寝てしまった冬歌ちゃんを背負いながら、広間に戻ってきた。

 丁度布団を敷いていたので、其処に冬歌ちゃんをそっと寝かせる。


「つまり、子供は戸籍がなかったと云う事ですか?」

「後でわかったことですが、どうやら子供は母親の連れ子だったようで、男は戸籍に入れたくなかったんでしょうな……」

「酷いですよね? 血が繋がってないとはいえ、自分の子供なのに」


 繭さんはそう言うと、拙いことを云ったと思い、口をふさぐ。


「いいわよ、繭……別に気にしてはいないし、戸籍上、私達姉妹は太田大聖と霧絵の義娘むすめに変わりないんだから」


 深夏さんがそう云うと、繭さんは“すみません”と一言云った。


「親子が死んだのは屋敷内ではなく、山の中であると捏造して、事件は闇に消したはずなんですが……」

「何時までもあのままには出来ませんでしたから、畳を全部取り替えて、お払いをして、封印するように、先程巴さんが云った通りの事をして隠したんです」


 霧絵さんはそう云うと、春那さんの肩を叩いた。


「……それ以降、その部屋には入ってないんですか?」


 僕が尋ねると、霧絵さんは首を横に降った。


「いくら封印しているとはいえ、畳部屋ですから、梅雨で黴が出来ては困りますし、先月に全部の部屋の畳を三日掛けて掃除したんです。その時、廊下を挟んでの両部屋も一緒に……」

「流石に私たちの部屋は片付けるのに半日以上は掛かりましたから、最後の方に回しました」


 秋音ちゃんはそう云いながら、自分の場所に座る。


「つまり、その時は全部の襖は開いていたって事ですか?」

「確かにそうなるわね? ……って、それじゃ畳どころか、襖も張り直してるって事じゃないの? だって私の考えじゃ、襖の縁を釘か何かで床に打ち込んで……」

「確かに巴さんの云った通りの方法で襖を閉めていたんですが、襖の張り替えをしたのは渡辺さんなんです。だから実際どういった方法で閉めたのか――」


 霧絵さんはそう云うと、僕達を見遣った。

 そして少し身体を後にずらすと、僕達に頭を下げた。


「この事はどうぞ、胸の奥にしまっておいてあげて下さい。お願いします」

「霧絵……赦すも何も、悪いのは死んだ親子でしょ? なんであんたを責める必要があるのよ?」


 鹿波さんが霧絵さんにそう云う。


「ですが、私たちは事件を隠蔽した。その罪は……」

「だから、元々から親子は死のうとしてたんでしょう? それを香坂修平が発見して、生きている時間を長くした。結果的には死んでしまったけど、もしかしたら死ななかった可能性だってあった。あなた達はそれを考えさせる時間を与えてあげてたのよ?」


 そう云いながら、鹿波さんは霧絵さんに近付く。


「顔を上げなさい。泣いたところで変わる訳ないでしょ? 過去の過ちってのは、二度と繰り返さないことが最低限の償いなんだから。今は自分たちが生きてこの舞台を下りられるかを考えなさいな……」

「――ですな。お二人の夢では、殺人劇は本来今日から始まっていた」

「問題は澪が殺されていないかね……恐らく殺されてはいない。逆に大人しい猫の中に獰猛な鼠を入れたって思ってもいいんじゃないかしら?」

「“窮鼠、猫を噛む”。たとえ奴らが銃を持っていたとしても、使うのは素人同然だろうからね。ゲームなんかじゃないのよ。多分澪は殺される覚悟で抵抗したんだと思う。だから、タダで死ぬとは到底思えないし、むこうも迂闊には殺せないでしょ?」

「だといいんですけどね?」


 鹿波さんの説明に、早瀬警部は呆れていた。


「もう十一時を回ってたんですね。そろそろ寝た方がいいのでは?」

「そうですな? それじゃ……」


 その時、春那さんがスッと立ち上がり、広間を出て行った。


「ちょ、ちょっと姉さん!」


 深夏さんと秋音ちゃんが後を追いかけていく。


「全く、勝手な行動を……」


 植木警視がそう云いながら、霧絵さんを見遣る。

 霧絵さんは呼び止める様子はなかった。


「ほら、足はちゃんと拭いてね」


 玄関の方から声が聞こえた。


「今、冬歌が寝てるから、ジッとしてなさいよ」

「タロウ達って、舞さんには懐いてるから大丈夫だと思うよ」


 どうやらタロウ達を屋敷の中に入れたようだ。

 これじゃ本当に家族全員が広間に集まっているという事だ。

 タロウとクルルは廊下に、ハナと子犬は冬歌ちゃんの近くで伏せていた。


「それじゃ、あなた達、何かあったらすぐに吠える事」


 そう云うと、春那さんは襖を閉めた。


「それじゃしばらくの間、仮眠を取りますかね?」

「麓に待機させているみんなに連絡を入れておきます」

「さてと、繭、一緒に寝る?」

「一緒にって……ほとんど雑魚寝ですよ?」

 ……と、色々と会話をしている。


「みなさん。明日も早いですから、今日はゆっくり休みましょ……」


 霧絵さんは一点を見つめながら、そう云った。


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