丗弐【8月11日・午後5時14分】
「えっと……廊下を挟んでの両部屋がどんな部屋だったかですか?」
霧絵にどんな部屋なのかを尋ねてみる。
正樹に客室や今は使われていない使用人の部屋を調べて欲しいと云われ、私は春那にお願いしてその部屋の鍵を貰い調べ終わっていた。
唯一残っていたのが、その廊下を挟んだ両部屋だった。
「あの部屋だけ鍵がないんですよ」
「鍵がない? 一応全部の鍵は付けられてるんでしょ?」
「ええ。大聖さんを含めた、私たち家族六人それぞれの部屋。空き部屋を入れた巴さんたち使用人の個室六部屋。そして客室が六部屋の計十八部屋。その部屋の主が鍵をひとつ持っていて、マスターキーを春那が管理してます」
一応は窓際以外はそれがない以上、中に入る事は出来ない。
「それから、書斎にも鍵は付けられてますけど、大聖さんしか鍵は持ってませんし、マスターキーもないんです」
「それじゃ、書斎には春那でも入れない訳?」
そう尋ねると、霧絵は頷いた。
「一応換気として窓は付けられてますけど、人が通れるほど大きくはないです」
それを聞いて、私は鶏小屋と同じである事に気付く。
「つまり、書斎に入るにはその窓から入らないといけない。ということは……冬歌と思われた白骨死体や深夏の死体をそこに入れるには、大聖が持っている鍵が絶対必要になってくる。白骨死体だったら、窓からでも入るけど、あの時の深夏は目は盗まれていたとしても、胸元が肌蹴ているだけだった。つまりは白骨になっていない」
「それにあの時、舞さんが隠れていましたから、鍵は掛けられていない状態だった」
しかし、色々な事を考えても、どうしても縁の一言が引っ掛かってしまう。
渡辺が失踪した事は現実。それ以外は幻同然の出来事。それでも解かないと気が済まない。
「大聖を殺した後、鍵を盗んだとも考えられるわね。だって、大聖は舞台が始まる先日に殺されてるんだから」
「そうだとしても、書斎に貴重なものがあったとは思えないんですよね。歴史蒐集家だったとはいえ、殆ど知られてるようなものばかりでしたから」
確かに若し貴重な資料や文献があったのなら、あんなにごちゃごちゃにするとは考え難い。
「巴さん、お腹空きませんか? 確か冷蔵庫に缶詰が入ってたと思うんですよ」
霧絵は立ち上がると、冷蔵庫から缶詰を取り出す。
「巴さんは桃とか大丈夫ですかね?」
「食べれるけど?」
そう答えると、霧絵は缶詰の桃をお皿に盛り、こちらに持って来た。
「うん。冷たくて美味しい」
私が一口食べると、霧絵も口に運んだ。
と云うよりも私が食べないと、自分も口にしなかったといいたいわけだ。
「あれ、鹿波さん、桃食べてるの?」
風呂から上がり、着替えを終えた深夏や秋音、冬歌が広間に入ってきた。
「ふぁれ? 繭ふぁんふぁ?」
「口に含んだまま喋らないで下さい。……繭さんは瀬川さんがお風呂から上がった後、一緒に鶏を元に戻しておいてと云ってます」
さすがに男風呂をそのままにするのもあれだろう。
一応防空壕の入り口がある場所をわかってるので、目印をつけている。
「只今戻りました」
噂をすればなんとやらで、正樹と繭が戻ってきた。
「あれ? 皆さんは桃を食べてるんですか?」
正樹がそう尋ねると、冬歌が口に桃を頬張りながら、「正樹おにいちゃん。これおいふぃぃよぉ」
と、伝える。
「冬歌、はしたないよ」
「繭さん、冷蔵庫にまだ缶詰が入ってますから、持ってきて下さい。それと、瀬川さんは春那に訊いてきて下さい」
霧絵にそう云われ、繭は厨に、正樹は春那を呼びに広間を出て行く。
しばらくして、開けられた広間の襖を春那と正樹が横切る。それを見て何人かが首を傾げていたが、「貴女達。桃にはね、便秘とか美容にいいのよ」
それを聞いて、深夏と繭がもう一口と、桃を頬張った。
「深夏姉さん。それはちょっと食い過ぎじゃ?」
「ふぁにぃいっふぇんのぉ? んぐぅ。美容に良いのよ? 美容に!」
だからって、すぐに効能が出る事はない気がする。
「深夏? そういうのは常日頃の行いが大事なのよ。先ずは夜更かししない事ね」
そう云われ、深夏は黙って口を動かしていた。
「ところで、繭さんはまたどうして?」
「あ、最近一寸お腹の調子が悪くて……」
そう云うと、繭はお腹を擦る。
「便秘ですか?」
と、霧絵が尋ねると、「食事に関しては、澪さんが作ってますから大丈夫ですし、運動不足って訳でもないんですけど……どうも最近お腹の調子が悪いんですよ」
「聞いてる限りでは原因と思うのがないですね。薬の乱用とかが原因かもしれませんから、あまりに酷かったら病院で診て貰って下さい。女性にとって便秘はストレスがたまりやすい病気ですからね」
そう云われると繭は“わかりました”と頷いた。
「お母さんって、色んな事知ってるよね?」
「大学に行くまでは、ずっと病院にいたからね。知らないうちに先生達や看護士さんたちの話を聞いてたのよ」
そう話をしている霧絵はどこか寂しそうだった。
霧絵にとって、家族と云うのは心から欲しかったものだ。
両親は仕事で忙しく、ほとんど使用人たちが面倒を見ていて、親の愛情と云うものを知らない。
入院している時も仕事を理由に殆ど関与していなかったそうだ。
突然外から車のエンジン音が聞こえてきた。その直後タロウ達が鳴き始める。
「こんな時間に誰だろう。ねぇ母さん、誰かくる予定とかあった?」
深夏にそう訊かれ、霧絵は首を横に振った。
門に付けられているインターフォンが屋敷内に響き渡る。
秋音と冬歌が玄関まで走っていくと、数分して戻ってきた。
意外な来客と一緒に……。
「早瀬警部?」
「こんばんは、皆さん。今日も暑いですな?」
早瀬警部は帽子を脱ぐと、軽く頭を下げた。
「繭さん。早瀬警部にお茶をお願いします」
そう云われ、繭は冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに注ぐ。
それを早瀬警部の前に出した。
「それで、一体何があったんですか?」
霧絵が早瀬警部に訪ねると、「すみませんが、灰皿はありますかね?」
「すみません。煙草は父さんしか吸いませんから、灰皿は父さんの部屋にあるんですよ」
そう云われ、早瀬警部は取り出そうとしていた煙草を元に戻した。
「それじゃ霧絵さんに尋ねますが……」
早瀬警部は一つ咳払いをすると、霧絵を見据えた。
「ごめんなさい……」
突然春那さんに謝られ、僕は混乱していた。
「昨夜の事はすみませんでした。私の事を思ってくれてたのに」
「いや、いいですよ」
そう云うと、春那さんはホッとしたのか、胸を撫で下ろした。
「実は昨夜、瀬川さん以外にも誰かいた気がしたんです」
「僕以外に? でも、部屋には僕と春那さんしか」
「あ、いいえ。確かに部屋には私と瀬川さんしかいませんでしたよ」
そう云うと、春那さんは俯き、視線を外に向けた。
「ただ、以前はこの部屋を修平さんが使ってたので、その人の事を思い出してたんです」
「修平?」
「三ヶ月前までこの屋敷で働いていた使用人の方です。そして……私が家族のほかに大切だと思っていた人だったんです」
言葉が過去形である事から、何か理由があるのだろう。
彼女が昨夜信じられる人がいないと云ったのが気になっていた。
「行方不明になった一週間後、渡辺さんからクビになった事を聞かされて、理由を聞いても答えてくれなかったんです」
春那さんは窓下を見ていた。そして何かを此方へと取り上げた。
――それは朝顔だった。
「朝顔の花言葉は“愛情の絆”だそうなんです。それと“はかない恋”」
そう云うと朝顔を元の場所に戻した。
ふと、昨夜春那さんが出て行ってから、あの少女が部屋を覗いていたことを思い出した。
確かあの時、朝顔なんてなかったはずだ。ただ、それを訊こうとしても、訊けなかった。
「今は此処が瀬川さんの部屋ですから、自由に使ってください」
そう云われ、どう返事をすればいいかわからなかった。
「春那お姉ちゃん? 何やってんの?」
冬歌ちゃんが部屋を覗きに来た。
「なんでもないわよ? そう云えば缶詰を開けているって云ってたわね」
そう云うと、春那さんは冬歌ちゃんの手を取り、部屋を出て行った。
僕は朝顔を見ていた。どうしてあの時気付かなかったのだろうか、それとも、その時だけなかったのだろうか……彼是考えたが、答えは出なかった。