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廿捌【8月11日・午後2時52分】


 異様な空気を醸し出していた部屋の前で、澪と別れた繭は急いで春那の部屋に来ていた。


「お嬢様、いらっしゃいますか? お嬢様」


 襖を二、三度叩き、春那の在中を確認する。

 しばらくして春那が返事をする声が聞こえてきた。

 ここ数日、ほとんど休みなしで働いていた所為か、部屋に戻った後、何だかんだで騒がしかった屋敷内に気が付かず、ぐっすりと眠っていた春那の安否を確認すると、繭はホッと胸を撫で下ろした。


「どうかしたの?」


 そう訊かれ、繭は何か可笑しな事はなかったかと尋ねる。

 春那は安静にしていた為、ほとんど部屋から出ていないし、出ていたとすれば、広間の前を通るのだから、誰かが気付かない訳がなかった。


「いえ、何もなかったのなら……。失礼します」

「あっ! ちょっと待って、これ持って行ってくれる?」


 春那は布団の横に置いたままにしていたお盆を繭に渡した。

 縁が来た時には広間にいたのだが、突然呼ばれたため、お盆を持っていくのを忘れていた。


「それと……あなたの両親の事で少し話があるんだけど、時間大丈夫?」

「――大丈夫ですけど」

「そう。それじゃそれを片付けたら、戻ってきて」


 そう云われ、繭は急いでお盆を片付けると、春那の部屋に入った。

 春那はタオルを肩にかけると椅子に座った。

 そして机の中から書類を取り出す。


「ごめんなさいね。貴女がこの屋敷に来てからの二年間、盆と正月どちらとも実家に帰らなかったのが不思議だったの。勝手な事をしたのは申し訳ないけど、貴女の近辺調査をさせてもらったわ」


 そう云うと、春那は繭に書類を渡した。

 繭はそれを読み始める。文章を読むや悲痛な表情を浮かべた。


「行方不明になったのは、貴女がこの屋敷に来た直後。親御さんには多方面から多額の借金があり、金貸しから逃げるために夜逃げをした……多分、そこまでは貴女も知ってるわね?」


 春那にそう訊かれ、繭は頷いた。


「そして、それから音信不通になってしまっている」

「……連絡するわけないですよ。だって私の両親はどうしようもない愚図ですから」

「本当にそうなら、どうして貴女は深夏に会う前に、高校に通えるようになったの?」

「それは……あの時はまだ両親はいましたから、学費は払ってもらってました。深夏さんにお願いしてこの屋敷に住み込み出来てからは、ずっと自分で払ってます」


 繭の云う通り、この屋敷に来てからずっと、彼女は自分の学費は自分で払っている。


「それと親戚内ではうとんじられていた。その理由は恐らく借金から出たもつれでしょうね。でも、それは本当に借金だけの問題だったの?」

「多分そうだと思います。いいえ! そうだとしか考えられません。ヤバイ業者からお金を借りて、毎日の様に借金取りが来て! 周りの人たちからどんな眼で見られてたかわかりますか?」

「私は貴女じゃないから、貴女がどんな気持ちだったかわからない。でも、それはあなたにも言える事じゃないの?」


 そう云われ、繭は眉を顰める。


「単刀直入に云うわ……借金の理由は親御さんにあるんじゃなく、貴女にあるのよ」


 そう云われ、繭はどう返事すればいいのかわからないでいた。

 それもそうだろう。突然自分が理由だと言われ、“はい、そうですね”と納得出切る訳がなかった。


「七月に入る前、健康診断をしたの覚えてる?」

「あ、はい。奥様以外は特に悪いところは見当たらなかったと」

「書類の中に貴女の健康診断結果が入ってる……」


 そう云われ、書類を捲っていく。


「坂口繭、十七歳、高校三年生、耶麻神邸使用人。上記の者に“癌の疑い”あり。再検査求む」


 それを読んで、繭は屋敷内で自分だけが再検査だった事を思い出す。

 しかしその時、医師からはただの風邪だと告げられ、気にしていなかった。


「それは前に摘出手術してるから、もう心配はないようだけど、その前に手術している跡があったそうよ」

「手術の……? でも、私手術なんてあの時が始めてですよ」

「貴女が知らないのも無理ないわ。だって手術したのは三歳の時だったそうだから」


 そんな幼い時に手術をしていたとは、繭は自分の記憶を探っていくか、てんで覚えがある訳がなかった。


「それじゃ……その時の? でも、両親はカンパして貰ったって」

「身近な存在である親戚から疎ましく思われていた両親が、貴女の心臓移植に掛かる手術代、凡そ一千万以上もの大金を用意出来たと思う? 多額の借金は、恐らくそれを払うために掻き集めたんでしょうね。闇金だという事を承知の上で」


 そう云われ、繭は襟元を広げ、左胸にある傷痕を見遣る。

 記憶にないこの傷痕を両親から訊いた事があるが、“小さい時にふざげて、はさみで掠めた”と聞かされていた。


「何で今更……何で今更そんな話をするんですか?」


 繭は可細い声でそう訊ねる。春那は書類を指差した。


「最後のページに調べてもらった最終報告が書いてあるわ」


 そう云われ、繭はそれを読んだ。


『なお、坂口繭の両親は過労死によって、既に死亡しているとの事。しかし、適度に休んでいたはずの人間が過労死するものだろうか? それと、二人の死体を見た者はいないという。ついで、坂口繭への連絡先も教えていなかったようだ』


 そこまで読んだ後、繭は書類を床に落としてしまう。


「死亡したのは恐らく二年前……貴女がこの屋敷に来た時だった」


 若しそうだったとしたら、屋敷に住み込みをし始めた最初の休み。両親に会いに行った時、不在だった事にも納得が出切る。

 ――しかし、


「こんなのが本当だったとしたら! どうして! どうして両親は私に何も言わなかったんですか?」

「貴女を心配させないためでしょ?」

「言われたほうがいいですよ! どんな理由があっても! どんな理由だったとしても!」

「親御さんが貴女の連絡先を決して話そうとしなかったのは、貴女を守るためってわからないの?」

「私は守られる理由がわかりませんよ! だって、私から見たら最低な! 最低な両親なんですよ!」


 そういい切った後、繭の頬に痛みが走った。


「自分の命を助けてもらった両親に! そんな言い方しないであげて!」

「春那お嬢様に、いいえ! 恐らく誰にもわかりませんよ。だってこんなに暖かくて幸せな家庭にいる人が! 不幸の中生きていた私の気持ちなんてわかるわけないんですから!」

「貴女の気持ちはわかりません。でも“本当の”両親がいないのは私たちも一緒なんです」


 そう云われ、繭は口を挟む事が出来なかった。


「私には耶麻神の血が流れています。でもこれはお母さんの血じゃない。それに私は小さい時から“貰い子”と云われてきました。でも子供が生まれなかった両親が授かった赤子だと話を聞きました」


 その後、深夏、秋音、冬歌と屋敷に来ている。

 彼女達の両親もなんらかの理由から、子育てが出来なくなってしまっていた。

 元々は施設の子だったのだが、施設には定員というものがあり、それに端折られ、行き着いた場所がこの屋敷だった。


「理不尽すぎますよね……お母さんみたいに、本当に子供が欲しくてたまらない人のところには全く来ないで、どうでもいい理由で子供を捨てるような人のところには来てしまう……」


 春那は二の腕を強く握り、涙を堪えようとしていた。

 二十四年前、霧絵が祭に行った際、子供を流産している。

 その後、姉が子供を産んだが、金銭的理由から育てる事が出来ず、赤子を大聖の元へと授けた。

 その事は春那も聞いているし、自分の中で心の整理は出来ていた。


「社長になる前、産みの両親と逢った事があるの」

「どんな人だったんですか?」

「お母さんと違って、活発だった……。本当に姉妹なのかって聞きたくなるくらい。でも、その人はお母さんの事怨んでたみたい。お母さんが生まれつき身体が弱かった事は知ってるわよね? その事で両親をお母さんに取られていた事が羨ましかったんだって……それに私を手放した時も後悔してたって……」


 若し春那の産みの親に子育て出切る余裕があったとすれば、春那はこの屋敷にはいなかっただろう。


「でも本当の理由は、生まれたら私を殺すつもりだったって」


 それを聞いて、繭はゾッとする。


「生んだのはいいけど、私を育てる余裕がない。若しかしたら自分たちも食べていける余裕もなかったかもしれない。そんな時にお母さんの子供が流産した事をおじいちゃん達から聞いたって……」


 その後、春那を産んだ本当の両親は、三ヵ月後、海難事故に遭い、行方不明になっている。


「それで春那お嬢様はこの屋敷に貰われた」


 そう繭が問うと春那は頷いた。


「お嬢様はその事で怨んだりは……」

「少しね……でも、それで殺したいなんて思った事はないわよ。むしろ産んでくれた事に感謝してる。だって、若しこの世にいなかったら、お母さんやお父さん。深夏や秋音に冬歌。渡辺さんや渚さん。澪さんや……繭さん、貴女にだって逢ってなかったかもしれないのよ? それに瀬川さんにも……そして、修平さんにも……」


 修平の名を云った時、春那の表情が翳たのを繭は見逃さなかった。

 春那にとって、香坂修平はそれほど大切な存在だという事を知っているからだ。


「それにこれは貴女にも云える事なのよ? 若し両親が心臓手術をしていなかったら、あなたは此処にいなかったかもしれないんだから……」


 そう云われ、繭は少し考えていた。

 両親を怨んでいた事は事実だが、結局誰が悪いという訳でもない。

 自分の勝手な思い込みだった事に嫌々思い知らされる。

 繭は先程春那から叩かれた左頬を擦った。

 実際、痛くもなんともなかったが、それとは違う痛みを感じさせていた。


「今朝、鶏小屋で瀬川さんに話したんですよ。両親の事……そしたら、自分の両親を悪く言う資格はないって云われました……」

「私も昨夜、瀬川さんの部屋で口喧嘩してるんです。そのことを謝りたいんですけど、タイミングが見付からないんですよね……」

「瀬川さんって何者なんでしょうかね? 私達の事を知ってるみたいですけど」


 繭にそう訊かれ、春那は少し考える。


「それがわかれば苦労はしませんよ。……でも、私もどうしてか……ずっと前から瀬川さんに逢った事があるような、不思議な感じがするんですよね……」


 そう云われ、繭もそうだと答えた。


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