廿伍【8月11日・午前11時26分】
「っと…… これで“全部”……か?」
一人の警官が川に手を突っ込み、あるものを上げた。
周りの警官達はそれを出来るだけ見ないようにしている。
「視線逸らすじゃねぇぞ! おい! ちゃんと“指の関節”足りてるかぁ?」
少し年老いた警官が言う。背中には“長野県警鑑識課”の文字が刻まれている。
発見された本部長の死体は確かにバラバラで発見されたが、腕を見つけた時、左手の関節だけが何故か足りていなかった。
他の場所は大きな関節の部分だけが切り落とされているにも拘らず、左手の指だけが落とされている。
「しかし、こんなに細かくしなくてもなぁ」
一人の鑑識課の警官が呟く。確かにバラバラにしなくてもいいのではと云いたいが、老鑑識の考えは少し違っていた。
何故両手ではなく、左手だけなのか……犯人は左手に執着心があったのか……
それとも其の部分に嗜好を持っているのか、兎にも角にも奇妙で仕様がない。
そもそも本部長が綺麗な手をしていた訳でもないし、手嗜好だったとしても、それは手全体をさすし、それなら手を持っていくだろう。
……が、見つけた関節を数えていくと、一つだけ足りない。
指の骨は全部で十四本。だが見付かったのは“十三”本だった。
「っと…… 一応組み合わせた方がいいか……」
老鑑識がそう云うと、他の鑑識課の警官が、爪のついている関節から、第二間接、第一間接へと置いていく。
老鑑識はおろか、周りの警官も生唾を飲んだ。
薬指の第二間接から基節骨の部分だけがなかった。
「おい!! まだあるかもしれん!」
そう云われ、鑑識や警官達は再び川の中や周りの茂みを探り始めた。
「すみませんね。休みだというのに……」
早瀬警部が老鑑識に缶コーヒーを渡しながら謝る。
「別にええよ。他ならぬ庸一の頼みじゃからなぁ……全く、奇妙な事件じゃな……」
老鑑識官は缶を開け、一口飲む。
「しかし、君も舞ちゃんも……バレたらコレじゃぞ?」
老鑑識官は手刀で自分の首を切る動作をした。
「そん時はそん時ですよ…… 大和元鑑識官長」
早瀬警部がそう云うと、大和医師は小さく哂った。
大和医師は既に三十年前に所属していた長野県警鑑識課で一悶着あり、その理由から警察を辞めている。
警官でもない人間を現場に参加させる事はルール違反だが、早瀬警部はこのバラバラ事件が四十年前に起きた榊山での猟奇殺人と同じ手口と見ていた。
だからこそ、当時鑑識課にいた大和医師を呼んだ。
幸い、大和医師がいた場所が富山県の宇奈月温泉を観光していたからだった為、此処に来るのにそんなに時間が掛からなかった。
「しかし、似ておるな。若し身元がわからんかったら、無縁仏じゃったろうて」
大和医師は見付かった関節に手を合わせ、早瀬警部にといかける。
「四十年前の事件は噂でしか知りませんが、顔はわからなかったんでしょ?」
「わかるもんか。まるで鍬で他が耕されたようなもんじゃったからな……。結局、誰が誰なんだか、わからんかったよ。あの時は」
「あの時は?」
早瀬警部が聞き返すと、大和医師は再び缶コーヒーを飲んだ。
「普通、行方不明者が出た場合、その親族が届出をするじゃろう?」
そう云われ、早瀬警部は頷く。
「じゃがな、なかったらしいんじゃよ。四十年前のあの日から一年以上経っても」
「でも、それくらいならいいんじゃないんですか? 私も両親には二年ほど連絡取ってませんし……」
「君の場合は奥さんがいるじゃろう? 君がしてなくても、彼女がしている場合がある」
「ははは。確かに、うちのかみさんとよく連絡しているみたいですからね……っと、話を戻しましょうか? どうして連絡がなかった事に違和感を?」
大和医師は少しだけ考えると、「先刻も云ったが、届出がなかった。可笑しいとは思わんか? 殺された人間達の平均年齢は二十四の若造じゃぞ? 中には四十の男もいたが、平均して皆まだ若い。そんな年齢の若者が一年以上も音信不通になっちょれば、届出とはいかんでも、心配になるじゃろう」
確かに……と早瀬警部はそう呟く。
「しかも、当時はDNA鑑定なんてもんは存在しとらんかったからのぅ。身元は所持品から判別しておった。それがなかったら、親族が連絡し、確認がなければ誰なのかもわからん」
「これって、小倉靖の時と似てますね。彼だけ身元が判別している」
「じゃが、小倉靖以外の家族は身元が確認出来とらん。鮫島渚がその家族だったという証拠もない。DNA鑑識をやっても結果は一緒じゃろうが、そのDNAがわかるのがないんじゃ確認のしようがないじゃろ?」
そう云われ、早瀬警部は鮫島渚が本当に小倉靖の娘だったのか疑問に思えてきていた。
「とにかく、今は残った部分を見つけるのが先決じゃな。――――あればの話じゃがな……」
大和医師はそう云うと、自分も探し始めた。
しかし、これから四時間ほど隈なく探したが、見付かる気配すらしなかった。
秋音ちゃんがジッとハナの様子を見ていた。縁さんはどういう訳かタロウ達に吠えられていて、今は屋敷の中にいる。
タロウ達は奥様が客人だと言えば、余り吠えないように訓練されている。
それなのに一向に云うことを聞かないのは渡辺さんの時以来らしい。
「もう。あなた達どうしたの?」
澪さんがタロウとクルルの首元を撫でながら訊く。
「こういう時に言葉がわかればいいんですけどね」
霧絵さんがそう云うと、澪さんは小さく笑った。
屋敷の中は縁さん以外に、春那さんと渡辺さん。そして鹿波さんがいる。
春那さんは風邪で寝ているし、渡辺さんは例によって犬小屋に近付けない。
鹿波さんは縁さんの監視をしている。
四十年前、榊山であった惨殺事件。その当事者である鹿波さんが縁さんを警戒していた。
『余所者が、いけしゃあしゃあとこの山に住み着くな……』
縁さんが鹿波さんに言った言葉が妙に引っ掛かる。
余所者と云う事は其処に住んでいたか、若しくは先祖がと考えられる。
しかし、鹿波さんの話だと、縁さんみたいな人は見たことがないと云っていた。
あの事件の生き残りは、僕の記憶では、水深中学の校長先生だ。それでも既に年相応になっている。
――が、鹿波さんの場合は既に死んでいる。
死んでいる当時から変わらないのだから、これは仕様がない。
問題は縁さんだ。彼女は一体何者なのだろうか……
「あっ!」
突然秋音ちゃんと冬歌ちゃんの小さな悲鳴が聞こえ、其方に振り向くと、ハナが痙攣を起こしていた。
「ハナッ!」
冬歌ちゃんが声を掛ける。
「待って下さい。今声をかけるのは」
澪さんが近付こうとする冬歌ちゃんを制止する。
「出産が始まった?」
僕の横にいた霧絵さんがそう呟いた。
「澪さん! ハナの出産時間は何時でした?」
「えっと、大凡お昼の二時くらいと見てますけど……」
「早産かもしれません! 秋音は獣医に連絡を……」
そう云われ、秋音ちゃんは中庭のほうへと引っ込む。
出来る限り奥様の近くで携帯を使わないようにするためだった。
ハナの痙攣は次第に激しくなっていく。夫であるクルルはジッと見守ることしか出来ない。いや、恐らく他の動物もそうなのかもしれない。
しばらくして、ハナの様子が静かになった。
するとお尻のほうから赤い血が流れる。
「……産まれた?」
しかし、鳴き声が聞こえない。それから次々と子犬が産まれ、結果六匹が生まれた。
だけど、それらも一向に鳴く気配がしない。
痺れを切らした澪さんがハナの元に近付き、子犬を抱き抱えると、頭を下に向け、お腹を下にし、やさしく子犬の頸の付け根をさすっていく。
「瀬川さんも来て、手伝ってください」
そう云われ、僕も云われたとおりにする。が、数分しても一向に鳴く気配がない。それどころか……冷たくなっていく。
澪さんはゆっくりと子犬を地面に置くと次の子犬を同様にする。が、それもゆっくりと置く。こうしていく内に五匹が終え、最後の一匹となっていた。
誰もが……恐らく冬歌ちゃんですら諦めていた。
連絡をし終えた秋音ちゃんもジッと見ているだけだ。
「澪さん…… もう……」
霧絵さんがそう澪さんに声をかけるが、彼女は一向に止める気配を見せない。
「もう十分ですよ。それ以上したら……今度はあなたが……」
霧絵さんがそっと澪さんの肩に触れ、そう制止する。
「私以上に……私以上にハナが一番辛いんですよ! お願いだから……お願いだから鳴いて……どうせ死ぬなら……あなたの鳴き声を聞かせてから! お母さんにあなたの声を聞かせてから亡くなってぇっ!!」
それは多分……澪さんではなく、ハナの言葉だったのかもしれない。
何故か僕にはそう思えた。
「…………」――――えっ?
「い、今…… 何か聞こえて……」
僕がそう言うと、澪さんは子犬の口元に耳を傾ける。
「…………」
澪さんは驚いた表情で、再び子犬の首を擦る。
「…………キュゥウンゥッ」
それは弱々しい声だった。
だけど、それ以上に僕の耳には大きく聞こえた。
「秋音! 今すぐ微温湯を用意して!」
霧絵さんにそう言われ、秋音ちゃんは急いで屋敷に入っていく。
幸いガス給湯もあるため、直ぐに微温湯は用意出来る。
数分して、秋音ちゃんは洗面器に微温湯を入れ、戻ってきた。
それをゆっくり子犬に浸からせる。
そして汚れた部分を洗い落としていく。
「産まれたんだ……」
そう秋音ちゃんが言うと、澪さんは静かに頷いた。
そして既に冷たくなった子犬たちを一瞥する。
「若しかしたら…… この子達のおかげなのかも」
秋音ちゃんがそう呟く。
「どういうこと?」
「わかりませんけど、なんとなくそんな気がしたんです……。“お前まで死んだら、お母さんが悲しむだろ?”って……」
確かに……そう聞こえなくもない。
何処か幸せそうだったからだ。子犬たちの表情が……
子犬を微温湯から上げ、タオルで拭いていく。そしてようやく母親のもとへと戻された。
子犬はハナの乳頭を探し上げるとゆっくり口を運び、母乳を飲み始めていた。
「ふふふっ……まるでタロウの時やクルルの時と同じですね」
「タロウもこんな感じでしたね。生まれた時は」
霧絵さんと澪さんがハナを見守りながら言う。
澪さんはジッと死んだ子犬たちを見る。見るに堪えられなくなったのか、子犬を抱えようとすると……突然、ハナが唸り声を挙げる。
まるで触れるなと云わんばかりに……その行動に誰もが驚く。
子犬たちが死んだことが信じられないのか。
だけどそうではなかった。
子犬がミルクを飲み終え、ヨタヨタと辺りを動き始めると、ハナはスッと立ち上がり、死んだ子犬の首元を咥えた。そしてそれを隅っこの方に遣る。
誰もがその行動に驚いていた。タロウとクルルは必死にいくつか穴を掘っていく。
そして咥えていた子犬を其の穴へと沈めていく。
そう……“死体”を埋葬しているんだ……
僕達はその行動をただただ見守っているしかなかった。
いや手を出すことすら出来なかった。
タロウとクルルも穴を掘り終えた後は、何もせず、ジッと見守っているだけ。
ハナは死んだ五匹の子犬を落とし終えると、その上に土を被せた。
そして…… 静かに吠えた。