廿弐【8月11日・午前6時18分】
春那が起きてくる少し前、広間には殆どが集まっていた。
――そう殆どだ。誰一人欠けていない。
春那が体調を悪くして、部屋に戻った後、霧絵が氷枕を持って部屋に入ったのが約一時間前で、渡辺が戻ってきたのはその後だった。
妙な違和感を感じる。
多分この時点でまだ全員が生きているからだろう。
渡辺が旅館に到着する頃、澪が連絡を取っていた。
旅館からは到着していたらしく、料理長は“何時も有難う”といっていたそうだ。
「あれ? 春那姉さんは?」
冬歌が広間を見渡しながら云う。
「あ、春那お嬢様は先ほど熱っぽいと部屋で休んでますが」
繭が冬歌に説明する。「夏バテ?」
秋音が確認するように聞き返すと、「それも考えられますけど、恐らく疲労とストレスでだと思います」
姉妹達の質問を澪が答えていく。
「そうだ。お粥作ってあげよ」
深夏がそう云うと、正樹以外は驚く。
「ちょっと! 何その顔!」
皆の顔を見るや、心外だと深夏は訴える。
「えっと……。確かにお粥を作るというのには反対じゃないのですが、如何せんお嬢様が作るというのに驚いてるんですよ」
「だから! 何でそんな風になる訳?」
深夏がそう小さく怒鳴る。
「だって、姉さんって、料理下手じゃない?」
秋音がそう云うと、冬歌もそうだと激しく頷いた。
「深夏さん? 夏休みに入る前、学校の調理実習でだし巻き玉子作ったの覚えてます」
繭にそう云われ、深夏はたじろぐ。
「砂糖と塩を間違えるわ、焦がすわ、卵の小さな殻は入りっ放しだわで散々だったじゃないですか!」
「それにその前日は練習で、私たちは実験台にされたし」
「だ、大丈夫だって……。澪さんに教えて貰いながら作るから……」
深夏は澪を見ながらそう云う。
「えっと…… お粥を作るにも、ご飯が出来てないと出来ませんよ?」
そう云われ、澪は炊飯器を覗く。
今さっきお米を研いで、水に浸けている最中だった。
「昨日の残りは?」
「ありませんよ。昨夜は瀬川さんが来るから、夜の分の白米を炊いてませんでしたから。それに残っていても、鶏の餌に混じってますよ」
「それじゃ、ご飯が炊けるまで、お粥も何も出来ないね」
そう冬歌に云われ、深夏は苦笑いをする。
「渡辺さん……」
霧絵が声をかけると、「少しお願いがあるのですが、麓の店に行って、何か缶詰を買って来てくれませんか?」
「いいですけど、何を買ってきましょうか?」
「そうですね。白桃なんてどうでしょ?」
「わかりました。ついでに皆さんは何がありますか?」
そう云われ、みんな何か考えていたか、伝えなかったところを見ると、特に欲しい物はなかったようだ。
「なるべく早く戻ってきて下さいね」
霧絵がまるで釘を刺すような口調で云う。
「わかってます」
渡辺はそれだけを云うと、車に乗り、山を下りていく。
「何を考えてるの?」
私は霧絵にそう尋ねると、「もし渡辺さんが行方不明になっていたとしたら、鶏小屋の時点でだと思います」
「それを繭と正樹に頼んで、逆に澪を渡辺の監視役にした……。でも、澪と繭も疑わしいのよ?」
「逆です……」
霧絵はそう云うと、屋敷の奥へと戻っていった。
突然黒電話鳴る。暫くして誰かが電話に出た。
「鹿波さん! 早瀬警部からお電話です」
電話を取ったのは繭で、どうやら早瀬警部が私に用があるらしい。
繭から受話器を受け取り、耳元に当てる。
「もしもし…… お電話変わりました」
「あ、鹿波さん…… 首尾はどうですか?」
早瀬警部にそう云われ、私はどう答えればいいか困った。
確かに云ってしまえばうまくいっている。
いや、いきすぎてるとも云える。
渡辺は死んでいないし、姉妹達も無事だ。
「一応確認を取りたいんですけど、渡辺さんは居ますかな?」
「えっと、渡辺さんは今さっき買い物に行きましたけど……」
そう云うと、早瀬警部は誰かと会話をする。
「今、麓近くをパトロールしている警官が、山から車が下りてきたのを確認したそうです」
そう云われ、私は広間の方を見遣った。
「最近渡辺氏の行動が不審でね、霧絵さんにお願いされてたんですよ。でも、こちらもちょっと手が放せない状態でしてね……」
「もしかして、今朝云っていたニュースですか?」
そう訊くと、早瀬警部は少し間を置いて答えた。
「一応云っておきますけど、私たちは何も云ってませんよ」
「でも、ニュースになってるという事は、誰かが云ったって事ですよね」
「いや、恐らく云ったとしても、此方は問題が山ありなんですよ。むしろ、今も何時中断されるかわからないんですよ」
「四年前と同じって事ですか?」
「それならまだいいんですけどね……」
その言葉に少しだけ違和感を感じた。
「阿寺渓谷で発見された遺体はうちの本部長なんですよ」
「えっと……それじゃ……」
「はい。政治家か、偉い人間が云わない以上、私達は捜査を中止する事はないんですよ。そしてそれを処理する本部長がいないとなると、捜査中断される事はない」
「もしかして四年前の事件って……」
「はい。四年前、捜査中断をさせたのは政治家なんですよ。私たち警官は結局、上の命令を聞くしかないんでしょうね……」
「四年前の事件は政治家が困るような事があったって事ですよね? でも、今回はどうなんですか?」
「恐らく大聖くんが調べ上げた裏帳簿でしょうね。その中にうちの本部長と政治家の名前がいくつか入っていました」
それなら、いっその事止めたほうが……むしろ止めない方がいいのかもしれない。
下手に動けば自分の首を絞めるのと一緒……
「それじゃ、誰が本部長を殺したんですか? どう考えても可笑しいですよ。もし、裏帳簿が関係していたとしたら、先ず本部長は殺されない!」
「断っておきますが、わたしは本部長に裏金の事は云ってません。むしろ逃げられる可能性もありましたからね。それと何人か政治家の名前が書かれていましたけど、それも先ず裏がとれている……」
――裏?
「帳簿に書かれていた何人かは四年前の事件と関与してないんです。二つ目に、少なくとも渡辺氏が裏金を企てていない。銀行に問い合わせたところ、他の口座にお金を移すというのはなかったそうです。そして、三つ目は書かれていた政治家は、今は政治家ではない」
“えっと…… それってどう云う……”
私がその事を訪ねると、「政治家は先ず国民が投票しますよね?」
と、恐らく早瀬警部は知っていると思ったのだろうけど、如何せん私は四十年前に死んでいるし、そもそも知る訳がない。
「それで中には現職の政治家が投票で負けて、普通の生活に近い状態になるわけです」
それじゃ既に政治家でも何でもないという事じゃ……。
「でもですね、政治家には面白いシステムがありましてね。前議員バッジってのがあるんですよ。これがあると、次の選挙で情報を調べたり、他の先生と談合したり出切るんですな」
「それじゃ裏帳簿に書かれていない人間がしているって事ですか?」
「いや、それだったら捜査を中断させられるでしょうね。でも、前議員にそんな事が出切る権限はないですし、仮にそうだとしても、得はないでしょ?」
確かに損得はないだろう。
「私は四年前の事でちょっと上から目をつけられているんでね。“余り大きく動けない”んですよ……それに私もそろそろ引退ですからね……」
何故かその言葉が寂しく聞こえた。
「私は本部長を殺した犯人と、その裏づけを取ります」
――そう云うと早瀬警部は電話を切った。
これまで思っていたことが妙に噛み合わない。
今までは渡辺が殺されるように見せかけた殺人。
それがあったから、私は渡辺が関係していたと思っていた。
だけど、渡辺が何の目的でそんなことをしていたのかは知らない。
それは澪や繭にも云える。
私や正樹、霧絵や姉妹達、そしてタロウ達以外は“殺されていない”。
鶏小屋に地中に繋がる場所があったとしたら、この屋敷に繋がっていても不思議ではない。
いや、そうでないと説明がつかない。
この屋敷が建てられたのが大凡三十年前だとして、どうして前の主は大聖に貸し与えたのだろうか……。
そのことを大聖も知らないみたいだし、不審な場所も見付からない。
まるでこっちからは入れない作りになっているらしい。
姉妹達の部屋は無理だとしても、自分の部屋は調べられる。
だけど、客室だけは掃除をしている時にしか調べられない。
一応、霧絵の部屋を見せてもらったけど、不審な部分はなかった。
もしむこうからしか入れないような造りだったとしたら……それに、広間の長さと廊下の感覚が妙に幅が違うことにも違和感を感じる。
壁を叩き、音を確かめる。
もし空間があれば、音が変わるだろうけど、余り音が変わらないし、入れるような場所すらない。
「さっきから何遣ってるんですか?」
小さな鍋が乗っているお盆を持った、秋音が私にそう尋ねる。
近くには深夏と冬歌もいた。
「ここって、何か空白があるのかなって……」
「空白? ああ。広間と廊下の長さが合わないって事ですか? 確か設計ミスらしいですよ。ほら、廊下を挟んだ六部屋以外は、押入れがあるじゃないですか? その長さの設定と広間の広さが合わなくて、それで空が出来たみたいなんです」
「でね? その空きスペースで、ちょっと怖い話があるのよ?」
深夏がそう云うと、冬歌が秋音のズボンを掴んだ。
「その空白は私達の部屋と同じ作りになっていて、其処に少女が住んでいたって話。少女は生まれ付き体が弱くて、重い病気に罹っていたの。だから、この屋敷を作った人は、少女を閉じ込めるために、あの空白を作ったって話」
深夏は自信満面に話すが、まぁ、別に怖くもなんともない。
むしろ私が生きていた時代なら考えられない話ではないからだ。
理解出来ない病気に罹ったり、生まれ付き奇形だったりすれば、それに触れさせたり、見せる事を拒む親がいれば、それを隠そうと、地下牢に閉じ込めたり、人知れず殺したりもしている。
この榊山だって――例外じゃない。
特に“逆鬼山”の由来である、“カミサマ”もこれに当て嵌まる。
幾ら助ける為に牢屋に閉じ込めたとはいえ、帰ってこなければ意味がない。
それでも少女は待っているんだ。ずっと……。
それが若し、あの空白だとすれば……私はもう一度壁を叩くが、矢張り何も変わらない。壁が厚いのか……
「ほら、お粥冷めるわよ……」
深夏にそう云われ、秋音と冬歌は頷く。
「あれ? もうご飯炊けたんですか?」
「それがね。冷蔵庫開けたら一膳分だけ残ってたの」
それだけを言うと、姉妹たちは春那の部屋へと入っていった。
「鹿波さん! ちょっと来て下さい!」
広間の方から澪に呼ばれ、私はそちらに向かった。